Facebook向後 善之さん投稿記事
「老いる意味」 森村誠一 著 中公新書ラクレ
森村誠一さんがこの本を書いたのは、88歳。それだけでもスゴイと思うのですが、それより前、森村さんは、老人性うつと認知症を患っていたのです。そうした病理を乗り越えて、本を出版するというのは、本を1冊書くたびに、「これで打ち止め、もう書けないな」と思ってしまう僕にしたら想像を絶することです。
森村さんの病理克服プロセスは壮絶です。
うつに気づいたのは、以前のようなクオリティの文章がかけなくなったときなのだそうです。そのときのことを、森村さんは次のように書いています。
「五十年間、創作を続けてきていながら、小説を書こうとしても、短いエッセイを書こうとしても、俳句や詩を書こうとしても、これまで書いてきたものには及ばなくなっていた。(p.17)」
それは、森村さんにとっては、作家としての死の宣告にもなりうる経験だったでしょう。しかし、森村さんは諦めなかった。それから、なかなか思い出せない言葉があったら、ノートに書き留めるということを始めます。それは、次第にノートだけでは足りなくなり、
「やがて家の中が言葉であふれた。玄関の扉にも、トイレの入り口にも、寝室の扉にも言葉を書いた紙が取り止めもなく貼ってある。それを見ながら、私の脳からこぼれ落ちかけた言葉を拾いだし、それを脳へと戻していく。必死であった。(p.23)」という状態になります。
当時の森村さんの精神科医への手紙も、この本の中に載っていますが、その文章は、精神科医に縋り付くような内容でした。とてつもない恐怖に苛まれていたのだと思います。
森村さんは、「まだまだ小説を書きたい──。 その一心で私は、言葉との格闘に挑み、言葉との触れ合いを続けた。(p.23)」のです。
その結果、詩と小説の融合という新たなスタイルを創造し、雑誌連載を経て、2019年の1月には『永遠の詩情』が、出版されることになりました。これは、画期的なことなのではないかなと思いました。そして、それは、苦境にあったからこその挑戦(p.31)だったのでしょう。
「うつは表現の天敵であるが、表現は表現者の中に無限にあった。(p.31)」というのは、なんと勇気付けられる言葉かと思いました。
森村さんの表現はそれにとどまらず、最近では、俳句と写真のコラボをブログで配信しているのだそうです。俳句をブログに上げていてもあまり読んでくれる人がいなかったのですが、ある時思いついて自分が撮った写真と共に俳句をアップしたら、アクセス数が上がっていった(p.140)のだそうです。
森村さん、発想が若々しいです。人生の大先輩が示してくれた、素晴らしい一つの道標だと思いました。
https://atamistory575.com/%E5%86%99%E7%9C%9F%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%82%92%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%82%88%E3%81%86%EF%BC%81 【写真俳句を始めよう!】より
写真俳句って何?
デジカメの普及で写真を撮る機会が増えています。気に入った写真が撮れたならそれに写っていない情報を伝えるのに俳句を添えてみませんか? 写真俳句はあなたの写した写真に、俳句(五七五)を加えて作る現代的な表現方法です。
本来写真にはたくさんの情報が含まれています。また、俳句にも十七文字の中に壮大な宇宙観や人生観をビジュアルで表現しているものもあります。写真俳句はそのふたつを組み合わせることで、俳句のイメージを広げ、写真は俳句が付くことでその写真が活きてくる効果があります。俳句では伝えられない、写真だけでは伝わらない、そんなイメージの世界を創り上げるのが写真俳句です。
写真俳句はとっても簡単!
このように写真俳句は「写真」と「俳句」を組み合わせた新しい表現世界です。俳句というとルールがあってちょっと難しいなと思うかもしれませんが、「写真俳句」は新しい創作表現なので、難しく考える必要はありません。このサイトを監修する写真俳句の提唱者である作家森村誠一さんはこのように言っています。
「ルールがないのが写真俳句のルールのようなもの。写真俳句は生活の縮図ですから無季語でも構いません。写真に季語を語らせてもけっこうです。句材をカメラで撮影し、後で俳句を作っても良いし、俳句が先にできて、それに合う写真を探してもいいんです。あなたも写真俳句の楽しさを知ってください」
習うより慣れろ!
まずはどうしたら良いかと思ったら、こちらの「スキルアップ講座 写真俳句」をご覧ください。写真俳句の基本から実践まで一通り読んでみましょう。そして人が作った作品を色々見てみましょう。たくさんの作品を見ることで「自分なら俳句はこうするな」とか「写真はこんな感じのほうが合いそうだな」と、考えてみることができます。
そうしたら、まずは行動! 日常の一コマを写真で切り取って、あなたの感情を俳句で言葉にしてみましょう。それが世界に一つだけのあなたの感性で作った写真俳句です。作品ができたらぜひ、熱海写真俳句撮詠物語に送ってください。
https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12666103756.html 【森村誠一さんが老境の思いを綴った本『老いる意味』を刊行。】より
長崎新聞文化欄に、森村誠一さんの老境の思いを綴った本『老いる意味』(中公新書ラクレ)が刊行されたというニュースが載っていました。
見出しに《弱い人間として語る「夢」》《老い見つめたエッセー刊行》
とあり、「老人性うつ病のつらい体験なども包み隠さず記した」とありました。記事は、書面インタビューを基にしたもの。以下、記事内容を読みやすく編集して載せました。
「私は小説の中では、悪を懲らしめ、人間の善を書いてきました」
読者に「夢と希望」を与えるはずの作家が弱さを見せるのは「裏切り」ではないか?そう思った森村さんは、出版社からの執筆の依頼を一度は断ったという。だが、やがて別の考えが浮かんだ。
「考えてみれば、私も読者と共に歳月を過ごし、88歳の老人になった」
「弱い人間だからこそ書ける、読者を勇気づける言葉もあるはずだと気が付いた」
「恥ずかしいぐらいに正直に書きました。『私も頑張っている。一緒に頑張りましょう』と言いたかった」
2015年のある朝、これからまだ50冊書こうと意気込んでいた森村さんは突然、老人性うつ病を発症した。原稿用紙に文章を書くと、自分のものとは思えない雑然とした文体になっていた。さらに認知症の傾向も表れ、言葉が出てこないことが増えていった。
「脳裏から言葉が “こぼれ落ちる"という不思議な感覚でした。仕事場の床に頭からこぼれ落ちた言葉が散り積もっているような幻覚にも襲われました」
「ノートや新聞の折り込みチラシの裏に言葉を書いては、壁や天井に張り付け、何度も復唱し、言葉をつなぎとめた」
「家中が私の言葉でいっぱいになりました。作家にとって言葉を忘れることは死を意味するのです」
新刊エッセーの副題は「うつ、勇気、夢」。
「もちろん、健康は何より。病気をしないのも何より。けれども、気を付けても避けられないものもあります」
「私は皆さんに言いたい。病気になってもいいじゃないか。悩んでもいいじゃないか。他人に迷惑をかけてもいいじゃないか」
だからこそ「夢」が大切だと強調する。
「小さな生きがいでも本人にとっては大きな希望です。孫の成長であっても、趣味であっても、ちょっとした出来事であってもい い。たとえ介護を受けてベッドの上で寝たきりになっても、夢だけは持とうと言いたいのです」
森村さんは小説執事の傍ら、写真と俳句を組み合わせた「写真俳句」を発表してきた。
「俳句や詩はある意味、自分自身との対峙だと思います。それは老いる意味を探すことかもしれませんね」
「最近詠んだ中で気に入っているのが
行き着きてなおも途上やうろこ雲
という一句。年老いて円熟しても、人生はまだ途上にあります。いくつになっても人生とは夢を追うもの。人生の旅は永遠に続くのです。青空に浮かぶ雲のように、ゆっくりと流れるように」
長く親しんできた森村誠一さんが取材に合わせ作った自筆の一編「明日人生友人雲と共に一片の雲いずこまで後追ふ人や 我が友はるかいずいず追いず人生追いても老いる明日はあり」
「生きがいとはこれからの夢。人間とは案外、孤独ではないのです」
もりむら・せいいち 1933年埼玉県生まれ。ホテル勤務を経て作家に。「高層の死角」で江戸川乱歩賞、「腐蝕の構造」で日本推理作家協会賞、「悪道」で吉川英治文学賞。映像化作品も多く「人間の証明」は社会派ミステリーの金字塔として読み継がれている。
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