相田 公弘 「諦念」相田みつを
なんでもいいんだともかく一生懸命やってみることだ いのちがけでやってみることだ
そうすれば 人間の不完全さが よくわかる
自分の至らなさが骨身に沁みて よくわかる頭でなくて からだ全体でよくわかる
諦念の世界は そこからひろがってくる 手をあわせずにはいられない諦念の世界が
https://fragie.exblog.jp/17894548/ 【たおやかな諦念。】より
露草。
「あなたの性格を教えてください」って尋ねられた。「性格って、よくわかりませんが…」とは言ったものの相手はわたしの性格なるものをわたしから聞きださない限り許さないっていう勢いだ。
「そうねえ……、(しばらく考えて)おおざっぱ、かな」と答えた。「おおざっぱ」と書いている。「おおざっぱだけど、時々うろたえる」と言うとそれも書く。おお、そうだ、もう一つあった。「そしてすぐ忘れる」と言ったら、それも書いた。
ということで、わたしの性格は、おおざっぱだけど、時々うろたえる。そしてすぐ忘れる。ということになった。
書かれた文字をみてすこし淋しくなった。(わたしってこんなもん……)
まあ、仕方ないわね。気持を切り替えて新刊紹介をしよう。
成田清子句集『水の声』。第三句集となる。
前句集『時差』もふらんす堂から刊行だ。以後の18年間の作品を収録してある。1981年に能村登四郎に師事して俳句をはじめ俳誌「沖」を経て、いまは俳誌「門」(鈴木鷹夫主宰)に所属、30年以上の句歴がある実力派俳人である。鈴木鷹夫主宰が帯に言葉を寄せている。
しづかにも花屑の上風ありぬ
もの静かな女性が、微風のような句を作り続ける。このアイデンティティが、著者の奇を衒わぬ静謐な結果を示しつつ、揺るぎのない感性の結集が昇華されている。
「もの静かな女性が、微風のような句を作り続ける」とは、まさに成田清子さんのありようそのものであると思う。句集名を「水の声」としたように集中には水のイメージが揺曳する作品が多い。成田清子さんの場合、透明感のある清冽な水だ。
水の影水底にあり椿落つ 螢籠霧吹けば夜の鮮しき
祭笛街はゆつくり濡れてゆく あをあをと水が育ちぬ螢の夜
雪螢佛の泪かもしれぬ 囀やどの橋もみな濡れてゐる
眼のなかの水は泪よ雲の峰 歳晩の顔を洗へば顔ありぬ
洗礼を受く寒紅をうすく引き 水をゆく真白なる雲曼珠沙華
水の声木のこゑ寒の明けにけり 夕立が眠りの中を濡らしけり
鳰潜り水は朝日に光りけり
ほかにも「水の句」はあるがいくつかを紹介した。
この句集に成田清子俳句の良き理解者である鳥居真理子さんが栞を寄せている。
死後とはかく物捨てること螻蛄鳴けり 白蝶よ急ぐな雨はまだ降らぬ
衣更へてすぐ昼火事に遇ひにけり 原爆忌夫と同時に見る時計
うすうすと空腹矢車鳴つてをり 冬菊や終の別れは手を振らず
清子俳句の本流ともいえる作品に眼を転じると、そこには作者ならではの死生観が通底のように横たわる。しなやかな受身の強さ、さりげない情感の潤い。それらが言葉のすみずみにしみわたり、読み手のこころに豊かな余韻が響き合う。(略)平明なことばが緻密な繊細さをもって紡がれてゆく。とりわけ「衣更」や「うすうすと」の作品に見る取り合わせはみごとだ。読み手に限りないイメージを膨らませてくれる清子作品。平明だが平凡ではない。そこには豊かで生き生きとした内実をしたがえた経験と感性が息づいているからだ。成田清子がいまここに生きている。
一滴の香水なんとなくうふふ 美しき老いなどはなし白桔梗
向田邦子好きで焼藷も好き 干蒲団たたきて薬依存症
白玉や右手は左手より親し 葱下げし男だんだん夫となる
死をもつて知る消息や日雷 死するより老い恐ろしき葛の花
寂しいと言へぬさみしさこぼれ萩 女にはわかる女の寒さかな
二人とはひとりと一人蜆汁 原爆忌夫と同時に見る時計
冬銀河この先のわが持ち時間
ひとりの内面をもった女性の姿がくっきりと浮かんでくる。ときにはお茶目だったりするが、ある覚悟のようなものを身に引き受けて日々を暮らしている女性像が立ちあがってくる。成田清子さんという品格のある実像を伴ってそれは凛とした立ち姿だ。
彼女の優しく、おっとりとしたその声はいまでも少しも変わらない。ゆったりと流れる春の日のように静かで少し淋しげだ。そんな声そのままに、清子さんの人柄もまたあたたかくおだやかだ。加えて凜とした透明感、そこから湧き出る芯の強さ。まさに清子俳句の原点と言えるだろう
鳥居真理子さんの栞から引用した。「水の声」に従うひとりの女性の情感豊かな諦念がこの句集を貫いている。それは厳しい面持ちのものでなくどこまでも優しい心根を持つ。それが美しい。
十七文字の俳句は私を捉えてはなしません。最初の句集『春家族』ではもっぱら自分を取り巻く家族に自分を投影していました。その後、句の対象であった家族達の変貌とともに異なる道を手探りする第二句集『時差』となりました。それからまた十八年が経ちました。言葉を包む別の世界ができないか。そうした切ない願いをこの第三句集『水の声』に籠めました。
「あとがき」の言葉である。
この句集を担当したのは愛さん。
芳名簿に能村登四郎あたたかし (門一〇〇号記念)
「うしろの方に林翔先生の句もあってどちらにしようか迷いましたが、この句が一番好きです」ということ。師を思う成田さんのお気持ちがあふれている一句だ。わたしも好きな句である。
この本の装丁は和兎さん。成田清子さんの品性をそこねないようにと気を使った装丁となった。
上品に仕上がったのではないだろうか。酔いどれ装丁家の和兎さんは頑張った。
たおやかな諦念。_f0071480_2011846.jpg
表紙は淡いブルーのクロスを用い、金箔の文字で。
たおやかな諦念。_f0071480_2015519.jpg
扉にも金箔文字を。
たおやかな諦念。_f0071480_2032926.jpg
淡淡とした上品な出来上がりになったが、成田清子さんはとても喜んでくださった。
成田さんをご存知の方はイメージに近いものと思ってくださるだろう。
「句集をつくりませんか、ってあなたがおっしゃって下さって思いきって出そうって思ったのよ。嬉しかったわ、そうおっしゃってくださったのが。」
今日のお電話でそう言って成田さんは喜んで下さった。
女にはわかる女の寒さかな
この句にはグッときた。「女の寒さ」を詠める女性はそう多くない。つまり女が女を優しい目で見ていないとこういう風には詠めないのだ。
少なくとも「おおざっぱで時々うろたえそしてすぐに忘れる女」は、こんな感性は持ち合わせていにないっていうことなのね
0コメント