Facebook田子 和男さん投稿記事
【神社仏閣名所旧跡巡り】 籠神社 日本創生の秘密をにぎる元伊勢神宮(奥宮眞名井神社)!
このところ「ミステリーな記事」をUPしているが、今回は「籠神社」に付いてです。
【アマテラス御巡幸】
神武天皇から9代の間は、神と天皇が皇居の中にいっしょにお奉りされる同殿同床でした。 10代目の崇神天皇・6年のときに神慮を畏み、倭笠縫邑[やまとかさぬいむら]にうつして、皇女豊鍬入姫命が奉斎することとなり、同58年に御室嶺上宮[みむろのみねのうえのみや]を奉斎地と定めて終わりました。それから2年後、自らの役目を姪[いもうと]である皇女倭姫命に託し、御杖として、天照大神を奉らせました。倭姫命は天照大神の鎮まるべきところを求めて、各地を巡幸し、最終的に伊勢国に辿り着き
「この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪よする国なり。 傍国のうまし国なり。この国に居らむと思う」
との神慮を得て、五十鈴の川上に鎮座されたのが内宮のはじまりとされています。
【1番目ご巡幸地の籠神社】
天照大神が最初に巡幸した神社で元伊勢のひとつ。もともと丹後国の総氏神である籠神社の祭神・豊受大神(とようけのおおかみ)と共に祀られた。20数社ある元伊勢のなかでも随一の・・・・・・・・・・・・・・
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【【神社仏閣名所旧跡巡り】 籠神社 日本創生の秘密をにぎる元伊勢神宮(奥宮眞名井神社)!】より
【1番目ご巡幸地の籠神社】
天照大神が最初に巡幸した神社で元伊勢のひとつ。もともと丹後国の総氏神である籠神社の祭神・豊受大神(とようけのおおかみ)と共に祀られた。20数社ある元伊勢のなかでも随一の社格と由緒を持ち、その証として伊勢神宮と籠神社にしか許されない5色の座玉(すえたま)が高欄に据えられている。本殿の造りも伊勢神宮と同じ唯一神明造りになっており、天照豊受両大神が遷座した後は、天孫彦火明命(てんそんひこほあかりのみこと)を主祭神としている。日本三景のひとつとして名高い天橋立は、もともと籠神社の参道とされていたものです。
【日本・ユダヤの3種の神器】
日ユ同祖論ではユダヤと日本の共通点として、日本の三種の神器とユダヤの3種の神器が取り上げられることがあります。ユダヤの3種の神器とは、契約の石板,アロンの杖,マナの壺の三種類をさします。そのユダヤ3種の神器のひとつ、「マナの壺」は飛鳥昭雄氏の著書「神一厘の仕組みとユダヤ予言」で、籠神社の奥宮「真名井神社」でご神体となっていると記されています。
主祭神は「彦火明命(ヒコホアカノミコト)」。この神は、籠神社の社家「海部氏」の祖神ですが、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)とも呼ばれており、これは物部氏の祖神でもある。また、下賀茂神社の主祭神「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」とも同一であると言われている。配神に豊受大神,天照大神,海神,天水分神があります。正式名称「元伊勢籠神社」という。天照大神は古代移動【ご巡幸】を繰り返したので、各地に元伊勢といわれる神社は複数あるのですが、籠神社はその中でも最も格の高い神社となります。その理由は天照大神が大和の笠縫邑を出て最初に鎮座した場所であること、伊勢神宮外宮の「豊受大神」がもともとは、籠神社の奥宮「真名井神社」の祭神であったためでしょう。古墳時代、雄略天皇の代に外宮に祭神を移動し、そのかわりに彦火明命が主祭神となりました。
☝海部宮司
社家の海部氏ですが、彦火明命から続く日本最古の家系図(国宝指定)を所持しています。また、発掘品ではない2000年前の後漢と前漢の2枚の銅鏡が伝えられています。
籠神社は京都に赴任中に参拝したことがあるのですが、この様な神社であることは全然知らずにいました。その後東北に転勤し、神社仏閣名所旧跡を巡るなかで、「アラハバキ」とか、中央との関係とか、唐松神社の存在意義とか、解るにつれ、古代日本に関心を持ちました。籠神社は、退職後籠神社とご縁を持っている方がおり、その方のご案内で、「新嘗祭」に参拝する機会を得ました。掲載の画像はその際のものです。
記事・画像 引用・参考元 Yahoo News
①https://loco.yahoo.co.jp/place/g-CXgwQ8jO_U2/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spot_ttl
http://japantemple.com/2017/03/28/post-2321
https://www.toba-tenboudai.co.jp/iseshima 【伊勢志摩の重要人物「倭姫命」とは?】より
昔から伊勢志摩は、海山の幸を神宮に供える「御食国(みけつくに)」として名高い土地で、伊勢志摩の豊饒な海と海女たちが、古くからそれを支えてきました。そのきっかけとなった人物が、伊勢へ天照大御神をお祀りした「倭姫命(やまとひめのみこと)」です。
神宮と倭姫命の関係
今から約二千年前のこと。大和国の第11代垂仁天皇の皇女であった倭姫命は、天照大御神の御魂を鎮座する処を求め、伊賀・近江・美濃と各地を巡っていました。長旅の末たどり着いた伊勢国で、倭姫命は天照大御神からのお告げを聞きます。
『この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜国なり。この国に居らむと欲ふ。』
意味は、「神の風が吹く伊勢の地は、海の彼方にある世界から波が幾重にも折り重なって寄せられ、辺境ではあるが美しい国なので私はこの国に住もうと思う。」です。
こうして天照大御神の御魂を鎮めた地が、現在の内宮 (皇大神宮)です。伊勢国は大和国から見るとちょうど太陽が昇る東の地=常世の国であり、山と海に囲まれた美しい土地であったため、天照大御神は伊勢を選んだのかもしれません。
伊勢志摩の海女と倭姫命の関係
神宮が創建された後、神の食事(御神饌)を奉納するための「御食国」が必要となった倭姫命は、志摩国の国崎(現在の鳥羽市)へ来た際に「オベン」という海女に出会います。オベンが差し出した鮑を食した倭姫命は、鮑を御神饌として奉納するように言いました。それ以来、国崎の鮑は「熨斗アワビ」として二千年にわたり奉納されることになります。
そして、旧暦の6月1日には熨斗アワビにする鮑を獲るために、周辺の七か村から国崎へ海女たちが集まって「御潜神事(みかずきしんじ)」が執り行われるようになりました。
伊勢志摩の超有名観光スポットとなっている神宮、そして海女さんの活躍に深く関わっていた倭姫命は今、内宮の別宮である「倭姫宮(やまとひめのみや)」に祀られています。伊勢志摩を訪れた際には、ぜひ足を運んでいただきたいスポットの1つです。
鳥羽展望台は、御潜神事の開催を告げる狼煙を上げた場所であると言われています。そんな鳥羽展望台には、ドライブにもおすすめの絶景スポットや、おいしいグルメが堪能できるレストラン、軽食が楽しめるカフェも併設しています。観光で伊勢志摩にお越しの際には、ぜひお立ち寄り下さい。
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