押切橋

https://go2senkyo.com/seijika/180638/posts/365527 【江戸川区から市川市への「旧江戸川橋梁(押切橋)」】より

江戸川区から市川市への「旧江戸川橋梁(押切橋)」

(金井たかしの「江戸川区情報)

2022年2月13日YAHOO!ニュース(「乗りものニュース」)で、

「行徳~瑞江むすぶ橋、千葉県が事業着手へ「旧江戸川橋梁」都営新宿線が生活圏に?」

https://news.yahoo.co.jp/articles/b90aeb80c5344d6d34e2004e411ce4d063d5255a 

という報道がなされました。「旧江戸川で分断されている、江戸川区篠崎・瑞江地区と市川市行徳地区。そこに新たに架けられる橋の計画が、いよいよ具体化に向けて動き出しました。」と解説がなされています。

そこで、今回は、この「旧江戸川橋梁」(仮称「押切橋」)の計画について調べてみました。この問題については、以前から関心を持っていて、約2年前にも調べたことがありましたが、再度、新しい情報がないかを調べてみました。

これから建設事業が開始される「旧江戸川橋梁」(仮称「押切橋」)は、葛飾区・江戸川区の柴又街道と東京メトロ東西線・行徳駅から北西に伸びる市川市の市道をつなぐもので、旧江戸川の都県境をまたぐ橋です。なお、江戸川区側の柴又街道については「道路WEB」「柴又街道(東京都葛飾区、江戸川区)」http://www.douroweb.jp/region13025/c075shibamata.html を見ていただくとよいと思います。

江戸川・旧江戸川の都県境区間では、市川橋から今井橋まで約8キロメートルにわたって一般道路の橋がなく、首都圏の人口集中地区での直轄河川(国土交通大臣が管理する河川区間)において、橋の間隔が最長の区間となっています。旧江戸川に一般道路の橋がなく交通が遮断されていることから、私は瑞江と篠崎に居住していたことがありますが、行徳・妙典地区にはほとんど縁がなく生活をしていました。

この「旧江戸川橋梁(仮称「押切橋」)」については、江戸川区では1947(昭和22)年に、市川市では1967(昭和42)に都市計画決定されたものです。すなわち、江戸川区では、今から75年以上前に都市計画決定がなされているということになります。それがようやく実現に近づいてきたわけです。

まず、江戸川区のサイトで、「旧江戸川橋梁(仮称「押切橋」)」についての情報がないかを調べてみました。この「旧江戸川橋梁(仮称「押切橋」)」が架けられる道路は、柴又街道(補助143号線)の先になりますが、江戸川区の公式サイトでは、この柴又街道と「旧江戸川橋梁(仮称「押切橋」)」については、詳しい情報は記載されていませんでした。

情報としては少ないですが、「江戸川区実施計画(平成30年度(2018年度)~32年度(2020年度))」の中で、「都県橋(補助143号線・補助286号線・放射16号線)は、都市計画道路第四次事業化計画において、東京都施行の優先整備路線に位置付けられていることから、東京都・千葉県に早期整備を強く要請していきます。」(149頁)との記載が見つかりました。この点について、東京都・江戸川区側では、柴又街道(補助143号線)の整備が一定程度進んでいるもので、あとは、東京都と千葉県の問題であるということから、特別な記載がないものと思われます。

次に、東京都と千葉県の「旧江戸川橋梁(仮称)「押切橋」についての動きとしては、日刊建設工業新聞オンライン「東京都、千葉県/旧江戸川に新橋梁建設/22年度に用地交渉・設計着手〔2021年12月10日4面〕」において、報道がなされています。

https://www.decn.co.jp/?p=124294

ここでは、「東京都と千葉県は、旧江戸川に架け東京都江戸川区と千葉県市川市を結ぶ橋梁の建設で、2022年度に用地交渉や設計に入る。年内に役割分担を定めた基本協定を結ぶ。」ということが説明されています。

また、この「旧江戸川橋梁(仮称)「押切橋」については、江戸川区選出の大西ひでお衆議院議員のFacebook(2022年1月28日)において、「今日は、江戸川区の東部エリアと千葉県市川市とを結ぶ都県橋、仮称押切橋(仮称 旧江戸川橋梁)について、財務省の高村正大財務大臣政務官に要望に訪れました。」「都県橋の架橋は、東京都と千葉県の共同事業となりますが、これに国の補助を受け、拡充するべく、要望を行いました。」との投稿がなされています。この都県橋は、東京都・千葉県と国がかかわる事業ですので、地元の国会議員が動いてくださることはとても重要なことと思います。

https://www.facebook.com/search/top?q=%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E3%81%B2%E3%81%A7%E3%81%8A%E3%80%80%E6%8A%BC%E5%88%87%E6%A9%8B

東京都と千葉県の都県橋について、現在、事業が動き出したものですので、あとは、事業の計画が順調に進むよう東京都と千葉県には動いてもらいたいものです。


https://kokubunjimonogatari.com/walking/2819.html 【押切橋】より

基本情報

住宅地を流れる野川としては最後の橋ですが、野川自体にとってみれば最初の橋。それが、押切橋です。流れも早くなっている押切橋下の野川ですが、その川には美しく優雅に泳ぐ鯉が目を楽しませてくれます。閑静な住宅街の中にあるこの押切橋は、日常的にも数多くの利用者がおり、国分寺市民の生活に貢献をしています。金の縁取りと押切橋の文字が凛々しく、ちょっぴり高級感も感じられる表札も注目。谷を上った場所から押切橋を見下ろすと、とても景色も良いので散歩コースとしてもおすすめです。

見どころ

地域性が生み出したその名称

押切橋のネーミングには実は秘密があります。それは、このあたりの古い地名でもある押切間から来ているということです。野川の水をせき止め水路へと引込むために堰を築くのですが、狭い場所であることから水流が強く、結果的に堰が押し流されてしまったとか。そういったエピソードからも、押切間と呼ばれるようになったと言われているそうです。その地名を拝借した押切橋。名称には秘密があったのですね。

急な地形の周辺環境にも注目

押切橋が現れるところの野川は、他の橋の野川に比べるととても急な流れとなっていると言われています。その理由は、多喜窪通りを過ぎていくとどんどん谷が狭まっていくからなのです。さらには、地形自体もどんどん急峻になっていき、坂道ではなく階段となっている場所があるほどに急な地形に。そんな場所の谷底を埋めるカタチで多くの住宅地が並んでいるのです。そこに佇む橋が、押切橋です。住宅地部分を流れている川に架かる橋としては最後ですが、野川としては最初の橋となる押切橋。だからこそ、昔の名残をとどめる急峻な周辺環境なのです。普段、何気なく利用している橋にも、様々な歴史とドラマが詰まっているものなのですね

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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