Facebook本庄 範光さん投稿記事
日本語 カタカムナは 本当に不思議な言霊 コトダマだ。観えない世界も見える世界も内包する。
数霊、9×9の魔法陣の中に41がある。81マスのタテヨコナナメの総和はどの列も369 ミロク 369は41の9倍
魂 = タ マ シ イ =球の中にある41 /思惟
魔本陣は 魂であり 魂は 廻る円球の中の思惟である。
思惟 、、言葉。
エネルギー球体の中で 縦横無尽に自然発生する 思い、言葉が 魂の活動なのだ。
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/cat_1294047.html 【「369トリップ」-18・・麻賀多神社と大杉-2・富士は晴れたり日本晴れ】 より
021年(令和3年)6月11日、成田市台方の「麻賀多神社」に行った。
後で知ったのだが、「岡本天明」に「国常立神」から「麻賀多神社」で「日月神示」が降ろされた最初の日が、昭和19年(1944年)6月10日だった。(「「369トリップ」-17・・麻賀多神社と大杉-1」参照)
「日月神示」「富士の巻 第01帖・・・01帖」は、「富士は晴れたり日本晴れ」で始まる。
昭和19年6月10日に始まったその始まりの文章の原文は、
二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる
と数字の羅列らしい。(「ウイキペディア」よりコピー)
これを 富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる と読ませている。「富士を二二」としている。この「二二」に大きな意味があるらしい。
「至恩之巻第02帖・・・932帖」には、フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ
神示では012345678910と示し その裏に109876543210があるぞ
〇九十まことの誠であるぞ 合わせて二十二、富士普字、不二であるぞ
神示ふでの始めに示してあろう 二二富士は晴れたり日本晴れぞ と書いている。
「012345678910」の数字数は「11」であり、
その裏の「109876543210」も「11」で、合計「22・二二」となる。
これを表にすると分かり易い。
「012345678910」の合計数は「55」で、平均値は「5」。
「富士山」を「吉野信子」先生の「思念と数霊」で読むと、興味深い結果が出た
フ・・ 2・・増える・負・振動
ジ・・-23・・内なる示し
サ・・28・・隔たり・差
ン・・48・・掛る音を強める
数霊の合計 2-23+25+48=55
合計数の「55」は、上記の表の正の「5」と裏の「5」の上下と同じになる。
これは、0~10の中心数「5」でもある。
「5」は「イ」で、の思念は、伝わるモノ・陽 一桁化して行くと、55→10→1
になる。「10」の思念は、指向・思考・芽「1」の思念は、根源から出る・根源へと入る
となる。
「日月神示」には「二二富士は晴れたり日本晴れ」が何度も何度も出てくる。
「富士山」が、日本の中心、いや世界の中心であることを示唆しているのかもしれない。
それと共に「中心数5・イ」の示唆かも知れない。
「岡本天明」は最後の著書「古事記数霊解序説」において、「第六章 5と言う根本数に付いて(上)」、「五と言う根本数に付いて(下)」などいたるところで「5・五」を追及している。
しかし、「岡本天明」はその芯髄までに至らなかったように思う。
これはまた、誰もその芯髄にまでは至れないのかもしれないが。
僕も「伊豆」を「イツ」と思い始め、「5・イ・五」の追求が始まり、2019年、2020年と伊豆半島をめぐり、2021年6月8日から「369トリップ」をスタートし、6月9日の「369の日」に、「富士山」の麓に立った。
そして、6月11日早朝、「麻賀多神社」の「大杉」の前に立った。
「日月神示」とはまた違うルートで「岡本天明」に接してみたいとの願いを抱いている。
僕にとっての「5・イ・五」の追求は、ここから再スタートするような気がしている。
富士山は世界の中心か?・番外編-2 カタカムナと369真法陣
「369真法陣」に出会ったのは、昨年2020年の10月だったと思う。
通常は「ミロク魔法陣」と呼んでいるようで、9×9=81枡に1~81までの数字をある規則にのっとって並べると、縦横斜めの並びの数字の合計が全て「369」になる。
何故かこの「369真法陣」に強い魅力を感じ、毎日のようにこの表を眺めていた。
まず気になったのが中心数の「41」だった。
4+1=5であり、このところ気に成っていたのが「5」だったからだ。
「カタカムナの5首・6首」の「48音」、
「ヒフミヨイマワリテメクルムナヤコトアウノスヘシレカタチサキ」
「ソラニモロケセユエヌオヲハエツイネホン カタカムナ」
この一音一音が、「数霊」とも呼応している。
「369真法陣」の中心の「41」は「カタカムナ」の41番目の音は「ヲ」。
3月6日、急遽思い立って須磨区多井畑の「猿田彦神社」に向かった。
僕は「申田彦大神社」と呼ぶことにした。(「須磨区多井畑字山神の猿田彦神社」参照)
「369真法陣」をただ眺めていても殆ど何も分からないので、これをExcelで表にしてみた。
Excelで表にすることによって、合計数やその平均値を簡単に得ることが出来る、そしてそれから「369真法陣」の様々な法則性を見つけることが出来た。
「申田彦大神社」から帰ったその晩、ある試みをしてみた。
その数字の配列に「カタカムナ」で示されている「音の示す数」を元に「369真法陣」の数の位置に「カタカムナの音」を入れて行くと、ピッタリとその法則性と符合した。
今はまだ詳しくそれを示すことは出来ないが、感の良い人だと、すぐに対応できるだろう。
「48音」は4+8=12で、1+2=3となり「3」を示している。
「48音」を「81枡」に埋めて行くと「33」が空白となる。
3+3=6でここに「6」が現れる。そして「81枡」は8+1=9で「9」が現れる。ここでも「369」が現れる。
「カタカムナの48音」と「369真法陣」とが完全に符合するこの簡単な原理に気付いた人が、今までにいたのだろうか?今、超古代と繋がり、何かが始まる予感。
富士山は世界の中心か?・番外編-1 「ヒコ・ヒメ」
マルチアーティストの「真和子(サナカズコ)」さんが、交野市で絵の展覧会をしているのは知っていた。真さんがFacebookで2月27日が最終日と伝えていた。
真さんとは数回しか会ったことはないのだが、FacebookやMessengerではやり取りもする、氣になる人だった。真さんはこのところ「スメル(シュメール)」に付いてよく書いていた。僕はある情報から「天孫人種六千年史の研究」という本を買ったばかりだった。
「伊予国一宮 大山祇神社・元宮司の三島敦雄」著で、原本は昭和2年(1927年)に発刊された本だが、戦後GHQによって「焚書」されていた。
その本が原本のまま復刊された本と、「もとはつよし社(ヒカルランドと同じ出版社だと思う)」刊の、総ルビ付きの三分冊版で出版されている。
僕「もとはつよし社」版を注文した。届いたのは2月25日だった。
パラパラと呼んでみると驚くべき内容で、スメルの王が皇統にに繋がっているような内容のようだった。
まだよく分からないが、目次を見ると、氣になる神名や神社名が沢山出てくる。
何故このような分野にまで首を突っ込む羽目になってしまったのか?自分でも不思議だが、パラパラと呼んだ範囲では、興味深く面白いし、戦前の本というのに非常に読みやすい。
この本を真さんに伝えると共に、情報交換もしてみたいと思ったので出かけることにした。
午前中は所用があり、午後出かけて。カフェでの展覧会であった。幾枚か「真和子」さんの絵を紹介しておきたい。
「真和子」の絵で最初にピンと来たのがこの絵だった。
見た瞬間、「富士山」の上に「北斗七星」と「太陽光」か?と思ったが、「三輪山」だった。僕には、どちらも繋がる気がする。
「星の楽譜」と題されたこの絵も気になる。「八望星」と「白鳥座」など。「八」も気になる数字。
「ラピスラズリ顔料」で描かれた「渦」。
「真和子」さん作の絵本も販売されていた。「十種神宝」への思いはかなり深いそうだ。
情報交換もしながら、僕の最近取り付かれている「富士山は世界の中心か?」と「言霊・数霊」などに付いて、延々と話し合う。このような時間は、僕にとって貴重で楽しい。
真さんもすでに「天孫人種六千年史の研究」を買って持っていて、復刻版も買ったとのことだった。
かなり高価でマニアックな本をお互いに藻ていて、そんな話に夢中になるとは、不思議な御縁だとも思う。
僕が最近何故「申田彦大神」と書くのか?その説明をしている時閃いたのが「ヒコ」の意味。やはりこれは「数霊」だと思った。
その時は気付かなかった「ヒメ」についても、帰ってから閃いた。これも「数霊」。
以下その本題に付いて。
2017年1月11日、「二見・興玉神社」で「輪注連縄」に出会った。
輪注連縄
これが事の始まり。(「輪注連縄」に付いては何度も当ブログに書いている。)
「カタカムナ」に関わり今「富士山は世界の中心か?」のシリーズを書き、「369真法陣」にハマってしまったのも、「輪注連縄」に出会ったからかもしれない。
「二見・興玉神社」には「申田彦大神(猿田彦)」が祀られている。
丸十
「輪注連縄」は「丸十」であると共に、「丸✖」。45°ずらせて重ね、円接する対角線である「四角」を書くと、基本形 このような「基本形」が出来る。
これに、45°回転させた「四角」を重ねると、二重基本形「二重基本形」が出来る。
これに至る作業は、切り紙というアナログな作業で作って行った。
この「二重基本形」から「カタカムナ48文字」全てが作れることを見つけ、2019年度の「吉野信子 カタカムナ研究会」の一期の研究論文とした。その時点では、「申田」の発想はまだ無かった。「サルタヒコ」を「猿田彦」と書くのに何と無く違和感があった。
干支のサルは「申」と書く。この文字は「モウス」とも読む。
「示偏」に「申」と組み合わせると「神」となる。その始まりは、田「四角」を四分割した「田」。
「田」という文字は、分割しながらも「中心」を持っている。上下に線を延長し「円に内接」させると、申「申」となり、「軸」が出来る。この「軸」を「地球の回転軸」と考えた。するとこの「円」は「球」となる。あらゆる「球」は、「回転」している。
「素粒子」から「巨大な星」に至るまで、全て「回転」している。
巨大になればその「回転軸」は、見えるものでなくても一定で安定しているはず。
この二つの図形から「申田」と書くのが相応しいように思えて、その後「申田彦大神」と書くようになった。
ところが「ヒコ・彦」が解決できていない。それで「ヒコ」に付いて調べてみた。
ウイキペディアの「ヒコ」には、
ヒコ(彦、比古、日子、毘古)は、男子人名の語尾に付けられる名称の一つ。古くは地域の男性首長や貴族を表す尊称、また原始的カバネの一つ。と説明されている。
さらに、古代の男子首長や貴族
3 - 6世紀にかけて地域の男性首長や貴族の尊称として使われた。魏志倭人伝に3世紀の対馬国および壱岐国の首長として卑狗(ヒコ)が見える。垂仁天皇紀二年条に旧伊都国の首長・「イトツヒコ(伊都都比古)」が見える。他に伊賀彦、伊勢津彦、磐城彦、宇佐津彦命、長髄彦など地名をおったヒコがしばしば見られるが、それぞれの地域の男子首長と考えられる。同じく首長の称号として3世紀から4世紀にかけて使われたネやミミおよびミと並立しているが、天孫・天神系の英雄にはヒコ、地祇系の英雄にはネが多く使われている。ヒコの方はカバネ制度が確立した後の6世紀まで使われた。ただし、地方の首長ばかりでなく、身分の高い男子を表す尊称となった。こうした使い方は崇神天皇時代以降に現れる、仲彦、弟彦、清彦などである。
ヒメヒコ制
ヒコはヒメと対で使われる事がしばしば見られる。例えば、宇佐地方(豊国)にはウサツヒコとウサツヒメ、阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコ とキツビメが見える。これはヒメヒコ制と呼ばれる古代日本社会の統治形態で、一地域に軍事的男性の長と祭祀的女性の長が共立して支配していたことを意味する。古代社会や原住民社会、とりわけ恒常的戦闘状態の地域では男性集会所(メンズハウス)の展開と別居する女性(子供や老人を含む)集団の形成が見られる。ヒメヒコ制はこうした社会状態の反映と考えられる。
と説明されているが、何故「ヒコ」なのかがよく分からい。
真さんと最近手に入れた「岡本天明」著の「古事記数霊解序説」のページを捲りながら、いろいろ話し合っていた。
その時、「ヒは一」で「コは九」だと閃いた。「大和言葉」では数を一音で表している。
つまり、ヒコ このようになる。「ヒ~コ」は「1~9」でもある。中心数の「5・イ・五」を表している。それ故に主張などの中心人物の名として使われたのだと思われる。
では「ヒメ」は、これもウイキペディアの「ヒメ」によると、
ヒメ(媛、日女、姫)は、貴族や領主の女性名に付けられる尊称。古くは地域の女性首長を表す尊称、また原始的カバネの一つ。と説明され、語源「ヒメ」の古形は「ヒミ」と考えられる。『上宮記』は推古天皇の別名「豊御食炊屋姫」(とよみけかしきやひめ)を「等已彌居加斯支移比彌」(とよみけかしきやひみ)と記している。阿波国には波尓移麻比彌神社(はにやまひめ-)があり、ヒメは比彌(ひみ)と記されている。3世紀の卑弥呼(ひみこ)は姫子(ひみこ→ひめこ)の意であるとの説がある。いずれにせよ、古代においてヒメとヒミは通用していたと思われる。それらの語源は、「日女(ひみ→ひめ)」である。日女は、地神(土着)系の女性(メやベ)と区別される、天孫・天神系(天皇やその伴造)の女性を意味した。
古代の女性首長
「ヒメ」は4世紀まで地域の女性首長の尊称として使われた[4]。『景行天皇紀』に速津媛(豊国速見地方)や八女津媛(筑紫国八女地方)などの女性首長が見える。他に阿蘇比咩命(武五百建命の后)、能登比咩神(伊須流岐比古神の后)、蘇賀比咩(千葉市蘇我町)など地名を負ったヒメがしばしば見られるが、それぞれの地域の女性首長と考えられる。とつづく。
「メ」は「女」でもあろうが、個の解説ではよく分からない。
「女神」には、「媛、日女、姫」と付く神名が非常に多い。「ヒメ」の「ヒ」は、「ヒコ」と同じ、「ヒは一」。「メ」は数を表しているのか?「カタカムナの語順」で十番目が「メ」。つまり「メは十」。ヒメとなり、「ヒ~メ」は「0~10」でより範囲が大きく、スケールも大きい。そして中心に、「5・イ・五」。「メ・10」とするとどうしても「0」が必要。「0」を表す「大和言葉」があるのかどうか未だ知らないが、「0・ゼロ・零」の概念はあったものと思う。
「女」は体の中心に「子宮」という宮を持っている。
「ホツマツタヱ」などの「ヲシテ文献」では、「富士山」を「ハラミヤマ」と呼んでいた。
それは「孕む山」であり、「富士山」は「日本の中心」に聳え、かつまた「世界の中心」でもあると考え、この「富士山は世界の中心か?」のシリーズを書いている。
「生む」の元であり、それは「アマノミナカヌシ・天之御中主」でもある。
369真法陣+円
やはり、「369真法陣」に至り、「円接」する。「中心の41」→「5・イ・五」。
この「円接」の「大円」を持っているのが「ヒメ」!!
一人であれこれ考えているより、時には人と会って語り合うと、閃くものだ。
やはり刺激が必要だと、つくづく思う!!
富士山は世界の中心か?-11 369真法陣-4 0・ゼロ・零・靈
「369真法陣」を知った当初から、聊か疑問に思っていたのが、「0」が無いことだった。僕は数字に弱く、数学脳もまるでないが、「0」の重要性はなんとなく分かる。
一応「0概念」で調べてみた。ウイキペディアにも「0」に詳しく解説されているが、コピーは省く。
僕が最初に出会った「369真法陣」は、ミロク盤これで、「円」で囲われていた。
しかし、囲われているだけで、そこからは「0概念」は浮かび上がってこなかった。
内の「369真法陣」の「四角」がピッタリと「円接」していなかったからかもしれない。
「佐藤敏夫」さんの「ヒフミ九九三表」は、「0」に満ちている。
ヒフミ九九算表「ヒフミ九九三表」
周りを「0」で取り囲んでいるので、先ずこれを真似してみた。
369真法陣+0
周りを「0」で取り囲んでいるだけなので、「縦・横・斜めの合計数369」には影響ないが、枡の数が増えるので、「平均値」が違ってくる。
つまり、数値の合計数は3321と変わりがないが、データの個数が121になるので、平均値が、27.44628となり「中心数値41」とならないので、この「0」で取り囲んだ表は適応できない。
やはり「円接」だと思い、「円接図」を作ってみることにした。
パソコン歴はけっこう長いが、絵を描くことを全くしてこなかったので、お絵かきソフトはWindows付属の「ペイント」しか持っていない。
当ブログでの地図の加工も「ペイント」でやっているが、機能性は極めて低い。
しかし、何とか「ペイント」で試てみた。
369真法陣+円
何とか「369真法陣」を「円接」させてみた。
「大きな円」は、「0」そのものを表し、その中に「369真法陣」がすっぽり収まる。
「縦・横・斜」の端末の数値を一桁にすると、「1・6・7・2・9・4・3・8」となり「中心は5」。
「369真法陣」は「四角」だから、「縦・横」の数値は「円接」しないので、延長しなければならない。
アナログで作った図に、369二重基本形各数値を当てはめてみた。何と無く「旋回」の動きも見えて、面白い。「369真法陣」の数値を一桁にした「3×3魔法陣」の「円接図」も作ってい見た。3×3魔法陣・円
この「円接図」では90°左旋回させて「1」を右横に置く図とした。
「円接」にこだわったのは、「円」が「0・ゼロ・零・靈」を表すと思ったからだ。
何故「0」にこだわるようになったか?それは「富士山は世界の中心か?-10 369真法陣-3 平均値と日月神示」を書いたことによる。
これを書いていて始めて「岡本天明」の「日月神示」のごく一部を真剣に読んでみた。
そこには、012345678910がマコトと申してあろうがな 裏表で二十二じゃ、二二の五じゃ 二二ふじは晴れたり日本晴れぞ、分かったか(「日月神示全文 至恩之巻」よりコピー)と書かれていたからだ。
もう少し「日月神示」を調べてみると、最終章と思われる「紫金之巻」にもそれが強調されていた。
かなり長くなるが、重要と思われるので、「紫金之巻」全てをコピーしてみた。
・第01帖・・・963帖
高天原、おのころに神祇かみつまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて千万ちよろずの神祇かみ達を神集いに集い給い、神はかりにはかり給いて下津岩根に真理みや柱二十ふと敷建て、高天原に千木高知りて、伊都の神宝の大御心のまにまに千座ちくらの置座おきくらにおき足らはして天地祝詞あめつきのりとの二十ふと祝詞言を宣のれ、かく宣らば神祇かみはおのもおのもの岩戸を押しひらきて伊都いずの千別きに千別き給いて聞し召さむ、かく聞し召してば天あめの国うつし国共に罪と言う罪はあらじと科戸しなどの風の吹き放つことの如く、朝風夕風の吹きはらう如く、大つ辺に居る大船を舳へとき放ち艫ともとき放ちて大海原に押し放つ事の如く、残る罪も穢れもあらじと祓い給え清め給うことをよしはらへあしはらへ給いて、弥栄えの御代とこそ幸え給え幸え給え、〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳
・第02帖・・・964帖
大君の勅みことにみそぎし今朝の太陽ひを吸う、日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力せねばならん、一致すれば嬉し嬉しで暮らし向きも何一つ足らぬもの無くなって来るぞ、食物が喜んで飛び込んで来るぞ、着る物が着て呉れと飛び込んで来るぞ、住居も出来て来るぞ、心のそれぞれも同様ぞ
・第03帖・・・965帖
伊豆幣ぬさを都と幣ぬさに結び岩戸開きてし、ウヨウヨしている霊懸かりにまだ騙だまされて御座る人民多いのう、何と申したら分かるのであるか、、奇跡を求めたり、我われよしのお蔭を求めたり下級な動物のイレモノとなっているから囚われているから騙だまされるのじゃ、霊媒れいばいの行いを良く見ればすぐ分かるでないか早く目覚めよ因縁とは申しながら、可哀想だからくどく申して聞かせているのであるぞ、誠の道に帰れよ、誠とは〇一二三四五六七八九十と申してあろう、その裏は十九八七六五四三二一〇で合わせて二十二であるぞ、二二が真理と知らせてあろう、二二が富士不二・普字と申してあろうが、まだ分からんか
ここに「伊豆」という地名が出てくる。
この「富士山は世界の中心か?」のシリーズを書いているのも「伊豆はイツ」で、「5・イツ・五」の思いから始まっている。
「伊豆幣」に付いては、今のところ分からない。
・第04帖・・・966帖
豊栄に栄り出でます大地九二の太神、大掃除が激しくなると世界の人民は皆仮四仮死の状態となるのじゃ、掃除終わってから因縁のミタマのみをつまみあげて息いき吹き返してミロクの世の人民と致すのじゃ、因縁のミタマには神の印しるしが付けてあるぞ、仏教によるもののみ救われると思ってはならんぞ、キリストによるもののみ救われると思ってはならん、神道によるもののみ救われると思ってはならん、アラーの神によるもののみ救われるので無いぞ、その他諸々もろもろの神それぞれの神によるもののみ救われるのでは無いぞ、何もかも皆救われるのじゃ、生かす事が救う事となる場合と殺す事が救う事になる場合はあるなれど
・第05帖・・・967帖
岩戸開きみほぎの神宝たてまつらまし、月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は「ち」血の色となるぞ、流れもじゃ、人民四つん這ばいやら、逆立ちやらノタウチに一時はなるのであるぞ、大地震、火の雨降らせての大洗濯であるから一人逃れようとて神でも逃れる事は出来んぞ、天地あめつち混まぜ混ぜ交ぜ交ぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ
・第06帖・・・968帖
白玉や赤玉青玉捧ささげまつりし、今までは白馬と赤馬と黒馬とであったなれど岩戸が開けたら岩戸の中から黄基の馬が飛び出して来るぞ、キが元ぞと申してあろうが、艮とどめの馬であるぞ、黄金の馬であるぞ、救いの馬であるぞ、このこと神界の秘密であったなれど時が来りて人民に伝えるのであるぞ、今までは白馬に股またがって救世主が現われたのであるがいよいよの救世主は黄金の馬基キの馬に乗って現われますのであるぞ
・第07帖・・・969帖
太ふと祝詞宣のり宣り祈らば岩戸ひらけん、神は一時は仏とも現われたと申してあったが仏ではもう治まらん、岩戸が開けたのであるから蓮華れんげではならん、人民も改心しなければ地の下に沈むことになるぞ、神が沈めるのではない人民が自分で沈むのであるぞ、人民の心によって明るい天国への道が暗く見え暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、珍しき事や珍しき人が現われて来るぞ、ビックリひっくり返らん様に気つけてくれよ、目の玉飛び出すぞ、喩たとえではないぞ
・第08帖・・・970帖
千引き岩、今ぞ開けたり爽し富士はも、神は宇宙をつくり給わずと申して聞かせてあろうが、この事良く考えて良く理解して下されよ、大切な別れ道で御座るぞ、福祓いも併せて行わねばならん道理、光は中からじゃ、岩戸は中から開かれるのじゃ、ウシトラが開かれてウシトラコンジン金神がお出ましぞ、もう邪よこしまの者の住む一寸の土地も無くなったのぞ
・第09帖・・・971帖
新しき御代のはじめの辰の年、あれ出でましぬ隠れいし神、かくり世もうつし御国の一筋の光の国と咲きそめにけり
・第10帖・・・972帖
この巻は五葉ごようの巻と申せよ、四つの花が五つに咲くのであるぞ、女松の五葉、男松の五葉合わせて十葉となりなりて笑えみ栄える仕組み、十と一(+と-・プラスマイナス)の実り二二ふじと輝くぞ、日本晴れ近づいたぞ、あな爽々し岩戸開けたり、国土をつくり固める為に根本大神が何故にヌホコのみを与えたまえしかを知らねば岩戸開きの秘密は解とけんぞ、千引岩戸を開くことに就ついて神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、時めぐり来てその一端をこの神示で知らせるのであるぞ、素盞嗚の命の誠の御姿が分からねば次の世の事は分からんぞ、神示をいくら読んでも肝心要の事が分からねば何もならんぞ
・第11帖・・・973帖
何もかも前に前に知らせてあるのに人民は先が見えんから言葉の含みが分からんから取り違いばかり、国土くにつちの上は神が治めるのじゃ、世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に数でつくったのじゃ、愈々が来たぞ、いよいよとは一四一四ぞ、五と五ぞ、十であるぞ、十一であるぞ、クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、クニは黄であるぞ、真中であるぞ、天は青であるぞ、黄と青と和合して緑みどり、赤と和して橙となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六合クニとなるのじゃ、更に七となり八となり白黒を加えて十となる仕組み、色霊イロタマ結構致してくれよ
「五行」における中心は「土」なので、中心を「黄色」で表してきたのと、繋がって来た。
「六合(クニ)」についても当ブログでは結構書いている。(「六合」参照)
・第12帖・・・974帖
ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨエルでありタテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ、過去も未来も霊界には無い今があるのみ、これを中今なかいまと申すぞ、竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿風の神殿、雨の神殿、暗劒殿、地震の神殿金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、この事分かって下されよ、教えは無くなるぞ、元の道が光り輝くぞ、これを惟神かんながらの道と申すぞ
・第13帖・・・975帖
少しでも交じり気けがあったら先になって取り返しがつかん事になるぞ、今度は一厘りんの狂いがあってもならんぞ、柱になる人民もあれば屋根になる人民もあるぞ、天の王と地の王とをゴチャにしてるから分からん事になるのじゃ、その上にまた大王があるなれど大王は人民には見当取れん、無きが如き存在であるぞ、人民は具体的にと申すなれど人民の申す具体的とはコリ固まった一方的なもの、一時的なその時の現われであるぞ、人民の申す絶対無絶対空は無の始めであり空の入口であるぞ、そこから無に入れよ、空に生きよ、いよいよの世となるぞ
・第14帖・・・976帖
現実の事のみで処理してはならん
常に永遠の立場に立って処理せよと申してあろうがな
生きることは死に向かって進むこと
誠に生きる大道に目覚めて呉れよ
神示を初めから読めば何事もありやかぞ
奥山はあってはならん無くてはならん存在であるぞ
善人の住むところは悪人の休むところと申してあろう
奥山は神、幽、現の三界と通じる所ぞ
八尋やひろ殿の左と右に宮が建つ、奥にも一つ
「生きることは死に向かって進むこと」とは常々考えていることであり、「死を忌み嫌い恐れてはならないと」思っているし「穢れ」としてもならないと強く思っているので、やっと「日月神示」に対する僕自身の扉が開いたようにも思う。
「岡本天明」が「012345678910」を重要視し、「0」を加えている意味は大きい。
02-21-9
「0」を加えてデータの個数を「22」にしないと、平均値は「5」にならない。
「22」を「二二」と書き「富士・普字・不二」としている。
八咫鏡の目・陰陽
「ヤタノカカミ・トーラス図」
「細川秀人」さんデザインの「ヤタノカカミ・八咫鏡」と「吉野信子」先生の「ヤタノカカミ」理論を合わせ、「369真法陣」から得たインスピレーションを加えて描いたの上の図を、「ヤタノカカミ・トーラス図」と名付けておこう。
「1」から大きな円に沿って「6・7・2」と進み、「中心の5」に転がり入り、中心で反転して、「9」に転がり出て、「4・3・8」と進み、再「中心の5」に転がり入り、中心で反転し「1」に戻り循環する。
1・2・3と順番に進んないのは、その過程で「陰・陽」が混ざり合うからだと思っている。
そして「5」は、「012345678910」の中「中心」であり、両端の「0・10」の要素を併せ持っているように思う。
この動きは「平面」だけではなく「黄泉平坂の7-7」ラインを「軸」にして回転し「球」となっているはず。
とするとこのエネルギーの動きは「トーラス」。
「トーラス図」で検索すると、沢山の興味深い図が出てくるので、いくつかコピーしておく。(オリジナル元が分かりずらいので、リンクは張らない)
沢山の「トーラス図」を見たが、その殆どは、「トーラス・エネルギー」は一方の極から出て対局する曲に入るという循環を示しているようだ。
「地球の磁力トーラス」は、一方通行なのかもしれないが、「ヤタノカカミ・トーラス図」では、「中心の5」に転がり入り、中心で反転し、転がり出てくるという「出入りのトーラス」になっている。
中芯の「5・イ・五」の意味が大きくなる。つまり「中心」が有ってこそ、世界が成り立つ。まさに、「岡本天明」が「至恩之巻」で、
・第07帖・・・937帖
根本の元の元の元の神は
〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ
別天津神五柱と申してあろうがな
五が天であるぞ、五は数かずであるぞ
転じて十となるなれど
動き栄えるには+と-の神が現われねばならない
これが中を取り持つ二柱の神ぞ
と符合する。
我ながらこの発見は驚き、驚愕。
「富士山は世界の中心か?」の確信に繋がりつつある。
次は「イサナギ・イサナミの国生み」について考えてみたい。
何故か「古事記・日本書紀」には「富士山」が登場しないのだ!
これを書いているのが、2021年2月22日、「222」のゾロ目の日。
これも何かの御縁か??
富士山は世界の中心か?-10 369真法陣-3 平均値と日月神示
「369真法陣」を「Excel」で表にすることによって、理解が高まった。
今や「Excel」は世界標準の「表計算ソフト」で、僕も仕事で長く使っている。
経理事務や日報、請求書作成など全て「Excel」でやっている。
「369真法陣」に興味を持ちだして、その表を見ているだけでは分かり辛いので、「Excel」」で表にしてみた。
数字だけなので、入力は簡単だし、罫線を入れたり、セルを着色したり、文字を着色して強調してみたりと、装飾も自在にこなせる。
何より便利なのが、指定したセルの範囲の合計数、データ個数、平均値が、票の右下に表示されることだ。
いちいち計算しなくても、即座に確認できる。
「369真法陣」は、「9×9=81」の81枡に、1~81までの数値を法則にのっとて配置すると、「立・横・斜の合計数が全て369」になる。(すでに「富士山は世界の中心か?-7 369真法陣-1」、「富士山は世界の中心か?-8 369真法陣-2 陰陽」で考察して来た)
「369」という数値は神秘的で、宇宙真理を掴む鍵ともされているし「ミロク・弥勒」にも繋がり、理想世界としての「ミロクの世」の到来を暗示しているとさえされているようだ。
「立・横・斜の合計数が全て369」の確認も「Excel」369と簡単に確認できる。
また、81枡の総合計の計算も簡単にできる。
総合計は3321で、データの個数は81。
平均値は「3321÷81=41」となり、この41は、「369真法陣」の中心数でもある。
平均値がその中央に示されている意味は大きいと思う。
また、「369÷9=41」となる。
また「369真法陣」は、9枡ごとの9ブロックに分けることが出来る。
各ブロックの平均値も、ブロックごとの中心に現れる。
例えば下段の中央の1のブロックの場合は37となる。
興味深いのは、この各ブロックの中央に現れた数値は「37→38→39→40→41→42→43→44→45」となる。
この各数値を一桁の数値にする(4+3=7のように)すると「1→2→3→4→5→6→7→8→9」となる。
さらにブロックごとの合計数を「立・横・斜」で合計出すと、全て1107となり、データ数は27なので、その平均値は全て「1107÷27=41」となり、ここでも41が現れる。
「369真法陣」の各枡の数値を一桁にすると、上の表のようになる。
この表の「立・横・斜の合計数が全て45」で平均値は「45÷9=5」で、5になる。
「369真法陣」の中心の数値は41で、これも一桁になすると5。
「369真法陣」の中心の数値は、「5・イ・五」に帰結する。
「Excel」で表を作りながら、何と無く気になって「魔法陣」に付いて調べたら、色々ある事が分かった。
魔方陣(まほうじん、英:magic square)とは、n×n 個の正方形の方陣に数字を配置し、縦・横・対角線のいずれの列についても、その列の数字の合計が同じになるもののことである。特に1から方陣のマスの総数 n2 までの数字を1つずつ過不足なく使ったものを言う。
このときの一列の和は と計算できる。
魔方陣の歴史は古く、中国では紀元前190年前には存在していた。魔法や神話的な意味を獲得し、芸術作品の象徴として様々な場所で用いられてきた。 現代では縦・横・対角線以外の形状の和や、数字の積などの単なる和以外の演算などにも一般化されている。
(ウイキペディアの「魔法陣」よりコピー)
「3×3魔法陣」、「4×4魔法陣」、「5×5魔法陣」、「6×6魔法陣」、「9×9魔法陣」があり、さらにい大きな「魔法陣」もあるようだ。
今まで使って来た「369真法陣」は、「9×9魔法陣」である。
数値的にピッタリなので、これ以外の配列はないと思っていたが、いろんな配列も成り立つらしい。
興味深いのでいくつかを「Excel」で表にしてみた。
中国の「程大位」が考えた「369真法陣」。(ウイキペディアの「魔法陣」を参考に作図)
各枡を一桁にして見ると、
このようになり、各ブロックの数値パターンは全て一緒で、その中心は全て5で、その平均値も5。
この「369真法陣」の各数値を一桁にして見ると、(ウイキペディアの「魔法陣」を参考に作図)
数値の配列はかなり違うが、平均値は5で、配列も面白い。
どのパターンの「369真法陣」であっても中心の数値は5でり、平均値も41になる。
そして一桁にすると5。
「カタカムナ」の41番目の音・文字は「ヲ」でその思念は「奥に出現する」。
まさに一番中心の深奥に鎮座しているのが、不動の「41・ヲ」。
「ヲ」の「ヲシテ文字」は、
ヲ-2
で、四角を45°ずらせて重ね、中心に「点」。
「点」の無い、
ヲ
この「オシテ文字」も使われている。
これは、
丸チョン
イメージとして知っていた「丸チョン」も同じか?
「岡本天明」の「日月神示」に登場するようだけど、「丸チョン」に付いて何も知らないので、ちょこっと調べてみた。
先ずこのような記事を見つけた。
日月神示の原文において「神」を表す記号として、Θ(マルの中にチョン)と表記されることが多く見受けられます。
それでは何故「Θ」が「神」であるのか?、そもそもこの「Θ」の初見は、日月神示より遥か以前にさかのぼります。
人間は誰しも神の分け御魂を持つのだから、身体(○)の中に神のキ(ゝ)が入っているのが本来のあるべき姿で、魂である神のキ(ゝ)が曇って光を失うと、(○)だけになります。
太陽系で言えば、太陽が中心の(ゝ)にあたり、その周囲を廻る惑星が(○)になり、原子で言えば、原子核が(ゝ)、電子が(○)になります。
マクロの世界からミクロの世界まで、この世はどこを切り取っても、中心があり周りがあり、これが完全なる弥栄の形であり、神の形だと言えるのです。
(「hifumi1810さんのブログ」の「日月神示の記号Θ(マルチョン)の意味とは?」よりコピー)
「日月神示」も気になるので調べてみた。
(以下略)
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