https://ameblo.jp/shuhawk7/entry-12421689346.html 【筮竹にみる易のコスモロジー 要約】より
「偶然の一致はなぜ起こるのか―驚くべき神秘現象の謎を解き証かす」の著者・定方 昭夫氏が「科学とスピリチュアリティの時代」(2005年出版)に寄稿した論文が目に留まりました
以下、論文の要点をまとめてみました
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筒に収められた50本の竹(筮竹ぜいちく)を使い占う人を狭義の意味での易者と称す
易者はまず、50本の筮竹を筮筒から取り、額の前にうやうやしく捧げもち次の言葉を発する
「爾(なんじ)の泰筮(たいぜい)常有る仮(よ)る。某(名と官を言う)今、某事云々(具体的に言う)未だ可否を知らざるを以って、爰(ここ)に疑う所を神に霊に質す。吉凶得失、悔吝憂虞(かいりんゆうぐ)、惟れ爾、神有らば、尚ねがわくは明らかに之を告げよ」
その後、50本の筮竹から1本を抜き取って筮筒にもどしてから残りの49本を使い具体的な操作に入る
除いた1本は「太極(天地以前の超感覚的実在)に象ど」り、太極とは、「極めて大きなもの、陰陽に先立つ何者かを意味」し、「太極は、天地万物生成の母なる根源であるとともに、天地万物の存在の根拠」
占者が筮筒に立てた、1本の筮竹は、「天地万物生成の母なる根源」である「宇宙樹」ではないか?
宗教学者エリアーデは、著書『シャーマニズム』の中で次のように述べている:
多くの古代伝承の中で、世界の神秘性、豊饒性、永続性を表すこの宇宙樹が、創造、多幸、イニシエーションの観念に結びついており、最終的には絶対的実在や不滅性の観念に結びつく。したがって世界樹は同様に生命の樹であり、不滅のものとなる。無数の神話の類似物や補充されたシンボル(女性、源泉、牛乳、動物、果実など)によって豊富になりながらも、宇宙樹自体は常に生命の貯蔵所、運命の支配者として現れる。」
易経における答えは、陽爻(ー)と陰爻(--)の6本の組み合わせからなる卦
易者は単に相手の悩みを聴いて問題にあったアドヴァイスを与えるカウンセラーに留まらず、神の御託宣の象徴的意味を読み取るシャーマンとならなければならない
筮という字は、竹と巫からなり、巫は工+両手からなり、工は神に仕えるときに操る呪具で、それを左右の手で奉ずる形は巫、神につかえ、神意を確かめる者
筮という字そのものに易者がシャーマンであるという意味が込められている
人相・手相は見る者の観察力がものをいい、生年月日から運命を計算するには緻密な分析力が必要
易には「どうぞ悩める私に答えをお与えください」という心からの敬虔なる祈りがあれば十分であり、答えは聖なるもの(高級霊Higher Spirit)からの啓示
易経は大いなる霊性の書
筮竹は普通、長さ40㎝の箸のようなもの
箸は、神の依り代として神聖視されてきた面がある
日本古来の祭祀に供えられる神饌は、人の手で触れることなく箸を用いて器に盛り付け、あらためて新しい箸を備えて、神前に供えられる
祭祀が終わると、その神の依り代である箸を用いて氏子の手に神饌が分け与えられ、神からのお下がりを食べることで新しい力を体内に頂くという共食思想がある
筮竹により易を立てる者は、易の御託宣の結果を「お下がり」として受け取り、生きていくための「新しい力」を心内に頂いている
「易を立てる」「宇宙樹を立てる」とは、創造の御業に人間も参加するということ
小さな存在である人間も宇宙的世界に遊ぶことができる
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