https://mm.hyuki.net/n/n9100285d74fa 【古今和歌集仮名序(冒頭)】より
やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける
和歌は、人の心を「種」として、それがさまざまな言の「葉」になったものです。
世の中にある人ことわざしげきものなれば心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり
世の中に住む人の出来事や行事はたくさんありますので、心に思うことを、見るものや聞くものに委ねて言い表したのです。
花になく鶯(うぐひす)水にすむ蛙(かわづ)の声(こゑ)を聞けば生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける
花に鳴く鶯や水に住む蛙の鳴き声を聞くと、生きているもので歌を詠まないものなど、いったいあるでしょうか。
力をも入れずしてあめつちを動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男(をとこ)女(をむな)の仲をもやはらげ猛きもののふの心をも慰むるは歌なり
力も入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神ですらしみじみと感動させ、男女の仲も和らげ、勇ましい武士の心でも慰める。それが歌なのです。
http://bocchan.la.coocan.jp/chie-yoko/2009/07/post-20.html 【力をもいれずして天地を動かし (古今集・仮名序)】より
古今集の仮名序から、まずは冒頭部分です。
やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、たけきもののふの心をも慰むるは歌なり。
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<読み>
・万・・・よろづ、言ひ出せる・・・いひいだせる、蛙・・・かわづ、天地・・・あめつち、鬼神・・・おにかみ
<意味>
・ことわざ : 事(事物)と業(行為)
・しげき : 繁き、多い
・鬼神 : 霊魂と神祇(じんぎ)
・もののふ : 武士
「古今和歌集」というのは日本初の勅撰和歌集で、905年(延喜五年)に成立しています。1100年以上昔です。
世界史的に言うと、中国は唐朝末期 (白紙[894年]に戻そう遣唐使) で、ヨーロッパはゲルマン民族大移動後の中世ど真ん中。アメリカ合衆国など影も形もなかったし、イギリスもノルマン・コンクエスト(1066年)の遥か以前です。
おどろくべきは、現代語訳でもないのに単語も文法もほとんど分かることです。驚異とも言うべき日本の歴史の連綿ぶりです。
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"力をも入れずして天地を動かし"
というのは、たとえば柿本人麻呂が、岩見の国(島根県)に妻を残して都に出立したときに、「・・・ 夏草の 思ひ萎れて 偲ぶらむ 妹が門見む なびけこの山」と詠んだら、本当に岩見の山々がなびいた、という伝説などをさすんだそうです。
そして、これを元にして、私の大好きな狂歌♪
歌よみは 下手こそよけれ 天地の 動きいだして たまるものかわ 宿屋飯盛(石川雅望1754~1830年)が詠まれました。
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仮名序は、この後和歌を6つのカテゴリーに分類したりするんですが、そこで引用されている歌を一首
わが恋は よむともつぎじ 荒磯海の 浜の真砂は よみつくすとも
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<読み>
・荒磯海 : ありそうみ、真砂 :まさご
<現代誤訳>
・私の恋は数えても数え尽くすことはできないであろう。荒磯の海の浜の砂はたとえ数え尽くすとしても (出典26頁)
いきなり余談ですが、この現代誤訳は、ちょっとないですよね。
「恋の思いを表現するとしたら、無限通りにいくらでも詠める」という趣旨のはずなのに、これでは出会う人出会う人に次々に恋をする色基地外です。
機械的に順番に訳していくと、こんなことが起こるのかしらん。
本当に言いたかったのは、この歌は安土桃山時代の大泥棒、石川五右衛門の辞世の句とされる
石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ
の「元歌じゃないか!」 と思って大学生の頃感動してました、ということです。はい。
(仮名序はまだまだ引用したい部分が沢山あるのですが、長くなりすぎても読むのがつらいと思うので、ここで一旦終わります。)
出典:「日本の文学 古典編7 古今和歌集」 校注・訳:川村晃生、1986年9月初版。ほるぶ出版
https://shikinobi.com/kanajo 【古今和歌集「仮名序」原文と現代語訳・解説|古今集】より
古今和歌集(こきんわかしゅう)は日本最古の勅撰和歌集で、通称は”古今集(こきんしゅう)”です。1100首が収められており、913〜914年頃に成立したと考えられています。
その古今和歌集には漢文で書かれた真名序と、仮名文で書かれた仮名序が添えられています。真名序は紀淑望が書き、仮名序は紀貫之が書いたとされています。
仮名序は、仮名文で書かれた日本初の文学論として、歴史的にも重要なものです。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる古今和歌集の「仮名序」について、詳しく解説していきます。
古今和歌集の「仮名序」について解説していきます。
古今集「仮名序」の原文
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。
この歌、天地の開け始まりける時より出で来にけり。
しかあれども 、世に伝はることは、ひさかたの天にしては下照姫に始まり、あらかねの地にしては素盞嗚尊よりぞ起こりける。
ちはやぶる神世には、歌の文字も定まらず、素直にして、事の心分きがたかりけらし。
人の世となりて、素盞嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字は詠みける。
かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露を悲しぶ心・言葉多く、さまざまになりにける。
遠き所も、出で立つ足下より始まりて年月を渡り、高き山も、麓の塵泥よりなりて天雲棚引くまで生ひ上れるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。
古今集「仮名序」の現代語訳
和歌は、人の心をもとにして、いろいろな言葉になった(ものである)。
世の中に行きている人は、関わり合う色々な事がたくさんあるので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して、言葉に表わしているのである。
(梅の)花で鳴く鶯、水にすむ河鹿の声を聞くと、この世に生を受けているもの全て、どれが歌を詠まないことがあろうか(、みな詠むのである)。
力を入れないで天地(の神々)を感動させ、目に見えない鬼神をもしみじみとした思いにさせ、男女の仲を親しくさせ、勇猛な武士の心を和らげるのは、歌なのである。
この歌は、天地の開け始まった時より生まれた。
しかしながら、世に伝わることは、天上においては下照姫(の歌)に始まり、地上にあっては素盞嗚尊より起こったのである。
神世には、歌の音の数も決まらず、飾り気がなくありのままに歌ったので、言っていることの内容が判断しにくかったらしい。
人の世になって、素盞嗚尊から、三十一文字(の歌)は詠むようになった。
このようにして花を賞美し、鳥をうらやましく思い、霞にしみじみと感動し、露を愛する心・言葉は多く、(歌も)さまざまになった。
遠い所(への旅)も、出発する足もとから始まって長い年月を過ごし、高い山も、麓の塵や泥から生じて雲のたなびく(高さ)まで成長しているように、この歌もこのようになる(=発達する)のだろう。
古今集「仮名序」の単語・語句解説
[世の中にある人] 世の中に行きている人。
[繁きものなれば] たくさんあるので。
[言ひ出せるなり] 言い表したのである。
[蛙(かわず)] 河鹿(かじか)の事。(=鳴き声が鹿に似ている事からこの名が付いた蛙。)
[生きとし生けるもの] この世に生を受けているもの全て。
[いづれか歌を詠まざりける]どれが歌を詠まないことがあろうか、いや、みな詠むのである。
[天地を動かし]天地の神々を感動させ。
[鬼神]荒々しく恐ろしい神。
[和らげ]親しくさせ。
[出で来にけり]生まれた。ここでは”(歌が)詠みだされた”の意味。
[素直にして]飾り気がなくありのままに。
[分きがたかりけらし]判断しにくかったらしい。
[霞をあはれび]霞にしみじみと感動し。
[露を悲しぶ]露を愛する。
[年月を渡り]長い年月を経て。
[かくのごとくなるべし]このようになるだろう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は古今和歌集でも有名な、「仮名序」についてご紹介しました。
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