https://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html 【俳人蕪村】より
正岡子規
客観的美
積極的美と消極的美と相対あいたいするがごとく、客観的美と主観的美ともまた相対して美の要素をなす。これを文学史の上に照すに、上世には主観的美を発揮したる文学多く、後世に下るに従い一時代は一時代より客観的美に入ること深きを見る。古人が客観に動かされたる自己の感情を直叙するは、自己を慰むるために、はた当時の文学に幼稚なる世人をして知らしむるために必要なりしならん。これ主観的美の行われたるゆえんなり。かつその客観を写すところきわめて麁鹵そろにして精細ならず。例えば絵画の輪郭ばかりを描きて全部は観みる者の想像に任すがごとし。全体を現わさんとして一部を描くは作者の主観に出いづ。一部を描いて全体を想像せしむるは観る者の主観に訴うるなり。後世の文学も客観に動かされたる自己の感情を写すところにおいて毫も上世に異ならずといえども、結果たる感情を直叙せずして原因たる客観の事物をのみ描写し、観る者をしてこれによりて感情を動かさしむること、あたかも実際の客観が人を動かすがごとくならしむ。これ後世の文学が面目を新たにしたるゆえんなり。要するに主観的美は客観を描き尽さずして観る者の想像に任すにあり。
客観的、主観的両者いずれが美なるかは到底判し得べきにあらず。積極的、消極的両美の並立へいりつすべきがごとく、これもまた並立して各自の長所を現わすを要す。主観を叙して可なるものあり、叙して不可なるものあり。客観を写して可なるものあり、写して不可なるものあり。可なるものはこれを現わし不可なるものはこれを現わさず。しかして後に両者おのおの見るべし。
芭蕉の俳句は古来の和歌に比して客観的美を現わすこと多し。しかもなお蕪村の客観的なるには及ばず。極度の客観的美は絵画と同じ。蕪村の句は直ちにもって絵画となし得べきもの少からず。芭蕉集中全く客観的なるものを挙ぐれば四、五十句に過ぎざるべく、中につきて絵画となし得べきものを択えらみなば
鶯うぐひすや柳のうしろ藪やぶの前 芭蕉
梅が香にのっと日の出る山路かな 同
古寺の桃に米蹈ふむ男かな 同
時鳥大竹藪を漏る月夜 同
さゝれ蟹がに足はひ上る清水かな 同
荒海や佐渡さどに横よこたふ天の川 同
猪ゐのししも共に吹かるゝ野分のわきかな 同
鞍壺くらつぼに小坊主乗るや大根引だいこひき 同
塩鯛の歯茎も寒し魚うをの店たな 同
等二十句を出でざらん。宇陀うだの法師に芭蕉の説なりとて掲げたるを見るに
春風や麦の中行く水の音 木導
師説に云う、景気の句世間容易にするもってのほかのことなり。大事の物なり。連歌に景曲と云いいにしえの宗匠深くつつしみ一代一両句には過ぎず。景気の句初心まねよきゆえ深くいましめり。俳諧は連歌ほどはいわず。総別景気の句は皆ふるし。一句の曲なくては成りがたきゆえつよくいましめおきたるなり。木導が春風景曲第一の句なり。後代手本たるべしとて褒美ほうびに「かげろふいさむ花の糸口」という脇わきして送られたり。平句同前なり。歌に景曲は見様けんよう体に属すと定家卿もの給うなり。寂蓮じゃくれんの急雨定頼さだより卿の宇治の網代木あじろぎこれ見様体の歌なり。
とあり。景気といい景曲といい見様体という、皆わが謂いうところの客観的なり。もって芭蕉が客観的叙述を難かたしとしたること見るべし。木導の句悪句にはあらねどこの一句を第一とする芭蕉の見識はきわめて低くきわめて幼し。芭蕉の門弟は芭蕉よりも客観的の句を作る者多しといえども、皆客観を写すこと不完全なれば直ちにこれを画とせんにはなお足らざるものあり。
蕪村の句の絵画的なるものは枚挙すべきにあらねど、十余句を挙ぐれば
木瓜ぼけの陰に顔たくひすむ雉きぎすかな
釣鐘にとまりて眠る胡蝶こてふかな
やぶ入いりや鉄漿かねもらひ来る傘かさの下
小原女をはらめの五人揃ふて袷あはせかな
照射ともししてさゝやく近江八幡あふみやはたかな
葉うら/\火串ほぐしに白き花見ゆる
卓上の鮓すしに眼寒し観魚亭
夕風や水青鷺あをさぎの脛はぎを打つ
四五人に月落ちかゝる踊をどりかな
日は斜ななめ関屋の槍やりに蜻蛉とんぼかな
柳散り清水涸かれ石ところ/″\
かひがねや穂蓼ほたでの上を塩車
鍋提さげて淀よどの小橋を雪の人
てら/\と石に日の照る枯野かれのかな
むさゝびの小鳥喰はみ居をる枯野かな
水鳥や舟に菜を洗ふ女あり
のごとし。一事一物を画き添えざるも絵となるべき点において、蕪村の句は蕪村以前の句よりもさらに客観的なり。
人事的美
天然は簡単なり。人事は複雑なり。天然は沈黙し人事は活動す。簡単なるものにつきて美を求むるは易やすく、複雑なるものは難かたし。沈黙せるものを写すは易く、活動せるものは難し。人間の思想、感情の単一なる古代にありて比較的によく天然を写し得たるは易きより入いりたる者なるべし。俳句の初めより天然美を発揮したるも偶然にあらず。しかれども複雑なるものも活動せるものも少しくこれを研究せんか、これを描くことあながち難きにあらず。ただ俳句十七字の小天地に今までは辛うじて一山一水一草一木を写し出いだししものを、同じ区劃くかくのうちに変化極まりなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮写せんとするは難中の難に属す。俳句に人事的美を詠じたるもの少きゆえんなり。芭蕉、去来はむしろ天然に重きを置き、其角、嵐雪は人事を写さんとして端はしなく佶屈※(「敖/耳」、第4水準2-85-13)牙きっくつごうがに陥り、あるいは人をしてこれを解するに苦しましむるに至る。かくのごとく人は皆これを難しとするところに向って、ひとり蕪村は何の苦もなく進み思うままに濶歩かっぽ横行せり。今人こんじんはこれを見てかえってその容易なるを認めしならん。しかも蕪村以後においてすらこれを学びし者を見ず。
芭蕉の句は人事を詠よみたるもの多かれど、皆自己の境涯を写したるに止まり
鞍壺くらつぼに小坊主のるや大根引だいこひき
のごとく自己以外にありて半ば人事美を加えたるすらきわめて少し。
蕪村の句は
行く春や選者を恨む歌の主
命婦みゃうぶより牡丹餅ぼたもちたばす彼岸かな
短夜みじかよや同心衆の川手水かはてうづ
少年の矢数やかず問ひよる念者ぶり
水の粉やあるじかしこき後家ごけの君
虫干や甥をひの僧訪とふ東大寺
祇園会ぎをんゑや僧の訪ひよる梶かぢがもと
味噌汁をくはぬ娘の夏書げがきかな
鮓すしつけてやがて去いにたる魚屋うをやかな
褌ふんどしに団扇うちはさしたる亭主かな
青梅に眉まゆあつめたる美人かな
旅芝居穂麦がもとの鏡立て
身に入しむや亡妻なきつまの櫛くしを閨ねやに蹈ふむ
門前の老婆子らうばし薪貪る野分かな
栗そなふ恵心ゑしんの作の弥陀仏みだぼとけ
書記典主てんず故園に遊ぶ冬至とうじかな
沙弥しゃみ律師ころり/\と衾ふすまかな
さゝめこと頭巾づきんにかつく羽折はをりかな
孝行な子供等に蒲団一つづゝ
のごとき数え尽さず、これらの什じゅう必ずしも力を用いしものにあらずといえども、皆よく蕪村の特色を現わして一句だに他人の作とまごうべくもあらず。天稟てんぴんとは言いながら老熟の致すところならん。
天然美に空間的のもの多きはことに俳句においてしかり。けだし俳句は短くして時間を容いるる能あたわざるなり。ゆえに人事を詠ぜんとする場合にも、なお人事の特色とすべき時間を写さずして空間を写すは俳句の性質のしからしむるに因よる。たまたま時間を写すものありとも、そは現在と一様なる事情の過去または未来に継続するに過ぎず。ここに例外とすべき蕪村の句二首あり。
御手討おてうちの夫婦なりしを更衣ころもがへ
打ちはたす梵論ぼろつれだちて夏野かな
前者は過去のある人事を叙し、後者は未来のある人事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事にあり、一は未来の人事にあるは二句同一なり、その主眼なる人事が人事中の複雑なるものなることも二句同一なり。かくのごときものは古往今来こおうこんらい他にその例を見ず。
理想的美
俳句の美あるいは分って実験的、理想的の二種となすべし。実験的と理想的との区別は俳句の性質においてすでにしかるものあり。この種の理想は人間の到底経験すべからざること、あるいは実際あり得べからざることを詠みたるものこれなり。また実験的と理想的との区別俳句の性質にあらずして作者の境遇にあるものあり。この種の理想は今人にして古代の事物を詠み、いまだ行かざる地の景色風俗を写し、かつて見ざるある社会の情状を描き出すものこれなり。ここに理想的というは実験的に対していうものにして両者を包含す。
文学の実験に依よらざるべからざるはなお絵画の写生に依らざるべからざるがごとし。しかれども絵画の写生にのみ依るべからざるがごとく、文学もまた実験にのみ依るべからず。写生にのみ依らんか、絵画はついに微妙の趣味を現わす能わざらん、実験にのみ依らんか、尋常一様の経歴ある作者の文学は到底陳套ちんとうを脱する能わざるべし。文学は伝記にあらず、記実にあらず、文学者の頭脳は四畳半の古机にもたれながらその理想は天地八荒のうちに逍遙しょうようして無碍自在むげじざいに美趣を求む。羽なくして空に翔かけるべし、鰭ひれなくして海に潜むべし。音なくして音を聴きくべく、色なくして色を観るべし。かくのごとくして得来たるもの、必ず斬新ざんしん奇警人を驚かすに足るものあり。俳句界においてこの人を求むるに蕪村一人あり。翻ひるがえって芭蕉はいかんと見ればその俳句平易高雅、奇を衒げんせず、新を求めず、ことごとく自己が境涯の実歴ならざるはなし。二人は実に両極端を行きて毫も相似たるものあらず、これまた蕪村の特色として見ざるべけんや。
芭蕉も初めは
菖蒲しゃうぶ生なり軒の鰯いわしの髑髏されかうべ
のごとき理想的の句なきにあらざりしも、一たび古池の句に自家の立脚地を定めし後は、徹頭徹尾記実の一法に依りて俳句を作れり。しかもその記実たる自己が見聞せるすべての事物より句を探り出いだすにあらず、記実の中にてもただ自己を離れたる純客観の事物は全くこれを抛擲ほうてきし、ただ自己を本としてこれに関連する事物の実際を詠ずるに止まれり。今日より見ればその見識の卑ひくきこと実に笑うに堪えたり。けだし芭蕉は感情的に全く理想美を解せざりしにはあらずして、理窟りくつに考えて理想は美にあらずと断定せしや必ひっせり。一世に知られずして始終逆境に立ちながら、竪固なる意思に制せられて謹厳に身を修おさめたる彼が境遇は、かりそめにも嘘うそをつかじとて文学にも理想を排したるなるべく、はた彼が愛読したりという杜詩としに記実的の作多きを見ては、俳句もかくすべきものなりとおのずから感化せられたるにもあらん。芭蕉の門人多しといえども、芭蕉のごとく記実的なるは一人もなく、また芭蕉は記実的ならずとてそを悪く言いたる例も聞かず。芭蕉は連句において宇宙を網羅し古今を翻弄ほんろうせんとしたるにも似ず、俳句にはきわめて卑怯ひきょうなりしなり。
蕪村の理想を尚とうとぶはその句を見て知るべしといえども、彼がかつて召波しょうはに教えたりという彼の自記はよく蕪村を写し出いだせるを見る。曰く
(略)其角を尋ね嵐雪を訪い素堂を倡い鬼貫に伴う、日々この四老に会してわずかに市城名利の域を離れ林園に遊び山水にうたげし酒を酌くみて談笑し句を得ることはもっぱら不用意を貴ぶ、かくのごとくすること日々ある日また四老に会す、幽賞雅懐はじめのごとし、眼を閉じて苦吟し句を得て眼を開く、たちまち四老の所在を失す、しらずいずれのところに仙化して去るや、恍こうとして一人みずから佇たたずむ時に花香風に和し月光水に浮ぶ、これ子しが俳諧の郷なり(略)
蕪村はいかにして理想美を探り出だすべきかを召波に示したるなり。筆にも口にも説き尽すべからざる理想の妙趣は、輪扁りんぺんの木を断きるがごとくついに他に教うべからずといえども、一棒の下に頓悟とんごせしむるの工夫なきにしもあらず。蕪村はこの理想的のことをなお理想的に説明せり。かつその説明的なると文学的なるとを問わず、かくのごとき理想を述べたる文字に至りては上下二千載我に見ざるところなり。奇文なるかな。
蕪村の句の理想と思おぼしきものを挙ぐれば
河童の恋する宿や夏の月
湖へ富士を戻もどすや五月雨さつきあめ
名月や兎うさぎのわたる諏訪すはの湖うみ
指南車を胡地こちに引き去る霞かすみかな
滝口に燈ひを呼ぶ声や春の雨
白梅や墨芳かんばしき鴻臚館こうろくゎん
宗鑑そうかんに葛水くずみづたまふ大臣おとどかな
実方さねかたの長櫃ながびつ通る夏野かな
朝比奈が曽我を訪ふ日や初鰹はつがつを
雪信ゆきのぶが蝿はへ打ち払ふ硯すずりかな
孑孑ぼうふりの水や長沙ちゃうさの裏長屋
追剥おひはぎを弟子に剃りけり秋の旅
鬼貫おにつらや新酒の中の貧に処す
鳥羽殿とばどのへ五六騎いそぐ野分かな
新右衛門蛇足をさそふ冬至かな
寒月や衆徒しゅとの群議の過ぎて後のち
高野
隠れ住んで花に真田さなだが謡うたひかな
歴史を借りて古人を十七字中に現わし得たるもの、もって彼が技倆ぎりょうを見るに足らん。
複雑的美
思想簡単なる時代には美術文学に対する嗜好しこうも簡単を尚ぶは自然の趨勢すうせいなり。わが邦くに千余年間の和歌のいかに簡単なるかを見ば、人の思想の長く発達せざりし有様も見え透く心地す。この間に立ちて形式の簡単なる俳句はかえって和歌よりも複雑なる意匠を現わさんとして漢語を借り来たり佶屈きっくつなる直訳的句法をさえ用いたりしも、そは一時の現象たるにとどまり、古池の句はついに俳句の本尊として崇拝せらるるに至れり。古池の句は足引あしびきの山鳥の尾のという歌の簡単なるに比すべくもあらざれど、なお俳句中の最も簡単なるものに属す。芭蕉はこれをもってみずから得たりとし、終身複雑なる句を作らず。門人は必ずしも芭蕉の簡単を学ばざりしも、複雑の極点に達するにはなお遠かりき。
芭蕉は「発句ほっくは頭よりすらすらと言い下し来たるを上品とす」と言い、門人洒堂しゃどうに教えて「発句は汝がごとく物二、三取り集むる物にあらず、こがねを打ちのべたるごとくあるべし」と言えり。洒堂の句の物二、三取り集むるというは
鳩吹くや渋柿原の蕎麦そば畑
刈株や水田の上の秋の雲
の類なるべく、洒堂また常に好んでこの句法を用いたりとおぼし。しかれども洒堂のこれらの句は元禄の俳句中に一種の異彩を放つのみならず、その品格よりいうも鳩吹、刈株の句のごときは決して芭蕉の下にあらず。芭蕉がこの特異のところを賞揚せずして、かえってこれを排斥せんとしたるを見れば、彼はその複雑的美を解せざりし者に似たり。
芭蕉は一定の真理を言わずして時に随い人により思い思いの教訓をなすを常とす。その洒堂を誨おしえたるもこれらの佳作を斥しりぞけたるにはあらで、むしろその濫用を誡いましめたるにやあらん。許六が「発句は取合せものなり」というに対して芭蕉が「これほど仕よきことあるを人は知らずや」といえるを見ても、あながち取合せを排斥するにはあらざるべし。されどここに言える取合せとは二種の取合せをいうものにして、洒堂のごとく三種の取合せをいうにあらざるは、芭蕉の句、許六の句を見て明らかなり。芭蕉また凡兆に対して「俳諧もさすがに和歌の一体なり、一句にしおりあるように作すべし」といえるもこの間の消息を解すべきものあり。凡兆の句複雑というほどにはあらねど、また洒堂らと一般、句々材料充実して、かの虚字をもって斡旋あっせんする芭蕉流とはいたく異なり。芭蕉これに対して今少し和歌の臭味を加えよという、けだし芭蕉は俳句は簡単ならざるべからずと断定してみずから美の区域を狭く劃かぎりたる者なり。芭蕉すでにかくのごとし。芭蕉以後言うに足らざるなり。
蕪村は立てり。和歌のやさしみ言い古し聞き古して紛々ふんぷんたる臭気はその腐敗の極に達せり。和歌に代りて起りたる俳句幾分の和歌臭味を加えて元禄時代に勃興ぼっこうしたるも、支麦しばく以後ようやく腐敗してまた拯すくうに道なからんとす。ここにおいて蕪村は複雑的美を捉え来たりて俳句に新生命を与えたり。彼は和歌の簡単を斥しりぞけて唐詩の複雑を借り来たれり。国語の柔軟なる、冗長なるに飽きはてて簡勁かんけいなる、豪壮なる漢語もてわが不足を補いたり。先に其角一派が苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によって容易に成就せられたり。衆人の攻撃も慮おもんぱかるところにあらず、美は簡単なりという古来の標準も棄すてて顧みず、卓然として複雑的美を成したる蕪村の功は没すべからず。
芭蕉の句はことごとく簡単なり。強しいてその複雑なるものを求めんか、
鶯や柳のうしろ藪やぶの前
つゝじ活いけて其陰に干鱈ひだらさく女
隠れ家がや月と菊とに田三反
等の数句に過ぎざるべし。蕪村の句の複雑なるはその全体を通じてしかり。中につきて数句を挙ぐれば
草霞み水に声なき日暮かな
燕つばめ啼ないて夜蛇を打つ小家かな
梨の花月に書ふみ読む女あり
雨後の月誰たそや夜ぶりの脛はぎ白き
鮓すしをおす我れ酒かもす隣あり
五月雨や水に銭蹈ふむ渡し舟
草いきれ人死しにをると札の立つ
秋風や酒肆しゅしに詩うたふ漁者ぎょしゃ樵者せうしゃ
鹿ながら山影さんえい門に入いる日ひかな
鴫しぎ遠く鍬くはすゝぐ水のうねりかな
柳散り清水涸かれ石ところ/″\
水かれ/″\蓼たでかあらぬか蕎麦そばか否か
我をいとふ隣家寒夜に鍋を鳴らす
一句五字または七字のうちなお「草霞み」「雨後の月」「夜蛇を打つ」「水に銭蹈む」と曲折せしめたる妙は到底「頭よりすらすらと言い下し来たる」者の解し得ざるところ、しかも洒堂、凡兆らもまた夢寐むびにだも見ざりしところなり。客観的の句は複雑なりやすし。主観的の句の複雑なる
うき我に砧きぬた打て今は又やみね
のごときに至りては蕪村集中また他にあらざるもの、もし芭蕉をしてこれを見せしめば惘然自失もうぜんじしつ言うところを知らざるべし。
精細的美
外に広きものこれを複雑と謂いい、内に詳つまびらかなるものこれを精細と謂う。精細の妙は印象を明瞭めいりょうならしむるにあり。芭蕉の叙事形容に粗にして風韻に勝ちたるは、芭蕉の好んでなしたるところなりといえども、一は精細的美を知らざりしに因よる。芭蕉集中精細なるものを求むるに
粽ちまき結ゆふ片手にはさむ額髪
五月雨や色紙へぎたる壁の跡
のごとき比較的にしか思わるるあるのみ。蕪村集中にその例を求むれば
鶯の鳴くや小ちひさき口あけて
あぢきなや椿落ち埋うづむ庭たつみ
痩臑やせずねの毛に微風あり衣がへ
月に対す君に投網とあみの水煙
夏川をこす嬉うれしさよ手に草履ざうり
鮎あゆくれてよらで過ぎ行く夜半よはの門かど
夕風や水青鷺あをさぎの脛はぎを打つ
点滴に打たれてこもる蝸牛かたつむり
蚊の声す忍冬にんどうの花散るたびに
青梅に眉あつめたる美人かな
牡丹散ちって打ち重りぬ二三片
唐草に牡丹めでたき蒲団かな
引きかふて耳をあはれむ頭巾づきんかな
緑子みどりごの頭巾眉深まぶかきいとほしみ
真結まむすびの足袋はしたなき給仕かな
歯あらはに筆の氷を噛む夜かな
茶の花や石をめぐりて道を取る
等いと多かり。
庭たつみに椿の落ちたるは誰も考えつくべし。埋むとは言い得ぬなり。もし埋むに力入れたらんには俗句と成り了おわらん。落ち埋むと字余りにして埋むを軽く用いたるは蕪村の力量なり。よき句にはあらねど、埋むとまで形容して俗ならしめざるところ、精細的美を解したるに因る。精細なる句の俗了しやすきは蕪村のつとに感ぜしところにやあらん、後世の俳家いたずらに精細ならんとしてますます俗に堕おつる者、けだし精細的美を解せざるがためなり。妙人の妙はその平凡なるところ、拙つたなきところにおいて見るべし。唐詩選を見て唐詩を評し、展覧会を見て画家を評するは殆あやうし。蕪村の佳句ばかりを見る者は蕪村を見る者にあらざるなり。
「手に草履」ということももし拙く言いのばしなば殺風景となりなん。短くも言い得べきを「嬉しさよ」と長く言いて、長くも言い得べきを「手に草履」と短く言いしもの、良工苦心のところならんか。
「鮎くれて」の句、かくのごとき意匠は古来なきところ、よしありたりとも「よらで過ぎ行く」とは言い得ざりしなり。常人をして言わしめば鮎くれしを主にして言うべし。そは平凡なり。よらで過ぎ行くところ、景を写し情を写し時を写し多少の雅趣を添う。
顔しかめたりとも額に皺しわよせたりともかく印象を明瞭ならしめじ、ことは同じけれど「眉あつめたる」の一語、美人髣髴ほうふつとして前にあり。
蒲団引きおうて夜伽よとぎの寒さを凌しのぎたる句などこそ古人も言えれ、蒲団その物を一句に形容したる、蕪村より始まる。
「頭巾眉深まぶかき」ただ七字、あやせば笑う声聞ゆ。
足袋の真結まむすび、これをも俳句の材料にせんとは誰か思わん。我この句を見ること熟せり、しかもいかにしてこのことを捉え得たるかは今に怪しまざるを得ず。
「歯あらはに」歯にしみ入るつめたさ想いやるべし。
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