Facebook福本悟さん投稿記事
日本の歴史上の人物の中で、人気があるベストなんとかの中で、源義経は、だいたい選ばれるようです。その活躍と末路が、人々の心に留まるのでしょうか。よく『判官贔屓』と言う言葉も聞きます。来年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも源義経は登場しますが、過去の大河ドラマでも、ずいぶん出ました。
義経が出ると言うことは、弁慶もまた登場すると言うことです。大河ドラマに限っても、緒形拳、松平健、時任三郎さんなど素晴らしい個性派俳優が演じております。義経と弁慶の物語は、京の五条の橋の上から始まり、奥州平泉の衣川高館の仁王立ちまで続きます。この両方の歴史の証人たる場所には何回か行ったことがあります。ただ、どうしても行ってみたい、見て見たい場所がありました。そこに先週初めて立つことができました。
金沢や福井に行くときに利用する小松空港には、気になる屏風?がありました。いつも日帰りで、ただ通過するだけでしたが、歌舞伎ファンには堪らない『勧進帳』を描いたものです。その『勧進帳』の歴史的場面は、石川県小松市にある『安宅の関』がそれです。先週小松空港に戻る際、遂に『安宅の関』すなわち安宅住吉神社に詣でることができました。わざわざ巫女さんが社殿に招き入れて、直にお話をしてくださったのです。
勧進帳とは、もともと寺院が仏塔などを建立するため、寄付を募る記録を書き止めた巻物とされます。ただ世に勧進帳が知られたのは、安宅の関での武蔵坊弁慶の機転ある行動によります。ご存知の方が多いと思いますので、世に伝わる歴史的解説は省略します。山伏の姿をして義経一行が、ここを通過した時の話です。
歌舞伎での勧進帳は、安宅の関で、富樫左衛門尉に義経一行と見破られたーー見破られそうになったとき、たまたま所持していた白紙の巻物を取り出した弁慶が、諸国寄進を受けるための勧進であるとしてそれを読んだフリをしたこと、関を出ようとしたときに、やはり源義経と見破られたと知った弁慶が、お前が義経と似ているために皆が咎めを受けるとして、杖で義経を殴打すること、これを芝居と気づいた富樫が、義経一行と知って通行を許したこと、そして主君に対して狼藉をしたとして泣いて詫びる弁慶に対し、これまでの苦楽を語って義経が、弁慶の忠義を称えて手を握ることでした。
この歴史的物語の真相や評価は、人それぞれです。私は、人と人との信頼関係の観点から考えてみました。義経弁慶の時代は、武士が台頭してきて、近く源頼朝により、御恩奉公による武士社会が到来します。この義経都落ちのころは、主従関係となります。つまり武蔵坊弁慶は、主人義経のため芝居を打ったわけです。
義経・頼朝のころは、天皇の次に偉かった?のは、自らの主君となるべき人物でしょう。弁慶なら義経であり、義経ならば頼朝となる。あの当時はいかに主君のためとは言え、主君を杖で殴りつけるようなことは、考えられなかったのでしょうね。それを行ってまで主君を守った。そしてそのことに感激して礼を示した義経だっからこそ、あの衣川高館の仁王立ちの弁慶に繋がるのでしょう。さて現在主人のために、何により何が行われているか。最近の出来事から振り返ります。
数年前、あるメディアの切り抜きだったと記憶していますが、東京都内のある自治体の議員か、日本でいちばん偉い人、あるいは最高権力者は誰ですか?の問いに『安倍晋三』と答えたところが写真付きでアップされておりました。今もマトモな義務教育が行われていたならば、おそらく小学生なら容易に正解するはずです。当然国民すなわち『あなた』です。
まぁ、偉いかどうかは別でしょう。それは他人の評価ですから。日本国憲法の制定権者であり、自らと自らの子孫のために国民主権を宣言して代表者を選んで自らの権力を託し、福利を享受するのが国民です。憲法の憲法となる規範は個人の尊厳です。国民ひとりひとりは、それを確保・維持するため代表を選んで行動します。主人である国民からその仕事を託された人たちを『政治家』と言います。
よく選挙戦のときに、候補者が土下座したり、泣き声を出して勝たせてくださいとやるシーンがあります。選挙が終わってからが、その方々が主人から託された仕事をする場面です。そこで主人に損害を与えたとか、主人を危機に陥れたら、泣いたり土下座するならわからなくはないです。尤もそんなシーンは目にしませんが。失敗したら、悪いこと?をしたら選挙に結果が表れる。これが日本国憲法の仕組みです。自民党の石破茂議員は、いつも議員は選挙を意識して政治を行わなければならないと言われております。
しかしこの国の最高権力者として、自らの代表者らを拘束する憲法を制定した国民の側にこそ、自分たちがこの国の最高権力者であり、主権者だとの意識が少なくないですか。確かに日々の生活の中で、そういう意識を持って行動する余裕?もないのが現実かもしれません。そんなとき、しばしば見られる現象として、自分の比較的近くにいる人を『最高権力者』だと奉り立てて、これに取り入り、あるいは忖度する姿があります。
今週ある学校法人である大学の理事長が脱税の嫌疑で検察庁に逮捕され、現在勾留中です。捜査の対象となった被疑事実は所得隠しとされますが、キッカケは、この大学の他の理事らの別件背任の被疑事実での捜査の過程で捜索差押にこの理事長宅に入ったところ、1億円程度の現金が存在し、どうやら別件被疑者らからのリベートの類ではないかとメディアでは報道されています。つまりこの理事長に対して、件の理事らはカネを渡していたと言うことです。それは取り入るためでしょうね。今流行りの忖度ですかね。
法人の理事と代表理事、つまり理事長とは、法的には上下関係があるわけではないですが、やはり理事長の権限と言うか、ポジションその存在自体大きいのでしょうか。何年も同じ地位にいれば、取り巻きは、理事長に反旗を翻すことなどあり得ず、それどころかその提灯持ちになり、機嫌を取ることが自らの『出世』そしてその世界で生きていくには、不可欠だとの観念になっていくのでしょう。学校法人であれば、教育が仕事。この法人にしてみれば、学生はお客様ではないですか。誰を向いて仕事しているのか。
この理事長とその取り巻きとの間に、仮に義経・弁慶のような主従関係が成り立つと見立てても、そこには硬い信頼関係があるとは言えません。取り巻き提灯持ちも、決してこの理事長を尊敬していたわけでないでしょう。カネで繋がっていた。金の切れ目は縁のれ目と言われる。さて、こもごもの捜査の結果はどうなりましょうか。それにしても忖度や、取り入る社会現象は、最近顕著な例ですね。
あることがなければ内閣総理大臣に就任したのではないかと噂されたヤマタクさんこと山崎拓元自民党副総裁は、引退後安保法制反対などを言い、先の衆議院議員総選挙では、立憲民主党の女性候補を応援したことでも注目されました。ヤマタクさん曰く『ヒラメ議員ばかりだ』。
これは小選挙区制と内閣官房の権限が強まることで、自ずから党総裁のご機嫌取りが増える現状を憂いだものでしよう。
しかしそもそも議員は、所属政党のためではなく、主権者国民から、全国民のために選出されたのですけど。主人を間違えてるばかりか、主権者から託されて権力を行使することで福利を齎す役割であるのに、なんか議員でいることが目的であって、それこそが自分の福利のような感覚なのでしょうか。自民党のために、総裁からの覚え愛でたくが目的なんですかね。選挙民が主人のところ、選挙期間中には、別に悪いことをしたのではないでしょうに、土下座までして何かを乞う人もいました。ならば常に主人に対して、そんな気持ちを忘れずに、首を垂れて仕事をしていただきたいものです。
先の衆議院議員総選挙で当選した自民党議員が、自分の選挙区でのボス的立場の県議から、当選したいなら、応援してほしいなら、選挙民に行き渡るよう支持者となる県市町村の議員らに、裏金を渡すよう求められたとメディアに発表していました。真実かどうかわかりませんし、なんで今ころ、なんのために暴露したのかはともかくとして、この議員の言っていることは、要は当選したかったら、実力者に機嫌伺いをすること、特にカネを渡すべきと諭されたことを意味します。
これが買収になるかどうかはここでは論じません。上下・主従関係?のあり方、何によって結び付けられているのかが問題です。ここでは自民党だからは問題ではないです。さらに本質的問題は、告発した?この議員もしかり。これら『関係者』にとって本当の主人は誰なのかが理解されていないのです。
あなたの主人は、所属政党でも、その支持者でない。このような現実があったなら、『正当な選挙によって選ばれた代表者を通じて行動する』(日本国憲法前文)ことで、権力行使を託した主権者国民に対して詫びなれけばならない。なんか自民党って、こんなことやっているけど、自分は違うのですとアピールしているだけに見えてしまいます。この選挙戦では、他の地域でも取り仕切ってカネを渡すケースがあったのではないかと一部メディアに出たところに合わせたような出し方です。告発した方も、告発された方も自民党議員です。ウソをついていない方はそんな組織辞めたらどうですか。
忖度や太鼓持ち、生き残りかどうかはともかく、組織の中ってやりにくい、生きづらいもののようです。むしろ義経・弁慶の時代こそ、この二人の関係こそ、気兼ねや忖度なく、それぞれの思うところ目指すところに従って、自然に振る舞い行動していたように見えてしまいます。
でも義経・弁慶の関係を、この安宅の関に来て思うところがありました。それは必死さではないですか。全国指名手配されて追われた義経一行は、極限状態だったのではないですか?そんなとき、忖度だの計算だのやってられない。純粋に信頼関係があったから弁慶は『勧進帳』の後義経を打ちのめし、義経はこれを受け入れ、かつ、弁慶を労ったのでしょう。
そう考えると、先の学校法人の理事たち、そして自民党の議員たち、必死さは感じられません。かの時代、臣下が主君を杖で打ちのめすことは悪でした。さて現代では、背任してまでカネを渡すことも悪。そんなカネを受け取って脱税するのも悪。選挙に勝つためにカネを集めて買収するのも悪。また『そんな組織』にいて、当選後『そんな選挙選』を進めた仲間をーー主人たる国民のためではなくーー組織から除名しろと求めるのも、決して正義とは言えないと私は考えます。
しかし、義経・弁慶の安宅の関の一件は、おそらく今の私たちの社会では、悪だとはしないのではないですか。それは彼らの真剣さ、必死さ、そして計算などない信頼関係か齎した純粋さがあるからではないでしょうか。しかし、私が挙げた他の現在の案件。少なくとも当事者には必死さも、純粋さも感じられません。
ここまで書いてきたのは、上下・主従関係関係、主人は誰なのかの観点でした。自分が主人・上司などと捉えた人に対して、実は信頼などなかつた。だからカネなどで繋がるしかなかった。そう言う関係は、義経・弁慶とは違うと言うことでした。しかし主人が、オーナーが、その被用者を信用してはならないと教えられる社会を、チョット考えてみました。
北欧に位置するスウェーデンは、立憲君主国家とされ、国王は象徴的存在で、議院内閣制をとるなど、かなり日本と似ている統治機構と評価されます。1815年にいわゆるナポレオン戦争が終結後、他国と戦争をしたことがなく、軍事的非同盟を貫いていることでも知られています。民主国家度、国民の幸せ度、報道の自由度、人種差別の少なさなど殆どの部門でベスト3に入っているうえ、何よりも憲法を重視している国家です。それは新型コロナウイルス感染症対策に関する当時より一貫した姿勢でわかります。
そのスウェーデンの小学校で使用される教科書には、多数の目を見張る現実があります。中でも国民は、政府とメディアを信用してはならないと記されているのが注目されます。この国でも最高権力者は国民ですから、執政を託する自らの代表者、日本で言うところの政治家を信用するなと言うことです。主人が使用人を信用するなと言う建て付けです。信用を得るため、政治家は必死になるみたいです。何しろ国民代表を決める選挙での投票率は90%近い数字となっています。
そして今回世界的に注目された、私は違うが日本でも批判的に受け取られた『コロナ対策』でも明らかになったように、実はスウェーデン国民の政府に対する信頼度は、かなり高いことが明らかになりました。スウェーデンの選挙制度は比例代表ですから、得票率に応じた議席配分になり、死票はありませんが、自ずから連立政権にならざるを得ません。連立は不安定と言われることが少なくありませんが、実際たった1日で首相が辞任しても、政変が起きるようなことはなく、政情は安定しているようです。なぜか。
それは政府やメディアに対して常に、子どもの時から国民は、批判的に見るよう教えらていたから誰が、どこが政権を運営しても、じっくり考え納得できるからではないでしょうか。信頼しないと言われた部下?は、信頼を得るため必死に緊張感を持って頑張るのではないですか。
先月たった1日で、国会議員の交通費は100万円の話題が出たとき、十数年前玉川徹氏がスウェーデンを訪問したときの録画が、モーニングショーで再度取り上げられていました。なんとも見窄らしい←失礼!な議員宿舎でした。数年前、私はあるシンポジウムで、日本の大学生とdebateするため来日したスウェーデンの10代の若者の話を聞く機会がありました。ハッキリ言って、同じ場所にいる日本の大学生が、可哀想に思えました。議員宿舎よりも学校や老人施設、刑務所のほうがはるかに立派に見えました。
さて必死さと緊張感は、憲法に従った統治機構のもとでの執政に、必要な要素のようです。源義経の部下である弁慶は、あの時必死だった。しかし主権者国民からみれば、部下である日本の政治家の皆さんは、そのほとんどの方には、選挙の時は別として、普段は、必死さが感じられないように私には見えます。先の背任や脱税の嫌疑を受けた学校法人の理事者たちも、本気で教育に携わっているようには見えません。必死さと緊張感があってこそ、上下・主従関係には信頼関係が構築されるのではないかと思いました。
安宅の関は、今は安宅住吉神社となり、義経一行が、この関を真剣かつ必死な行動により突破したことで、難関突破の守護神として奉じられているそうです。難関突破には、必死さと信じる思いが必要のようです。それも純粋さに基づくもの。私自身もこのところいろいろあって真剣に、必死になれない自分がありました。安宅の関に行って良かったです。
この日は帰りの小松空港からの便は、ほぼ満席でした。搭乗にあたり、ワクチンがなんたら、コロナがなんたら言われなかったことも良かったです。しかして聞くところによると、海外から日本国内に入国するためには、ワクチン接種を要するとか。こう言う制約に関する法律家としての意見はともかく、今週初めて日本国内で発見されたオミクロン株は、まさしく航空機に乗って入国した人から発見されたそうです。航空機に搭乗した人はワクチン接種ずみです。でも、政府は在庫に不足はないとして、3回目かのワクチン接種を進める方向のようです。
私は、文系の頭しかありませんが、これ理論的におかしいと思います。ワクチン接種した人が変異株を国内にもたらし、しかし件の変異株発見前に用意したワクチンで対応してくださいって。それこそ主人である主権者国民に対して、必死に、緊張感を持って政府は説明していただきたきたいものです。ワクチン接種に関するリストとベネフィットも含めて。
この変異株の名前を始めて聞いたとき、悪い冗談かと思いました。主権者からそのように思われるのは、緊張感ある仕事をしていない証左ではありませんか。義経・弁慶のような信頼関係と緊張感ある国民と政府の関係でありたいと思いました。安宅の関から学んだところを大切にしなければならないと思った晩秋です。
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1091 【勧進帳
【かんじんちょう】【KANJINCHO】】より
歌舞伎十八番【かぶきじゅうはちばん】の一つ。
兄源頼朝【みなもとのよりとも】との仲が悪くなった源義経【みなもとのよしつね】は、武蔵坊弁慶【むさしぼうべんけい】らわずかな家来とともに、京都から平泉【ひらいずみ】(岩手県)の藤原氏【ふじわらし】のもとへと向かいます。頼朝は平泉までの道すじに多くの関所を作らせ、義経をとらえようとします。『勧進帳』は、義経たちが加賀国【かがのくに】の安宅【あたか】の関所(石川県)を通過する時の様子を歌舞伎にしたものです。義経一行は山伏【やまぶし】に変装して関所を通過しようとします。ところが関所を守る富樫左衛門【とがしさえもん】は、義経たちが山伏に変装しているという情報を知っていたので、一行を怪【あや】しんで通しません。そこで弁慶は、何も書いていない巻物を勧進帳と見せかけて読み上げます。勧進帳とは、お寺に寄付を募【つの】るお願いが書いてある巻物です。いったんは本物の山伏一行だと信じて関を通した富樫ですが、中に義経に似た者がいる、と家来が訴【うった】えたため、呼び止めます。変装がばれないようにするために、弁慶は持っていたつえで義経を激しく叩【たた】きます。それを見た富樫は、その弁慶の痛切な思いに共感して関所を通すのでした。
初代市川團十郎【いちかわだんじゅうろう】が元禄【げんろく】時代にこの場面を演じました。しかしその時の台本が残っていなかったこともあり、7代目團十郎が新しく作り直しました。1840年(天保【てんぽう】11年)のことです。7代目團十郎は、衣裳【いしょう】や舞台【ぶたい】装置などを新しくするために能【のう】を参考にしました。背景は能の舞台をまねて松羽目【まつばめ】にし、衣裳も能に近づけました。その後9代目團十郎が得意とし、現在に受け継【つ】がれています。
弁慶の演技には、最後の飛び六方【とびろっぽう】に代表される荒事【あらごと】の豪快【ごうかい】さだけでなく、はっきりしたセリフ回しや舞踊【ぶよう】の技術が必要で、座頭【ざがしら】の役として特に大事にされています。 また伴奏【ばんそう】の長唄【ながうた】は、代表的な三味線【しゃみせん】音楽の一つとして知られています
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