那須の九尾の狐

https://www.tochigi-edu.ed.jp/furusato/detail.jsp?p=165 【那須の九尾の狐】より

お伽草子(おとぎぞうし)『玉藻の前(たまものまえ)』・謡曲『殺生石(せっしょうせき)』 那須(なす)の九尾の狐

那須町(なすまち)湯本(ゆもと)の殺生石の話は、室町時代(むろまちじだい)のお伽草子『玉藻の前』に書かれています。

金色の毛で九本の尾をもって飛ぶ妖怪の狐が荒らしまわっていましたが、那須野(なすの)で討ち取られました。

狐は大岩になって落ちましが、岩になっても毒気をはいていました。

その後、玄翁禅師(げんのうぜんじ)がその岩を割って、狐の魂をみちびいたという話です。

この話は謡曲にもなり、能で演じられました。


https://www.odekakeiku.com/entry/nasukougen-sesyoseki 【殺生石 松尾芭蕉も「奥の細道」で訪れた「九尾の狐」伝説の地。那須高原】より

いきなりですが、今日(記事を書いたている日)5月16日は「旅の日」。

330年前の今日、松尾芭蕉が「奥の細道」へと旅立った日を記念して「旅の日」とされたそうです。

ということで、今回は「奥の細道」で松尾芭蕉も訪れた、栃木県那須町にある殺生石について少し。

最寄りの駐車場に止めて、賽の河原を歩いていきます。ものすごい硫黄の匂いです。

この辺りは湯の花の採取場にもなっているそうです。

教傳地獄

殺生岩へと通じる木道の途中に、千体ものお地蔵さんは並んで立っておられました。

この辺りの名前は「教傳地獄」。

「教傳地獄の由来」と書かれた案内を要約すよると

後醍醐天皇の頃、教傳という悪さばかりをする小坊主がいました。

その悪ガキの小坊主も、28歳になり住職となります。

そんなある日、友人と那須温泉へ湯治に行くこととなりました。湯治へと出かける朝、母が用意してくれた朝食を「まだ旅支度もできていない!」と怒り蹴飛ばし、そのまま出発してしまったそうです。

その悪業のためか、教傳が殺生石を見学するためにこの地を訪れた時、突如火炎熱湯が吹き出し、教傳は火の海の地獄に落ちて命を落としてしまったとか。

江戸時代も、ここは親不孝への戒めとして参拝する人が多かったそうです。

そんな話を聞き、あわれに思ったのか、5歳娘もお地蔵さんに合掌。

親孝行してくださいねw。

殺生石

天気は良くても、どことなく異様な感じのする殺生石。

こちらは有名な「九尾の狐」伝説。

中国の妖怪である九尾の狐(9つの尾っぽを持つ狐)が、日本に渡来し女性に化け「玉藻の前」と名乗り朝廷に仕え日本を滅ぼそうとします。

しかし、陰陽師の阿部泰成(安倍晴明の直系の子孫)に正体を見破られてしまい、ここ那須へ逃げて来ます。朝廷は三浦介と上総介に討伐を命じ、九尾の狐は退治されてしまいます。九尾の狐は、毒気を放つ毒石になり近づく人や獣を殺し続けました。

源翁という和尚が大乗経をあげると、石は3つに割れ、その1つがここに残ったそうです。

那須温泉神社

温泉が湧き出るところには、必ず神社あり。

神社の鈴も硫黄で腐食しています。

昭和天皇御歌碑

「空晴れて ふりさけみれば 那須岳は さやけく聳(そび)ゆ 高原(たかはら)のうへ」

芭蕉の句碑を探しましたが見つかりませんでした。代わりに昭和天皇の歌碑を境内で見つけました。

ちなみに芭蕉が詠んだ句は二句

「石の香や夏草赤く露あつく」

この地に訪れる時に、馬子に何か詠んで欲しいと頼まれて詠んだ句↓

「野を横に 馬引きむけよ ほととぎす」

駐車場に戻り、駐車場のトイレに入ったら、手洗いの蛇口も腐食していました。

殺生石の魔力?恐るべし。


https://www.town.nasu.lg.jp/0224/info-0000000398-1.html 【国指定名勝「殺生石(せっしょうせき)」と那須伝説「九尾の狐」】より

殺生石

殺生石は那須岳の丘陵が湯本温泉街にせまる斜面の湯川にそったところにあります。大昔、中国やインドで悪行をつくした「九尾の狐」伝説にまつわる史跡です。狐が化身したといれる大きな岩の国指定名勝史跡「殺生石」の写真

周辺では、今なお独特な硫黄の香りが漂っています。

また、俳人松尾芭蕉もこの地を訪れ「奥の細道」には、「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す。」と書き、次の句を詠んでいます。

石の香や 夏草赤く 露あつし

国指定名勝「殺生石」

※殺生石は「おくのほそ道の風景地」の一群をなすものとして、平成26年3月18日“国の名勝”に指定されました。

九尾の狐

九尾の狐の画像 平安の昔、帝(みかど)の愛する妃に「玉藻の前」という美人がいたが、これは天竺(インド)、唐(中国)から飛来してきた九尾の狐の化身でした。帝は日に日に衰弱し床に伏せるようになり、やがて、陰陽師の阿倍泰成がこれを見破り、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治したところ、狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼしました。やがて、源翁和尚が一喝すると石は三つに割れて飛び散り、一つがここに残ったと言われています。その石が「殺生石」と伝えられています。 九尾の狐の画像     


https://www.tochigiji.or.jp/spot/7236/ 【玉藻稲荷神社 たまもいなりじんじゃ】より

玉藻稲荷神社は、その縁起にまつわる伝説「九尾の狐」を伝える神社としても有名です。

昔、狐の化身でありながらもその麗美な姿のため、帝にたいへん寵愛された玉藻の前という美女がいました。しかし、帝が病気の折の祈祷でその正体をあらわにした九尾の狐は、この地に逃げ込み、蝉に身をかえ桜の木の陰に隠れていたのですが、池(鏡が池)に映った真の姿を見つけられ討たれてしまったということです。 鏡が池は、今もなお清らかな湧き水をたたえ、その名にふさわしく、水面に緑深き風景を映し出しながらひっそりと広がっています。     

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