秋の虹

http://yuuyakeni.blogspot.com/2011/11/blog-post.html 【秋の虹】より

 草津温泉をとりまく山々は、唐松の黄葉で黄金色に輝いていた。

森に入って歩くと、なんとも言えない樹脂の匂いで心地良かった。

ときおり降る日照雨(そばえ)に、照り翳りが速く、雲の形の影が走るのがわかった。

ふと見ると唐松の森から虹が立っている。森の明るさから昇っているかのようにいつまでも消えなかった。  

 谺して谷深めゆく秋の虹       あかね

 (こだましてたにふかめゆくあきのにじ)  

 すり鉢の底の湯の町鳥渡る      あかね

 〈すりばちのそこのゆのまちとりわたる)  


https://www.mysai.net/cgi-bin/kaisetsu_disp.cgi?kisetsu_cd=3&kisetsu_kbn_cd=0&bun_ya_cd=02&bun_ya_kbn_cd=04&kigo_no=0069 【秋の虹 あきのにじ】より

◇「秋虹」

秋空に立つ虹。夏の虹は色も鮮やかだが、秋の虹は色も淡くはかなく消えてゆく。それだけにわびしさや冬の到来を強く感じる。

例句 作者

秋の虹森を出づれば消えてなき 青池秀二

秋虹や鳥の羽音の行きどころ 村井美意子

秋の虹ほのくらく樹をはなれけり 飯田蛇笏

秋の虹くぐりて滋賀に濡るるなり 富谷春雷

助手席にゐて秋の虹まだ見ゆる 安居正浩 


https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20021019&tit=%8FH%82%CC%93%F8&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%8FH%82%CC%93%F8%82%CC 【季語が秋の虹の句】より

 秋の虹消えてしまえばめし屋の前

                           松本秋歩

秋の虹は色も淡く、はかなく消えてしまう。寂寥感に誘われる。「めし屋」は洒落たレストランなどではなくて、ただ「めし」を食いに行くためだけの店だ。定食屋の類である。間借りをしていると、大家さんの台所は使わせてもらえないので、三食とも外食ということになる。昔は学生はもとより、働いている人にも間借り人が多かった。コンビニ一つあるわけじゃなし、食えるときに食っておかないと、夜は空きっ腹を抱えて寝なければならない。作者もまた、食えるときに食っておこうと表に出てみると、思いがけなくも虹がかかっていた。ちょっと得したような気分になったが、しかし見ている間に消えてゆき、いつものめし屋の前にいた。しばしの幻にうっとりとしかけた心が、すっとがさつな現実に舞い戻った瞬間をとらえている。汚れた暖簾をくぐれば、変哲もない秋刀魚定食や鯖の味噌煮定食が待っている。「めし屋」といえば、私が学生時代によく通ったのは、京都烏丸車庫の前にあった「烏丸食堂」だった。下宿から五分ほど。十人も入れば満杯の小さな店で、安かった。だが、金欠になってくると安い定食も食えなくなる。そんなときは、仲よくなった店のおねえさんに小声で頼んで、丼一杯の飯だけにしてもらう。そいつに、タダの塩を振りかけて食っていると、おねえさんがそっと「おしんこ」をつけてくれたりして、なんだか人情映画の登場人物みたいになったときもあったっけ。おねえさん、元気にしてるかなあ。そんなことも思い出された掲句でありました。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


https://cafetalk.com/column/read/?id=18588&lang=en 【俳句:秋の虹】より

どこか遠くに行きたいと思う人ほど、どこかに帰りたいと思っている。

でも、帰る場所がどこかわからなくて探し続けている。

あるいは、何を探しているのかさえわからなくなっているのかもしれない。

星の王子様がそうであったように、本当に帰る場所はすぐ近くにあるのに。

遠くに行こうとするから見つからないのに。

今日の季語は「秋の虹(あきのにじ)」夏の虹と違ってはかなげな虹なんです。

秋の虹求む足元見ざるまま


https://plaza.rakuten.co.jp/takagiryounoheya/diary/202009190000/ 【今朝点てし茶の湯気雲に秋の虹】より

今朝方、茶を点てた。真緑の茶に湯気がほんのりと立って、甘い香りがした。

大気は常に循環している。

今朝点てた茶の湯気も部屋の空気と混ざり合い、その空気も開いた窓や開閉する扉の外の空気と混ざり合いながら、どこかへ風とともに巡っていく。

山や大地を巡っている空気も、扉や窓から部屋に入ってくる。そんな大気は雲となる。

雲はやがて水蒸気があふれて、雨を降らす。

雨がやんで、雲の隙間に陽が射すと反射して虹が立つこともある。大気は常に循環している。循環していなければならないものである。

そんな大気が澄んで、空気がきれいであると人間だけではなく、すべての生き物が活き活きとする。

循環する大気は澄んでいなければならない。

小さな茶碗に点てた抹茶の湯気と香り、その茶の味わいを思い出しながら、雨上がりの虹を見て、そう思った。


https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12623054485.html 【次回(9/10)のラジオ「俳句で語〜」の兼題が「秋の虹」になりました。】より

次回(9/10)のラジオ「俳句で語〜」の兼題が「秋の虹」になりました。

秋の虹(秋虹。仲秋を主に三秋。9月を主に8月から10月。天文季題)

○秋に立つ虹のこと。

※単に「虹」という場合は夏の季語。夏の虹は、はっきりと大空にその大輪を掛ける。春は「春の虹、初虹」、冬は「冬の虹」という季語になる。

○秋の虹は、夏の虹ほど鮮やかでなく色も淡い。またすぐ消えやすく儚い。

▪️束の間の晴れ間に淡き秋の虹(嶋きさ子)

▪️殉教の島の五橋に秋の虹(稲福昌一)

の如し。以下いくつかの例句を挙げました。

▪️秋の虹消えやすければ妻を呼び 渡辺よし生

▪️大声で呼ばれてをりし秋の虹 高倉恵美子

▪️母呼ぶに消えて仕舞いし秋の虹 大平保子

▪️手を添へて小さき母の背秋の虹 竹中昭子

▪️慟哭の津波跡なる秋の虹 大木さつき

▪️秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり 能村登四郎 


https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/11710 【三川を跨ぎて淡し秋の虹】より

作者 久田しげき  投稿日 2021年08月12日

最新の添削

「三川を跨ぎて淡し秋の虹」の批評

回答者 げばげば 2021年08月12日

こんにちは。いつも勉強させていただいています。

御句、これは木曽川・揖斐川・長良川のことでしょうか?久田さんの句を拝読すると、鵜飼や岐阜城などが登場するので、なんとなくこの辺りの地域と勝手に想像して読ませていただいています。

しかし、並ぶ三つの川をまたぐとは、なかなか壮大ね光景ですね。しかし、その細部に目をやると、虹の脚がやんわり消えかかり、そこに秋の気配を感じる。そこがまた趣深いですよね。

原句、しみじみと味わわせていただきました(*'▽')


https://toutankakai.com/%E7%A7%8B%E3%81%AE%E8%99%B9/ 【秋の虹】より

昼過ぎごろ、虹が出ました。比叡山の方角(撮影場所から見て北東)がかき曇り、巨大な虹の足が現れました。

2分もしないうちに青空が見え、虹の弧がくっきりと。虹について『俳句歳時記 夏』(角川学芸出版編)から引用します。

<雨上がりに日光が雨滴にあたって屈折反射し、太陽と反対側に七色の光の弧が現れる現象。夏に多く見られる。普通は一重だが、二重のものもある。>

確かに、子供のころから虹はいつも北の方角に見てきました。しかし夏の季語だとは知らず。11月も半ばの今の時期の虹は珍しいのかもしれません。

虹の、向かって右足のふもとは出町柳の北の辺りかと思います。「あのへんはいま虹色やなあ」と思いながら、消えてゆく虹を10分ほど楽しみました。

虹の足元にいるだろう人は、そこから虹が生えているとはたぶん分からないはず。その人は、そこからさらに北の方角に虹を見るのでしょうか。どこかから見て、もしも私が虹の生えているあたりにいたら、「あなたいま虹の足元にいますよ」と教えてほしいです。

いづくにも虹のかけらを拾ひ得ず 山口誓子

薄れゆくかの大虹も一度くらい地球に足を触れたかろうに 石田比呂志



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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