http://kojyo.g1.xrea.com/kashi.html 【荒城の月 歌詞】より
荒城の月 一番から四番までの歌詞です
歌詞
一番
春高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い)でし 昔の光今いずこ
二番
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし 昔の光今いずこ
三番
今荒城の夜半(よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌(うと)うはただ嵐(あらし)
四番
天上影は変わらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
映(うつ)さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月
http://kojyo.g1.xrea.com/kashi/chiyo.html 【荒城の月歌詞 「千代」】より
仙台という意味と長い年月という意味があります
千代
「千代」とは非常に長い年月を意味するのが通常であり、「千代木」(ちよき)が松の異名であることから、松には長い年月が刻み込まれているのだと考えられます。
この詩では「千代」を「ちよ」とよんでいますが、伊達政宗が「千代」(せんだい)を「仙台」と書き改めており、これが現在の仙台市につながっていると考えられています。
作詞者である土井晩翠は仙台出身ですので、「千代」のなかに「仙台」のことを暗に示しているとも考えられます。
土井晩翠がこの荒城の月を作詞したのは、伊達政宗が住んでいた山城の仙台城(青葉城)の跡だったと考えられていますので、「千代の松」は「仙台城の松」の意味を持っているとも解釈できるわけです。
なお、「仙台」というのは、「仙人の住む高台」を意味しています。仙台という地名はその城下町だったことに由来するといわれます。
荒城の月の歌詞に言う「千代の松」は、長い年月を経た松という意味と、昔仙台城にあった松という両方の意味を持っていると解釈されます。
Facebook・能村 聡さん投稿記事 『月に学ぶ』
私たち地球に住む人間にとって、一番身近な天体・月。月は、日々姿を変えながら夜空で静かに輝きます。
月の満ち欠けは、海の干満のリズム、そして「羊水の中の小宇宙」のリズム、「いのち」(特に女性)のリズム。このサイクルに調和したい。
子供の頃、月にこう叫びました。「あっ、三日月が出てる!」
するとお月さまがそっと伝えてくれました。
「人が三日月だと気づくのは、明るいところを見ているからなのよ」
明るいところと、暗い見えないところ(闇と光)が合わさって、完全な円満具足。
そして、月はこんなことも教えてくれました。「月は、毎日姿を変えます。人の心も同じです。人の心は、コロコロと変化します。ですから、「あの人は意地悪な人だ」と決めつけないでくださいね。人は誰でも変化します。」
ある日、ベランダで満月を眺めていると、次のことが伝わってきました。
「満月だけが月じゃあないのよ。満ちても欠けても月は月。明るいところ、ポジティブなところだけを良いこととは思わないでくださいね。ポジティブとかネガティブとか二つに分けようとせず、丸ごとの自分を大切にすればラクになります」
月はツキ。今、生きているのは、天に生かされていること。
どんな時でも、あなたはとってもツキのある人です。
*出典参考:メッセージ:ももさん(心のあかり 光の風景 しおまち書房 刊)
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