さまざまの月みてきしがけふの月

https://blog.goo.ne.jp/kitamitakatta/e/1944c35d693c5d370ad2c75507e158d0 【長谷川櫂の「月」を読む】より

「俳句」10月号は巻頭で長谷川櫂の「月」と題した50句を掲載している。琵琶湖、比叡山方面の吟行句である。

この中から目についたいくつかを鑑賞する。言葉遣いのやわらかさ、平易さ、句作の抽斗の豊富さなどかなり気に入った。

堅田

この月の月を近江の人々と

堅田は琵琶湖大橋のたもと。「この月」は陰暦の八月、「月」は名月。月のリフレインを使った枕詞めいた導入に感心した。名月と土地の人への見事な挨拶句。

どこをどう行かうが月の浮御堂

満月寺浮御堂のことで、滋賀県大津市堅田、琵琶湖畔の臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある湖上に突き出た仏堂。

「どこをどう行かうが」は前の句の「この月の月を」と同様、枕詞的でこちらのほうがより意味が乏しい。句意としては、月光を受けて浮御堂がありますよ、それを私は見ています、ということだけのことである。しかし無用の用の効かせ方がうまいのである。「月の浮御堂」だけが際立てばいいのである。

月光に溺れんばかり舟の人

これは前の句の素っ気なさから一転変わってえらく情緒的に仕立てている。舟ということで船より小さいので「溺れんばかり」がのめる。

ぬば玉の椀はなやかや秋の月

ぬば玉はヒオウギの種子で丸くて黒い。そこから月にかかる枕詞となっている。ここでは椀の黒さを修飾している。黒い椀をはなやかと見たのが粋でありその見方を月へ敷衍したのがうまい。どうしてわざわざ秋としたのかやや疑問。ほかの句で出るように「望の月」でいいではないか。

秋風やどうと真鯉を横倒し

俳句の伝統的な味わい、とりわけ枕詞的修辞の魅力が目立つなかでこの真鯉は物の存在感、質量とまともに向き合っている。俎に大きな真鯉を横たえてさてどこから料るかという場面。「どうと」いう擬態語の切れ味もよく鯉がうまそう。

鯉食うて望の月まつ女かな

何を食いながら月の出を待ってもいいじゃなかと少し思っていやいや鯉が最適と思わせる句。コイという音感なのか、さきほどの句で鯉の厚みを見せられたせいか豊かな気持になる。女も肉感的ではなかろうかというふうに連想は横道にも入り句を分厚くする。

月待つや湖こよひ鳴り瓢

「鳴り瓢」をはじめ文字通り酒を入れた瓢が鳴るのかと思った。しかしこれは福井の日本酒の商標名。江戸末期の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)の歌「とくとくとたりくる酒の鳴り瓢うれしき音をさするものかな」にちなみ命名されたとか。湖を酒の入った瓢と見立てているのは確か。また鳴り瓢を飲んでいる風情も十分ある。湖水と名酒の重層性を楽しみたい。

坂本、西教寺

襖より鶴歩み出よ月の庭

西教寺には「鶴の間」があるという。そこの襖絵の鶴のことをいっている。行ったことがないので行きたくなった。そしてぼくも句を詠みたくなった。一連の句は読んだ者を当地をぞんぶんに感じさせてくれる。

延暦寺

信心の山高々と月の中

「延暦寺といわないでこの寺を書きなさい」と初心者に教えるための手本みたいな句。「信心の山高々と」が当を得ている。平易さとうまさということに関して櫂さんから学ぶものは多い。この句もたいしたことはいっていない。けれどしかと厳かな伽藍と煌々とした月がある。俳句はそれでいいのである。

森々と心の奥へ月の道

心象句は下手にやると無残であるがこの句は簡単そうに見せてうまい。「森々と」が抜群なのだ。実際の森へ入っていくイメージとシンシンという音感をないまぜにした修辞力が光る。それが心を浮わつかせない。

月孤独地球孤独や相照らす

人が孤独と書いたら通俗的で浅薄である。無生物に向かって孤独といっても多くの場合機能しないだろう。天体ふたつ出して孤独といったことでこの言葉を甦らせた。孤独のイメージを「相照らす」と引っくり返す措辞も見事である。

いささかの憂ひはあれど望の月

率直な句。まさに望月に「いささかの憂ひ」を感じる。これから欠けていくことへの思いである。

一連の句を読んで近江へ旅をした気分になった。満月を堪能した。ここまで読み手を満足させるのはやはり書き手の功績なのだ。ぼくもいつか近江へ俳句を書きに行きたくなった。


https://gokoo.main.jp/001/?p=9318 【「死の種子」を読んで 村松二本】より

 「死の種子」(「俳句」二月号)から試みに十句抄出した。

 わが顔を死の覗きこむ朝寝かな

     PET検査

 さみだれや人体深く発光す

 白桃や命はるかと思ひしに

 目の前にまた現はれし露の玉

 病巣へ月の刃の冷やかに

 月こよひ月こよひとて一生すぐ

     宇佐見魚目逝去

 昼も咲く秋の夕顔魚目逝く

 炎かと寄れば牡丹の帰り花

 生淡々死又淡々冬木立

 源流や氷らんとして鳴りひびく

 

 ちなみに「生淡々」の初見は、昨年12月の三島句会。

この句が清記されて回って来た。その瞬間の驚きとためらい。そして採ったときの歓び。句会の醍醐味だ。

 そんな句がこのように発表されると、また表情が変わる。一層彫りが深くなる。

 「死」はいつも我々の隣にある。その気配にまるで気づかないときもあれば、一瞬ひやりとさせられることも。

 「生き死にを俳諧の種籠枕」(『虚空』)と詠んでから20年。       

 我々は「死」に向かって進むほかない。 (村松二本)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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