集合花

Facebook・OSHO Japanese 投稿記事

私は今のところ、すばらしい関係にあり、私たちの間ではあらゆることがとても調和しています。

 愛はつねに、最初のうちは美しい。投稿

https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/other-myself/when-love-wears-thin-it-lets-in-the-emotional-weather?fbclid=IwAR2xe5LOx3QPrAOnCnppkOZW-6rP08yCPHkRRANum1O8-MXMZ2WzdZE8HXY 【愛はすり減ると、感情の浮き沈みを招く】より

 私は今のところ、すばらしい関係にあり、私たちの間ではあらゆることがとても調和しています。

 愛はつねに、最初のうちは美しい。あなたがたは自分の破壊的なエネルギーをそこに持ち込まないからだ。最初のうち、あなたがたはポジティブなエネルギーをそこに持ち込む――ふたりとも自分たちのエネルギーをポジティブに出し合う。物ごとはとにかく素晴らしく進んでいく。だが、その後、徐々に、ネガティブなエネルギーがあふれ出す。それらを永遠にしまっておくことはできない。そして、自分のポジティブなエネルギーをいったん使いきってしまったら――それはとても小さい……そして、ネガティブなものはひじょうに大きい。ポジティブなものは少しの量しかない。だから、数日中にハネムーンは終わり、それから、ネガティブなものがやって来る。地獄がその門を開き、何が起こったのか、人には理解できない――これほどすばらしい関係が、なぜ暗礁に乗り上げているのか?

 もし最初から油断せずにいたら、それは救われ得る。だから、あなたのポジティブなエネルギーをそこに注ぎ込みなさい。だが、いずれはネガティブなものが入り込んでくることを覚えておくがいい。ネガティブなものがあなたの中に入り込んでくるときは、そのネガティブなものをあなたは独りで解き放たなければならない。部屋に入って、ネガティブなものを解き放ちなさい。それを相手に投げつける必要はない。

 金切り声を上げ、叫び、怒りたければ、部屋に入って、叫び、怒り、枕を叩くがいい。なぜなら、他の人たちに物を投げつけるほど暴力的であってはならないからだ。彼らはあなたに何か悪いことをしたわけではない。だから、なぜあなたが彼らに物を投げつけないといけないのかね? ネガティブなものはすべて、ごみ箱に放り込んだほうがいい。

 もしあなたが油断せずにい続けたら、それが可能なことが分かって驚くだろう。そして、いったんネガティブなものが解き放たれたら、再びポジティブなものが溢れ出している。

 ネガティブなものは、関係性のひじょうに遅い時期にならないと解き放たれない――関係性がしっかりと確立されたときだ――そしてそのときもまた、セラピー的な措置としてなされなければならない。関係のあるふたりのパートナーが、少しも、少しも油断しなくなり、ひじょうにポジティブになったとき、ひとつの存在として統合され、もはや許容できるようになり――許容するだけでなく、相手のネガティブさを使えるとき――彼らはセラピー的な措置として互いにネガティブにもなることに同意しなければならない。

 そのときもまた、私の提案は、それを無意識なものではなく、ひじょうに意識的なものにすること、とても意図的なものにすることだ。毎晩1時間、あなたがたは互いにネガティブになることを忘れないようにしなさい――それをゲームにするがいい――場所や時間にかまわずネガティブになるのではなく。なぜなら、人びとはそれほど気づいてはいないからだ――彼らは24時間、気づいているわけではない――だが、1時間であれば、あなたがたはふたりでいっしょに坐って、ネガティブになることができる。そしてそのときは、それはゲームになるだろう、グループのようになるだろう。1時間後には、あなたがたはそれを終わらせて、後に持ち越さない。あなたがたはそれを自分たちの関係性の中に持ち込まない。

 最初の段階――独りで、ネガティブなものが解き放たれなければならない。二番目の段階――あなたがたふたりともネガティブなものを解き放つという同意のもとに、ある特定の時間にネガティブなものが解き放たれなければならない。三番目の段階でのみ、人は自然になるべきだ。そして、そのときは、怖がる必要はなにもない。そのときは、あなたがたはネガティブにもポジティブにもなることができるし、両方とも美しい――だが、三番目の段階においてのみだ。

 最初の段階で、もう怒りはやって来ないことをあなたが感じ始めたら――枕の前に坐り、怒りはやって来ない。それは何か月間かはやって来るだろう。だが、あなたはある日、もはやそれは流れていない、それは無意味になった、独りで怒ることはできないことに気づく。そこで、第一段階は終わる。だが、相手もまた第一段階が終わったと感じるかどうか、待つがいい。もし彼のも終わっていたら、第二段階が始まる。そのときは1時間か2時間――朝か夕方、決めればいい――あなたがたはネガティブになる、意図的に。それは心理劇だ、それはひじょうに非個人的なものだ。

 あなたはひどくは打たない――あなたは打つ、だが、それでも人を打つことはない。実際には、あなたは自分のネガティブさを投げ出しているだけだ。あなたは相手を責めているのではない、「あなたが悪い」と言っているのではない。あなたはただ、「あなたが悪いと私は感じている」と言っているだけだ。「あなたが私を侮辱した」とは、あなたは言っていない。あなたは、「私は侮辱された感じがする」と言う。これはまったく別のことだ。それは意図的なゲームなのだ。「私は侮辱された感じがする。だから、私は自分の怒りを投げ出す。あなたは私といちばん親しいのだから、私のために口実としての役割を演じてください」……そして、同じことが相手からもなされる。

 再び、この意図的なネガティブさがもはや働いていないことにあなたが気づく瞬間が訪れる。あなたがたは1時間坐る――あなたのもとにはなにもやって来ない、彼のもとにはなにもやって来ない。そのときは、その第二段階が終わったのだ。

 今度は第三の段階――そして、第三の段階は生全体だ。いまやあなたはいつでもネガティブやポジティブになれる。あなたは起こるがままでいられる。

 こうして、愛は結婚になる。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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