一輪の花???

Facebook・相田 公弘さん投稿記事 【朝がくると】まどみちお

朝がくると とび起きて ぼくが作ったものでもない 水道で 顔をあらうと

ぼくが作ったものでもない 洋服をきて ぼくが作ったものでもないごはんを 

むしゃむしゃたべる それから ぼくが作ったものでもない 本やノートを

ぼくが作ったものでもない ランドセルに つめて せなかに しょって

さて ぼくが作ったものでもない靴を はくと たったか たったか でかけていく

ぼくが作ったものでもない 道路を ぼくが作ったものでもない 学校へと

ああ なんのために

いまに おとなになったら ぼくだって ぼくたって なにかを 作ることが

できるように なるために

※まど・みちお(1909年11月16日 - )は、日本の詩人である。

本名は石田 道雄(いしだ みちお)。

25歳のときに北原白秋に認められ、33歳のときに召集される。詩作りは20代から始め、以来詩を作り続けている。

創作意欲の源は、政治・行政・教育・経済・戦争などに対する不満である。『ぞうさん』や『やぎさんゆうびん』などの、そのおおらかでユーモラスな作品は童謡としても親しまれている。


https://ameblo.jp/free-agent999/entry-11954812249.html 【長寿詩人まど・みちお氏の名言・詩から考える】より

まどみちお名言と詩

ちがっても仲良くしようではなく ちがうから仲良くしよう。by. まど・みちお.1909.11.16生[詩人]国際アンデルセン賞作家部門で日本人初受賞

「受容と寛容」ですね。

もう一つは、「自然との調和」・・・かな。

まど氏の詩

『ぼくが ここに』

ぼくが ここに いるとき ほかの どんなものも ぼくに かさなって ここに いることは できない もしも ゾウが ここに いるならば そのゾウだけ マメが いるならば その一つぶの マメだけしか ここに いることは できない ああ このちきゅうの うえでは こんなに だいじに まもられているのだ どんなものが どんなところに

いるときも その「いること」こそが なににも まして すばらしいこと として

『もうすんだとすれば』

もうすんだとすれば これからなのだ あんらくなことが 苦しいのだ 暗いからこそ 明るいのだ なんにも無いから すべてが有るのだ 見ているのは 見ていないのだ

分かっているのは 分かっていないのだ 押されているので 押しているのだ

落ちていきながら 昇っていくのだ 遅れすぎて 進んでいるのだ 一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ やかましいから 静かなのだ 黙っている方が しゃべっているのだ

笑っているだけ 泣いているのだ ほめていたら けなしているのだ うそつきは まあ正直者だ おくびょう者ほど 勇ましいのだ 利口にかぎって バカなのだ 生まれてくることは 死んでいくことだ なんでもないことが 大変なことなのだ

まど氏の作詞「ぞうさん」

https://ameblo.jp/ricorico1214/entry-12064138880.html  【ricorico1214の考える、「受容」と「寛容」の違い】より

コトが起きるときは、いろんなことが、概して、同時並行に起きるもので、感情でも能力でも、範囲を超えているw

起きても、歩いていても、仕事中も、電車に乗っても、買い物していても、どうしたらスッキリするんだろう、どこに着地したらいいんだろうって、考え続けたここら1-2週間でしたわ。"他人の思考や行動は変えられない"。そんなことは痛いほどわかっている。

現に自分だって、誰が何を言おうと、頑なに自分は正しい、と信じている。

この考え方で行くんだってのがあり、その責任も全部、とる覚悟がある。

だからこれと同程度に、相手だって、今までの人生、学習の積み重ねで、現時点の行動パターンがあるわけで、それを変えようとするのは徒労だ。

他人の行動、思考回路について、普通に考えたらそうはできないとか、どうしてそんなこと言えるのかとか、心底、疑問に思うことがあったとき、回答として1つ、いつも思い浮かぶのは、「人は誰でも、ラクしてトクしたい」。が、そこから先が2通りある、ってこと。

1つは、そりゃラクはしたいけんども、ここでもし、ラクを選んでしまったら、人間関係にヒビが入るだろうなとか、カッコ良くないな、迷惑がかかるな、と、目先のラクと、将来のトクを比較して、今はこのラクは、とらないでおこっと、と、判断して欲求を抑制できる派閥。いってみれば、自分のラクとトクを相対的に見ることや、選択した結果を推測、想像できる層。

で、もう1つは、んなこたーどーでも、"なんとしてもラクしてトクしたい"層。

押しつけ、依存、泣き落とし、抗弁、遠慮や謙虚を装ってラクとトクを得る、こういった一派がいるんだってばさ。

金銭的にも、労力的にもただひたすら、どういう手段を使ってでもラクしたい。

自分がトクすることだけを選びたい。

myエリアにこういうのが棲息してると、たまったもんじゃねー被害を受けます。

でも、ここでたとえば、"あなたの日ごろの態度、考え方は、私にとって非常にストレスで、不快だ"、と、伝えたらいいんじゃないかって、考えないこともなかったんだけども、

今まで生きてきた経験からいえば、こーゆータイプの人種に対して、伝えて状況が好転するとは思えない。伝えれば、相手がハッと気づいて、今までごめんなさい、すぐ直します、

そうなるんじゃないかって期待すると、そーはイカの塩辛明太子なんでして、たいていの場合はもっとこじれるw

だって、そもそも論で言ってしまえば、相手からの苦言を真摯に受け止めて、その通りに自分の欠点を直すなんて、繊細で殊勝な神経の持ち主だったら、言うまで気づかないなんてことはない。ちゃんと自省して修正改善している。

それもできない相手だから、言ったら言ったでヘソを曲げられるか、言っても言わなくてもこのまんま、言ったら余計にめんどくさくなるか、つまり絶望的なことを言っちゃえば、こういうのと関わりを持ってしまうと、四面楚歌で八方塞がりで打つ手なし。

相手をどうにかなんとかするとか、コミュニケーションでなんとかとか、いっさい効果はないと言っていい。

だから、残された方法としては、自分の感じ方考え方を変えることで、「この状態にどう適応するか」。相手はどうやっても変えられないが、自分の位置はいくらでも変えられる。

目の前で起きている現象は、すべてが解釈によって成り立っている。出来事そのものに色彩はない。

だったら一度、自分の立っている場所を移動してみて、視点を変えれば、変わって見える。

相手に何も望まない、期待しないで、あくまでも自分が、どこに着地したら、自分らしく、尊厳を保っていられるか、その結論に自分で満足がいくか。

それをずっとずっと考え続けていた。

で、昨深夜に浮かんだ言葉は、寛 容。

お?寛容?なんか、ちょっと、キタ感じ?「寛 容」って、いいんじゃないか?

受け入れるか、拒否かの2択ではなく、寛容、というのは回答としてアリだ。

「受容」はできないし、したくない。私の感覚では、相手は100%間違っている。

それを受容できる善人にはなれない。だけど、寛容になろうとすることは、なんとなく、できるんじゃないか。

「受容」と「寛容」の違いを考えると、私の中では、受容ってどっか宗教的。

すべて無条件で肯定的に受け入れる。って、どういう次元に立った精神なのか、

いまだに体感、実感できたことはない。けど、「寛容」って、極私的だけど、

ムカついてていいんじゃないかって。

ムカつくところを肯定はできないが、精一杯、心を広く持とうとすること。

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世界大百科事典 第2版より

【寛容(かんよう)toleration】

寛容とは,広義には,自己の信条とは異なる他人の思想・信条や行動を許容し,また自己の思想や信条を外的な力を用いて強制しないことを意味する。

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私とこの人は違うんだ、ということ、間違っていると感じることは曲げず、でも、強制はしないよってスタンス。

相手を変えようとも、受け入れもせず、別にそのまんまでもいいんじゃない?

でも、あなたと私とは全く違うけどね。って、これいいんじゃないだろうか。

もう少し考えてみて、納得がいったら、自分の中心にセットすることにしよう。

相手がもし、万が一、これから今後、自分の過ち、人としてどうかって、気づく可能性や機会があるとすれば、これからもそのパターンを続けて、周囲からまったく人がいなくなった、誰からも相手にされなくなった、そのときじゃないかと思う。

そのときになって、自分が常に選んできたラクとトクは、誰かの犠牲の上に成り立っていて、自分がラクでトクであり続けたのは、信頼や友情と引き換えだったって、骨身にしみればいいんじゃないかと。

それまで黙ってみているつもりか、と言われると、はい、そうですね。それだけのことをされてましてん。私は非情だなあってつくづく思う。

相手に伝えて直させようとする方が、よっぽど愛情深くて人間味がある。

けど、わしゃ聖職者のたぐいじゃないし、やなものはやで、キライはキライで、ただそれを、外に出すか出さないか。今回は、出さない、抑制すること、制御することを選択したっていうね。

私の中では、これが正しい。あとは余談。

こういう対人的葛藤を抱えてみると、つくづく、福祉の世界の理想って、けっこう酷なこと要求してんだなー

・相手をあるがままに受け入れる

・相手の立場を思いやり寄り添う

・相手の話を共感して傾聴する

モトモトの関係が良好ならできるけど、こじれた相手ともやれるかっつうと、なかなかどうして、筆も折れかかるw

自分の強欲さに気が付かない相手に、寄り添うとか共感すんのは無理だよ。

いや、えーと、無理っつっちゃいけないんですけど、今の自分にはかなりの努力を要する、

実生活実践にはホド遠い体たらくw

自分自身のあり方、生き方について、態度や言動について、言葉を立てる、これはいい方式だと思ったあたりで、力尽きて、頓挫しておりますです。

ここまで進んだだけでよしとしよう…

マタニティハラスメントについては、所沢の育休退園なんかもからめて、来週以降も断続的に続いていきます。

受験生は、マタニティハラスメントに、関係する法制度を見ときましょーねー

ではまた。と、気づいたら金曜日ではないか~苦悩すると時間の経過が遅いのうw


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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