http://widetown.cocotte.jp/japan_den/japan_den180.htm 【大和魂】 より
大和撫子 3
■「大和撫子」とは
「大和撫子」は「やまとなでしこ」と読みます。まずはその詳しい意味や言葉の由来から紹介しましょう。
■日本女性を「撫子」の花に例え、称賛する表現
そもそも、「撫子(なでしこ)」は花の名前です。「大和撫子」の「大和(やまと)」は「日本」を意味する言葉で、多品種な撫子のうち、日本古来のものを区別するために「大和撫子」と称したのが始まりとされています。「撫子」という呼び名には、幼い子が撫でたくなるような花・思わず撫でてしまうほど可憐な花という由来があります。現代でも、花を指して「大和撫子」ということもありますが、一般には、撫子の花の美しさにならい、日本女性の美しさを褒めたたえる意味で使われる表現です。
■「大和撫子」は女性の奥ゆかしさ・内なる強さを意味する
日本では、古くから「男性を立てる女性」を称賛する風習が根強くありましたが、そうした一歩下がってついていくように控えめで奥ゆかしい女性を指して「大和撫子」言います。また、「大和撫子」は、単に奥ゆかしいだけでなく、しなやかな中にも芯の強さがうかがえるような女性という意味もあります。女性の強さをたたえるようなニュアンスも含まれているのです。
■「大和撫子」の使い方と例文
「大和撫子」という言葉の使い方を紹介します。使用例文と併せて参考にしてみてください。
■女性に対する褒め言葉として使われる
「大和撫子」という言葉は、女性に対する褒め言葉であることは先述した通りで、女性の特徴に言及する際に使います。たとえば、
彼女の上品な立ち居振る舞いはまさに「大和撫子」そのものだ
「大和撫子」とはきっと、彼女のように芯の強い女性をいうのだろう
「大和撫子」のイメージにぴったりな、おしとやかな女性が僕のタイプだ
といった表現が可能です。いずれも、女性をほめる文脈で使用しています。
■「大和撫子」のキャラクター、人物像の特徴は?
褒め言葉として使用される「大和撫子」とは、具体的にはどういった女性を指すのでしょう。「大和撫子」には以下のような特徴が挙げられます。
■態度・物腰などが穏やかな女性を指す
「大和撫子」と称される女性は、穏やかな女性を指す場合が多いのが特徴です。表情や物言いが柔らかく、優しく、品のあるふるまいをする女性を「大和撫子」と言います。遠慮がちであるなど、控えめな様子も特徴的です。ファッションやメイクも控えめで、清楚な装いの女性が「大和撫子」と呼ばれるタイプです。一方、派手な女性には「大和撫子」という言葉は使いません。
■外見の美しさも「大和撫子」の条件のひとつ
「撫子」の花の美しさを例えとした「大和撫子」は、外見の美しさも重要な要素です。外見の美しさや醸し出される上品な雰囲気から、「大和撫子」ということもよくあります。
■礼儀や教養も重要なポイント
「大和撫子」と呼ばれる女性は、礼儀や知識・教養が身についていることも一つの条件です。ただし、知識を備えていても、ひけらかしたり、上から目線で話したりする女性は「大和撫子」とは言えません。
■内なる強さを持つのも「大和撫子」の条件
先述したように、「大和撫子」は単に清楚でおしとやかというわけではありません。気丈で落ち着いた態度など、芯が強く、内に秘めた強さを持つのも「大和撫子」の大きな特徴です。
■「大和撫子」の類語
「大和撫子」はどういった言葉に言い換えられるのでしょう。似た意味の表現を紹介します。
■「美人」「清楚」などが「大和撫子」の類語
「大和撫子」の類語には、「美人」や「清楚」といった言葉が挙げられます。他にも、女性の美しさを褒める際に使用する「絶世の美女」なども、「大和撫子」の類語と言えるでしょう。
■「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」も類似表現
慣用表現としては、「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」が「大和撫子」と似た意味の表現としてよく挙げられます。ここでは、「芍薬(しゃくやく)」「牡丹(ぼたん)」は美しい花の代名詞として、「百合」は清楚なイメージの花として使用されていて、女性の姿や立ち居振る舞いを美しい花に例えた表現です。
■「大和撫子」の対義語
一方、「大和撫子」の対義語にはどういった言葉があるのでしょう。反対の意味の言葉を紹介します。
■「大和男児」が「大和撫子」の対義語
日本の美しい女性を表す「大和撫子」の対義語は、「大和男児」です。「大和男児(やまとだんじ)」とは、日本人らしい男性、いわゆる「日本男児」と呼ばれるような男性を意味します。使用シーンによって意味は多少異なりますが、元々は、国を守り家を守るために必要な忍耐力・精神力を備えた男性を指した表現です。一方、「大和撫子ではない女性」という意味では、「型破りな女性」などということもできます。「清楚」の対義語である「濃艶」を使い、「濃艶な女性」という表現も可能です。
■「益荒男」も対義語のひとつ
「大和撫子」と反対の意味を持つ言葉には、「益荒男」もあります。「益荒男(ますらお)」とは、堂々とした男性・強く立派な男性といった意味の言葉です。「益荒男」は「大和撫子」の対義語として紹介されることもありますが、厳密には、「手弱女(たおやめ:しなやかで優美な女性の意味)」が「益荒男」の対義語とされています。
■「大和撫子」は英語で何という?
日本女性を称賛する言葉として使用される「大和撫子」は、英語にするとどうなるのでしょう。「大和撫子」の英訳を紹介します。
■英語では「理想的な日本女性」と表現することも
「大和撫子」は英語で「Yamato Nadesiko」と表記することもありますが、「日本人らしい日本女性」という意味で「the ideal Japanese Woman」という表記も可能です。「ideal」とは、「理想的な」という意味の英単語で、直訳すると「理想的な日本女性」という意味です。なお、植物の「撫子」は、英語では「pink」となります。「ピンク色」と同じスペルです。あまり知られていませんが、豆知識として紹介しておきましょう。
■まとめ
「大和撫子」は、日本女性の持つ奥ゆかしさや内に秘める強さなど、日本女性らしい美しさをほめる意味の言葉です。単に「おしとやかな美人」という意味で使われることもあれば、芯の強さを褒めるニュアンスでも使われます。元々は「夫を支える女性像」のイメージが強い言葉ですが、時代の変化とともに、今後はさらにそのイメージも変化していくかもしれません。
■なでしこと大和撫子 4
サッカー女子日本代表がワールドカップ優勝の快挙を成し遂げ、「なでしこジャパン」の文字が各紙を席巻しました。「なでしこ」は「大和撫子(やまとなでしこ)」に由来するものと思われますが、「日本女性の清楚な美しさをほめていう語」(大辞林)のイメージと、時には激しくぶつかりあうサッカーという競技との落差に少し違和感を抱いた人もいたようです。
いかに優美と賞されるプレーであっても、そもそも足を使ってボールを蹴るスポーツというのは、古来の「大和なでしこ」とはかけ離れているようにも思えます。
「なでしこジャパン」は2004年アテネ五輪のときに一般公募で選ばれた愛称。「女子代表の持つひたむきさ、芯の強さにぴったり」という理由だそうです。
花の「ナデシコ」の語源はいくつか説がありますが、「花が小さく、色も愛すべきものであるところから、愛児に擬してナデシコ(撫子)といったもの」(日本国語大辞典)というのが代表的です。これだと、試合での「強さ」には結びつきそうもありません。
「はいからさんが通る」(大和和紀、1975~77)で、主人公・紅緒は、自転車を乗り回し、剣術の腕は並みの男を上回る、さらに酒乱というおよそ伝統的日本女性像とはかけ離れた大正時代の「女学生」です。もし女学校にサッカー部があれば入部していたかもしれません。そんな彼女が戦地に行った婚約者を待ちながら思うのは、「花嫁修業」をして「女らしくなるのだわ・・・・・・最高のやまとなでしこに」。ここでは、型破りな女性像の対極のものとして「やまとなでしこ」が使われています。
田中真紀子さんが外相になったときには、「根強い男性社会にあって、堂々と自分の信念を口にし、海外に対しても、日本女性イコール大和なでしこのイメージを打ち破ったところが、スカッと心地よく感じられる」という投書がありました(朝日新聞2001年5月27日大阪本社版声欄「真紀子さんはわれらの代表」)。
「サザエさんが受けている一番のポイントは、『男勝り』なところ。世間で求められる『大和なでしこ風』な女性像に反する部分に、読者や視聴者がこっけいさを感じる」(栗田真司・山梨大助教授〈肩書きは当時〉=朝日新聞2005年1月24日山梨版「『サザエさん』で男の生き方考える」)といったところが、一般的な「大和なでしこ」像だったのではないでしょうか。
「女子代表の躍進ぶりからして、『なでしこ』の呼び名も卒業の時かもしれない」という意見もあります(愛媛新聞7月11日「地軸 なでしこジャパン」)。
一方、「大和撫子という語には、単なる美しさだけでなく、凜とした強さが内包されていると理解していた」(やくみつるさん=毎日新聞7月16日夕刊「楚々と凜・・・よくぞ名付けた『なでしこジャパン』」という見方もあります。やくさんの引用する「新明解国語辞典」(三省堂)は「〔か弱いながらも、りりしい所が有るという意味で〕日本女性の美称」としています。
「可憐な花を咲かせるだけでなく、生命力が非常に強い」(産経新聞7月16日「男まさりの『なでしこ』たち」)、「花言葉には『純愛』のほかに『大胆』があるという」(東京新聞7月20日「『大胆』が呼んだ進化」)も、「なでしこ」には、強くて勇敢というもう一つのイメージがあるという説です。
なでしこジャパンの活躍によって、これまで隠れていた「強さ」のイメージが現れてきた、あるいは新しいイメージが付け加えられたのでしょうか。
「女性は成功により『女らしさ』を失うと恐れ、能力をセーブする傾向にあったが、最近は活躍することでこそりりしく、美しくなれるという考えから力を発揮しているのでは」(碓井真史・新潟青陵大大学院教授=産経新聞7月20日「希望を与えた日本の女子力」)という分析もあります。
監督像も昔とは変わっています。佐々木則夫監督は、おやじギャグで緊張を和ませるムードメーカーとされています。 「鬼の大松」こと大松博文監督率いる1964年東京五輪優勝の女子バレーチームや、マンガでは「エースをねらえ!」(山本鈴美香、73~80)のように、男性の監督・コーチに絶対の信頼をおいて従っていく姿とはずいぶん違います。
これは「女の子が人類のために戦うアニメ」(それ自体、きわめて現代的なものですが)の変容にも通じるものがあるかもしれません。「(90年代のヒット作)セーラームーンは男性に魅力を振りまいていたが、プリキュアは違う。女の子が主体となって戦い、問題解決していく姿が受けたのでは」(フェリス女学院大の高田明典さん=毎日新聞2010年5月25日「プリキュア人気の秘密」)と言われるように、子供たちの世界でも自立した女性の存在があたりまえになっている時代です。
1984年、小泉今日子が「ヤマトナデシコ七変化」と歌ったのは、変わりつつあったイメージを象徴しているのかもしれません。「大和撫子」は「ヤマトナデシコ」になり、「しとやかなふり」をしていても「ひと筋縄じゃいかない」女性として描かれています。
25年前の幼稚園時代、クラブの監督に「『サッカーは女のやるスポーツではない』と吐き捨てるように」言われて傷ついたと体験を語る女性がいます(朝日新聞7月18日声欄「『女がサッカー!?』と言われて」)。この時代とはもはや隔世の感があります。
しかし、まだ古来の「大和なでしこ」のイメージをどこかにひきずっていると思われる発言もあります。「勝利の笑顔がはじける彼女たちの素顔を見ると、古来の優美な花になぞらえたネーミングの素晴らしさをあらためて思う」(東京新聞7月19日「筆洗」)。NHKの解説者(男性)も、試合後のインタビューを見ながら「(表情が和らいで)なでしこらしい顔になった」という意味のことを言っていました。
果たして、人々の抱く「なでしこ」イメージはどうなっていくのでしょうか。もし、今後の試合で、勝利のために、ラフと思われるプレーをすることがあったら、「なでしこらしくない」と非難されたりするのでしょうか。ピッチの外で奔放な言動をする選手が現れたらどう言われるのでしょうか。
米国の女子サッカー事情を見てみると、人気自体はあまり高くありませんが、「米国が重んじる『男女平等』や『勤勉』を象徴するスポーツとして位置づけられた」(読売新聞7月19日「なでしこ 世界が称賛」)という文化的背景があるようです。1972年の教育修正法が「大学部活動などでの性差別を禁じ、女子サッカー部誕生のきっかけとなった」(同)、「男子だけを優遇することは認められないので、予算も同じようにつく」(朝日新聞7月18日「女子サッカー 米出身指導者に聞く違い」)というように、きちんと制度が整っています。「女性のスポーツ参加者は30年後、高校で40倍、大学で20倍に増えた」(毎日新聞7月25日「余録」)とのことです。
また、北欧のチームが強いことについては、「女性の社会参画度と比例している」との指摘もあります(ノンフィクションライターの木村元彦さん=東京新聞7月27日夕刊「環境と闘った『なでしこ』」)。ノルウェーのサッカー協会は、理事の8人中3人が女性で「常時女子サッカーのことを考えている」そうです。
「強いなでしこ」のイメージが日本で受け入れられたとしても、それを支えるシステムが整っていかなければ、さらなる発展への道はけわしくなります。
そんな一抹の不安を抱きつつ、選手たちが今後、ピッチの中でも外でも素晴らしい活躍することを祈っています。
0コメント