藤はふじ(不二?)・神の依り代

https://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0704_2.htm 【生きもの歳時記 万葉の生きものたち 藤(ふじ)】より

 マメ科フジ属に属する「つる性植物」で日本にはフジ(ノダフジ)とヤマフジが分布します。フジは本州・四国・九州に分布し、ヤマフジは本州の近畿以西・四国・九州に分布します。西日本には両方が普通に分布しますが、万葉の頃には両者を区別していなかったようです。両者の区別は意外に簡単で、フジのツルは右巻き、ヤマフジのツルは左巻きです。

 万葉集ではフジを詠んだ歌は26首あります。サクラの46首と比べても見劣りしない数です。万葉の人々にとって、フジはサクラと並んで春の息吹を感じる花として、なじみの深いものだったのでしょう。

我がやどの 時じき藤の めづらしく 今も見てしか 妹が笑ゑまひを

(大伴家持 万葉集 巻八 一六二七)

我が家の庭に咲いた、季節はずれの藤のようにめずらしく今も見たいですね、あなたの笑顔を。

 フジには現在、多くの園芸品種があり、我々の目を楽しませてくれますが、観賞用として植えられた歴史も古く、万葉集の当時から庭に植えて鑑賞していたようです。

 また、「色合い深く花ぶさ長く咲きたる藤の松にかかりたる」(枕草子)、「松に藤の咲きかかる」(源氏物語)、「松にかかる藤波」(平家物語)というように、松との組み合わせがフジの美しさを引き立てるとされていたようです。

大王おほきみの 塩焼く海人あまの 藤衣ふぢころも なれはすれども いやめづらしも

(作者不明 万葉集 巻十二 二九七一)

着慣れた藤衣のように古妻は少し強(こわ)いけれども良いものだ。

 フジはまた、そのしなやかさを利用して、繊維として利用されてきました。フジが繊維として利用されていたという記述は古事記にも見られます。樹皮をむき、灰汁で煮たものを裂いて、糸にしていたようです。その糸で織った衣は大変丈夫で、ノイバラの藪に入っても破れず、また水にも強いので江戸時代まで仕事着として用いられていました。また、藤衣は平安時代の貴族の間では喪服として利用されました。このように、衣類としては粗末なもの、忌むべきものとされてきました。

 一方で、フジは二面的な意味を持つ植物であり、花が垂れ下がった稲穂を連想させることから豊作を予兆する木として、非常に神聖なものと考えられていました。またフジの花は神を招く依代(よりしろ)であったともいわれています。神職であった中臣氏が、大化の改新後に藤原氏と名乗るのもフジの神聖性にちなむものであったようです。

 フジは文様や意匠として古くから用いられています。例えば京の三大祭りの1つである葵祭の牛車の飾りはフジですし、小袖の文様や陶器、蒔絵など様々な場所に用いられています。

 また、家紋としても藤のつく名字の家紋として、良く用いられています。例えば加藤性には下り藤・丸に下り藤・上り藤が多く、佐藤性には下り藤や丸に下り藤の家紋が良く用いられています。

藤波の 影なす海わたの 底清み 沈しづく石をも 玉とぞ我あが見る

(大伴家持 万葉集 巻十九 四一九九)

藤の花が影を映している海の底がすんでいるので底に沈んでいる石を私は真珠と思うほどです。

 万葉集ではフジは、単に藤とするよりも藤波として表現しているものが、フジを詠んだ26首のうち18首と圧倒的な数に及びます。春風のもと、ゆらゆらと揺れるフジを波になぞらえたものであるが、この句もそのうちの一種であり、藤波と掛けて藤の映る海を詠んだ所におもしろみを感じます。

 ところで、フジは木からぶら下がっている、いわゆる下り藤が普通ですが、上り藤と言えば何でしょう?答えはルピナスです。花茎がすっと立った姿は確かに上り藤そのものですね。

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