「置かれた場所で咲く」ということ

https://note.com/meihua87/n/ncbcb7c5af410  【「置かれた場所で咲く」ということ】より

「置かれた場所で咲き誇れ!」恩師に7年前に言われた言葉だ。

当時、まだ私は高校生で、受験も全て終わり、打ちひしがれていた。

周りからの期待に応えられなかった、と当時は感じていたが、実際は自分の納得の行く結果ではなかったからこそ、自分の行く宛を認められないでいた。

泣きながら受験結果の報告をした際、担任の先生はいい顔を一つもしなかった。そのことは今でも覚えているし、あれから一度も連絡をとっていない。

「その程度だったんだよ」かけられた言葉が、突き刺さっている。今でも、時折夢に見る。

思春期の私には、それまでにかけられたすべての言葉が自分の暗示になっていた。だからこそ、いまでも、この言葉が自分を苦しめることがある。

しかし、私を救い、前に向かうきっかけをくれる言葉を得たのも、その日である。

「置かれた場所に咲きなさい。」

この言葉は、広く知られる渡辺和子さんの名著のタイトルから来た言葉だ。

当時の自分は、まさにその状況だった。

私は望んでいない環境にこれから向かっていかなければならない、もっとできたはずだ、我慢したのに、なんでここに「置かれ」なければならないのか。

しかし先生はその場で私にこの本を引用し、説いたのだ。

置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。

人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと決心することができました。

渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』より

そして、冒頭の言葉「置かれた場所で、咲き誇れ」である。

私の名前がhanaということもあり、当時恩師にかけられた時、心で何か音がした気がした。

本当は、進学先を決定してしまうことが、嫌でしょうがなかった。私はこんなところで終わる人間じゃない、と思っていた。

そんな気持ちでいっぱいだった自分が、ここで咲いていこうじゃないか、と切り替えるのにさほど時間はかからなかった。

花又開好了、花はまたきれいに咲いた、のである。

置かれた場所で、咲けたとき、咲けなかったとき。

正直なことを言えば、大学時代、そして大学院時代は咲くこともできたし、咲けなかった時期もあった。

それでも、皆にこの6年間本当にすごかったね!と言われたことを考えれば、華々しい経歴を刻めたのかもしれない。

ただ、大学のサークル運営に躓いた時や、大学院の研究で血を吐きそうになり、不眠症になった時、精神的な胃炎にかかった時は、自分が置いた場所を悔いたし、自分が精神論で奮い立とうとすることが馬鹿らしくて仕方がなかった。

基本的に人間の中には、合理性の塊の自分が存在すると考えているが、マイナス思考にとりつかれた時の人間というものは、完全にその方向には頭が冴えている。

そして、その方向に、突き進んでいってしまう。

一方で楽観性の塊の部分がいるというのも事実で、「こんな言ってても、3ヶ月後には終わっている。どうせ最後は自分がなんとかできるんだ、これまでそう思えること、達成してきたよね?」と心の中で誰かが言う。

その2つがぶつかることで、人は葛藤することとなる。

今すぐ環境を変えろ!ということは簡単だが、あまりに無責任な行為、なのかもしれない。

結果的に「どうせやらないとまずい」という極限の決断の時期がやってきて、葛藤は終わりを告げることになる。

しかし、その葛藤は自分の納得の行くところで折り合いをつけてきたからこそ、私はこれまで(なんとなくであったとしても、程度の濃淡は様々だが)すべてのことを達成して生きてくることができた。

人間の人生はパズルのピースである。

もちろん、置かれた場所で咲けるときも、咲けないときもあるだろう。

それでも、その「咲けなかった」ときは、次の花が咲くための肥料になる。

環境の奴隷になってはいけない。

「私はこんなはずじゃなかった」

そう思うことはいつでも誰でも出来る。プライドの問題だ。

しかし、騒ぎ立てていても、どうにもならない。

活動を始めている人だっているだろう。それでも理性の波が打ち寄せる。

合理性の自己は「現在の環境を脱する事を考えない人間に、環境を脱することの論議をさせることはナンセンスだ」というだろう。

一方、楽観性の自己は「そんな事を言っても、置かれた環境で『生きていく』ことはできる。」というだろう。そしてその楽観性と合理性はいずれも現実逃避へと展開されていく。

つまり、環境からの逃亡と、環境で最も飼いならされた奴隷となる。換言するならば、自己の完全なる達成へ向けたハイリスクをとるか、完全なる自己喪失をとるか、ということだろう。

渡辺和子さんは、「環境の奴隷になってはいけない、環境の主人となれ」という言葉を残している。すなわち、「(置かれた)環境を変えることが出来るのもまた、自分自身である」ということだ。

楽観性と合理性はいずれも極端なん考えであるから、この環境の主人となる、ということが最も多くの人が選択する、あるいは納得させられることなのかもしれない。

しかし、何も考えずに、すぐ環境に適応し、環境の主人となろう、という結論に至るのではきっといつか自分が納得できずに壊れる時が来る。

マイナスな気持の時に、マイナスなことを聞けば、より心地が良い。

しかし、現状に猜疑心を持ち、個人が個人として最適解は何か、というところは一度絶対に直視しなければならない問題だ。

だからこそ、一度深く考え、納得するまで熟考をする必要があるのだろう。

希望を失わない。過去に立ち戻って考えることで自分が見えてくる。

私は、昨日、絶望していた。

将来を見据えるために、「置かれた場所で咲けない」とまで書いた。

それは、事実でもある。そして、直情的なものだ。

「若さ」ゆえに私はこの危機を自分が乗り越えなければならない、という驕りもあった。

もちろん会社に納得はいっていない。

それでも、環境の主人になろうとしたことが一瞬たりともなかったのではないか。ということに気付かされた。

それを思い起こしたのが、7年前の一件である。そして、賢者の言葉たちである。

なにより、私は自分自身で社会人の抱負として、「主体的に生きる」必要がある、と書いている。

自分で書いておいて、恥ずかしい限りだ。

感情に任せた絶望をすることは簡単だが、現在最も感情的な自分自身だけでなく、他者・社会・道徳、あるいは一般意思の合理性をも納得できる結論を、理性的に考えて持っていくことは、難度が上がる。

すぐ決断の出来る人はいるかもしれないが、思考力の速さと感情の決着を共に行うことができる人間であるかはわからない。

私は、感情に決着をつけることにした。

最も受け身な理由は、賃金、かもしれない。

しかし、このコロナ禍のもとで、新卒1年目、まだ勤務もしたことのない学生あがりの本の虫(しかも文系院卒!)を雇う企業なんてほとんどいないだろう。

さらには、私はビジネスを知るために社会に出てきたのであるから、過酷であっても社会から逸脱してはいけないのだ。

アウトサイダーが社会に入ることで生まれる反応を知りたかったし、だからこそ研究の世界にも、執筆の世界にも、そしてビジネスの世界にも、飛び込むのだ。

そして、飛び込んだ先に見えることを、誰かに見つけてもらえることを信じ、書き続けるのだ。

精神論で納得をいかせることに納得がいかない自分はまだ心のどこかにいるのかもしれないが、自分自身は、まだまだやれる。そのポテンシャルがある、とわかっている。

まずは、コロナと戦おう。そして、コロナに一言浴びせてやろうではないか。

「お前を許さない」と。

そして、いつか、全部を踏み台にしてでも大輪の花を咲かせてやる。と誓う。

hanaは、また、咲く準備を始める。

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