https://lifeskills.amebaownd.com/posts/9382240/ 【蓮のあれこれ・蓮の俳句】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/categories/ 【蓮】
https://wheatbaku.exblog.jp/11966160/ 【不忍池の蓮 (蓮① 江戸の花)】より
伊豆栄の向かい側の不忍池は蓮の葉が一杯でした。
そして紅の蓮の花がかなり咲いていました。
不忍池は、大昔は、上野台地と本郷台地にはさまれた入江でした。この入江がしだいに陸地となっていく中で、池として取り残されたものです。
寛永元年(1624年)、江戸幕府によって、西の比叡山延暦寺に対して、江戸城の鬼門にあたる上野に寛永寺が建立されました。
開祖である天海大僧正は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえて弁天島を築かせ、弁天堂を作りました。
当初は、弁天島までは橋がなく、文字通り船で渡る島でしたが、寛文12年(1672年)に東に向かって石橋が架けられ、歩いて渡れるようになりました。
不忍池の蓮は、江戸の観光名所であり、多くの書物に書かれています。
そのうちで代表的な「江戸名所図会」と「江戸名所花暦」の説明を紹介します。
なお、二つの書物に、紅白の蓮の花と書かれていますが、現在は、白色の蓮はなく、紅色の蓮だけになっています。
「江戸名所図会」に、次のように書かれています。
東叡山の西の麓にあり。江州(近江)琵琶湖に比す(不忍とは忍の岡に対しての名なり)。広さ方10丁ばかり、池水深うして旱魃(かんばつ)にも涸(か)るることなし。ことに蓮(はちす)多く、花の頃は紅白咲き乱れ、天女の宮居(みやい)はさながら蓮の上に湧出(ゆうしゅつ)するがごとく。その芬芳(ふんぽう よい香り)遠近の人の袂(たもと)を襲ふ
不忍池の蓮は、「江戸名所花暦」の中でも、取り上げられています。
東叡山の麓なり。見わたし3、4丁、長さ5、7丁ほど。源水(みなかみ)は谷中・千駄木の小川よりながれいづる。中じまに弁財天あり。江州(近江)竹生島をうつす。寛永(1624~1644)のころまでは離島(はなれじま)にて、参詣の通路なかりしといへり。今は通路ありて、しかも島の回(めぐ)りはみな貨食屋(りょうりや)なり。
名物 蓮めし ・田楽等を鬻(ひさ)ぐ。花盛りのころは、朝まだきより遊客(ゆうかく)、開花を見んとて賑はふ。
実に東雲(しののめ)のころは、匂ひことにかんばしく、また紅白の蓮花(れんげ)、朝日に映ずる光景(ありさま)、たとへんに物なし。
江戸名所花暦の中に書かれている通り、蓮飯(はすめし) が名物でした。蓮飯は、蓮葉飯(はすはめし)ともいい、 お米を蓮の葉で包み、それを蒸したもの。蒸し器に米を入れ、その上を蓮の葉で覆って蒸したもの。巻葉を細かく切って、湯通しして塩味をつけて、炊きたてのご飯にまぜるものなどいろいろな種類があったそうです。
https://wheatbaku.exblog.jp/11974337/ 【蓮の花 (蓮② 江戸の花)】 より
蓮の花は4日間しか咲いていないことをご存知ですか?
今日のメインはそのお話ですが、その前に蓮の語源と原産地について紹介します。
蓮の語源と原産地
蓮の名前の語源は、花の中心部にできる花托(果托 かたく)が特徴的で、その形状が蜂の巣に似ていることから、「はちす」 となり 「はす」 とよばれるようになったという説があります。
広辞苑では、「はす」は「はちすの略」としていて、「はちす」は「蓮の古名、蜂巣の意、花托の形が蜂の巣に似る」と書いてあり、この説をとっています。
写真の花の中心部が花托と呼ばれる部分です。蜂の巣に似ていますよね。
ところで、蓮の原産地については、多くの本がインドとしていますが、エジプト説、、中国説などあり、まだハッキリしていないそうです。
しかし、蓮は1億年前の太古の昔から存在していたそうで、その頃の化石が出土しているそうです。
1億年前とは、恐竜の絶滅が6500万年前と言われていますので、まだ恐竜が地球上にいた時代です。そんな昔から蓮が存在していたことに驚きました。日本でも、約7000万年前から1万年前の「蓮の化石」が各地で発見されているそうです。
蓮の花は4日間
蓮の花の蕾が水中から顔を出てから、20日ほどすると開花します。そして、蓮の花は開閉を3日間繰りかえして、4日目、花弁は全部散ってしまいます。
早朝5時から6時頃より開きはじめます。蕾の先が4~5cmほど開花すると、それ以上は開かず、8時ごろから閉じ始めやがて元の蕾の状態にもどります。
開花2日目
早朝7~8時頃までに開花します。この時の花が最も美しく、花の色が一番鮮やかです。花托も黄金色に輝き、おしべからの香りが最も強い時です。
花は少しずつ閉じて昼頃までには完全に元の蕾の状態にもどります。
夜中から咲きはじめ、8時頃までに完全に開き、花径が最大になります。花托のおしべは受粉して柱頭が黒くなります。開花が2日目か3日目の花かを見分けるには、柱頭を見れば分かります。花は昼頃から閉じはじめますが、半開のまま4日目を迎えます。3日目になると、紅蓮系統の品種はかなり退色します。
開花4日目
夜中より開きはじめ、7時頃までに完全に開ききり、早いものは9時頃より花弁が散りはじめます。午後には完全に散って、花托とおしべだけが残ります。
このように、姿、形、色は開花2日目が最も綺麗です。
また、蓮の花は早朝に咲きます。朝6~8時頃が最適です。午後は美しい姿はみることができません。
ですから、早起きして見に行くのがよいと思います。
4日間、花がどのように変化するのか古代蓮の里のHPの中の「蓮について」を見るとよくわかります。
https://wheatbaku.exblog.jp/11978584/ 【蓮の音と香り (蓮③ 江戸の花)】 より
今日は、蓮の花の開花音と香り が話題です。
蓮の音
蓮の花が咲く時に音がすると良く言われます。
正岡子規も次のように詠んでいます。
蓮開く 音聞く人か 朝まだき
しかし、本当に音がするかどうか、過去に議論になったようです。
昭和10年には、「観蓮節」を復活させようと集まった蓮博士大賀一郎、植物学者牧野富太郎、生物学者の三宅驥一たちが、不忍池で弁天堂前の石橋付近で実地検証した結果、「蓮の開花には発音は伴わない」としたそうです。
しかし、その後、『朝日新聞』紙上では論議が起きたようです。
今は、「花が咲くときに音がしない」または「音を聞いたことがない」というのが有力のようです。
日本に蓮文化研究会のホームページを見ると、「音はしません」と書いてあります。
しかし、日本人は、蓮の花が咲く時に音がするとしたいという雰囲気もあるようで、「虫の音の違いを聞き分け、風の音にも季節を感じてきた文化があります。『蓮の音』の真偽と騒動は、こうした情緒を背景にして、考えることもできます。」とも書いてあります。
蓮の香り
蓮の花が香りは多くの和歌や俳句に詠まれたり、小説に書かれています。
「不忍池の蓮」で紹介した「江戸名所図会」には「その芬芳(ふんぽう よい香り)遠近の人の袂(たもと)を襲ふ」と書かれています。
また、「江戸名所花暦」にも「東雲(しののめ)のころは、匂ひことにかんばしく」と佳い香りのことが書かれています。
松尾芭蕉は、 蓮の香に 目をかよはすや 面(めん)の鼻 という句があります。
与謝野蕪村には 蓮の香や 水をはなるる 茎2丁 という句があります。
また、芥川龍之介の短編「蜘蛛の糸」の書き出しは、次のようです。
或日のことでございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のやうにまつ白で、その真ん中にある金色の蕋(ずい)からは、なんとも言へない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居りました。
このように、多くの文学作品に、蓮の花から、好い匂いが出ることが書かれています。
蓮の花香りは、主におしべから出ているそうです。
そして、開花2日目の花が最も強い香りを発し、3日目にはほとんど匂わなくなるそうです。今度、蓮の花を見にいった時には、香りをよく嗅いでみたいと思います。
https://wheatbaku.exblog.jp/11979103/ 【古代蓮(行田蓮) (蓮④ 江戸の花)】より
埼玉県行田市の「古代蓮の里」 は、行田で発見された古代蓮(行田蓮) をメインとした東京ドーム約3個分の広さのある公園です。
ここでは、古代蓮をはじめ41種類の蓮が育てられています。従って、数多くの品種の蓮の花を見ることができます。
蓮の品種
蓮の花は、多くの品種があり、花弁の色、花径の大小、花弁の数によって分類するそうです。
花弁の色だけでも、 白蓮系統(花弁全体が白)、 紅蓮系統(花弁全体が紅)、
黄蓮系統(花弁全体が黄色)、 斑蓮系統(花弁に紫紅色の斑が入る)、
爪紅系統(花弁の先端や縁に紅色)、 黄紅蓮系統(淡い黄色の花弁の先端や縁に紅が入る)、 に分類しているそうです。
さらに、花径の大小、花弁の数で分類しますので、全体像はわかりませんが、在来種で150数種はあるそうです。
そのうちの41種類の蓮が「古代蓮の里」で栽培されています。
古代蓮
左の写真はすべて、正式には行田蓮と呼ばれる古代蓮ですが、次のような経緯があります。
昭和46年、行田市では、新しい焼却場施設を建設するための造成工事をはじめました。
その工事の掘削によってできた場所に水がたまって池となり、昭和48年に、池の水面に多くの丸い葉が浮いているのが発見されました。
そして、ついに7月13日、長い眠りから覚めた古代の蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。
行田市教育委員会から依頼をうけた埼玉大学の江森貫一元教授が、出土した縄文土器と、古代蓮として知られている大賀蓮の例を参考に、2500年から3000年前ころのものと推定しました。
さらに、蓮の研究家である神奈川県歯科大学の豊田清修教授が、日本アイソトープ協会に年代測定の調査を依頼しました。
協会の測定はおよそ1400年前のものという結果でした
考古学的には2500年から3000年前のものとされていることを考慮して、豊田教授は、古代蓮は、おおむね1400年から3000年前のもの と推定しています。
「古代蓮の里」のすばらしいことは、古代蓮の見事さです。そして、世界の蓮が41品種も身近でみられることです。
41品種の蓮は、花の咲く時期が種類によって異なりますので、同時期にすべての蓮がきれいに咲いている訳ではありませんが、多くの品種の蓮を見ることができます。
先日、見に行った際に、咲いていた主なものは大賀蓮、即非蓮、孫文蓮などですが、次回は、大賀蓮を紹介します。
https://wheatbaku.exblog.jp/11990558/ 【大賀蓮 (蓮⑤ 江戸の花)】より
今日、蓮の花と言えば、名前が必ず出てくるのが「大賀蓮」 です。「大賀蓮」 は蓮の花の代名詞と言ってもよいくらい有名です。
その「大賀蓮」が、行田の「古代蓮の里」にも植えられていました。
大賀蓮が発見された場所は、千葉県千葉市検見川にある東京大学検見川総合運動場です。
その場所は、当時、東京大学検見川厚生農場と呼ばれていました。
ここで、昭和26 (1951年)3月、植物学者大賀一郎博士は、地元の花園中学校の生徒たちと共に遺跡の発掘調査しました。
めぼしい成果もなく、明日が発掘作業の最終日という3月30日午後5時10分に、発掘を手伝っていた地元の花園中学の生徒西野真理子さんが、地下6mから古代のハスの種子を1粒発見しました。
さらに、1週間後2粒が発見され合計3粒の蓮の種子が見つかりました。
この種子 は、一緒に発見された丸木船などから、2000年以上地下で眠っていたことがわかりました。
この種子を5月6日に水につけたところ、5月9日に発芽をはじめ、翌年7月18日に美しいピンク色の花を咲かせたのです。
残りの2粒は枯れてしまいました。 まさに、成長したのはたった一粒だけだったのです。
このニュースは国内外に報道され、米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」として掲載され、全世界から注目されました。 蓮は大賀一郎博士の姓を採って「大賀蓮」と命名されました。
そして、昭和29年には、千葉市の天然記念物に指定され、「千葉市の花」 にもなっています
さらに、大賀蓮は、日本各地をはじめ、世界各国へ根分けされ、友好親善を深めています。
大賀蓮は、約2000年前の古代の蓮が、時間を超えて蘇ったことで、当時、世界の話題になったとともに、現代でもロマンを呼び起こすものとして、多くの人に記憶されているのではないでしょうか
https://wheatbaku.exblog.jp/11991388/ 【即非蓮 (蓮⑥ 江戸の花)】 より
今日も、「古代蓮の里」にある蓮の花を紹介します。
即非蓮(そくひれん)
即非は隠元の高弟で、隠元に招かれて来日し、長崎崇福寺の中興開山となり、黄檗山萬福寺で、隠元をたすけ、さらに小倉藩主の小笠原忠真の依頼で福聚寺(ふくじゅじ)を開創しました。そして 遂に故国に帰ることなく、日本に骨を埋めました。
即非が伝えた蓮が即非蓮です。
即非蓮は、小型、一重の紅色で、花弁はやや尖っています。
王子蓮(おうじばす)
1960年に訪米中の皇太子(現在の天皇陛下)夫妻に依頼し導入されたアメリカ蓮です。アメリカ蓮は、大正年間に一時導入されましたが絶えてしまい、日本では黄色の蓮はみられませんでした。
王子蓮とは、皇太子夫妻の導入によるものとの意味が込められています。
花色は淡黄色ですがややクリーム色を呈し、花弁は大きい。
一天四海(いってんしかい)
花色はやや黄色味のある白色の緑に紫紅色の不規則な帯状の紋が入る斑蓮。
花弁の表と裏では紋の形が異なっています。
一天四海とは、全世界を意味する「一天四海妙法に帰す」という仏典の言葉に由来します。
岡山藩主池田光政が好んだ品種で、「大名蓮」とも呼ばれています。
原始蓮(げんしばす)
大阪府下に育成していた地蓮系統の小型の蓮
花色は濃いピンクで退色が早く花弁基部近くは白くなり条線は鮮明です。
大賀一郎博士が原始的な蓮として命名しました。
大阪府の天然記念物に1970年に指定されています。
酔妃蓮(すいひれん)
<孫文蓮>
大正7年、中日友好のため孫文が蓮の実4粒を日本の財界人に贈り、その蓮の実を大賀一郎博士が発芽育成したものです。
第1日目の開花が白地にピンクで2日目よりピンクが退色し、花弁の先端だけがほのかなピンクになります。それが、あたかも妃が酔っているようであることから、この名がつけられました。
このように蓮の花を並べてみると、いろいろな蓮があると改めて感じます。
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