俳句のレトリック ③

https://tsukinami.exblog.jp/30382264/ 【俳句のレトリック(5)】 より

  五 レトリックと作意

 ここまでとりあげてきた、俳句のレトリック(修辞法)をまとめてみよう。

(a) 意味のレトリック

 ①直喩 ②メタファー(隠喩・暗喩) ③擬人法 ④共感覚法

(b) 形状のレトリック

 ⑤対句法(対比) ⑥リフレイン(反復法) ⑦倒置法 ⑧オノマトペ(擬態・擬音語) ⑨押韻(頭韻・脚韻) ⑩省略法(切れ)

(c) 構成のレトリック

 ⑪本歌取り ⑫取合せ

 十二の区分は先人の識見に従った。瑣末的にやるならば、もっと多くの技法をとりあげることは可能だろう。喩えをとっても、換喩だの提喩だの細分化できる。和歌を参考にするならば、枕詞、掛詞、縁語といった修辞を活用する手法もある。誇張表現だの、近景から遠景への視点移動だの、あれこれ修辞法と呼べなくもない。

  炬燵出て歩いてゆけば嵐山  波多野爽波

  倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 友岡子郷

  猛ける日の猛ける心に桜満つ 今井 豊

  島唄のとほざかりゆく天の川 中岡毅雄

 本稿で、むやみにレトリック優先を推奨したかったわけではない。技法に執着して「作意」のあらわな句を詠んでしまっては本末転倒である。

 芭蕉の門人であった土芳が『三冊子』の「赤さうし」の中で、「風雅の誠を勤むる」心得として、次のような文章を記している。大正・昭和期の歌人・俳人たちが「実相観入」による「物我一如の境地」などと呼んで、尊重した教えである。

 松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと、師の詞の有りしも、私意をはなれよといふ事也。この習へといふ所をおのがままにとりて、終に習はざる也。習へと云ふは、物に入りてその微の顕はれて情感ずるや、句となる所也。たとへ物あらはに云ひ出でても、そのものより自然に出づる情にあらざれば、物と我二ツになりて、その情誠にいたらず。私意のなす作意也。

 芭蕉は「私意のなす作意」すなわち先入観や自分勝手な考えにとらわれた、たくらみを戒めている。

 夏目漱石が英国留学前の三十歳ごろ熊本五高で英語教師をしていたとき、自宅に押しかけて来た教え子の寅彦から「俳句とはいったいどんなものですか」と問われて、こう答えている。

 俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。

 扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。

 物理学者の寺田寅彦が昭和七年に発表した随想『夏目漱石先生の追憶』に、右のエピソードが出てくる。先駆的な映画論や俳諧論を展開した寅彦は、映画のモンタージュ(組立て)技法と俳諧との親和性を指摘し、山口誓子らの俳人に大きな影響を与えた。近代俳句におけるレトリック論の嚆矢といえようか。

 子規の後継者、高濱虚子の言葉も紹介しておきたい。岸本尚毅著『生き方としての俳句』の中に、俳句の措辞(言葉の使い方)に関する、こんな指摘が出ている。

 虚子は選句について「措辞の上からは最も厳密に検討する」と言いました(『玉藻』昭和二十七年十一月号)。虚子は思想や材料よりも措辞を重視しました。

 この虚子の「玉藻」誌上談話は、選句に関する雑感として、岩波文庫版『俳句への道』に収録されている。対象物を的確に表現するためにどのような言葉遣い、すなわち措辞さらには修辞法を用いればよいかという点に、実作者でもある虚子がたえず腐心していた事実を示していよう。

 同じ談話の中で、彼はこうも語っている。

 より俳句らしいものを選ぶうえで、憎悪するべき思想を採らない、比較的単純な材料を採る。斬新であろうとして怪異なものを棄て、陳腐であっても一点の新し味があれば採る。

 「単純な材料」で「一点の新し味」という言い回しは、客観写生の如き指導語を発信した虚子らしい。その上での措辞、修辞法なのである。

 レトリックが、作者の意図、感動を正しく読者に伝え、共感を得るための説得術であることをいま一度意識してよいとおもう。秀句を真似ることも、己れの型を持つことも大切である。そのさい作句と鑑賞の両面で、レトリックは真に豊かな俳句を生み、育ててくれるはずである。

(了)

 (俳誌「いぶき」2021年2月発行、季刊第11号掲載)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000