山頭火の日記 ㊲

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946468673&owner_id=7184021&org_id=1946499927 【山頭火の日記(昭和10年4月21日~)】より

四月二十一日 晴、そとをあるけば初夏を感じる。

昨日は朝寝、今朝は早起、それもよし、あれもよし、私の境涯では「物みなよろし」でなければならないから(なかなか実際はさうでもないけれど)。常に死を前に――否、いつも死が前にゐる! この一ヶ年の間に私はたしかに十年ほど老いた、それは必ずしも白髪が多くなり歯が抜けた事実ばかりではない。しづかなるかな、あたたかなるかな。午後、歩いて山口へ行つた、帰途は湯田で一浴してバス、バスは嫌だが温泉はほんたうにうれしい、あふれこぼれる熱い湯にひたつてゐると、生きてゐるよろこびを感じる。晩酌一本、うまいうまい、明日の米はないのに。私はまさしく転換した、転換したといふよりも常態に復したといふべきであらう、正身心を持して不動の生活に入ることが出来たのである。

 ふるつくふうふうわたしはなぐさまない(ナ)

 ふるつくふうふうお月さんがのぼつた

 ふるつくふうふとないてゐる

    (ふるつくはその鳴声をあらはすふくろうの方言)

 照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき

 てふてふもつれつつ草から空へ(ナ)

【いつも死が前にゐる】

この日の日記に、「否、いつも死が前にゐる! この一ヶ年の間に私はたしかに十年ほど老いた」とあります。山頭火の句に「そこに月を死のまへにおく」があります。このころ、しきりに死を思うようになりました。この世の一切から離れて、ほんとうの孤独に入り込んで、死を待つ人の心が、この句にこもって読む人の心を打ちます。

四月廿三日 もちなほして晴。

秋穂のお大師めぐりがしたいのだけれど銭が足りないので、また湯田温泉へ行つた。もう初夏らしい風である、歩けばすこし暑いが、しづかにをれば申分のない季節である。うれしいものは毎日うけとるたよりである、今朝は山形から珍らしいかき餅を貰つた、ありがたいことである。ほどよい疲労とうまい晩酌と、そしてこころよい睡眠。

   湯田競馬、追加一句

 勝つてまぶしく空へ呼吸してゐる

 誰も来てはくれないほほけたんぽぽ

 爆音はとほくかすんで飛行機

 ふるさとの学校のからたちの花

 ここに舫うておしめを干して初夏の風

 晴れて帆柱の小さな鯉のぼり

 暮れてなほ何かたたく音が、雨がちかい

 ひとりたがやせばうたふなり(ナ)

【誰も来てはくれないほほけたんぽぽ】

この日の日記に、「誰も来てはくれないほほけたんぽぽ」の句があります。また山頭火の句に、「ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ」があります。きわめて小さな現象の変化の中に、人間の生き死にの姿を見ないわけにはいかない山頭火です。

【ふるさとの学校のからたちの花】

また、「ふるさとの学校のからたちの花」の句もあります。山口県防府市東松崎町の松崎小学校の正門前に、この句碑があります。山頭火は明治22年にこの松崎小学校に入学し、6年間をここで学んでいます。当時は。小学校の周囲を「からたち」の生垣に囲まれていました。40年以上を経て、54歳になったこの日、山頭火はこの句を詠みました。久しぶりに母校を訪ねたようです。その時、学校の回りを、昔のようにからたちの白い花が咲き誇っていたにちがいありません。初老の心は、からたちの花と共に少年時代に飛んでいます。

五月一日

ああ五月と微笑したい。朝、九州の旅先の澄太君から来電、一時の汽車に迎へて共に帰庵、半日愉快に飲んだり話したりした、ほんたうに久しぶりだつた。折から大村さんがお祭の御馳走を持つてきて下さつた、うれしかつた。そして六時の汽車に送つて、理髪して入浴して散歩して、そしてさみしく戻つて寝た。やつぱりひとりはさみしい。

 こころ澄めば月草のほのかにひらく

 てふてふとまる花がある

 空へ若竹のなやみなし

 酔ひざめの水のうまさがあふれる青葉

 うしろすがたにネオンサインの更けてあかるく

【空へ若竹のなやみなし】

この日の日記に、「空へ若竹のなやみなし」の句があります。山口市鋳銭司岡の長戸喜久男宅前庭に、この句碑があります。また、山口市小郡上郷の文化資料館には、この句と「草は咲くかままのてふてふ」の句碑があります。山頭火は、一つ場所に留まることがなかなかできず、それは単に落ち着いて生業に励むということができませんでした。そんな山頭火にとって、まだ竹の子から飛び出したばかりの若竹が空へ突き抜けんとするような雄壮で純粋な姿は、なんと眩く映ります。まるで、何の悩みもなかった自分の子供時代(母が自殺するまででもあろうか)が眼前に再現されたことに、戸惑いながらも何か懐かしくも嬉しかったと思われます。山頭火は、若竹の伸び行くさま、それを囲む新緑のそよぎに目をいこわせ、いつまでも見ていても飽きなかったことでしょう。そして、人間にあっても、若者だけが持つのびやかさ、その憂いのなさを羨んだかもしれません。

【ひとりはさみしい】

また日記では、「やつぱりひとりはさみしい」と言っています。山頭火の句に「やつぱりひとりがよろしい雑草」「やつぱり一人はさみしい枯草」があります。ある時は、ひとりであることの、たとえようのない寂しさに身を置き、ある時はひとりであることの平安さに、心を寛げるのです、

五月廿六日 晴。

身心やや安静。思ひ立つて、起き上つて、掃除、洗濯、等々。樹明君が来てくれた、敬君脱線のことなど話してゐると、思ひがけなく黎々火君が来た、三人で一杯やる、友はうれしいな酒はうまいな。黎君帰る、つづいて樹君も帰る、私は袈裟を持ち出して、さらに飲んだ。やりきれないのである、飲んでもやりきれないけれど、酒でも飲まずにはゐられないのである、そしてとうたう宿屋に泊つた。

 山から山へ送電塔がもりあがるみどり

 山の青さをたたへて水は澄みきつて

 日ざかり萱の穂のひかれば

 のぼつたりさがつたり夕蜘蛛は一すぢの糸を

 酔ひざめの闇にして螢さまよふ

   衣更

 ほころびを縫ふ糸のもつれること

【ほころびを縫ふ糸のもつれること】

この日の日記に、「さらに飲んだ。やりきれないのである、飲んでもやりきれないけれど、酒でも飲まずにはゐられないのである」とあり、酒好きの山頭火がいます。また、「ほころびを縫ふ糸のもつれること」の句があります。別に山頭火の句に、「しみじみ生かされてゐることがほころび縫ふとき」があります。ひとりであることは、しみじみとはさせますが、心の重荷というほどのものではなくなっています。

六月二日

午前は山をあるく、山川草木そのままでみなよろし。午後は来書の通りに樹明君来庵、酒と魚とを持参して、そしてほどよく酔うて話して寝て、こころよくさよなら、めでたしめでたし。自己観照、自己批判。無理のない生活、さういふ生活の根源は素直な心である。簡素、質実、感謝、充足、安心。

 ゆふべしたしくゆらぎつつ咲く(月草)

 おみやげは酒とさかなとそして蝿(樹明君に)

 何を求める風の中ゆく

 若葉あかるい窓をひらいてほどよい食慾

 青葉のむかうからうたうてくるは酒屋さん

 風ふく竹ゆらぐ窓の明暗

 風の夜の更けてゆく私も虫もぢつとして

【何を求める風の中ゆく】

この日の日記に、「何を求める風の中ゆく」の句があります。しばらく住まいに落ち着いたかと思うと、また旅へ出ていく山頭火。歩きながら、自分は「何を求めて」生きているのだろうとふと思うのです。それは煩悩を全て捨て去ることなのか、それとも「自分とは何か」を理解することなのか、いやいやそれらとも違うような、でもこの旅には何かの理由があるはずです。何を求めて風の中を行こうとするのか、自分自身はっきりしてはいないようです。しかし、理由は分からぬまま、やはりどこというあてもなく歩きつづけなければなりません。きっと歩いていった先に見えてくるものを求めて、ここに歩き続ける山頭火がいます。

六月五日 曇。

旧の端午、追憶の鯉幟吹流しがへんぽんとして泳いでゐる。今日も近郊散歩。

 風がいちめんの雑草が合唱する

 つかれて風の雑草の雨となつた

 逢へるゆふべの水にそうてまがれば影

 あざみの花に日のさせばてふてふ

 狛犬の二つの表情を撫でる

 おもひでが風をおよぐ真鯉緋鯉が(故郷端午)

【逢へるゆふべの水にそうてまがれば影】

この日の日記に、「逢へるゆふべの水にそうてまがれば影」の句があります。また山頭火の句に、「水にそうていちにちだまつてゆく」があります。山頭火は、多感に生きざるを得ない状況に身を置き、それを自ら背負って生き抜いていきます。

七月十八日 半晴半曇。

身辺整理、――掃除、洗濯、佃煮、等、等。天地一切おだやかな風光。――蝉、きりぎりす、蛙、小鳥、草、木、雲、蝶、蟻、そして私。酒はとうていやめられないとすれば、節酒して、そして生きてゆくより外ない私である。くよくよするな、すなほにおほらかに、けちけちするな。しづかな一歩、たしかな一歩、あせらずたゆまず一歩一歩、その一歩が私の生死であり、私の生活である。

   井手君に

 待ちきれないでそこらまで夕焼ける空

 柱いつぽんをのぼりつくだりつ蟻のまいにち

 ひるねの夢をよこぎつて青とかげのうつくしさ(松)

   改作

 ひとりとんでは赤蛙(松)

   改作

 暮れるとやもりが障子に恋のたはむれ

【ひとりとんでは赤蛙】

この日の日記に、「ひとりとんでは赤蛙」の句があります。また山頭火の句に、「飛んでいつぴき赤蛙」があります。旅を急いでいて、ふと目に留まった赤い影。よく見れば赤蛙でした。これは、孤独の旅をひたすらつづける山頭火の生涯を、凝集して表現しているかのように思えます。

七月二十五日 快晴、土用日和。

かんかん照りつけるので稲が喜んでゐる、百姓が喜んでゐる、私も喜んでゐる、みんな喜んでゐる。今日も酒があつた、茄子があつた、トマトがあつた、私にはありがたすぎるありがたさである。茶の本(岡倉天心)を読みかへした、片々たる小冊子だけれど内容豊富で、教へられることが極めて多い本である。即興詩人(森鴎外訳)も面白い、クラシツクのよさが、アンデルゼンのよさが、鴎外のよさが私を興奮せしめる。私は空想家だ、いや妄想家だと思つたことである、今日にはじまつたことではないが。遠く蜩が鳴いた、うれしかつた、油虫が私を神経衰弱にする、憎らしい。また徹夜してしまつた、心臓が痛くなつて、このまま死ぬるのではないかと思ふたが、大したことはなかつた、そして私の覚悟は十分でない、私といふ人間は出来てゐないことを考へさせられた。……人生――生死――運命或は宿命について思索しつづけたが、今の私にはまだ解決がない! 午後、四時四十分の上りで佐野へ。――故郷の故郷、肉縁の肉縁、そこによいところもあればよくないところもある、いはばあたたかいおもさ! 山家の御馳走になる、故郷の蚊といへば何だか皮肉だけれど、それも御馳走の一つだらう。酔うて管を巻く、安易な気持だ。

   悼(厳父を失へる白雲兄に)

 ゆふ風の夏草のそよぐさへ

   (父を死なせた友に) 山頭火合掌

 ゆふべすずしくうたふは警察署のラヂオ

 炎天の蓑虫は死んでゐた

 蛙よわたしも寝ないで考へてゐる

 いつまで生きる竹の子を竹に(改作)

 炎天、変電所の鉄骨ががつちり直角形(改作)

 さういふ時代もあるにはあつた蝉とる児のぬきあしさしあし

 暑さきはまり蝉澄みわたる一人

 ゆふべはよみがへる葉に水をやる

 山はゆふなぎの街は陽のさす方へ

 炎天まつしぐらにパンクした(自動車)

   逸郎君に

 百合を桔梗に活けかへて待つ朝風

 ちつともねむれなかつた朝月のとがりやう

 夜あけの風のひえびえとして月草ひらく

【蛙よわたしも寝ないで考へてゐる】

この日の日記に、「蛙よわたしも寝ないで考へてゐる」の句があります。また山頭火の句に、「飛んでいつぴき赤蛙」「蛙になりきつて跳ぶ」「一匹とんで赤蛙」などがあります。そこには、一つの生き方に執着し、徹しきってとにもかくにも貫いた一人の男の姿があります。自然界の小さな生き物に過ぎないという点で、人間も蛙も同じではないか、と山頭火は考えたのではないでしょうか。さらに、次の山頭火の随筆『草と虫とそして』があります。

「いつからともなく、どこからともなく、秋が来た。ことしは秋も早足で来たらしい。昼はつくつくぼうし、夜はがちゃがちゃがうるさいほど鳴き立てていたが、それらもいつか遠ざかって、このごろはこおろぎの世界である。こおろぎの歌に松虫が調子をあわせる。百舌鳥の声、五位鷺の声、或る日は万歳万歳のさけびが聞える。夜になると、どこかのラジオがきれぎれに響く。柿の葉が秋の葉らしく色づいて落ちる。実も落ちる。その音があたりのしずかさをさらにしずかにする。蚊が、蠅がとても鋭くなった。声も立てないで触れるとすぐ螫(さ)す藪蚊、蠅は殆んどいないけれども、街へ出かけるときっと二三匹ついてくる。たまたま誰か来てくれると、意識しないお土産として連れてくる。彼等は蠅たたきを知っている。打とうとする手を感じていちはやく逃げる。いのち短かい虫、死を前にして一生懸命なのだ。無理もないと思う。季節のうつりかわりに敏感なのは、植物では草、動物では虫、人間では独り者、旅人、貧乏人である(この点も、私は草や虫みたいな存在だ!)。蝗は群をなして飛びかい、田圃路は通れないほどの賑やかさである。これにひきかえて赤蛙はあくまで孤独だ。草から草へおどろくほど高く跳ぶ。

  一匹とんで赤蛙 」

八月十日 第二誕生日、回光返照。

生死一如、自然と自我との融合。……私はとうとう卒倒した、幸か不幸か、雨がふつてゐたので雨にうたれて、自然的に意識を回復したが、縁から転がり落ちて雑草の中へうつ伏せになつてゐた、顔も手も足も擦り剥いだ、さすが不死身に近い私も数日間動けなかつた、水ばかり飲んで、自業自得を痛感しつつ生死の境を彷徨した。……これは知友に与へた報告書の一節である。正しくいへば、卒倒でなくして自殺未遂であつた。私はSへの手紙、Kへの手紙の中にウソを書いた、許してくれ、なんぼ私でも自殺する前に、不義理な借金の一部分だけなりとも私自身で清算したいから、よろしく送金を頼む、とは書きえなかつたのである。とにかく生も死もなくなつた、多量過ぎたカルモチンに酔つぱらつて、私は無意識裡にあばれつつ、それを吐きだしたのである。

断崖に衝きあたつた私だつた、そして手を撒して絶後に蘇つた私だつた。

    死に直面して

    「死をうたふ」と題して前書を附し、第二日曜へ寄稿。

 死んでしまへば、雑草雨ふる

 死ぬる薬を掌に、かがやく青葉

 死がせまつてくる炎天

 死をまへにして涼しい風

 風鈴の鳴るさへ死はしのびよる

 ふと死の誘惑が星がまたたく

 死のすがたのまざまざ見えて天の川

 傷が癒えゆく秋めいた風となつて吹く

 おもひおくことはないゆふべ芋の葉ひらひら

 草によこたはる胸ふかく何か巣くうて鳴くやうな

 雨にうたれてよみがへつたか人も草も

【自殺未遂】

この日の日記に、「卒倒でなくして自殺未遂であつた」とあります。そして、「とにかく生も死もなくなつた、多量過ぎたカルモチンに酔つぱらつて、私は無意識裡にあばれつつ、それを吐きだしたのである」とあります。また、「死んでしまへば、雑草雨ふる」「死をまへにして涼しい風」「傷が癒えゆく秋めいた風となつて吹く」「おもひおくことはないゆふべ芋の葉ひらひら」などの句があります。さらに、「風鈴の鳴るさへ死はしのびよる」の句は、死をむしろ望んで、静かに、その力にまかせようとする山頭火の姿がそこにあります。山頭火は庵住が長引くにつれて、しだいに心の停滞に悩み、庵住の三年後、8月6日54歳で自殺未遂をもしています。

【おもひおくことはないゆふべ芋の葉ひらひら】

また、「おもひおくことはないゆふべ芋の葉ひらひら」の句もあります。思えば、もう、自分には、思いおくことが何もなくなった。身の回りの整理も、とうに終え、みずから死を求めたことに悔いはない。死が来るということは、永遠の休息がくるということではないのか。山頭火はそう思っています。

八月十五日 晴、涼しい、新秋来だ。

徹夜また徹夜、やうやくにして身辺整理をはじめることができた。五十四才にして五十四年の非を知る。憔悴枯槁せる自己を観る。遠く蜩が鳴く。風が吹く、蒼茫として暮れる。くつわ虫が鳴きだした。胸が切ない(肺炎の時は痛かつた)、狭心症の発作であるさうな、そして心臓痲痺の前兆でもあるさうな(私は脳溢血を欣求してゐるが、事実はなかなか皮肉である)。灯すものはなくなつたが、月があかるい。

   徹夜不眠

 ほつと夜明けの風鈴が鳴りだした

 ずつと青葉の暮れかかる街の灯ともる

 遠く人のこひしうて夜蝉の鳴く

 踊大鼓も澄んでくる月のまんまるな

 月のあかるさがうらもおもてもきりぎりす

 月あかりが日のいろに蝉やきりぎりすや

   米田雄郎氏に、病中一句

 一章読んでは腹(おなか)に伏せる「青天人」の感触

【踊大鼓も澄んでくる月のまんまるな】

この日の日記に、「踊大鼓も澄んでくる月のまんまるな」の句があります。また山頭火の句に、「をりをり顔みせる月のまんまる」があります。ひとり住まいに帰っても、迎えてくれる者はいない。今夜は、月とともに歩き、月とともに家に入る。それが、山頭火の心を和ませます。


https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946499927&owner_id=7184021&org_id=1946529215 【山頭火の日記(昭和10年8月21日~)】より

八月廿一日 晴。

初秋の朝の風光はとても快適だ、身心がひきしまるやうだ。どうやら私の生活も一転した、自分ながら転身一路のあざやかさに感じてゐる、したがつて句境も一転しなければならない、天地一枚、自他一如の純真が表現されなければならない。此頃すこし堅くなりすぎてゐるやうだ、もつとゆつたりしなければなるまい、悠然として酒を味ひつつ山水を観る、といつたやうな気持でありたい。生を楽しむ、それは尊い態度だ、酒も旅も釣も、そして句作もすべてが生の歓喜であれ。友よ、山よ、酒よ、水よ、とよびかけずにゐられない私。八月十日の卒倒菩薩は私から過去の暗影を払拭してくれた、さびしがり、臆病、はにかみ、焦燥、後悔、取越苦労、等々からきれいさつぱりと私を解放してくれた。……

 餓えてきた蚊がとまるより殺された

 草にすわつて二人したしく煙管から煙管へ

 ずうつと電信棒が青田風

 ぼんやりしてそこらから秋めいた風(眼鏡を失うて)

 すすき穂にでて悲しい日がまたちかづく

 ゆう潮がここまでたたへてはぶ草の花

 つきあたれば秋めく海でたたへてゐる

   旅中

 こんやはここで、星がちかちかまたたきだした

 寝ころぶや知らない土地のゆふべの草

 旅は暮れいそぐ電信棒のつくつくぼうし

 おわかれの入日の赤いこと

【餓えてきた蚊がとまるより殺された】

この日の日記に、「餓えてきた蚊がとまるより殺された」の句があります。また山頭火の句に、「空腹(すきばら)を蚊にくはれてゐる」があります。ひとりの老年に近い男が、腹をすかして蚊にくわれている様子。それは、けっして見ようものではありません。みすぼらしく、みじめです。しかし、この句を詠んで、むしろ図太さといっていいものを感じるのは、どういうことでしょうか。

九月五日 雨――晴れてゆく。

東の空が白むのを待ちかねて起きる。今日は大山さんが来てくれる日。浴衣一枚では肌寒く、手がいつしか火鉢へいつてゐる。待つ身はつらいな、立つたり坐つたり、そこらまで出て見たり、……正午のサイレンが鳴つた、すこしいらいらしてゐるところへ、酒屋さんが酒と酢とを持つてきた、そして間もなく大山君が、家嶋さんがにこにこ顔をあらはした、……五ヶ月ぶりだけれど、何だか遠く離れてゐたやうだつた。……豆腐はいつものやうに大山さんみづからさげてきたけれど、実は其中庵裡無一物、米も醤油も味噌も茶も何もかも無くなつてゐることをぶちまける(大山さんなればこそである)、大山さん身軽に立ちあがつてまた街へ出かける、そして米と醤油とシヨウガと瓜と茄子と海苔とを買つてきてくれた、さつそくさかもりがはじまる、うまいうまい、ありがたいありがたい(家嶋さんは最初だから、多少呆れてゐるやうだつた)、酒はある、下物もある、話は話しても話しても尽きない、友情がその酒のやうにからだにしみわたり、室いつぱいにただよふ、まつたく幸福だ。料理は文字通りの精進だつた、そしてとてもおいしかつた。雑草の中へ筵をしいて、二人寝ころんだところを家嶋さんがパチンとカメラにおさめた。家嶋さんからは、竹の葉の茶のことを教へてもらつた(笹茶と名づけたらよいと思ふ)。間もなく夕暮となる、そこらまで見送る、わかれはやつぱりかなしい、わかれてかへるさびしさ。かへつて、ざつとかたづけて、御飯を炊いて、また一本つけて、ひとりしみじみ人生を味ふ、そしてぐつすりとねむつた。大山さん心づくしの一瓶、それは醗酵させない葡萄液である、滋養豊富、元気回復の妙薬ださうである、この一瓶で山頭火はよみがへるだらうことに間違はない、日々好日だけれど、今日は好日の好日だつた、合掌。もう一項附記して置きたいことがある、庵としての御馳走は何もなかつたが、雑草を見て貰つたこと、一鉢千家飯を食べて貰つたことは、私としてまことにうれしいことであつたのである。

   黎々火君に

 月へ、縞萱の穂の伸びやう

   澄太君に

 待ちきれない雑草へあかるい雨

 伸びあがつて露草咲いてゐる待つてゐる

 そこまで送る夕焼ける空の晴れる

 あんたがちようど岩国あたりの虫を聴きつつ寝る

   改作

 秋風の、水音の、石をみがく(丘)

 機関庫のしづもれば昼虫のなく

 これが山いちじくのつぶらなる実をもいではたべ(門)

 風ふく草の、鳴きつのる虫の、名は知らない

 つくつくぼうしいらだだしいゆふべのサイレン

 厄日あとさきの物みなうごく朝風

【秋風の、水音の、石をみがく】

この日の日記に、「秋風の、水音の、石をみがく」の句があります。秋風、水音、石。そのどれもが、くりかえし山頭火の心をひいて離さなかった自然の贈り物であり、それらに共通するものは、清澄な透徹した感覚です。

九月十五日 晴、まこと天高し。

身辺整理、整理しても、整理しても整理しつくせないものがある。待つともなく待つてゐたコクトオ詩抄が岔水居からやつて来た、キング九月号を連れて。午後は近郊散策。このあたりはすべてお祭である、家々人々それぞれにふさはしい御馳走をこしらへて食べあふ、うれしいではないか。ゆふべ何となくさびしいので街へ出かけた、山田屋でコツプ酒二杯二十銭、見切屋で古典二冊二十銭、酒は安くないが、本はあまりに安かつた。コツプ酒のおかげで、帰庵すると直ぐ極楽へ行くやうに熟睡に落ちたが、覚めて胃がよくないのは是非もない、やめておくれよコツプ酒――と、どこやらで呟く声が聞えるやうだつた。病んでもクヨクヨしない、貧乏してもケチケチしない、さういふ境涯に私は入りたいのだ。

 食べるものはあるトマト畑のトマトが赤い

 水のゆたかにうごめくもののかげ

 空の青さが樹の青さへ石地蔵尊

 秋晴れのみのむしが道のまんなかに

   市井事をうたふ

 彼氏花を持ち彼女も持つ曼珠沙華

 秋の夜ふけて処女をなくした顔がうたふ(改作)

 なんと大きな腹がアスフアルトの暑さ

【整理しつくせないものがある】

この日の日記に、「身辺整理、整理しても、整理しても整理しつくせないものがある」とあります。また続いて「それが私のなげきなやみとなるのだ、整理せよ、整理せよ」とあります。

九月廿五日 曇、雨、晴。

ありがたや朝酒がある(昨日のおあまり)。ほろ酔の眼に、咲きこぼれた萩が殊にうつくしい。買物いろいろ――米(これは借)、石油十銭、餅十銭、魚十銭。やうやくにして晴れた空を仰ぎ、身心のおとろへを覚えた、これでは行乞の旅も覚束ない。夕方、Nさんといふ青年来訪、しばらく漫談した、いつぞや酔中F喫茶店で出逢つた人である。寝苦しかつた、妙な夢を見た。

 花のこぼるる萩をおこしてやる

 野分あしたどこかで家を建てる音

 からりと晴れて韮の花にもてふてふ

 歩けるだけ歩く水音の遠く近く

 燃えつくしたるこころさびしく曼珠沙華

【燃えつくしたるこころさびしく曼珠沙華】

この日の日記に、「燃えつくしたるこころさびしく曼珠沙華」の句があります。また山頭火の句に、「いつまでいきる曼珠沙華咲きだした」があります。花がやがてしぼみ、散るように、自分もやがて死ぬだろう。死の予感を、人は孤独であるほど感じないではいません。

十月二日 曇、とうとう雨。

近所の人が来て、草を刈らせてくれといふ、それほどぼうぼうたる草だつた。雨になつたので、釣はやめにして読書。昨日のおあまりを飲む、新菊はおいしいな。

 うなりつつ大きな蜂がきてもひつそり

 ひなた散りそめし葉の二三枚

 酔ひのさめゆく蕎麦の花しろし

 柿一つ、たつた一つがまつかに熟れた

 柿の葉のおちるすがたのうれしい朝夕

 かまきりがすいつちよが月の寝床まで

【かまきりがすいつちよが月の寝床まで】

この日の日記に、「かまきりがすいつちよが月の寝床まで」の句があります。また山頭火の句に、「寝床まで月を入れ寝るとする」があります。

十月四日 秋晴。

めづらしくも朝寝、寝床へ日がさしこむまで。天地一枚といふ感じ、ほんたうに好い季節である。私にだけ層雲が来ない、何となく淋しい。昨夜の今朝で、こころうつろのやうな。佐野の妹を訪ねようかとも思つたが、着物の質受が出来ないので果さない、床屋で気分をさつぱりさせて貰ふ。菜葉一把三銭也、新漬として毎朝の食膳をゆたかにしてくれる。暮れるころ、樹明君来庵、お土産は酒と魚と、そして原稿紙。愉快に談笑して十時頃にさよならさよなら。私がいつものやうに飲めなくて気の毒だつた、御飯を食べてゐたから。松茸ちりが食べたいな、焼松茸は昨夜たくさん食べたけれど。――

   (伊ヱ遂に開戦)

 秋空たかく号外を読みあげては走る

 日向あたたかくもう死ぬる蝿となり

 朝風の柿の葉のおちるかげ

 月夜のみみずみんな逃げてしまつた(釣餌)

 いま汲んできた水にもう柿落葉

 燃えつくしたる曼珠沙華さみしく(改作)

【日向あたたかくもう死ぬる蝿となり】

この日の日記に、「日向あたたかくもう死ぬる蝿となり」の句があります。山頭火は、蝿をしばしば句の素材としてとらえています。「蝿が歩いてゐる蝿捕紙のふちを」の句は、思えばほとんどまったく自分の姿、あるいは、すべての人間の姿ではないか、と山頭火は見ています。また、「秋もをはりの蝿となりはひあるく」の句では、山頭火は秋の終わりの蝿に自分の老醜の姿を見ています。さらに、「まだ生きて蝿であつてはひあるく」の句は昭和14年の作で、山頭火はこのとき57歳を迎え、その死を2年後にひかえ、「はひあるく」蝿となった自分を見つめてこう詠っています。

十二月六日

旅に出た、どこへ、ゆきたい方へ、ゆけるところまで。旅人山頭火、死場所をさがしつつ私は行く! 逃避行の外の何物でもない。

【死場所を求めて】

この日の日記に、「旅人山頭火、死場所をさがしつつ私は行く」とあります。山頭火は、庵中独坐に堪えかね精神的な停滞を抜け出すため、前年の信州の旅に続いて、死場所を求めてこの日(昭和10年12月6日)から翌11年7月22日まで約8ヶ月に及び、良寛や西行、一茶、芭蕉の跡を辿る東上の大旅行に出ます。旅の経路は日記に依ると、其中庵を出て、岡山・奈良・倉敷・山陽道から北九州へと歩き、神戸・大阪・京都・奈良・伊賀上野・伊勢・津島(愛知県)・名古屋・鎌倉・東京・甲府~信州・長野・長岡・鶴岡・仙台・平泉・酒田・福井永平寺・大阪、そして小郡に帰庵しています。山頭火の句集『草木塔』に、「昭和十年十二月六日、庵中独坐に堪へかねて旅立つ」の前書きがあり、「水に雲かげもおちつかせないものがある」の句があります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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