無常観と古典

https://ameblo.jp/yoruno-mimizuku/entry-11411029496.html  【古典の何が面白いのか理解できない!!~「おくのほそ道」の魅力を、中高生にどう伝えますか?】 より

中学3年の国語では、松尾芭蕉の「おくのほそ道」を勉強します。

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。……

冒頭の何行かを暗記させられた中学生も多いことでしょう。

当然、「おくのほそ道」は定期テストでも出題されます。

テスト直前の中学生は必死で勉強しますが、彼らの多くはウンザリした顔をして嘆きます

古典の何が面白いのか理解できない!!

↑には、古典が読みにくいことと暗記が多いこととに対する怒りが含まれています。

ただ、そうした怒りを差し引いても、中学生にとって古典の読解が苦痛なのは確かです。

中学・高校で学ぶ古典の多くは仏教的無常観をベースにした作品です。

「平家物語」「おくのほそ道」「徒然草」……いずれの作品も、無常観を理解できなければ

「面白くない!!」となるのは当然の成り行きでしょう。

そして、大抵の中高生は無常観なんて知らないんですね

【無常観】

世の全てのものは移り変わり、いつまでも同じものはないという思想。

これをスッと受け入れられる中高生は稀です。

そりゃそうでしょう。生命の危機に脅かされることも無く、欲しいものは何でも手に入り、

享楽に満ち溢れた平和な現代日本において、「自分や、自分の生きている世界がいずれ滅びる」な~んて、子ども達は考えるわけないですよ(笑)

子どもたちの感性がおかしい(幼い)のではなく、現代日本が無常観とは無縁な社会になっただけ……そうした現状を踏まえたとき、中高生に「無常観とは…」と語っても、

そうそう受け入れられるものじゃないですよね(*´Д`)=з

では、中高生にどう古典の魅力を伝えるか?

作者の人間的側面にもっと注目し、指導者が自身の体験と重ね合わせながら古典の魅力を語るのがベストなんじゃないですかね?

たとえば、「おくのほそ道」の↓の部分。

そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず、……

この部分は定期テストでも問題になりやすい部分で、「旅に出たい」という松尾芭蕉の強い思いを表しています。

「そぞろ神」というのは、人の心を誘惑し、落ち着かせなくする神のこと。

「道祖神」は、道行く人の安全を守る、いわば旅の神様石碑

そうした神々に誘われていると感じるのは、芭蕉が旅に心奪われていることの証です。

芭蕉のこの気持ち、実は最近、僕も味わったんですよ~

あれは数ヶ月前のこと……僕は、某IT会社に勤めていて、とある現場に常駐していました。

当時、精神的に参っていたこともあり、空に飛び立つ飛行機を窓から眺めながら、

(飛行機が見える現場で働いていました)

嗚呼……あの飛行機に乗って、どこかに旅立ちたい……ずっと旅立ちを妄想していました。

そんな悶々とした思いが募る日々、僕は猛烈に「おくのほそ道」を読みたくなりました。

手許にあった「おくのほそ道」の原文……僕は、それを読みふけりました

旅立ちたいという今の僕と同じ思いを、松尾芭蕉も昔、痛切に感じていたんだなぁ……

「おくのほそ道」のページを繰りながら、松尾芭蕉にしみじみと共感してしまったんですね(笑)

結局、どこかに旅立つことはありませんでしたが、「個人家庭教師への道を歩む」という、

人生における壮大な旅の第一歩を踏み出すことになりました!

こういう自分自身の体験を生徒に語って聞かせると、「え~ 先生の気持ちなんて分からないですよ~」と言いながらも、生徒は目を輝かせてくれます

身近な人の体験談と古典がリンクする瞬間、生徒の中にちょっとだけ古典への興味が芽生えます

「無常観とは……」と小難しい話をするよりも、「自分も同じ体験(思い)をしたんだよ……」と語った方が、生徒も指導者も古典を楽しめると思います


コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000