一指李承憲@ILCHIjp
呼吸瞑想をするのは、体の中のエネルギーを回し、呼吸を調節して、私と自分自身を正確に合わせるためです。多くの情報の中で少しでも油断すると、情報に振り回され流されてしまいます。そんなときに呼吸瞑想をすると心の軸をもつことができます。呼吸瞑想で情報の主になり、完全な自分になりましょう。
Facebook・清水 友邦さんさん投稿記事 ·
呼吸に意識を向けます。
呼吸について考えるのではなくていまこの瞬間に起きている呼吸の感覚に注意を向けます。
今起きていることに注意を向けているといつのまにかわきあがってくる記憶や考えにひたっている事に気がつきます。
頭の中はいつも現在にいることよりも過去や未来のことを考えているのです。
その時には今と言うこの瞬間を取り逃がしているのです。
そのことに気がついたらいまここにもどります。
鼻から息が出たり入ったりしている感覚を出来る限り感じます。
自分の呼吸が浅くとも呼吸を操作しようとしないであるがままの呼吸に任せます。
気づきを保ったまま呼吸を見守ります。
いま起きていることに注意を払っていると呼吸の感覚が生じては消えていることがわかります。
それに言葉をつけないで沈黙して見守ります。そこにあるのはあるがままの体験です。
不安や恐れがあったり孤独を感じたりしても 同化して深刻になったり おいやろうとしません。思考を働かせてなんとかしようとしますが 今この瞬間に注意を向けて見守ります。
いまここにいて起こることにまかせます。
何が見えても何を感じても何がやってきてもそれに対してオープンでいますあるがままに受け入れます。
何が起きても生じるがままにしておきます。
思考がどのように生じているのか感覚がどのように生じているのか不安や心配がどのように生じているのか操作する事なく干渉することなく見守ります。
考えた瞬間泡のように思考が現れては消えています。
感覚が生じては消えています。
川の流れに浮かぶ泡のように全ての出来事は現れては消えています。
気づきという無限の広がりの中で現れて消えています。
沈黙の中で体験が起きては消えています。すべては過ぎ去ります。すべては変化しています。絶え間なく現れては消える流れがあるだけで思考する私はどこにもいません。
すべての現象に実体がなく自分がどこにもいないことに気がついたとき
本当の自分に出会います。
Facebook・Ayuka Mizoguchi さん投稿記事
自分や人生や世界がどんな状態であれ、絶対大丈夫な場所へのご招待♪
当たり前の中に隠されている真実、それは自己は存在していないということ。
https://ayukablog.wordpress.com/2021/03/07/%e5%bd%93%e3%81%9f%e3%82%8a%e5%89%8d%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%ab%e3%81%82%e3%82%8b%e7%9c%9f%e5%ae%9f%e2%99%aa/?fbclid=IwAR3zN--m_JFA7ukDBqGL9NodUPDq3a5pRo3JUUcJ3cXxKLuQx1Yt4vEX4I4 【当たり前の中にある真実♪】 より
さぁ、またブログを再開していきます♪
これからのブログは本を書くような気持ちで書いていこうかなぁと思っています。ので、連載を読むみたいな気分で読んで頂ければと思います。(*^^*)
ということで、あなたが求めているものは何でしょう?夢を実現させること?平凡な幸せ?自分らしくあること?手に入っていないものを得ること?病気が治ること?家族が幸せでいること?
私がブログでお連れしたい場所は、これらがどれも手に入らなくても大丈夫な場所です。(笑)もちろん夢に向けて歩むことは素晴らしいし、それをあきらめる必要はぜんぜんありません。でも、もし夢が叶っていないから、または人生が自分の思うようになっていなくて悲しいと感じていたら、それでも大丈夫だよ〜と言いたいのです。
自分や人生がどんな状態でも、私たちには平和な場所、愛を感じられる世界があるからです。絶望の向こうにある真実という究極に平和な場所♪ このブログはそんな場所へのご招待です。
そのためには、非常に矛盾する道をご提案させてください。どんなふうに矛盾しているか?というと、この場所にたどり着くために2つの同時のことをやって行きたいのです。一つは、自分を深くきちんと見つめること、もう一つは自分は存在しないことをきちんと知ること、です。
そう、自分を徹底的に見つめるんだけど、同時に自分が存在しないことも見ていく。そんな矛盾した旅です。
私のブログの読者さんは、非二元に興味がある方、深く探求している方も多いでしょう。ので、自己の不在(私はいない)は馴染みがある概念かもしれません。(概念ではないですが)。もし馴染みがない方も個の自分という幻想を超えた真実に興味があれば、ぜひお付き合いください。
ということで、今後このブログは癒やしと非二元の話しが交互になって行く予定です。
さて、何一つうまくいかなくても、何も手に入らなくても、平和で満ちた世界を知るために、持っていたいコツをちょっと書いてみます。
◎当たり前を疑う
真実を探す・・・、悟る・・・、というとある特定の瞑想や修行をする、またはヒーリング、波動を上げるマントラを唱えるなどなどいろいろやることで今とは違う状態に到達する、という考えがあるかもしれません。
しかし、実際は探さなくても良いし、到達しなくても良く、単純にあまりに当たり前過ぎて見過ごしている中に真実は見いだされます。ですが、私たちは真実はここにはなくて、どこかにあるのだと探しに出かけてしまいますね。
もちろん、これらは悪いことではないというか、これらの試みも役に立つに違いありません。ただ、必ず抑えておきたいポイントは、真実は当たり前の中にあるということです。
ということで、最も当たり前な感覚、“私がいる”という感覚をまず疑ってみたいのです。
では、これを疑って見るためのコツがまたさらにあります。それは、
◎事実と解釈を分けること
私たちが生きる上での大いなる勘違いは、解釈を事実だと思ってしまっていることです。私たちの多くが思考に頼って生きているため、思考による解釈、分析、レッテル、知識によって加工されたものが事実だと思ってしまうんですね。
この事実と解釈の混乱はあまりに私たちの中に深く入りすぎ、その区別がつく人はほとんどいません。というか、ほぼ100%に近い人が自分の解釈の中を生きています。
でも、この事実と解釈を混乱するところに苦しみがあり、ほんとうに求めているものを無意識に避けたり、自分に制限をかけたり、不要な恐れに閉じこもったりしてしまいます。
とはいえ、解釈を事実だと思い込んでしまう理由があり、それはある意味避けられないことです。ただ、その理由を解体していくことはできるんです。解体したときに、あぁ、事実じゃなかったのだと自分の夢から目覚めるんですね。
また私たちは、事実にレッテルを貼って会話しやすくすることもします。例えば、「学校」を例にとってみると、学校はレッテルですね。事実は「建物があって、その中に子どもたちがいて、勉強をしている」です。それを会話しやすいように「学校」というレッテルを貼っている(名前をつけている)んです。
そろそろ、何を当たり前の話を・・・と思い始めてきたでしょうか? だとしたら、コツの1を思い出してみてください。あまりに当たり前の中に真実がある。ということで、これは非常に重要なところなんです。
振り返って、“私がいる”。「私」は事実として存在するのでしょうか?それとも“私”は、“学校”のようにレッテルでしょうか?
「私」の構成要素は、思い、感情、体ですね。自分をよく見てみてください。自分を構成している要素で他に何かあるでしょうか?または、どれか一つが欠けても自分が成り立つでしょうか?
自分をどれだけ見つめても、実際にあるのは、思い、感情、体(感覚)だけはなずです。それを「私」としているんです。う〜ん、やっぱり当たり前に聞こえる?いえいえ、私たちは普段、自分はそれらの所有者だと思っているはずです。私の思い、私の体・・というように。思い、感情、体のほかに「私」がいると思っているはずです。
そんな当たり前を疑ってみたいのです。
なぜなら、それが真実への入り口だから♪
そして、そこから見える風景は私たちの世界観の真逆の世界♪
あなたが思っているあなたは、夢の中のあなたです。そこから目覚めていくこと。そのためには、夢の中の自分をよ〜く見つめてみること。
あなたは絶対大丈夫♪
https://ayukablog.wordpress.com/2016/08/28/%e8%87%aa%e5%b7%b1%e5%82%ac%e7%9c%a0%e3%81%8b%e3%82%89%e7%9b%ae%e8%a6%9a%e3%82%81%e3%82%8b%e2%99%aa/ 【自己催眠から目覚める♪】 より
例えば、人が「お金がない」というとき、たいていそれは事実だと思っていますよね。
でも、それは解釈ですね。
(インテグレイテッド心理学講座を受けてくださった皆さん、復習で~す♪)
銀行の残高が1万円だったとして、それを「お金がない」と解釈する人もいれば、「お金がある」と解釈する人もいるでしょう。状況や年齢によって解釈は違ってきますね、
同様に、預金が10万円あった場合、それをまた、「お金がない」と解釈する人もいれば、「お金がある」と解釈する人もいるでしょう。
かつてイギリスで税理士の日本人の友人が、“イギリスのお年寄りは、預金が3000ポンド(約50万円)で老後が充分だと思っているのよ”と聞いたとき、日本と違うなぁとつくづく思ったものです。
とにかく事実とは、“銀行口座に◎◎◎円あります。”ですね。
それ以外はすべて解釈です。
今日は別にお金の話をしたいわけではないので、違う例で先に進めます。
例えば、ある人が上司に“今日のプレゼンは少し分かりにくかった”と言われたとします。
で、ある人は「私は上司に認められていない」と解釈し、ある人は「上司の好みのやり方じゃなかったから、そういうふうに見えたんだ」と解釈するかもしれません。
事実は、上司は“今日のプレゼンは少し分かりにくかった”と言った、です。
で、それ以外はすべて解釈です。
なんで、こんなことをくどくど書いているかというと、ほとんどの人が自分の解釈を事実だと思いこんで悩んでいるからです。
で、事実ではなく、解釈をベースに現実を変えようとか、楽になろうとかしている人が多く、また、カウンセリングでもクライアントさんの話を鵜呑みにしているカウンセラーも非常に多いです。
で、この解釈を別の言葉で言えば、「投影」ですね。字幕と言っても良いでしょう。
上司が“今日のプレゼンは少し分かりにくかった”というセリフを言っている画面の下に、「自分は上司に認められていない」という字幕が走っているわけです。
また、思考が現実を創る系にはまっていたら、「認められない」という現実を私は作っていると思ってしまうかもしれません。
でも、「認められない」という現実を作っているのではなく、「認められない」という解釈をしているんです。
ここを混乱している人は非常に多いです。
極端な話、「私はあなたの仕事を認めない」と上司が言ったとしても、やっぱりそれをどう解釈するかです。上司は性格悪いなぁと解釈すれば、自分の問題というより、上司の性格の問題になりますね。
念のため、解釈であって事実ではないから、そう感じてはいけないとかそんな話をしたいわけではもちろんありません。
さて、百歩譲って自分の解釈を事実だと思い込んだまま、ワークをしたとします。
つまり、上司に認められるようになりたい!ということで、自分の思いやビリーフを変えようと頑張ったとしますね。
すると、自分の中に自分を認めない思いがたくさんあるのが分かり、それを解放して、「私は私を認める」とか、「私は認められる価値がある」と本気で思えるようになったとします。
そうすると、その人の言動が変わりますから、上司のその人の見方も変わるかもしれません。または、上司がまったく変わらなかったとしても、上司の言動が違うように感じられてくるでしょう。
いずれにしても、その人の“経験”は変わりますね。
で、じゃぁ、結局同じところへ行くのだから、解釈を事実だと思い込んでいても良いじゃないか~と思うかもしれません。
でも、ここからが重要なところ♪ うぎゃ、たくさんありすぎて記事を分けたほうが良いかも~と思いつつ、書いてしまおう。
一つは、思いを変えれば良いんじゃないか~と思いのレベルだけでワークをしていると、ほとんどハートがスルーされてしまいます。意識が思考ばかりに行き、ハートが示す、本質(=愛)、知恵がおざなりになってしまうんです。
思考は形にこだわるので、お金が入ったとか、認められたとか、形の幸せが幸せだと思いこんでいます。でも、この幸せは状況が変わったり、うまくいかないことがあると、あっと言う間に不幸感満載になる短命な幸せです。
また、解釈を事実だと信じている場合、それはかなり深い夢の中です。自己催眠状態です。
私たちは、分離した個人がいるという壮大な夢の中にいますね。そのなかでも、自分は夢を見ていると気づいている人たちもいます。
でも、それに気づかず、自分が見ているものが現実だと信じている人が世の中は大半でしょう。ですが、そのなかでも、自分は思い込み(ビリーフや解釈)で世界を見ているかもと気づいている人たちもいます。
しかし、自分の思い込み(解釈)が現実そのものだと信じている人のほうが、やはり圧倒的に多いですね。
で、最後のパターンが一番深い夢であって、一番苦しむ場所です。
最も深い夢、最も苦しい夢は、完全に主観的な思い込みを全力で信じ込んでしまっているときです。(傍目から見るとかわいい女の子が、自分は醜いと思い込んで拒食症になってしまったりなど)
ちょっと最後に詰め込みすぎたかもしれません。
とりあえずものごとは、本当はものすごくシンプルで中立♪
Facebook・あまね 泉美さん投稿記事
「ありがとう」のシャボン玉瞑想~手で作って鼻から飛ばす~
お仕事で左右の脳みそをバランスよく使っていますか?左脳優位で、マニュアルや教科書に沿った物事の進め方がどんどんはかどる時もあれば、全く新しい何かを自ら発想したり、気づきやヒントを得て、創造性を発揮し行動していくことが求められる時もありますよね。
現代人の多くが左脳優位になりがちな環境で生きているそうです。
「引き寄せ」ブームからは、よく「夢を叶えたいなら、鮮明なイメージ力が重要」とか
「望むことだけにフォーカスする」など聞いたことがある方が多いと思います。
そういった右脳の感覚も引き出しつつ、左右の脳みそをバランスよく使うのに良い訓練として、「氣感をつかむ」ことをやってみませんか?
ふだん刺激を受け取っている五感覚からちょっと離れて「氣」に集中する時間をとると、
右脳が活性化されるだけでなく、身体の疲れがとれたり、緊張や不安などの気持ちさえも
スッキリさせてくれたりします。その「氣」に、イメージをのせてみます。
今ある環境や人・モノへの「ありがとうの気持ち」をのせて、シャボン玉にして呼吸と一緒に飛ばしてみませんか?とっても心地よいですよ★
↓↓↓↓↓
●肩の力を抜いて、背筋を楽に椅子に腰かけたりあぐらの姿勢をとります。(あごを軽く引くと姿勢がよくなります)
●指先から手のひら全体を刺激します。お好きな方法で↓
・少し強く拍手を10回
・指先同士をタップ
・左右の手のひら同士をこすり合わせる
●5センチほど離したところで左右の手のひらを向かい合わせてみるとなんだかじわっと温かい感覚や、磁石のような感覚が生まれます。
●目を閉じてその「氣のボール」で遊んでみてください。まわしてみたり、こねてみたり、
伸ばしたり縮めたり…
●そのボールをシャボン玉にして、鼻から吸って…鼻から吐く呼吸とともに「ありがとう~」を注入します※普段からお世話になっている人の顔などを思い描くのも良いですね
そのシャボン玉は…手からそっと解き放ちます。
口角を上げて、好きな数だけシャボン玉を飛ばしてみてください。
※目は閉じていますが、目線は上に遠くまであがるのを見届ける感じです
「ありがとう」のシャボン玉は自分にも送ることができます。
いつもがんばってくれている自分の体にも。意識的に「氣」を取り入れ右脳を鍛えていくと、、やる気も充実してアイディアも湧いてきそうですね꒰* ॢꈍ◡ꈍ ॢ꒱.*˚‧
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