芭蕉が求めたもの

https://france1pen.exblog.jp/28524386/ 【「奥の細道」「露地口と露地」「狭い門と細い道」? 】より

〔1〕風雅の誠(まこと)を求める『奥の細道』

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」の序文で始る『奥の細道』の旅は、西行500回忌1689年(元禄2)松尾芭蕉と門人河合曾良が江戸を発って、下野、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前、近江までの600里(2400Km)の旅でした。  

「みちのく」という辺境の地への旅で、芭蕉は多くの自然の美しさに出合い俳諧の真髄を求めました。

 この旅で芭蕉は、「不易流行」ということを深く知るようになったのです。

「不易」とは、宇宙・大自然は変化「流行」しながらも、それを超越して不変である、ということです。

「流行」は、宇宙・大自然が、その時々に応じて変化していく有様をいいます。

 しかし、「不易」と「流行」は、対立するものではなく、大自然はたえず変化(流行)しながらも不変(不易)であると、考える自然観であるといえます。

 俳諧では、真に「流行」を得れば自ずから「不易」を生じ、また、真に「不易」に徹すれば、そのまま「流行」を生ずる、といわれています。

 芭蕉は、「奥の細道」の旅で「風雅の誠」を求めています。

「風雅の誠」とは自我意識を捨て大自然と一体になった「永遠不変の境地」のことをいいます。それは「不易流行」の根底にあって、それを生み出すものです。

そして、「風雅の誠」は、蕉風俳諧の根本理念になっています。                                           

ところで平家物語では、「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」と「無常」と「常なるもの」は別のものです。しかし、芭蕉では「諸行無常」は「流行」です。無常でない「常なるもの」は「不易」です。

 俳諧においては「不易」と「流行」の根本は一つであり、芭蕉はそれを「風雅の誠」と呼んでいます。

古来わが国では、「大自然 = 神々」という考え方があります。これが芭蕉においては、大自然と一体になった「永遠不変の境地」(風雅の誠)となっています。これは俳諧に生きる者が求める「究極の境地」です。

 それはまた「大自然 = 神々と一体になった」という、心の深奥の願いであったといえるではないでしょうか。                       *

〔2〕露地口 と 露地から 茶室の「和・敬・清・寂」                         

「露地」という細い道を通って、「にじり口」という狭い戸口から入る「茶室」とは、どのような処でしょうか。

 千利休の茶室で現存する唯一の妙喜庵待庵は、二畳敷という最小の茶室です。この小さな茶室空間は、数寄が凝らされて複雑になっていますが、この数寄屋風の小間は「宇宙自然の縮小としての茶室」です。たとえ小さな草庵であっても、そこでは宇宙自然の広がりが象徴されています。

茶道の祖村田珠光が、足利義政に茶道の精神をたずねられ「和・敬・清・寂」と答えた、四文字の意味を体現し、実践ることが茶道の本分とされています。

 千家では、利休が定めたこの四文字を「四規」として重要視しています。

「和」の字は、禾と口で出来ています。その「和」は、戦争をやめ平和の状態にする講和の意味です。禾(食 物)を口にすると、人は和やかになります。茶室の主人と客が互いに心を和らげ、謹み敬い茶亊を行ないます。

 「敬」が重んじられるのは、互いを敬うことがあってこそ、「賓主互感」のよい茶会が成り立つからです。

 「清」も大切で、茶室や道具は清潔であることが求められます。それだけではなく、茶席に招かれる人は俗事にまみれた人でなく、清い心の人でなければなりません。

 「寂」は、茶室が脱俗した静寂な場所を理想としていることを示しています。

しかも「和敬清寂」は、茶亊と人のありかた全体が、これに貫かれていなければならない大切なことです。

 さらに言葉を重ねるならば、必要とされるものがすべて清さの中で整い、和やかで謙虚な気持ちで静寂のうちに、大切な時を楽しむのが、「和・敬・清・寂」の茶室空間です。

   それは、つぎの言葉でも表わされています。

「賓主互感」親密な交わり。     「一期一会」大切な出合い。

「一座建立」同席する人々の一体感。 「余情残心」いつまでも消滅しない充実感。

                       

「和敬清寂」の「和」と「寂」に関連して考えてみます。

 釈迦の悟りの境地を「涅槃寂静」といいます。「涅槃」のサンスクリット語〈ニルヴァーナ〉の現代語訳は、「絶対の安らぎ」です。「寂静」〈シャンディー〉の現代語訳は「平和」です。

 茶道の「和」と「寂」は、「涅槃寂静」=「絶対の安らぎ」と「平和」に通じるものがあります。

 茶道の究極の境地は、善いもので満たされた人間の「平和・平穏」の世界ではないでしょうか。それは茶道という「場」での、精神的に深い 心の在り方 です。                   

〔3〕永遠の命を求める「狭い門 と 細い道」 ー 道・真理・命 ー

  「わたし(イエス)は門である」。そして「わたしは善い羊飼いである。・・・

わたしは善い羊飼いであり、自分の羊を知っている。わたしの羊もまたわたしを知っている。・・・ そして、わたしは羊のために命を捨てる」(ヨハネ 10・7.14 -15)とイエスは、人々に語りました。

 この個所の「知る」は、単に知り合うという意味ではなく、両者のあいだの深い信頼と愛の絆があり、心の交流があることを意味しています。

 それは「狭い門 と 細い道」を通る者のすがたです。

 また、イエスは「わたしの後に従いたい者は、おのれを捨て、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい。自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救う」(マルコ 8・34 -35)と言っています。

 さらに、最後の晩餐の時には、「新しい掟」を与えました。

 「互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ 13・34 )と。

 二度目には、「わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である。愛する者のために命を捨てること、これ以上の愛はない」(同 15・12 -13)と加えました。

 さらに三度目には、「あなた方が互いに愛し合うこと、これがわたしの命令である」(同 15・17)と「新しい掟」を命じました。

 晩餐の夜の「イエスは真の〈ぶどうの木〉」のたとえでは、

 「わたしはぶどうの木であり、あなた方は枝である。人がわたしのうちに留まっており、わたしもその人にうちに留まっているなら、その人は多くの実を結ぶ」(ヨハネ 15・5)と、親しく語りました。

 晩餐が終わってからイエスは、ゲッセマネの園でイエスを信じる者のために祈りました。それは父である神への次のような「祈り」でした。

 「どうか、皆を一つにしてください。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、彼らもわたしの内にいるようにしてください。・・・ 

 わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです」。

                            (同 17・ 21 - 23)

 この祈りは、晩餐の早い段階で弟子たちに告げていたつぎの言葉を、父である神に願った祈りであったのです。その言葉は、つぎのような「ふしぎな言葉」でした。

「わたしが父の内におり、あなた方がわたしの内におり、そして、わたしがあなた方の内にいることを、 その日、あなた方は悟であろう」。 (ヨハネ 14・20)

その日とは、「神の国」に入るときのことです。 神の国は「神そのもの」のことです。そのことは、今挙げた「ゲッセマネの園の祈り」で明らかにされたばかりです。

     「狭い門 と 細い道」の先には、神とともに在る「永遠の命」があるのです。

https://textview.jp/post/culture/20431 【心はいかにして自由になれるのか──西行法師、松尾芭蕉らに影響を与えた『荘子』】より

荘子(荘周)(『三才図会』より)

今から約2300年前、中国の戦国時代中期に成立したとされる思想書『荘子』。著者の名前も荘子(荘周〈そうしゅう〉)だが、この書は彼とその弟子たちが書き継いだものが一つにまとまった本である。

中国仏教の形成に多大な影響を及ぼし、後世においても非常に多くの人々に刺激を与えたという『荘子』の思想について、作家・僧侶の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏に聞いた。

*  *  *

『荘子』は、一切をあるがままに受け容れるところに真の自由が成立するという思想を、多くの寓話(ぐうわ)を用いながら説いています。「心はいかにして自由になれるのか」。その思想は、のちの中国仏教、即ち禅の形成に大きな影響を与えました。寓話を使っていることからも分かるように、『荘子』は思想書でありながら非常に小説的です。じつは、「小説」という言葉の起源も『荘子』にあって、外物(がいぶつ)篇の「小説を飾りて以て県令を干(もと)む」という一節がそれです。「つまらない論説をもっともらしく飾り立てて、それによって県令の職を求める」という意味で、そのような輩(やから)は大きな栄達には縁がないと言っています。あまりいい意味ではないのですが、これが小説という言葉の最古の用例です。

実際に、日本でも作家や文筆家など、多くの人々が『荘子』から創作への刺激を受けています。よく知られたところでは、西行法師、鴨長明、松尾芭蕉、仙厓義梵(せんがい・ぎぼん)。

良寛も常に二冊組の『荘子』を持ち歩いていたと言われています。近代では森鷗外、夏目漱石、そして分野は違いますが、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士も『荘子』を愛読していました。中間子理論を考えていた時に、『荘子』応帝王(おうていおう)篇の「渾沌七竅(こんとんしちきょう)に死す」の物語を夢に見て、大きなヒントを得たといいます。

『荘子』は反常識の書だ、ただ奇抜なだけだ、という人もありますが、私にとっては常に鞄(かばん)に入れて持ち歩くほど大切な本です。ふと思いついてパッと開いたところを読むだけで、何かがほどけるような気分になります。とかく管理や罰則など、いわゆる儒家や法家的な考え方が支配的な世の中です。社会秩序とはそういうものかもしれませんが、果たしてそれは個人の幸せにつながるのか……。『荘子』には常にその視点があります。個人の幸せというものをどう考えるかという視点に立つと、荘子の思想は欠かせないものなのです。

今、人々は、言葉や思想というものが大変恣意(しい)的な都合でできあがっている、暫定(ざんてい)的なものであるという認識を失(な)くしているように思います。たとえば、いわゆるグローバリズムの名の下に行なわれていることは、汎(はん)地球主義ではなく、欧米的価値観の押しつけだったりもするわけです。じつはさまざまな民族や宗教による考え方は非常に相対的なものであり、何かが絶対的に正しいというものではない──と、徹底的に笑いながら話しているのがこの『荘子』です。

また、東日本大震災を経た今、私たちは「自然」というものをもう一度とらえ直すべきではないかとも思います。いつしか人間は、自然というものは、自分たちが全貌を理解して制御することが可能なものだと思い込んでいたのではないでしょうか。自然とは恐ろしいものであり、人間がその全てを把握することなどできないという認識が、なくなっていたのだと思います。荘子は、人知を超えたあらゆるもののありようを「道」ととらえました。言い換えればそれが「自然」でもあります。自然とは何か。それをもう一度考え直す時に、『荘子』は最良のテキストになると思います。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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