名月に狂う芭蕉

もしかして造化従順 のためには 月のエネルギーが必要だったのかもしれませんね。

https://ameblo.jp/seijihys/entry-12545410600.html  【(滋賀県大津市 園城寺(三井寺))】 より

ほつそりと園城寺尺鷹渡る     誠司

※「園城寺尺」は三井寺に伝わる古代の物差し

今日は柿本多映さん、「鳰の子」俳句会のみなさんと三井寺吟行。

柿本多映さんは詩歌文学館賞、現代俳句大賞、俳句四季大賞などを受賞している俳人。

三井寺は「天台寺門宗」の総本山。

多映さんは、なんと、ここ、三井寺で生まれ育っているのである。

「鳰の子」は柴田多鶴子先生はじめ新谷壯夫同人会長、岩出くに男編集長など、いつも大変お世話になっており、たびたび吟行会にもお呼びいただいている。

新谷さんの第一句集『山懐』は私が担当させていただいた。

三井寺はいつ来ても美しい。

桜紅葉はすでに終わっていたが、紅葉の盛りはこれかららしい。

むか~し、紅葉のもっとも美しい時期に来たことがあるが、本当に美しかった。

柿本先生はここ最近体調が優れず、お会い出来るかどうか危ぶまれたが、お昼からおいでになり、句会にも参加してくださった。

みなさんとても上手で、ふだんは句会には出ない多映先生も参加してくださる、という貴重な機会を得た。

三井寺から見た琵琶湖はとても美しい。芭蕉がこの地をこよなく愛したのもわかる。

案内してくださった僧侶の方から、三井寺の門たたかばや今日の月      松尾芭蕉

という句を教えていただいた。

僧侶の話では、こんな名月の美しい晩に門を開けないなんて、どうなってんだ…、門を開けろ! という意味らしい(笑)。

芭蕉は名月の事となると本当にムキになる。

面白いことである。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12545642175.html  【名月に狂う芭蕉】 より

(滋賀県大津市 三井寺)

松尾芭蕉は「名月」のこととなるとムキになる、ということを、昨日、ブログで書いた。

まず、芭蕉には、けふの今宵寝る時もなき月見かな(きょうのこよい ねるときもなき つきみかな)という句がある。

今夜は一睡もせずに名月を見るぞ~。という意味である。一睡もせずに「名月」を見るというのが凄い。「徹夜」…である。

同じく、芭蕉には、名月や池をめぐりて夜もすがら(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)という句がある。

これも、一晩中、池を歩いて名月を見るぞ~。と言っている。

これも徹夜である。

「名月」を見るのに、いくらなんでも「徹夜」はすまい…、とかつて思っていたけれど、こういう二句を並べると、やはり、芭蕉は、名月の晩は徹夜したのだろう、と考えた。

こういうのもある。

芭蕉の紀行文「鹿島詣で」(鹿島紀行)に、こういう箇所がある。

【原文】

かしまに至れば、ひるより、あめしきりにふりて、月見るべくもあらず。

(略)

しばし居寝たるに、あかつきのそら、いささかはれけるを、和尚起(おこ)し驚(おどろか)シ侍(はべ)れば、人々起出(おきいで)ぬ。

【意訳】

鹿島(現・茨城県鹿嶋市)に着いたが、昼から雨が降り、名月は見るべくもない。

(略)

しばらく居眠りをしたが、明け方、少し晴れてきたので、和尚を大急ぎで起こすと、皆、起きてきた。

雨で「名月」が見ることが出来なかったが、ほんの少し寝たが、明け方になって、少し月が見えてきたので、みなを叩き起こした…、というのである。

どんだけ「名月」が好きなんだ?という気がする(笑)。

西行法師が「花」(桜)に狂った歌人、だとすれば、芭蕉は「月」(名月)に狂った俳人、と言っていい。

昨日、紹介した、三井寺の門たたかばやけふの月も同じ「月狂い」の句である。

この句は、「おくのほそ道」の2年後、元禄4年、大津の義仲寺でみなで月見をし、そのまま、琵琶湖に舟を浮かべ、月見を楽しんだ。

湖上から「園城寺」(三井寺)を見上げ、詠んだのがこの一句である。

さあ、三井寺の門を叩いて、修行僧に名月だと教えてあげよう!

とおどけて見せたのである。

これは「推敲」の語源となった、漢詩、唐の詩人・賈島の、

僧ハ叩ク月下ノ門(そうはたたくげっかのもん)を踏まえている。

また、三井寺には、名月の晩を舞台とした、謡曲「三井寺」があり、三井寺には「月見舞台」という観月の名所がある。

この句はそれら全てを踏まえた一句なのである。これも芭蕉の「月狂い」をよく表している。

その他、芭蕉の名月の句をあげてみよう。

名月や北国日和定めなき          命こそ芋種よ又今日の月

たんだすめ住めば都ぞけふの月       木をきりて本口みるやけふの月

蒼海の浪酒臭しけふの月          盃にみつの名をのむこよひ哉

名月の見所問ん旅寝せん          名月はふたつ過ても瀬田の月

名月や海にむかへば七小町         明月や座にうつくしき顔もなし

名月や兒(ちご)立ち並ぶ堂の縁      名月に麓の霧や田のくもり

明月の出るや五十一ヶ条          名月の花かと見えて棉畠

名月や門に指しくる潮頭          名月の夜やおもおもと茶臼山

本当に芭蕉は「名月」が好きだった…、いや、きっと「使命」のようなものがあっただろう。

俳人には、そういう命がけの何かがあるということは幸せなことである。

ひょっとしたら不幸なこととも考えられるが…。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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