災難をのがるる妙法

Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「災難をのがるる妙法」

「私は誰からも愛されてはいない」「誰からも私は必要とされない」「やることなすこと上手くいかない」

私という殻に映し出される思い込みの幻想を真実と思い込んでいます。

ネガティブな思い込みをしているのは誰なのか知らなくてはなりません。

夢も見ずに熟睡している時に苦しみはありません。

苦しみは嫌だと言った瞬間に世界は苦しみとなります。

本来、肯定も否定もないあるがままの世界に分離が引き起こされて世界を不安に陥れています。

良寛さんはこのように言っていました。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これ災難をのがるる妙法にて候」

苦しい時には苦しむしか方法がありません。

完全な受容性(アクセプタンス)これこそが苦悩から完全に逃れる秘訣なのです。

マインドの次元にとどまる限り苦しまなくてはなりません。

感情を否定した瞬間、世界は分離して、人は二元性の中で苦しみます。

どんな状況がやってきても非難しないで、あるがままに受け入れます。

自分自身と向き合わなければなりません。それしかすべはないのです。

呼吸道を実践している人は次のような報告をしています。

体に痛みが生じてだんだん酷くなってきました。

痛みについて考えるのをやめて、呼吸に意識を向けました。

何が起きてもひたすら呼吸を感じ続けていました。

我慢できないくらい劇的に酷くなった瞬間その激痛は嘘のように消えてしまいました。

何が起きてもすべては過ぎ去ります。

思考は今この瞬間にいられません。

今この瞬間に在ると思考の覆いが取れて光が差し込みます。暗闇は光の不在です。

光の中で暗闇は存在することができません。

苦しみや感情を消す必要はありません。

現れては消え、ゆらいでいるのがあらゆる思考、感情です。

恐れや不安に実体はありません。

思考で光を遮った瞬間に暗闇が現れます。

暗闇で暗闇を消すことはできません。

思考で思考を消すことはできないのです。

思考に逃げないであるがままに今ここにいると次元を超えた理解が生まれます。

自我はあるがままの自分を恐れています。

本当の自分を恐れています。

理想化した自分の鎧をつけて本当の自分を隠し続けています。

心理的な防御の鎧を脱ぎ捨てて裸でいること むき出しでいること あるがままでいること

それが災難をのがるる妙法なのです。

https://gakuen.koka.ac.jp/archives/677 【災難に逢う時節には災難に逢うがよく候

死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候】 より

今月の言葉は江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。一八二八年の冬、良寛が七一歳の時、住んでいた新潟の三条に一五〇〇人以上の死者が出る大地震が起こりました。幸いにして、良寛自身には被害はなかったのですが、子供を亡くした山田杜(と)皐(こう)に送った見舞い状にこの一文が出てきます。

見舞い状では「地震は信(まこと)に大変に候。野(や)僧(そう)草庵(そうあん)は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。うちつけに、死なば死なずに永らえて、かかる憂きめを見るがわびしさ」と生き長らえたために、こういうひどい目を見るのが辛いという気持ちを示した後、冒頭の言葉が出てきます。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候

死ぬ時節には死ぬがよく候

これはこれ災難をのがるる妙法にて候

災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという意味の言葉です。どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて生きて行くしかありません。子供を亡くし悲嘆にくれる友人に対しそのことに一切触れることなく、「人として生まれたからには生老病死からは逃れることはできず、あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない」という仏教の教えを語ることで励ました、心のこもった言葉ではないでしょうか。そこには良寛さんの温かい人間味が感じられます。この良寛さんの手紙は、恐らく山田杜皐にとってどんな慰めの言葉よりも救いとなったのではないでしょうか。(宗)

http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2011-10a.html 【死ぬる時節には死ぬがよく候】より

岐阜県 ・道樹寺住職  江口潭渕

東日本大震災から半年以上経過しました。被災された方々に心よりお見舞とお悔やみを申し上げます。多くの被災された方々に区別はありませんが、特に突然、親を亡くした子供たちの心中を察すると涙が止まりません。

 越後の良寛さんは与板の山田杜皐(やまだとこう)という俳人と親友でありました。良寛さんの住む五合庵から与板まで行くには時間がかかりましたが、与板へ行けば杜皐さんの家に泊まり、話に花を咲かせるのが常でした。杜皐さんは造り酒屋でもあったので、良寛さんは大好きな酒を心ゆくまで飲ませてもらいました。良寛さんが71才の時、三条市を中心に大地震が起こりました。良寛さんの住んでいる地域は被害が少なく、与板の方は被害が甚大であったそうで、良寛さんは杜皐さんへ見舞の手紙を送っています。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候

              是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ

と、見舞の一文の中に書かれていました。その意味は、「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れなさい。死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい、これが災難にあわない秘訣です」ということです。聞きようによっては随分と冷たい言葉です。しかし、これほど相手のことを思っての見舞いの言葉があるでしょうか。「大変でしょうが、頑張ってください」とは誰でも言えます。「頑張って」の一言も書いていないのに、受けとった杜皐さんはきっと、「この災難の中で生き抜いていこう」と思われたに違いありません。

 私は出家する時、師匠から、「いろいろ出家の理由は有るだろうが、腹を決めなさい。腹さえ決まっていれば、どんな逆境の中でも坊さんをやっていられる」と言われました。腹を決める事は簡単なようでなかなか難しいことです。大相撲の八百長問題でも腹が決まっていないから、地位やお金にしがみつき、不正を働きます。

 良寛さんは、腹を決めて現実を見捉えることが、迷いから抜け出る最良の方法だと言いたかったのです。これほど慈愛に満ちた言葉はありません。この度の震災に遭われた多くの方々に腹を決めろとは、残酷で言い難いのですが、腹を決めなければ迷い続けます。

 「こまった、こまったこまどり姉妹。しまったしまった島倉千代子」と吉本の芸人さんのように言い続けても前には進みません。私の寺は道樹寺と言いますので最近は、「こまった、こまったこまどり姉妹。しまったしまった島倉千代子。どうする、

どうする、ドウジユジ」と訪ねてくる人に問答を仕掛けています。ともあれ、「こまった、しまった、どうする」と迷い続けるよりは、しっかりと自分の腹を決めて生きることが災難を逃れる最良の策だと思いませんか。

https://www.zen-essay.com/entry/sainan 【【良寛の言葉】災難に遭う時節には災難に遭うがよく候】 より

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候

地震や台風、大雪に噴火。

個人の力などでは到底太刀打ちすることのできない圧倒的強大な自然の力の前に、人は何ができるのか。

どれだけ頭をひねって予防に努めても、自然災害を完全に防ぐことなどできないという不可避性に、災害の恐ろしさを思わずにはいられない。

天災とはよくいったもので、要するにそれは人間が制御することのできない「天」の範疇に属するものであるということなのだろう。

端的に、「天」は「人」の範疇を超えている。

そんな災害が起きるたびに、ふと思い出す言葉がある。

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」江戸時代の禅僧、良寛和尚の言葉である。

天に対する人の対応の妙を簡潔に述べた、なかなか考えさせられる言葉だ。

この言葉は、良寛和尚が知人の山田杜皐とこうへ送った手紙に記されたものなのだが、それにはこんなエピソードがある。

三条地震

1828年12月。良寛和尚が71歳の時、新潟県三条市付近で大地震が発生した。

のちに三条地震と呼ばれる大地震である。

被害の全容は全潰12000軒以上、死者1500名以上。火災によって焼失した家屋も相当な件数にのぼったという。

そんな三条市のすぐ南に位置する長岡市に、良寛和尚の父親が生まれた与板よいたという町がある。

ここには良寛と親しい間柄にある知人が何人もいたが、とりわけ酒造業を営んでいた山田杜皐は良寛和尚を「蛍」とあだ名でよぶほどの仲の良い間柄であった。

三条地震が発生したとき、杜皐が暮らす与板もやはり甚大な被害に見舞われた。

しかも悲しいことに、杜皐はこの地震で子どもを亡くしてしまった。

しかし杜皐は、そうした自分たちの被害もさることながら、同じく被害に遭ったであろう良寛が無事でいるかを心配に思い、良寛に見舞いの手紙を送った。

手紙を受け取った良寛は、幸いにも無事だった。

そこで自分が無事であることを伝えるため、すぐに杜皐へ返信の手紙を送るのだが、その末尾に添えられたのが上記の「災難に遭う時節には……」の言葉なのである。

ちなみに、手紙の前半は次のようになっている。

「地震は信まことに大変に候。

野僧やそう草庵そうあんは何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。

うちつけに死なば死なずに永らえて かかる憂きめを見るがわびしさ」

地震に遭った杜皐の境遇を憐れみ、自分は無事でいることを伝え、そして歌を一首したためた。

人生を生きながらえてきてしまったことで、人々が悲しみに打ちひしがれる姿も多く目にすることとなった。やるせない思いでいる。

そんな意味合いだろうか。

そしてこのあとに件くだんの言葉が続く。

「しかし災難に遭う時節には災難に遭うがよく候

死ぬ時節には死ぬがよく候

是はこれ災難をのがるる妙法にて候

 かしこ 良寛」

非情か?

この言葉を読んで、「なんて冷たい言葉だ」と感じた人はきっと少なくないと思う。

おそらくは「人間、誰だって災難に遭うもんだ」と、なんだか突き放すような、「しょうがない」「どうしようもない」という雰囲気の言葉に読み取れてしまうからだろう。

そりゃ間違ったことは言ってないけど、正しいことを言えばいいってもんでもないでしょ、と、デリカシーに欠ける言葉だと感じる人もいるかもしれない。

正直なところ、実際に災害に遭った方々にこの言葉を伝えるのは難しいと思う。

「災難に遭えばいい」と聞こえてしまう言葉は、たとえそこにどのような意図が含まれているにせよ、相手を傷つける可能性を有してしまっていると考えたほうがいい。

すでに信頼関係が構築されている間柄だとか、言葉を理解してもらえる土壌が整備された状態であれば伝わるかもしれないが、そうでなければ軽はずみに口にするべき言葉ではないように思う。

ただそれでも、もし自分が災害に遭ったときには、きっとこの良寛和尚の言葉を杖にして生きるのではないかと私は思っている。

万人に受け入れられる言葉ではないかもしれないが、少なくとも私はこの言葉を酷だとは思わない。

人が抱く「苦」という感情の真実を言っているからだ。

災難から逃れるための真実、災難に苦悩しない真実、厭うことで苦悩が生じるという、苦悩の真実を示した言葉であるからだ。

災難が災難になるとき

災難が降りかかるときは、降りかかるしかない。

死が免れないのなら、死を受け入れるしかない。

そうした現実を認めたくない、受け入れたくないと思い、現実を「厭う」という感情から、人の苦悩ははじまる。

それが仏教における「苦」の理解の第一歩である。

災難を受け入れたくないと思うことで、「地震」は「災難」と認識される。

災難を受け入れることで、地震は「災難」から「地震」へと本来の姿に戻る。

たとえ地震から逃れる方法がないとしても、災難から逃れる方法はあるのだ。

良寛和尚が言うように、災難に遭うときは災難に遭う。

すでに災難に遭ってしまっているのに、遭いたくないと思ってしまうことで苦悩が生じるのなら、遭ってしまった災難を受け入れよう。

災難とは、それを災難と受け取ったときに生じるものであって、地震を災難と認識しなければ地震は災難にはなりえない。

だから、災害によって家を「壊された」と恨むのではなく、災害によって「壊れた」と、ただありのままに受け取ろうというのが良寛和尚の言いたい姿勢なのではないか。

良寛和尚の言う「災難から逃れる妙法」とは、天の事柄である「地震」を、人の事柄である「災難」にしない認識方法なのだと私は思う。

一読すると冷たいように感じられる言葉かもしれないが、なにも良寛和尚は後世に残そうとか、万人に伝えようなどと思って手紙にこの言葉を書いたのではない。

相手が杜皐だから書いたのだ。

言葉の真意を理解してもらえる間柄であるとの信頼関係があったからこその言葉なのだと受け取るべきではないか。

時に「デリカシーに欠けた手紙のやりとり」と批判されることさえある言葉であるが、こうしたやりとりができる2人の間柄を、私はほとんど羨ましいとさえ思う。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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