https://ameblo.jp/seijihys/entry-12560413466.html 【「野ざらし紀行」③~富士川】より
【原文】
冨士川(ふじがわ)のほとりを行(ゆく)に、三(み)つ計(ばかり)なる捨子の哀気(あわれげ)に泣(なく)有(あり)。
この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。
露(つゆ)計(ばかり)の命待(まつ)まと、捨(すて)置(おき)けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂(たもと)より喰物(くいもの)なげてとほるに、
猿を聞人捨子に秋の風いかに
(さるをきくひと すてごにあきの かぜいかに)
いかにぞや、汝(なんじ)ちちに惡(にく)まれたる歟(か)、母にうとまれたるか。
ちちは汝を惡(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。
唯(ただ)これ天にして、汝が性(さが)のつたなきをなけ。
【意訳】
富士川のほとりを行くと、三歳ばかりの捨て子が悲し気に泣いていた。
富士川の急流のように、世間の荒波に揉まれ、育てていくことができなくなったのだろうか。
この子の命も、はかない露のように、やがては消えてくれるだろうと、捨てられたのだろうか。
小さな萩が秋風に吹き散らされるように、今宵散るだろうか、明日しおれるだろうか、と憐れに思いながらも、袂の食物を投げ与えて通ったのだが、
猿を聞人捨子に秋の風いかに
何があったのだ。
父に憎まれたのか、母に疎まれたのか。
いや、そうではないのだ。
父はお前を憎んだのでは無いのだ、母はお前を疎んじていたのではないのだ。
ただただ、これは天の宿命であり、お前の運命の儚さを泣きなさい。
【注釈】
〇冨士川…冨士川。長野県・山梨県及び静岡県を流れる河川。日本三大急流の一つ。
〇「小萩がもとの秋の風」…
「宮城野の霧吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそすれ」
(宮城野に夜の霧のふきむすぶ秋風の音に、まだ小さい萩は大丈夫なのかと思いやられることです。宮中に吹きすさぶ風が身にしみて、涙がこぼれてあの方の身が思われてなりません) 『源氏物語』「桐壺」
〇「猿を聞人~」
杜甫「秋興八首其二」
矍府孤城落日斜 毎依北斗望京華
聴猿実下三声涙 奉使虚随八月査
画省香炉違伏枕 山楼粉?隠悲笳
請看石上藤蘿月 已映洲前芦荻花
「猿を聞き実に下る三声の涙」。
「猿の声に哀れを感じる人」の意。
※「断腸」…人間に我が子を攫われた母猿が悲しみ、死後、母親の腹を割いてみると腸が千切れ千切れになっていた、という中国の故事。
https://bashounokoto.wordpress.com/2014/09/22/sutego/【猿を聞人捨子に秋の風いかに】より
野ざらし紀行最初の挿話は「富士川の捨て子」である。芭蕉の一行は心ならずもこれを見捨てて旅をすすめることになる。この詞書きがあって一句。
猿を聞人(きくひと)捨子に秋の風いかに
猿の泣き声を、古今の風流人は、いたまし、悲しとうたってきた。「泣く」といえば「猿」、「猿」といえば「泣く」という調子で。自分は、また友人である風流の人々は、風流人として、秋風に吹かれて泣き続ける捨子をどうみるのか。風流では済むまいが。ほどの強い句である。
さらに捨子にかける言葉がある。
いかにぞや汝(なんぢ)、父に悪(にく)まれたるか、母にうとまれたるか。父は汝を悪(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性(さが)のつたなさ[を]なけ。
いっぱいいっぱいの「悼むことば」である。(性さが=宿命 広辞苑)
詞書き、後書のコンテキストがあってこその一句である。
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%95%E3%82%8B%E3%82%92%E3%81%8D%E3%81%8F%E3%81%B2%E3%81%A8 【さるをきくひと…】 より
分類俳句
「猿を聞く人捨て子に秋の風いかに」 出典野ざらし 俳文・芭蕉(ばせう)
[訳] 捨て子が悲しげな声で泣いている。古来、猿の鳴き声を聞いて親子の情愛を感じ、断腸の思いにかられた中国の詩人たちよ、この捨て子に吹く秋の風をどう受けとめたらよいのだろうか。
鑑賞 富士川のほとりで、三歳くらいの捨て子が泣いているようすを見ての句。中国の詩人たちは、猿の鳴き声を聞いて涙する詩を多く作った。中国の故事には、捕らえられた子猿を追いかけた母猿が、悲しみのあまり腸を断って死んだ話もある。季語は「秋の風」で、季は秋。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/96912 【[大弦小弦]〈猿を聞人捨子に秋の風いかに〉。江戸期の俳人・松尾芭蕉が・・・】 より
〈猿を聞人(きくひと)捨子(すてご)に秋の風いかに〉。江戸期の俳人・松尾芭蕉が、富士川のほとりで3歳ぐらいの捨て子が泣いている様子を見て詠んだ句である
▼わが子を川の早瀬に投げ入れるのは辛(つら)い。せめて誰かに拾われて生きてほしい。芭蕉は「野ざらし紀行」で親の心情をこう推察した。句の「猿」には、子を失った母猿が悲しみで腸がちぎれていた故事「断腸の思い」を重ねている
▼その親たちは、どんな思いでわが子を手放したのだろう。赤ちゃんを匿名で預け入れる慈恵病院(熊本市)の「赤ちゃんポスト」が10日で設置から10年になった。2015年度までの9年間に125人の命が託され、病院の理事長は会見で「赤ちゃんの命を守るという点で役目を果たせた」と振り返った
▼親の身勝手さを責め、「ポスト」が捨て子を助長しているとの指摘は絶えない。だが虐待を逃れ、救われた「小さな命」だとすれば考え込んでしまう
▼江戸中期の古川柳にある。〈命かぎりの頬(ほお)ずりをする〉。事情があって泣く泣くわが子と別れる母親の心情を詠んだものだという
▼熊本市の調査(13年度末)では、元の家庭に戻った子は18人で、多くの親子が「再会」できていない。あの日、わが子を手放したお母さんもきっと、最後に抱きしめた温もりを時に思い出し、眠れぬ夜もあるのだろう。(稲嶺幸弘)
https://chuff.hatenablog.com/entry/2018/12/20/170000【年の瀬に、芭蕉を考える。】より
芭蕉の野ざらし紀行。読まれたことあるザンスか?その一節に、いまだ批判される箇所があるザンス。
富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の、哀気に泣有。
この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたへず、露計の命待間と捨て置けむ。
小萩がもとの秋の風、今宵や散るらん、明日や萎れんと、袂より喰物投げて通るに、
猿を聞人捨 子に秋の風いかに
芭蕉が時に批判される句。今回、これを考えてみましょう。ちょっとハードに頭使いましょう。
「野ざらし紀行」の序文に、芭蕉の友人の山口素堂はこう書いている。
富士川の捨子は惻隠(あわれみ)の心を見えける。かかるはやき瀬を枕としてすて置けん、さすがに流よとはおもはざらまし。
見にかふる物ぞなかりきみどり子は やらむかたなくかなしけれども 金葉和歌集の大路に子を捨てて侍りける 押し含みに、書き付けて侍りける 身にまさる物なかりけり緑児は、
やらんかたなくかなしけれども を引用し、「むかしの人のすて心までおもひよせてあはれならずや」とある。
つまり、捨て子は普通のことだったのだ。それが辛かろうと、なかろうと。
こう理解する前提があります。
コンビニで、ジュース買えるくらいに実は普通のことであったわけで。いや、そんなことない!とか思っちゃあダメです。それは現代の感覚なのです。
「猿を聞人」について
読みは「さるをきくひと」。時に、「猿を聴人」とも書く。
ここでの「猿」とは、今も使われる「断腸の思い」の語源でもあるわけです。
以下説明を。
漢籍(つまり古典)故事で、人間に我が子をさらわれた母猿が深く悲しむ。
母猿の死後、その腹を割いてみると腸が千切れ千切れになっていたというのがあるザンス。
これが「断腸」の元ネタなわけです。
今でも、憤死した人は腸がねじれて 腸ねん転起こしている場合もあると聞きます。
「猿」とは
この中国の故事中の猿を言ってるんですな。母猿の切ない鳴き声は、古来多くの漢詩文中で見つけられるわけです。
よって「猿を聞人」とは、「猿の声を悲愁と感じる詩人」の意味となるわけです。
有名どころでは、嘆きの詩人杜甫。「秋興八首」という中に「聴猿実下三声涙」とあります。読みはこう。
「猿ヲ聴キ実二下ル三声ノ涙」 猿の声を聴き 繰り返し、繰り返し涙を流す杜甫。
ナルシズムと言えばナルシズム。
しかし、これをもって批判する輩とは、浅学の人。ワタイはそう思うザンス。
そもそも、表現とは人に非ざるものの生業なりければ 世阿弥の言葉ですね。
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