父母未生以前の自己如何

私の答えは「吾であり宇宙である霊魂」=御霊(御魂)~~おたま、オタマジャクシ=蛙以前の自己→勾玉の形→タオ、精子、胎児、水滴 →「蛙飛び込む 水の音」 この句の蛙は単数か複数かの議論があるようですが  禅問答の答えである限り 蛙=自分(芭蕉)、単数でしかありえないと思います。アニミズムの世界観、擬人法を連想します。


https://hidemaro25.exblog.jp/15600757/ 【第123話  ~父母未生以前の自己如何~ 禅問答の斜め読み2】

 たとえば、自分が「なにがしか禅機に会いたい」として禅寺に一番最初におもむいたときに、「公案」という課題を出される場合があるんだそうです。「ただ坐れ」という場合もありましょうし、こういった宿題も出される場合もある。そして、そのなかで、一番先に問われるのが、「父母未生以前の自己如何」あるいは「父母未生以前の本来の面目とはなにか」ということなのです。禅寺にしてみれば、これが「入学試験」なのですね。夏目漱石も実はこの命題に取り組んでいます。

 これはどういう意味かというと、自分の父や母が生まれる前、あなたはどこにいたの?という素朴な疑問です。・・・さて、答えられますか?

 基本的に、「禅」の入門試験ですから、この公案は難易度は1みたいです。仏典をしっかり勉強すればある程度の答えは出せます。ですが、「師家」との関係であるなら、この答え方でその後の修行の状況が変わるという怖ろしい命題でもあるのです。つまり、簡単だからこそ難しく、怖ろしい。

 この答えは実に多様な「正解」があります。だからこそ、怖い命題でもあるのです。たとえば、今から、優等生的な解題を示してみましょう。だけど、自分的にはホントに怖いです。フルチンで渋谷の街中を歩くような気持ちで、あえて言ってみることにします。

 結論から言うと「私が私であると思う私はない」ということです。

 私という存在は、父と母が縁によって出会い和合してできた存在です。そして、その父母もそれぞれ祖父母が縁によって出会い和合してできた存在です。さらには曾祖父母が縁によって出会い和合してできた存在であるなら、どこに「私」がいたのでしょう。私という今の存在は、過去からのものすごくデリケートな「偶然」の縁によって「存在させて頂いた」ものではないのかという実感が持てたのかどうか。般若心経で言えば、このことは「空」という言葉に込められるわけです。即ち「私」という「色」は空であるが、空であることが「私」という色である。色即是空、空即是色。というわけです。

 これが、「父母未生以前の自己如何」である。・・・・と、60点のとりあえず「可」の評価が出されるでしょう。「可」で済む人はここでいいのです。なぜなら、すくなくとも仏法の基本は伝授できますから。最近では、禅問答の「模範解答集」まであるそうですが、この入門公案を解答集(あんちょこ)抜きで答えられたらもうすごいもんだという事です。(だけど、すごいと思った時点でダメだけど)

 まず、父母が私を作ろうとして作ったわけではないということです。私はなにがしかの「縁」によって、本当にたまたまいるんですよ。たとえば、オヤジがオフクロに迫って、オフクロが拒まなかった。そしてたまたま月一に出来るときだった。そして、孕んだときに育てていける経済状況だった。さらに言うと、その前の4人の爺さんばあさん、その前の8人の爺さんばあさん、誰一人欠けても今の私なんていない・・・、数えれば自分が生まれてこられた条件は薄氷だったのは判ります。そして、今まで死なずに生きてきた。まさにいま生きているこの存在自体が偶然の産物ですね。

 じゃあ、父と母すらまだ生まれていない自分って、どこにいるんだ?

 自分は因と縁で存在してるのに、そんなあやふやな自分に執着するのはなぜだ?という命題になるのです。だから、執着せず、悟道に勤しめよというわけです。

 さて、斜め読みしてみます。

まずは、「知るかい!んなもん」

からはじまります。次に、「自分が好きで生まれてきたんじゃないから、自分の好きになる人生なんかあるもんかい。」ということ、そして、「自分のもとになる縁はあるけど、自分そのものというものじゃない。」ということです。つまり、昨日の自分と今日の自分は本当に危なっかしい「偶然」でここにいるのに、「自分」がいるこの世界っていったい何なんだよ。と、逆に聞きたいのです。

 だから、ましてや自分を生んだ「縁」である父と母が生まれ出でる以前の世界なんて、そんなモン知るか!というわけ。 自分なんてぽっと生まれてぽっといなくなるのかと思えば、自分を生み出すはずになる縁(歴史の偶然)はちゃんとあるじゃないか。という感覚です。 

 空想科学的に言えば、たとえば、過去にタイムマシーンに乗って行ったとしても、どんな形であっても現在は現在でしかなく、未来は止まることなく現在になり、現在は止まることなく過去になっていると言うことなのです。余計な「道徳」抜きに、時間は刻々と動き、過去の縁は今を作り、今の縁は未来を作っているのだということが「本来の面目」であるという事です。

 たとえば、函館どっくの「ゴライアスクレーン」これが作られるときは、景観問題とか大騒ぎした人もたくさんいました。ところが、時が過ぎ、撤去されるとなると、今度はゴライアスクレーンを惜しむ声が多くなりました。ですが、今はこのクレーンがない風景が「日常」になっています。つまり、建つ以前の風景になっただけ。そもそも、こういうものなんです。

 だから、親が生まれる前の過去の「自分」なんか知ったこっちゃありませんよ。


http://ryuun-ji.or.jp/blog/?p=457 【白隠禅師が用いた禅の「公案」 ~別冊太陽より~】

最近、臨済宗の禅問答について考える機会が多くなってきました。

平成25年に発行された別冊太陽『白隠』に寄稿させて頂いた文章を掲載いたします。

白隠が用いた禅の「公案」   細川晋輔

浄土宗に「名号」があり、法華宗に「題目」があり、真言宗に「阿字観」があるように、禅宗には「公案」というものがある。「公案」はいつ誰が造ったかははっきりしてないが、中国の唐の時代に禅宗が盛んになるにつれ、できたものとされている。「公府の案牘(案件)」の省略とされる。つまり「公案」とは一種の問題であり、これを修行者に与えて解かしめて、禅の真理の実証に導くためのものである。主として「公案」は古徳(昔の高徳の僧)の言葉から取ってきたもので、これを拈堤(ねんてい)(全身全霊でとりくむ)すれば、どこにその注意を払い、どこに実証への道を求めるべきかを知るわけである。

本来(ほんらい)の面目(めんもく)

公案といえば、夏目漱石が鎌倉の円覚寺で参禅したことは有名な話である。漱石が神経衰弱の病状著しかった二十七歳の頃、円覚寺の釈宗演老師に参じた時のことは、漱石の小説『門』にこと細かく描かれている。その中で漱石が釈宗(そう)演(えん)老師から頂いた公案が「本来の面目」というものである。「父母(ふぼ)未生(みしょう)以前(いぜん)、本来の面目とは何か」、つまり、両親が生まれぬ前のおまえの「本来の自己」を出してみよ、というのである。

この公案の元になったのは『六祖壇経』にある「不思(ふし)善(ぜん)、不思(ふし)悪(あく)、正与麼(しようよも)の時、那箇(なこ)か是(こ)れ明上座(みようじようぞ)(人の名)が本来の面目」である。つまり、「善悪を離れた、まさにその時、どのようなもの(が)明上座の本来の姿か」というものである。漱石はこの問題を与えられ時のことを、『門』で次のように述べている。「腹痛で苦しんでいる者に対して、むずかしい数字の問題を出して、まあこれでも考えたら可かろうと云われたのと一般である。考えろと云われれば、考えないでもないが、それは一応腹痛が治ってからの事でなくては、無理であった」と。

漱石は釈老師に公案の見解(けんげ)(答え)を持って行ったのだが、老師に「もっと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ。その位の事は、少し学問をしたものなら誰でも云える」と突き返されてしまう。残念ながら漱石の参禅はここで終わりとなるが、晩年の「則(そく)天去(てんきょ)私(し)」という思想に大きく影響を与えた経験であったことは間違いないだろう。

では「本来の面目」とは一体どのようなものか。白隠は『ちりちりぐさ』で次のように述べている。

現実世界の一切の煩わしさ、迷いをうちすてて、もっぱらおのれの肚(はら)(丹田)にむかって観想し参究する方法である。この我が肚(はら)は、音もなければ臭いもないし、男でも女でもなく色もない。僧でなければ俗でもない、老幼、尊卑のいずれでもない。あらゆる相(すがた)を超絶している。その肚(はら)がそのまま我が本来の面目である。

そして白隠は、このように他念を交えずに参究していくならば、いつしか一切の思慮分別はなくなり、心もなければ身体もなくなってくる、と続ける。ここのところを道元は「身心脱落、脱落身心」とされた、とも述べている。まさにこのところが「本来の面目」なのである。

一休宗純の世語に、「闇の夜に、鳴かぬ鴉の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」というものがある。「本来の面目」は見ようとしない限り全く理解できないものであり、それはまるで真っ暗な闇夜に目を凝らして、鳴かないカラスを見つけるようなものである、ということである。

趙州(じようしゆう)無字(むじ)

中国古来の公案で最も有名なものである。この「無字」の公案を「初透関(しょとおかん)」(一番最初に出される問題)としている修行道場も多い。

「趙州和尚、因みに僧問う、狗子(くし)に還(かえ)って仏性(ぶつしよう)有りやまた無しや。州云く、無」。ある僧が趙州和尚(七七八~八九七)に「狗子(犬)にも仏性がありますか」と問うたのに対し、趙州が「無い」答えたという『無門関(むもんかん)』第一則の「趙州狗子」という公案である。

白隠が若かりし頃、常に向かい合ってきたのは、この「無字」の公案である。だからこそ「無字」に対する思い入れは凄まじいものがある。白隠の仮名法語の代表作である『遠羅天(おらで)釜(がま)』にいう、

仏道修行を志し、煩悩を断ち、無明の眼のウロコを落とすには、やはり無字に限る。(中略)自ら大疑団そのものとなって、それ以外には何もなく、生でもなく死でもなく、  厚い氷の壁に閉じ込められたような、あるいはガラス瓶の中に坐っているような心地となり、坐っているとも思わず、起つことも忘れ、一点の情念なく、ただ一箇の無字にな りきる。この境地でさらに工夫してゆくならば、忽然と、この厚い氷が砕け、楼閣が崩れ落ちるように、これまで体験したことのないような大歓喜を体験するであろう。

白隠の禅においては、この「疑団」というものが必要不可欠である。迷いを「公案」を用いて起こし、それとがっぷり四つに組んで、そのものに成り切ってこそ「悟り」というものが現れる。しかし、これはそう容易なことではない。犬には仏性があるか、なぜ犬なのか、なぜ無いのか……などと理論的に考えては禅ではなくなる。だからといって、まったくわけのわからないまま公案に取り組み、「このわけのわからぬところが禅だ」などと妄想して、それが公案透過と思うのは大間違いで救いようがない、とまで白隠は言っている。

片手の音を聞け

白隠が六十三、四歳の時に創作した有名な公案であり、現在、臨済宗の道場では「無字」などとともに最初の関門とされている。「両手をうてば声がするが、隻手(せきしゅ)(片方の手)には何の音があるか」というものである。白隠が富郷賢媖という女性に宛てた法語『藪(やぶ)柑子(こうじ)』には次のように書かれている。

この五六年以来は、考えるところがあって、「隻手の声を聞き届けよ」ということを教えているのですが、これまでとは異なって、どなたも格別に疑団が起こりやすく、工夫を進めやすいようで、従前の公案とくらべ、その効果には雲泥の差があるように感じております。(中略)隻手の工夫とはどういうことか。今、両手を相い合わせて打てば、パンという音がするが、ただ片手だけをあげたのでは、何の音もしない。

何の音もしない、その音を聞き届けよというのである。白隠禅の大きな特徴は、前に述べたように、疑団がなければ悟ることはないというところである。心に何の迷いもなければ、自分の中にある仏性に気付くことはないというのである。だからまず、修行者の中に疑団を起こさせることから始めることになる。「波なきところに波を起こす」といった具合に、疑団を起こすには「隻手の音聲(おんじょう)」の公案が一番適しているというのである。

では「隻手の音声」とは一体どのようなものか。白隠は「隻手の音声」の消息とは、『中庸』にいう「上天の載(こと)は声も無く臭(か)もなし(天帝の世界のありさまは、耳で聞くこともできず、鼻で臭いをかぐこともできないようなものである)」であり、またその秘要はといえば、謡曲の『山姥』にいう「一洞空しき谷の声、梢に響く山彦の、無声音を聞く便りとなり、声に響かぬ何もがな」であると述べている。「隻手の音声」は耳で聞き得るものではないのである。白隠は『藪柑子』で次のようにいう。

この隻手の音は、耳で聞くことができるようなものではない。思慮分別をまじえず五感を離れ、四六時中、何をしている時も、ただひたすらにこの隻手の音を拈提して行くならば、理屈や言葉では説明のつかぬ、何とも致しようのない究まったところに至り、そこで忽然として生死の迷いの根源、根本無明の本源が破れる。(中略)

いつしか、意識の根源は撃砕され、この迷いの世界もまた根本から粉砕されており、ありのままの真実を見届け、行動する智恵がそなわり、一切を正しく見透すことのできるもろもろの智徳の力がそなわっていることを確信できるのである。

私が修行した臨済宗の専門道場ではこの「隻手の音声」の公案は「初透関」と呼ばれ、最初にして最大の関門とされている。「片手ではどんな音がするのだろう」とか「片手では音は鳴るはずがない」というような理論的な話ではない。「活三昧」というべく、その音に自分自身が「成り切る」ことが求められるのである。そのことを証明できて初めて「初透関」を透過したということになる。

白隠はこの「隻手音声」を透過した者に「龍杖図」というものを書き与えている。一種の証明書ではあるが、それはあくまでも「入門許可証」とでも言うべきものであり、「初透関」で終わりではなく、満足してはならないと注意しているのである。聞こえたからよいというわけではなく、不断の努力、向上の一路、隻手の声を聞き続けることが最も大切であると白隠は何度も述べている。

以上述べたのは、いわゆる「初透関」、公案の入り口である。中国古来の古則は数百もあり、これらは臨済禅の日本伝来以降に行われて来たものである。禅の特徴は、師がみずから得た体験をもって弟子に伝え、導いてゆくところにある。しかしながら、公案という問題がある以上は、それを解くことが自己目的となり、ややもすれば、このシステムは形式化し形骸化することになった。

白隠の時代は、室町時代以来の禅が衰退しつつあった時である。そのときに当たって、白隠は公案の取り組む修行者の到達した心境を点検するための問答(拶処(さつしよ)という)に、日本語の諺や歌謡を用いたり、公案を創作したりして、新しい方法を試みたのである。これらの方法は、やがて白隠下の弟子たちによって修行者育成のためのカリキュラムとして再編成され、修行システムが再構築されていくことになった。現存する臨済宗の修行システムのほぼ全ては、白隠の築いたものの上に立っているのである。白隠が「臨済禅中興の祖」と呼ばれる所以である。

「本来の面目」「無字」「隻手の音声」は「初透関」であるが、どの公案もじつに奥が深い。ぜひ禅寺を訪れて、坐禅を組み、どれか一つでも公案というものに向かい合って、「大疑団」を起こしていただきたいものである。


http://seturi597.blog.fc2.com/blog-entry-170.html 【父母未生以前の本来の面目】

 夏目漱石は小説「門」のなかで、主人公が鎌倉の寺へ参禅したことを書いているが、これは漱石自身に実際にあったことのようである。漱石はそのとき、円覚寺の高名な僧であった釈宗演から「父母未生以前の本来の面目如何」という公案を出された。しかし漱石はついに答えに到達せず中途で山門を下りたという。その後時が過ぎて、小説のなかであらためてそれを扱っているのであるから、漱石にとって参禅の挫折経験は心に尾を引いたことがうかがえる。「こころ」のなかには聖書やコーランまで出てくるから、漱石は苦悩の解決を自己省察だけでなく宗教へも求めたようで、漱石の生へ向かう真摯さがうかがえる。

 「公案」というのは禅で行われる修行のひとつで、師と弟子との問答である。師から出された「難問」について弟子が「答え」を考え、師のところへ行ってそれを述べるというのであるが、その「答え」は往々にして「常識」の範囲を出ず、禅の境地とは言い難いもので、弟子はたいがいはやり直しを命じられる。師は誤りの理由を告げない。弟子はすごすごと帰っていきまた答えを考え直す。師と弟子とのやり取りは緊迫した空気のなかで何度も繰り返される。そうやっているうちに弟子は「常識」を超えて途方もない「答え」にたどりつくのである。

 それはいわゆる禅問答であるから、一般人にとっては皆目意味のわからないやり取りだそうである。漱石ほどの頭脳の持ち主でも挫折を経験させられるのであるから、通常の思考では到底師の「合格」を得られるものではない。

 釈宗演は以前に書いた「斎藤隆夫の正邪曲直」の稿でも登場した僧である。漱石と斎藤は同時代人であるからそれは不思議なことではない。斎藤が若い頃に患った肋膜炎の療養のために、とある温泉場の宿に滞在したとき、たまたま宗演和尚が同宿していたのである。

 斎藤は幼いときのある体験があって「宗教嫌い」になった。それは「宗教嫌い」という感情的なものというよりも、宗教を必要としない、という思想の方に近い。斎藤は肋膜炎の危険な手術で生死の境をさまよったときの病室のベッドでも神や仏はちらつかなかったようで、「祈る」ことをしなかった。斎藤は、キリスト教への入信をすすめにきていた親切な友人に対しても、「霊魂などというものは残るはずはない。人間のことは生まれてから死ぬまでのことで、死んだあとには何も残りません。我生を知らず、何んぞ死を知らんや、と孔子先生は言われたそうですが、その通りです。強いて宗教といえばこれが自分の宗教であります」といいのけた。自分は生きることがどういうことであるかの理解もままならぬのに、死んだあとのことはとても考えられない、自分は生きることで精一杯だ、ということなのだろう。

 宗演和尚と知り合った当時、まだ斎藤は政治家ではなく名もない弁護士見習いであったのであるが、宗演和尚から「一緒に座ろうではありませんか」と誘いを受けた。高名な僧からの申し出だけに普通は光栄と感じるもので、禅に関心のない者であっても一度試してみてもいいと思って不思議はない。

 しかしそういう斎藤であるから、高名な和尚であることを知ってか知らずか、先に書いた「斎藤の宗教」について語ったという。斎藤は宗演和尚から「あなたはこの上座禅する必要はありません」と言われたそうである。それが、斎藤という青年を見上げものだと宗演和尚が感心したうえのことなのか、あるいは生意気な若造だと見下した結果としての言なのか、斎藤の自伝の記述だけでは知ることはできない。

 が、ともかくこれは漱石と斎藤という同時代の男ふたりの違いを示すエピソードとして面白い。もちろんそれは人物的にどちらが上とか下とかいう意味ではない。斎藤の理にかなったものの考えは生涯一貫しているが、漱石の苦悩の深さも尋常なものでなかったことは作品から知れる。

 斎藤の方はそれで宗演和尚から公案を出されることはなかった。

 問題は、漱石が解くことのできなかった「父母未生以前の本来の面目如何」という公案についてである。これは直訳的に言い直せば「あなたの両親が生まれる前のあなたという人間の本性は何か」ということになる。両親が生まれる前であるから、「私」が生まれることも不確実なときに、「私」の本性があったのかどうかは怪しいが、しかし禅ではそこから考えることが人間の本性を考える本質であるらしい。

 この問いは「無門関」という、宋の時代の中国でつくられた禅の教科書に出てくる。それが日本にも伝わって禅宗の僧たちがのちに恒常的に用いるようになったようで、明治期においてもその教科書は教科書としての地位に変りはなかった。漱石の時代にあってその問いは禅の「定石」というべきものであったのだろう。

 ところで、「無門関」は中国でつくられた禅の教科書であるが、インドでは、それよりも500年ほど前に同様の問いを弟子たちに投げかけていた哲学者がいた。

 インドから中国に仏教が伝わったのは紀元後すぐのことであり、有名な玄奘三蔵がインドに行って大量の仏典を持ち帰ったのはそれよりはるか後、紀元7世紀である。インドでは古代より宗教家と哲学者との違いがなく、宗教家はすなわち哲学者であったそうであるのでその肩書きは正しいかどうかわからないが、ともかく同じような問いを弟子に問いかけたのはシャンカラという人であった。シャンカラは紀元700年に生れたというから玄奘より少し後の時代の人である。

 前田専学氏の著書「インド的思考」によると、「シャンカラは、再三再四、われわれのうちにあるとされる自己の本体と、宇宙の基本原理ブラフマンとが、同一であると説い」た哲学者であった。

 坐禅の瞑想を続けていると、自分の身体と外界との境が不明瞭になり、身体の輪郭を失うような心境になることがあるそうである。俗にいう自然との一体化であり、あるいは自分が自然の一部であるという実感である。それは身体だけでなく、心もそのように感じられるようで、そのとき自己は「宇宙の基本原理」と同一化する、少なくともその一部であるという境地に至る。仏教的にいえば、これが悟りの体験なのだろう。

 「ブラフマン」というのは「梵天」のことで、夥しいほどあるインドの神々のなかで中心に位置する神であり、それゆえブラフマンは「宇宙の基本原理」だと考えられた。一方、人間個人の「我」は「アートマン」と呼ばれた。シャンカラはブラフマンとアートマンとが同一である、「梵我一如」を説いたようである。「梵我一如」は、私たちの自己の本体は宇宙の基本原理と同一である、ということである。ことばでは簡単に言えるが、この意味を理解することは難しいのだろう。

 現在のインド国民を形成する民族の7割から8割はインド・ヨーロッパ語族に属するアーリア系の人たちである。アーリア人は中央アジアのあたりにいた民族でインド土着ではないが、紀元前1500年ころにはインドの地へ移住をはじめたようである。ブラフマンとアートマンはこのアーリア人の信仰していた宗教のなかから生み出された考えで、インドの原住民を征服しながら自分たちの信仰を根付かせた。それゆえ、梵我一如もシャンカラの独創ではなく、2千年に及ぶアーリア系インド人たちの抽象的思考、哲学的思惟の積み重ねのなかから確立されたものである。シャンカラはそれを精緻な理論によってまとめあげたのである。

 西洋においても、「人間は神の一部である」という考えは古代ギリシャの哲学のなかにすでにみられる。「キリスト教の成立と古代ギリシャ」の稿で書いたが、ストア哲学は理性に従って生きることが人間の生きるべき道であると説いた。理性は感情に対しての意味であるが、宇宙には「指導理性」というものが存在し、人間はその一部を精神のなかにもっている。人間はその一部を担っている指導理性に従うべきであるというのである。この指導理性は神にほかならない。神は絶対的に正義であり、全宇宙を指導する理性であった。

 日本人には、そのいにしえの思想をたどっても、人間の精神は宇宙の指導原理や神といった存在と同一であるとか、その一部を担っているというような発想はないのだろう。中国においても、「天に従う」とか「自然との一体化」という考えはあるのだろうが、人間の精神が天や神といったものと同一であるというような考えはないのだろう。優れているとかいないとかを言うつもりはないが、こういう発想は、インド・ヨーロッパ語族ということばの起源を同じくする民族に共通する思考なのかもしれない。人間の精神が神と同一であるという考えは、人間を正しき存在として規定せずにはいないから、行動を自ずと道徳的、倫理的なものに強制する。カントに至ってもその人間観は変わることはなく、カントの目指したものは道徳的善へ向かう「当為の生」であった。

 ストア哲学の時代からは数百年の後であるが、インドにおいてシャンカラという哲学者が同じようなことを考えた。シャンカラは、弟子にしてほしいとやってくる者には必ずまず「君は誰ですか」という質問をしたそうである。

 初対面の目上の人間から「君は誰ですか」と問われたら、誰でも、「私は〇〇からやってきた〇〇というもので、今は学生です」程度に答えるのだろう。人は、「君は誰ですか」という問いを投げかけてきた人に対しては、自分の名前や出身や職業を知りたいという意図をくみとるものである。当時のカースト制下のインドであれば、それは「私は〇〇国の〇〇家系というバラモンの息子でございます」という答えであったかもしれない。

 しかしシャンカラは、自己についてのそういう認識が誤っているといって、彼に教えをはじめるそうである。家系や階級は「本来の自己」とは関係がない。その本来の自己と関係のないものを結びつけている考えは誤っている。本来の自己はアートマンであり、アートマンには家系や階級は意味をもっていない。家系や階級はアートマンの外のことである。

 シャンカラは、「君は誰ですか」という問いかけをすることによって彼のもつ常識の見識を否定しようとした。常識の見識に至る原因は、彼がそのことに気がついていないということであった。それは「無明」であり、シャンカラはこの無明を取り除くためには知を求めなければならないという。シャンカラは、こうして弟子をシャンカラの哲学に導入したようである。無明を乗り越えた先には苦悩からの解脱の世界がある。インドの哲学や宗教の基本はすべて人生の「苦観」にあるから、シャンカラの目指すところも仏教と同じである。

 「本来の自己」とは、自己の外のものをすべて剥ぎ落としたとき、そこに何があるかという問いであり、シャンカラはそこにはブラフマンと同一となったアートマンがいるはずだ、ということなのかもしれない。

 こうしてみると、私などは、シャンカラの「君は誰ですか」という問いに対する答えは「梵我一如」くらいでどうなのかと思うが、それはおそらく「ちょこざいな」答えとして一笑されるにちがいない。インドという抽象的普遍的思考を好む国の大哲学者の思惟はそんなに浅はかではない。答えに至るにはまず、そのブラフマンとアートマンが何であるかを理解しなければならないのである。アートマンを知るにはブラフマンを知らなければならないのである。ところが、ブラフマンは「宇宙の基本原理」であり、それを人間である「私」が知らねばならないのである。それはおよそ不可能なことに違いない。

 禅はシャンカラから数百年の後に成立した。禅はこうしたインドの大哲学者の思考のあとを受け継いでいる。「父母未生前の本来の面目如何」はインドや中国という国の思想家や宗教家たちの長い長い思考を経て考えつかれた最も難解な問いであるのだろう。難解さでいえばそれは数学の世界で未だ解決されていない問題のようなものかもしれない。しかしこの問いが難解なのは、ただ難解というのではなく、答えを見いだす過程そのものが人間の本質に迫るものであったからなのだろう。

 それゆえ、この問いに対する答えに至る道は容易ではなく、僧侶にとっては十年、何十年という修行が必要であるはずである。あるいは生涯答えにたどりつくことのできない僧もいるかもしれない。漱石はこの問いに答えられなくてその後長くひきづったのだが、それは漱石の人生に対する思索が浅かったからなのではなく、問い自体が難し過ぎたということだろう。

 「父母未生以前の本来の面目如何」は、おそらく一般には答えることのできない難しい問いである。

 ところでこの問いは、そもそも人間が宇宙の基本原理や神といったものの被造物である、あるいは人間の精神はそういったものの一部を担っている、ないしは写しである、ということを前提にするから、その基本原理や神といった、およそ凡人には理解できそうにもないものを相手にしなければならなくなるのである。それは大変肩の凝る対象である。

 人間が宇宙の基本原理や指導原理、あるいは神といったものによってつくられている、その一部を担っているという前提に立つことは、人間というものが目的をもっているに違いないと考えさせずにはいない。神は宇宙を意味なく創造するはずはないからである。そうすると、人間は「自己の本性」に苦悩せざるをえない。

 しかし、前稿の続きになるのであるが、「私はたまたま生まれてきた、そして死ぬのも思うにまかせないことだ」と呑気に考える人にとっては、案外この難問は何でもないことかもしれないのである。それは答えにたどり着くことができるという意味ではなく、問いをまともに受け止めることがないかもしれないという意味である。

 私が生れてきたのはたまたまのことであり、それは「あの犬」や「あの猫」と同様に極く自然なことであり、格別のことはない。私の生は宇宙の基本原理や神のはからいとは無縁のことで、ただひとつの生命体が生まれ死んでゆくだけのことである。仮に私が死んだとき、私の生が神の摂理を実現したということであったとしても、それは私の生の「結果」であって、「目的」ではない。私が生まれたのはたまたまであると考える人にとって、生の目的は自分が決めることであり、しかもそれに「正解」はない。

 彼に「父母未生以前の本来の面目如何」と問えば、即座に「そんなものない」と答えるか、「知らない」と答えるかして、それで平気な顔をしているのかもしれない。それでいて彼の心のなかには「本来の面目」がないわけではない。彼の心のなかには、「生まれる目的はないが生きる目的はもっている」ということである。「本来の面目」は自分以外の者によって生まれる前から決められていたことではなく、生まれてから後に生の営みのなかで自分が決めていくことである。「本来の面目如何」という問いであれば答えようはあるが、「父母未生以前の本来の面目」と問われれば「無い」としか答えようがないから、彼はこの公案に悩むことはないのだろう。

 もちろん彼には「父母未生以前」の意味はシャンカラの言ったように肩書きや素性といった自己の外のものを象徴しているのであり、まずそういうものを剥ぎ落とせという意味であることはわかっている。そのうえで何があるかというのが「本来の面目」であるということで、そういうこともわかっているが、そうすると、すべてを剥ぎ落した「私」には「私の特殊」は存在しないということになり、やはり、そこに自己の本性は「無い」としかいいようがないのである。

 ひとりの人間は普遍と特殊の統合である。

 生まれてからの生きた跡が「私」の特殊をかたちづくるのであって、あるいは「私」の特殊は生きているなかでだけ創造されるのであって、それを剥ぎ落すと人間には普遍だけが残る。普遍は類的存在としての人間の本来の面目にはなっても、自己の本来の面目にはなりえない。それゆえ、自分は「たまたま生れてきた」と考える彼にとって、「父母未生以前の本来の面目」の問いには少し格好をつけて「無」と答えるか、あるいは正直に「わかりません」と答えるしかないのである。

 仏教は「煩悩」を取り払うためには「自己への執着」から離れなければならないと教える。この「自己に執着しない」という場合の「自己」と、今言う「私の特殊」とは別のものを指しているのだろう。そこに根拠があるわけではないが、それは「自己にとらわれること」と「私という特殊に従うこと」という謂いの違いのなかに象徴されているのだろうと思う。

 言い添えておくと、上のように書いたからといって、私は宇宙の基本原理や神といったものの存在を否定しようとするのではない。私はどちらかといえば、そういうものは存在するにちがいないと思っている方である。

 春になれば毎年ほぼ同じ日に桜が花を同じように咲かせるのは不思議であるし、太陽系の惑星がほかの天体と衝突もせず同じ軌道をまわり続けていることも不思議なことで、それらが生物学的に物理学的に説明されたとしても、少なくともそういう秩序を最初に生みだしたものがあるはずである。そのことが何か目に見えない大いなる力が存在することを証しているのだろうと思う。川が決まって上から下へ流れるように、何か神のような神秘の力がこうした宇宙の秩序と法則を創造したのだろうと思う。

 私の存在は宇宙の基本原理や神といったものに比べれば細胞のようにちっぽけなもので、その意志や行動は、上から下へ流れる川のなかの一滴のように、神がうみだした秩序や法則に沿っているに過ぎないのかもしれない。しかし、仮に私が生を終えたときにその跡を振り返ることができたとして、また、ありそうもないことだが、もしも私の生きようが川の流れに沿ったものであったとして、しかもそれを知ることができたとすれば、きっと私はそのことを幸せに思うにちがいない。それは、私のような人間の精神でも宇宙の原理や神といったものと一致したことを知ることだからである。

 けれども、万が一そういう幸運にめぐまれたとしても、くりかえしになるが、私の生は、私が神の意志を認識したうえでのものではなかったのである。それは、私の特殊への自由な意志が結果として川の流れという必然のなかにあったということである。それは確かに私の望むことであるが、しかし私は川の流れを選択したわけではないから、そうならなかったとしても仕方ないことなのである。 (了)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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