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「技術に西洋中心の普遍性はない」——哲学者ユク・ホイにきく京都学派とテクノロジー
西洋の技術論に対して、日本を含むアジアの技術の多様性をどう捉えるべきか?
京都学派の思想と現代のテクノロジーをどう結びつけられるのか?
🗣️ 「技術とは、宇宙的秩序と道徳的秩序が合一するところなのです。」
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https://distance.media/article/20250305000416/ 【哲学者ユク・ホイが語る、京都学派とテクノロジー(前篇)】より
技術に西洋中心の普遍性はない ユク・ホイ/原島大輔
『中国における技術への問い』『芸術と宇宙技芸』などの著作で知られる、香港出身の哲学者ユク・ホイさん。2024年晩秋に来日し、シンポジウムや講演を行った。西洋哲学に由来する現代のテクノロジー論に対し、日本を含むアジアの技術の多様性を踏まえ、「宇宙技芸」という独自の技術論を展開している。はたして「宇宙技芸」とは何か?——基礎情報学者でユク・ホイさんの『再帰性と偶然性』の翻訳者でもある原島大輔さんがインタビューし、その思考を読み解いた。
哲学の問いとしての技術:「技術的な時代にふさわしい思考を求めて、新たな哲学的アプローチを切り開くことが必要なのです。」
宇宙技芸:「技術とは、宇宙的秩序と道徳的秩序が合一するところなのです。」
「近代の超克」と京都学派:「私たちは再び、西洋と東洋の対立のなかで、故郷回帰の欲望にとらわれているのです。」
地政学、故郷、技術:「京都学派の哲学者たちにとっては、技術こそが問題であったように私には思われます。」
哲学の問いとしての技術:「技術的な時代にふさわしい思考を求めて、新たな哲学的アプローチを切り開くことが必要なのです。」
——ユク・ホイさんは技術についての哲学的な思索、とくに「技術多様性」(technodiversity)や「宇宙技芸」(cosmotechnics)という技術概念の提唱で知られています。どのような問題意識からそうした仕事に取り組んでこられたのでしょうか。
ユク・ホイ 技術が本格的に哲学の問いとなったのは、ようやくここ2世紀のことだという見方があります。西洋哲学にせよ東洋哲学にせよ、哲学史において技術の問いは多かれ少なかれ抑圧されてきたのであり、産業化によって技術の問題が巨大化する近代までは、前景にあらわれてこなかったというわけです。しかしこの見方は、哲学を反動的な立場に置くことにもなりかねません。つまりメランコリックな近代批判としての哲学です。
私が出発点にしたのは、むしろ哲学と技術にはもっと親密な関係があるという立場です。実際、哲学史上においても、西洋ではプラトンの対話篇(想起の問い)、東洋では『易経』の注釈(道と器の関係)に、それがあらわれています。この親密性は依然として研究の必要があります。というのも今日、技術は社会を、そして哲学のほぼ全領域を、困難に直面させているのに、技術の理解はあまりに限定的なものにとどまっているからです。この技術的な時代にふさわしい思考を求めて、新たな哲学的アプローチを切り開くことが必要なのです。
たとえ技術の問いが哲学的な議論の俎上に載せられたのがこの2世紀のことでしかなかったとしても、それ以前からずっと技術はなにか普遍的なものであると当たり前のように考えられてきました。私が問題としてきたことのひとつは、まさにこのことです。技術が普遍的なものとして考えられているというのは、つまり技術の理解がただひとつのものに均質化されてしまっているということです。普遍的な合理性と関係したものとか、機械的な因果律と関係したものとか、そういった技術の理解です。
それで私は、技術を物理法則に還元しようとするそうした理解が、ごく限定的なものでしかないことを示そうと思ったのです。そのような技術概念は、きわめて西洋的、あるいは主にヨーロッパに由来するものといえるでしょう。それからもちろん、アメリカ的ともいえます。そうした技術の理解はあまりに狭いものですから、《拡大》する必要があります。そのために私は、「技術多様性」を提唱し、さまざまのローカルな場所における技術多様性を示し、論証することに努めてきたのです。
たとえば中国や日本、あるいはラテンアメリカやアフリカには、実際にさまざまな技術の理解を見いだすことができるでしょう。そして思想史そのものにおいてもこれまで無視されてきた、あるいはすでに述べたようにきわめて抑圧されてきた、さまざまな技術思想をすくいあげることがおそらくできるでしょう。そういうわけで私は、技術多様性という概念を、思考と技術の関係に踏み込むひとつの哲学的な企てとして提案することにしたのです。
宇宙技芸:「技術とは、宇宙的秩序と道徳的秩序が合一するところなのです。」
ユク・ホイ それからもうひとつ、私が向き合わなければならないと考えている現代の技術の問題は、技術が普遍的で画一的なものとなっているために、この「技術」を高速化したり、収束ないし順応したりすること以外に、できることが何もなくなっている、というのが今日の実情であるように思われることです。
それで私は10年ほど前、「宇宙技芸」という概念を提唱することで、技術は普遍的な技術概念によって捉えられるようなただひとつの均質的なものではなく、むしろ今でもさまざまのローカルな場所に見いだせるように、多数の宇宙技芸があるのだということを示しました。
宇宙技芸という技術概念はそのようなローカルな場所性そのものと関係しています。場所性というとき私が念頭に置いているのは、宇宙論です。宇宙論は、普遍的なものではないし、純粋に理論的なものでもありません。宇宙物理学のことではないのです。宇宙物理学はあくまで近代科学に属するものです。
たとえば日本で空を観察するのと、ラテンアメリカのチリで空を観察するのとでは、実際にはただ違う空を見ているということだけでなく、むしろ違う環境(緑豊かな日本の山々と、野生のサボテンが立ち並ぶ乾燥したチリの山々)と相互作用しているということ、そしてそうしたそれぞれの環境のなかで相互作用しているということなのです。つまり、実際には複数の異なる宇宙論があり、それらが日常生活の行為に指針を与えている。
そして技術とは、この宇宙的秩序と道徳的秩序が合一するところなのです。技術的活動とは、宇宙的秩序と道徳的秩序を統一する活動なのです。言い換えれば、技術の使い方はそれぞれの宇宙論と密接に関係しているわけですが、それだけでなく、その場所性ごとに異なる種類の思考が出現してくるのです。
簡潔に説明するなら、以上が宇宙技芸という概念です。その狙いは、こうした技術の概念を思想史のなかから取り戻すことです。そして今日の技術開発にどう向き合うか、どう思考したらよいかという問いに取り組むことなのです。
「近代の超克」と京都学派:「私たちは再び、西洋と東洋の対立のなかで、故郷回帰の欲望にとらわれているのです。」
——今回の東京滞在では、「近代の超克」をテーマとしたシンポジウムを開催されていますが(「The Standpoint of Heimatlosigkeit and the Planet(故郷喪失的立場と惑星)」東京大学本郷キャンパス、2024年11月29・30日)、その意図や問いはどのようなものだったのでしょうか。
ユク・ホイ いろいろとあるのですが、いくつかを挙げます。第一に、今日の状況は、かつての日本における「近代の超克」運動と、じつによく似た何かが実際に起こっているように思われるということがあります。1930年代後半から1940年代前半にかけて生じた「近代の超克」は、京都学派[★01]と密接に結びついた運動でしたが、実際にはそれだけでなく、多くの日本の知識人が関係していました。
今回のシンポジウムの出発点は、1941年に京都学派の4人の思想家(高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高)がおこなった座談会「世界史的立場と日本」に立ち返ることでした(高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高述、中央公論社編『世界史的立場と日本』中央公論社、1943年)。
この座談会の狙いは何だったのでしょうか。これは非常に長い座談会でしたから、細部に立ち入ろうと思えばいくらでもできてしまいますが、ここでは簡潔に述べましょう。彼らは、それまでの世界史は西洋の視点ないし立場から見られたものであったと考えていました。それとともに、彼らがそのとき目の当たりにしていたのは、西洋の頽廃と衰退でした。したがって、これからは日本が道徳的な責任を引き受けて世界史を書き換えてゆかなければならない——これがこの座談会の要点でした。
それがのちに戦争と急接近することになるのは周知のとおりです。実際、この座談会は日米開戦直後のものでした。そして帝国主義やナショナリズムと関係を結ぶことになってしまったのです。こうしたことは日本ではよく知られたことですから、私が説明するまでもないでしょう。
むしろ私が言いたいのは、今日私たちは、気がつけばこれと非常によく似た状況にいるということです。私たちは再び、西洋と東洋の対立のなかで、ますます膨れ上がる故郷回帰の欲望にとらわれているのです。それは京都学派の哲学者たちが日本という故郷から世界史を考えようとしたのと似ています。そして歴史をリセットする可能性として戦争を考えようとしたのと。
今日、それは中国やロシアだけでなく、アメリカ合衆国やドイツなど多くの国で見られます。ですから私は、第一に、「近代の超克」のさまざまな運動に立ち返ることがきわめて重要であると考えているのです(私がここで運動を複数形にしているのは、これが日本だけには限られない歴史的な現象であったからです)。
地政学、故郷、技術:「京都学派の哲学者たちにとっては、技術こそが問題であったように私には思われます。」
ユク・ホイ そして第二に、彼らが当時観察していたことを単純に否定できないということがあります。というのもそれは実際にひとつの世界史的出来事であったし、何かをなさねばならなかったからです。彼らの観察と分析は完全に間違っていたというわけではないし、だからこそ今日でも依然として注目されている。しかしそうはいっても、では私たちは自分たちの状況にどう応答したらよいのでしょうか。
地政学と故郷と哲学について考えるためには、京都学派の思想家たちがしたように、あるいは彼らの前にハイデガーがしたように、伝統に回帰すればよいのでしょうか。この危機に向き合う私たちにはどのような別の可能性があるのでしょうか。
京都学派の哲学者たちにとっては、技術こそが問題であったように私には思われます。というのも技術こそが、ヨーロッパ的な近代の普遍化を可能にしたものだったからです。ただし、彼らのこの問題への取り組みは曖昧なものにとどまっていたように思います。
もっとも彼らが技術の問いに自覚的であったことを否定するわけではありません。たとえば、三木清には『技術哲学』(岩波書店、1942年)という著書がありますし、戸坂潤もまた技術哲学について本(『技術の哲学』時潮社、1933年)を書いていますし、他にもいろいろと自覚的な取り組みがなされていたのはたしかです。
しかし私は、彼らの技術の理解の仕方に非常に問題があったと考えているのです。そしてそれを繰り返してはならないと考えているのです。
哲学者ユク・ホイが語る、京都学派とテクノロジーの画像
一例を挙げるなら、三木は技術に新たな精神、たとえば「日本精神」を与えなければならないと述べています。しかし機械に付け加えることができる日本精神とはいったい何を意味しているのでしょうか。彼は、それは有機的なものであると述べています。ところが彼はそれを、ドイツ語を音写してカタカナで「オルガニスムス」と表記してもいます。つまり日本精神は、有機的であり、しかもそれはドイツ的なのです(同様のことは、20世紀の中国で、漢方が有機的なものとして特徴づけられた際にも起こっています)。
こうしたことはしばしばなされるわけですが、これはまったく日本的でない身振り、すなわちイマヌエル・カント以後のヨーロッパ的な身振りを、程度の違いはあれ繰り返しているように思われます。他にも、西谷啓治の技術理解についてなど、これまで私はこの問題についていろいろなところで論じてきました。その真意は、京都学派に立ち戻ることで、技術の再考を呼びかけ、地政学の展開を問い直し、終末論的な感傷の流行や悲観論の予兆からどうしたら脱することができるのか問題提起することなのです。
https://distance.media/article/20250310000417/ 【哲学者ユク・ホイが語る、ポストヨーロッパ哲学とテクノロジー(後篇)】より
メディウムに抵抗する芸術の可能性
ユク・ホイ/原島大輔
哲学者ユク・ホイが語る、ポストヨーロッパ哲学とテクノロジー(後篇)の画像
ユク・ホイさん
香港出身の哲学者ユク・ホイさんのインタビュー後篇。テクノロジーによるグローバル化、さらに「惑星化」がもたらした故郷の喪失。何が東洋で何が西洋なのかもはや判別すら難しい世界において、どうすれば特定の伝統を超えて、複数の思考を生みだせるのか? また、「メディウムへの抵抗」という芸術が果たす役割をつうじて、NFT、生成AIといった目まぐるしく変化するデジタル技術とどう対峙するか、思考を巡らせる。(前篇はこちら)
故郷喪失的立場と惑星:「技術的なグローバル化や惑星化による故郷喪失に、私たちはどう向き合ったらよいのか――。」
ポストヨーロッパ哲学と思考の個体化:「私たちは、何が東洋で何が西洋なのか明晰に判別することが非常に難しい世界に暮らしているのです。」
思考の個体化について考えること:「ハイデガーが『思考』と呼んだものからは截然と区別されなければなりません。」
西田幾多郎と牟宗三:「私たちは彼らから学びながらも、私たちの時代においてさらに先へと進まなければならないと思います。」
芸術とメディウム:「2年前にはあんなにたくさんNFTについて議論されていたのに、次はメタバースになり、今度は生成AIと芸術について皆が語っています。」
メディウムに抵抗するとは:「ベンヤミン以来、幾度となく繰り返されてきた技術決定論的な芸術とメディウムの関係の解釈を斥けるということです。」
生成AIの限界と「非合理」:「メディウムの限界に抵抗するために、メディウムを受け入れる。この逆説こそが、多くの芸術家のなかで働いていたのです。」
故郷喪失的立場と惑星:「技術的なグローバル化や惑星化による故郷喪失に、私たちはどう向き合ったらよいのか――。」
——今回のシンポジウムのタイトルは「故郷喪失的立場と惑星」でしたが、まず故郷喪失(Heimatlosigkeit, homelessness)とはいったい何を真に意味しているのでしょうか?
ユク・ホイ 1930〜40年代には、故郷の消滅について、日本やドイツなどで盛んに議論されていたことが知られています。ですから私としては、「世界史的立場と日本」と「故郷喪失的立場と惑星」という二つを比較することで、「近代の超克」運動を鏡として、過去に向けても未来に向けても、私たちがいま直面しているものを映し出そうとしたのです。
前世紀に生じ、今日のファシズムや反動的運動の種を蒔いた、技術的なグローバル化や惑星化による、今日の一般化した故郷喪失に、私たちはどう向き合ったらよいのか――。
哲学者ユク・ホイが語る、ポストヨーロッパ哲学とテクノロジー(後篇)の画像
それから、これもまた日本だけに限ったことではありませんが、今日私たちはこの惑星についても考えなければなりません。なぜならそれもまた、プランテーションに始まり、植民地化、近代化、グローバル化、等々と続いてきた、技術的なグローバル化の帰結だからです。この惑星は、国民国家の後に、そして[スプートニク打ち上げやアポロ計画といった技術的な宇宙開発の成果として]衛星から送られてきた「青い地球」の画像の後に、出現したものです。
そういうわけで、私がこのシンポジウムで取り組みたかったことはたくさんあります。そして、このプロジェクトを続けるのに日本以上にふさわしい場所は私には思いつきません。今回のシンポジウムを最初の一歩として、これからも議論を続けていきたいと思っています。
ポストヨーロッパ哲学と思考の個体化:「私たちは、何が東洋で何が西洋なのか明晰に判別することが非常に難しい世界に暮らしているのです。」
——この課題に取り組むには、あなたが「ポストヨーロッパ哲学」と呼ぶもの、あるいは「思考の個体化(individuation)」と呼ぶものが欠かせないように思われます。これについて簡単に解説していただけますか。
哲学者ユク・ホイが語る、ポストヨーロッパ哲学とテクノロジー(後篇)の画像
原島大輔さん
ユク・ホイ 今日、私たちはイデオロギー戦争の時代を生きています。そしてこの世界を救う唯一の道は、古代ギリシアに回帰することだとか、古代中国に回帰することだとか、まるで問題の解決策が何千年も前のどこかにすでに隠されているかのように述べ立てる向きもあります。
しかし私は、そういうのは簡単に却下してよいと思います。不可能だからです。歴史上の誰も、今日私たちが直面している状況を予想してはいません。すでにお膳立てされていて、じゃあこれを使おうという感じでたやすく自由や平和を手に入れられるような、都合のよい知恵などありはしないのです。
私のいうポストヨーロッパ哲学とは、特定の伝統を超えて現在の状況について反省し、思考の個体化を促進しようという呼びかけです。私たちは皆、ポストヨーロッパ人です。ヨーロッパ人もポストヨーロッパ人です。なぜなら第二次世界大戦以降、ヨーロッパはもう世界権力の中心ではなくなったからです。これはチェコの現象学者ヤン・パトチカ[★01]も繰り返し述べていたことです[たとえば、J. Patočka, Europa und Nach-Europa: Zur Phänomenologie einer Idee (Baden-Baden: Karl Alber, 2020)を参照]。彼はポストヨーロッパ的思考を呼びかけました。ただし彼はそれをプラトンへの回帰によっておこなおうとしました。
私たちアジア人もポストヨーロッパ人です。というのは、私たちはすでにこれほどまでの長きにわたる近代化を経ているからです。近代化とは、ヨーロッパ化、そして後にはアメリカ化と言い換えてよいものです。
たとえば、私たちは今、銀座でこのインタビューを収録していますが、あたりを見回してみると、これは今なお日本的であるというべきなのか、単にヨーロッパ的であるというべきなのか、よくわからないことになっています。私たちは、何が東洋で何が西洋なのか明晰に判別することが非常に難しい世界に暮らしているのです。方向喪失(東方喪失、disorientation)と呼ぶことができるかもしれないような瞬間にいるのです。
まさにこのポストヨーロッパの問いに取り組むのに“十全”な哲学ないし思想が必要なのです。
思考の個体化について考えること:「ハイデガーが『思考』と呼んだものからは截然と区別されなければなりません。」
ユク・ホイ 私は思考の個体化と自分で呼んでいるものについて、二つの仕方で考えることを提案しています。二つの次元といってもよいでしょう。
第一に、個体化という概念は、あるひとつのシステム内の緊張や衝突を前提としています。それらがシステム内の緊張や共存不可能性を解消しようとするところに個体化が起こるのです。そしてその過程で、それは自己を再構築し、新たな思考を生み出すのです。ですから、東洋や西洋について何かを主張することは今日ではイデオロギー的になりかねないと先ほど述べましたが、それはもろもろの差異を無視すべきであるという意味ではありません。つまり、たとえば日本的な考え方と中国的な考え方の違いといったものを無視してよい、ということではないのです。
これはまた、私たちが調和的な世界に生きており何の問題もない、という意味でもありません。むしろ、実際に起こっているもろもろの衝突を可視化する必要があるのです。哲学的な衝突、概念的な衝突こそが、個体化の条件を私たちに発見できるようにしてくれるのです。
哲学者ユク・ホイが語る、ポストヨーロッパ哲学とテクノロジー(後篇)の画像
ハイデガーは、周知のとおり、技術的惑星化に直面したとき、思考の問いに立ち返ろうとしました。それはたとえば彼の講義録『何が思考と呼ばれるか(Was heißt Denken?)』にあらわれています(『ハイデッガー全集 第8巻 思惟とは何の謂いか』四日谷敬子、ハルトムート・ブフナー訳、創文社、2006年)。彼は、サイバネティクスによって画定された、哲学の終焉以後の存在の思考と呼ばれるものに取り組もうとしていました。
しかし私が提案するのは、思考の個体化について考えることであって、思考について考えることではありません。というのも、何が思考と呼ばれるかと問いを立てている限り、思考の本質に引き戻されてしまうからです。それはハイデガーにとっては存在(有)の思考であり、古代ギリシアに始まるひとつの伝統です。つまりそれは、たとえば日本や中国とは関係ないものなのです。ハイデガーにとってそれは、古代ギリシアにおいてすでに述べられていたものの、まだ聞き届けられていないものに回帰することなのです。私のいう「思考の個体化」は、そのようにハイデガーが「思考」と呼んだものからは截然と区別されなければなりません。
それから第二に、思考の個体化が起こるのはアカデミックな哲学の内部ばかりではありません。もちろん、アカデミックな哲学においても思考の個体化をなさなければなりません。それは難しいことですが。しかし、それだけでなく思考の個体化は、技術の思考、技術の理解、技術の使用、そして技術の発明においても、おのれを表現しなければならないのです。ですからそれはアカデミックな哲学内部での革命に終始するものではないのです。
学者たちは今日、世界哲学について議論しています。とくに日本では盛んです。もし世界哲学に今日取り組むとしたら、それは日本思想や中国思想やポーランド思想やアルゼンチン思想等々の世界的な思考の地図を作成するということではないでしょう。思考に国民性を与えて博物館にでも陳列するかのようにサンプルを採ってくるなどばかげています。これではせいぜい思想の歴史的アーカイブにしかならず、世界哲学というより国民哲学になってしまいます。
もちろん「世界哲学」そのものを信用するなというつもりはありません。そうではなく、それに取り組む方法論を見つけ出す必要があるということなのです。そしてそれをこそ私は、思考の個体化と呼んでいるのです。それは「世界哲学」に活力を与えます。つまり私たちの日常生活と実践に浸透させてくれるのです。
そしてそのためにも、私たちを大きな困難に直面させている、技術の問いに取り組まなければならないのです。ですからこれは、宇宙技芸や技術多様性とも根底で通じているのです。私たちが直面している現実的な問題に関わっていかなければなりません。
昨日、私はある若い日本のエンジニアから、宇宙技芸をめぐる拙著についてこんな感想をいただきました。「自分の会社はそこで述べられているような考え方をしていないが、自分自身は違う考え方をしたいのだ、技術について違う理解の仕方をしたいのだ、別の技術を作りたいのだ」、と。私は大いに励まされました。そして哲学はここからさらに先へと進まなければなりません。
西田幾多郎と牟宗三:「私たちは彼らから学びながらも、私たちの時代においてさらに先へと進まなければならないと思います。」
ユク・ホイ ようするに、ポストヨーロッパ哲学や思考の個体化は、衝突を避けるためのものではなく、むしろどうすれば新たな複数の思考を生み出すことができるのかについて考えるためのものなのです。
西田幾多郎を例に挙げましょう。西田は、東洋思想は「無」をめぐるもので、西洋思想は「有(存在)」をめぐるものだと述べています。彼はここで衝突を生じさせています。この衝突は解消されなければなりません。そして実際それこそが、私の解釈では、西田哲学にほかならないのです。
哲学者ユク・ホイが語る、ポストヨーロッパ哲学とテクノロジー(後篇)の画像
同じことが、中国の大哲学者、牟宗三[★02]にもいえます。牟は、西洋哲学は現象に焦点をあて、東洋思想は本体に焦点をあてると述べています。この図式はカント的なものです。彼がこのような対立を持ち出すことを非難することもできるでしょう。ですが、彼は方法論上そうしたのです。つまり衝突を設定したのです。そして、それをいかに調停するか、いかに解消するかというところに、牟哲学が立ち上がってくるのです。
牟宗三と西田幾多郎は、思考の個体化について考えるにあたり非常に興味深く重要な2人の人物であると私は思います。しかしそれとともに、私たちは彼らから学びながらも、私たちの時代においてさらに先へと進まなければならないと思います。
芸術とメディウム:「2年前にはあんなにたくさんNFTについて議論されていたのに、次はメタバースになり、今度は生成AIと芸術について皆が語っています。」
——昨日(2024年12月1日)は、シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]で開催された国際シンポジウム「アート&テクノロジーの相対化に向けて」に登壇し、「芸術とメディウム」について講演されました。そこではメディウムに対する抵抗、そして非合理的(non-rational)なものについても論じられていましたが、急激なデジタル化が進む今日の状況における芸術と技術の関係を考えるにあたり、それらはどのような意味をもつのでしょうか。
ユク・ホイ 藤幡正樹さんにお招きいただき、CCBTで講演をしました。CCBTは渋谷にあるアートとデジタルテクノロジーの活動拠点です。最初は宇宙技芸について話そうかと考えていたのですが、最終的には芸術とメディウムについて話すことを選びました。自説を講義するよりも、参加者と対話がしたかったからです。ともに思考するということに参加者を招待したかったのです。それで参加者に馴染み深いであろう主題、つまり芸術とメディウムを選んだというわけです。芸術家であれば誰もメディウムと関係をもたないわけにはいかないからです。
哲学者ユク・ホイが語る、ポストヨーロッパ哲学とテクノロジー(後篇)の画像
それに、事実としてここ数年、メディウムは急速に変化しています。その変化はあまりに早く、ほとんど2カ月に一度は新たなものが登場してくるほどです。たとえば、2年前にはNFTと芸術だったのが、メタバースと芸術、そして生成AIと芸術、というように目まぐるしく新たなものが登場しています。生成AI時代の芸術、NFT時代の芸術、メタバース時代の芸術、といったシンポジウムが数え切れないほど開催されているのは滑稽です。
それはまるで、電子機器のようにすぐさま時代遅れになってしまうメディウムに、芸術がどっぷり依存しているかのようです。2年前にはあんなにたくさんNFTについて議論されていたのに、今日ではほとんど見かけません。それはいわば消滅して、次はメタバースになり、そして今度は生成AIと芸術について皆が語っています。
このような芸術とメディウムの関係をこそ、私は問題にしたいのです。ですから、芸術家はメディウムを受け入れ、そのメディウムを用いて作品をつくるべきだというかわりに、私としては、芸術家はたしかにメディウムを受け入れるべきであるが、しかしそれはそのメディウムに“抵抗”するためでなければならないといいたいのです。抵抗するために受け入れるのです。
メディウムに抵抗するとは:「ベンヤミン以来、幾度となく繰り返されてきた技術決定論的な芸術とメディウムの関係の解釈を斥けるということです。」
ユク・ホイ メディウムに抵抗するとはどういうことでしょうか。それはメディウムによって私たちに課せられた限界に抵抗するということです。一例として、近代画家がどのようにメディウムに抵抗したかを取り上げてみましょう。つまり、カンバスというメディウムにどう抵抗したか、そしてそれだけでなくまたアカデミックな絵画によってカンバスに課せられた限界にどう抵抗したか。さらには抵抗するために、また抵抗することによって、どう芸術を拡大したかです。
これはたとえば、カジミール・マレーヴィチの作品《黒の正方形》に見いだすことができます。そこには対象を描く絵画に対する抵抗がありました。それはフランク・ステラにも見られますし、1963年以後のコンセプチュアル・アートにも見られますし、他にもいろいろと挙げることができるでしょう。ようするに私が試みたのは、芸術とメディウムの関係の新たな解釈を浮かび上がらせることでした。それは何よりもまず技術決定論を斥けるためでした。すなわち、ヴァルター・ベンヤミン[『複製技術時代の芸術作品』]以来、幾度となく繰り返されてきた技術決定論的な芸術とメディウムの関係の解釈を斥けるということです。
芸術がメディウムに規定されているということはできるでしょうが、しかしより精緻に見るならば、実際には芸術はメディウムを受け入れることでメディウムに抵抗しているのです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、私たちはまさにそれを見いだしてきたのです。
たとえばマルセル・デュシャンにもそれが見られます。昨日は彼の《大ガラス》を例に挙げましたが、そこには彼がどれほど数学的かつ技術的な仕事をなしてきたかを見ることができます。そして今日、もしデジタル・メディアに取り組むなら、それと似たような仕方で考えなければなりません。
こうした抵抗の考え方はおそらく芸術家にとって奇妙なものに聞こえることもあるでしょう。たとえば藤幡さんはこうした抵抗の概念を容認しないかもしれません。芸術作品をつくるためにメディウムを受け入れているからです。とはいえ私はそうした考えと矛盾したことを述べているつもりはありません。私は、メディウムを受け入れるべきだが、それは抵抗するためだといいたいのです。
生成AIの限界と「非合理」:「メディウムの限界に抵抗するために、メディウムを受け入れる。この逆説こそが、多くの芸術家のなかで働いていたのです。」
ユク・ホイ これを踏まえて考えてみたいのが、生成AIの限界は何かということです。アルゴリズムという概念は、コンセプチュアル・アートの理念を多かれ少なかれ完成させました。コンセプチュアル・アートの理念とは自動化です。そして自動化はメディウムを通じて可能になるのです。
たとえば、ジョセフ・コスース[★03]の椅子はそうしたメディウムです。彼の《1にして3の椅子》には、椅子の写真と物理的な椅子が含まれています。それらの静的なメディウムを通じて、彼はメディウムを受け入れることでメディウムに抵抗し、かくして休むことなく運動するひとつの理念を生み出しました。これはそのメディウムを超えています。
アルゴリズム、とりわけ生成的なアルゴリズムにおいて見いだすことができるのは、こうした理念、理念の運動、それも再帰的な運動が、ある程度完成されているということです。こうしたことはメディア・アートについての考察や、もしかするとコンセプチュアル・アートの終焉についての新たな視点からの考察にも通じているかもしれません。
しかし、それは同時に、アルゴリズムの限界を見きわめること、そしてアルゴリズムの背後にある計算可能性《としての》合理性の限界を見きわめることで、私が非合理的と呼ぶものを思考することでもあるのです。というのも私は、芸術作品とはつねに、芸術作品と呼ばれるからには、私たちに直接与えられていない何ものかに私たちを開くものだと思うからです。
そして芸術作品が追求するそれは、合理(rational)でも不合理(irrational)でもなく、非合理(non-rational)なのです。非合理的なものは私にとっては、精神について思考するためにきわめて重要なものです。というのも精神は、合理的なものをめざしているのみならず、非合理的なものをもめざしているからです。だからこそ私たちには芸術があり、だからこそ私たちには映画があり、だからこそ私たちには文学がある。しかしもっと根源的には、だからこそ私たちには詩があるのです。
ここでは時間の都合もあり、これ以上立ち入って論じることはできないため、非合理的なものの問いに取り組むにはまだやや一般的な話にとどまらざるを得ませんが、私としてはとにかく、メディウムに対する抵抗という考え方によって、ともに思考することへと皆さんを誘いたいのです。非合理的なものは、私たちがデジタル・メディアについて何ができるかを思考するための、あくまで一例です。
私は芸術家に解決策を提供しようなどというつもりはありません。そんなことは私にはできません。芸術家のほうが芸術作品の作家としてはるかにすぐれた洞察をしています。
私は、京都学派についてそうしたように、アヴァンギャルドを再訪したいと思っています。もっともその目的は異なります。アヴァンギャルドの芸術家と技術の関係を理解したいのです。それも、ただアヴァンギャルドは技術を受け入れているというだけでなく、アヴァンギャルドは技術に抵抗するために技術を受け入れているということを理解したいのです。
メディウムに抵抗するために、メディウムの限界に抵抗するために、メディウムを受け入れる。この逆説こそが、多くの芸術家のなかで働いていたのです。これは今日の私たちにとって、デジタル・テクノロジーとの関係を考えるにあたり、そしてとりわけ芸術創造との関係を考えるにあたり、依然として重要な何かであると私は思います。
(2024年12月2日、銀座にて)
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