https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=39 【「おおみそか」と「おおつごもり」】より
今年も「大晦日」まであと数日となった。1年の最終日である「大晦日」は、「おおみそか」とも「おおつごもり」とも読まれる。現在では「おおみそか」のほうが一般的な言い方であろうが。
「みそか」は月の初めから30番めの日、すなわち月の末日のことで、特に12月の末日を「おおみそか」というようになったのである。
「つごもり」はツキコモリで、月の光がまったく見えなくなるころをいったらしい。陰暦ではそれは月の終わりごろにあたるので、月の下旬や月の末日の意味になり、やはり年の最後の日を「おおつごもり」と呼ぶようになったようである。
井原西鶴晩年の『世間胸算用(せけんむねさんよう)』には「大晦日(おおつごもり)は一日千金」という副題が付けられていて、居留守やけんか仕掛け、亭主の入れ替わりなどさまざまな手を使って借金取りを追い返し、なんとか大晦日を切り抜けていこうとする町人たちの生きざまが描かれている。
また西鶴には「大晦日」を詠んだ、「大三十日(おおみそか)定(さだめ)なき世の定哉」という句もある。
今でこそ大晦日は、「紅白」を見たり、カウントダウンイベントに立ち会ったり、年越し蕎麦を食べたり、除夜の鐘をついたり聞いたりする日というイメージが強いが、江戸時代はまさに1年の総決算、勝負の日だったのである。
facebook相田 公弘さん投稿記事
今日は「大晦日」です。
なぜ12月31日が「大晦日」なのかというと、もともと「晦日(みそか、つごもり)」については「三十日(みそか)」と書いていて、その月の30日を意味する言葉でしたが、そこから転じて月末を意味する言葉となりました。
12月31日は年内の最後の晦日であることから「大晦日」と呼ばれるようになりました。
もともと「晦日(つごもり)」と呼ばれていたのも「月篭り」という言葉が転じたものであり、旧暦では毎月1日が新月であっため、その前日を「つごもり」と呼んでいたことが由来となっています。
最近では大晦日の本来の目的が忘れられつつありますが、大晦日はこれから新年を迎えるにあたって、新年の年神様を迎えるための行事となっています。
日本では古来から年神様を稲の実りをもたらす神として考えていたため、来年の豊作を願って年神様を迎えられるようにしていました。
現在では家族団欒をしてご馳走を食べたり、紅白歌合戦を見たり、年越しそばを食べるなどして、その年にあった出来事を振り返ったり、来年に向けての抱負を考える日にもなっています。
家族ではなくても、友人などと一緒に神社へ行って新年へのカウントダウンを行い、そのまま初詣に行くという人も多いのではないでしょうか。
来年の目標や願い事などを明確して、来年もいい年になるようにしたいです。
【大晦日の雑学】
※大晦日にやってはいけないこと
実は大晦日にやってはいけないことがあるって知っていましたか?
年末が近づいてくると色々と忙しくなってきて、12月31日に慌てて正月飾りを飾ったりしていませんか?
大晦日の日に正月飾りを飾ることは「一夜飾り」と呼ばれていて、新年の年神様に対して失礼な行為とされています。
そのため、正月飾りについては12月30日までに飾っておくのがよいとされています。
また、元旦にすぐに餅を食べたりするために大晦日に餅をついて飾ることも「一夜餅」と呼ばれていて、これも避けた方がよいとされています。
12月31日に餅をついて飾るのは年神様への誠意がかけていたり、葬儀の飾り方を連想することから、古来から避けられていました。
※年越しにそばを食べる理由
大晦日の風習として年越しそばを食べることが定番となっています。
日本には縁起が良いとされている食べ物がいくつかありますが、そもそもなぜそばが大晦日に食べられているのでしょうか。
年越しそばには様々な意味が込められていますが、まずはそばが長い食べ物であることから「そばのように長く生きる」という願がかけられていること、また、鎌倉時代に博多のとあるお寺でそばをふるまったところ、そばを食べた人の運気が上昇したという言い伝えがあり、そばがとても縁起の良い食べ物であることも由来となっています。
また、そばを噛みきるということから、その年の1年の苦労などから縁を切って新年を迎えられるようにするという意味合いもあります。
https://saiyou.doraku-holdings.co.jp/ceo20121201/ 【『大つごもり』に思うこと ― 目的と手段を混同してはいないか? 本末転倒になってはいないか? 我々の発想と行動は?! ―】より
『大つごもり』とは大晦日のことであり、樋口一葉の短編小説『大つごもり』を連想される方も多いでしょう。樋口一葉って誰?とおっしゃる方はご自分の財布を覗いてみて下さい! 樋口一葉さんに時々出会うことができます。 その樋口一葉の『大つごもり』のあらすじは次のとおりです。“主人公のお峯は両親を幼い時に亡くし、下町で八百屋を営む伯父夫婦に育てられた。しかし伯父は病の床に付き、店をたたみ、みすぼらしい六畳一間の裏屋住まい。火鉢の他は道具らしきものもなく、米びつさえもない。 そんな生活をお峯は女中奉公で懸命に支えるのであるが、伯父はこれ以上お峯に苦労を掛けまいと高利貸しから十円を借りて当座のつじつま合わせをした。ところが年の瀬も迫り大晦日には一円五十銭の利息だけでも払わなければならないし、また正月の餅代もないことをお峯に話し、奉公先から二円ばかり用立ててもらえぬものかと頼む。
奉公先のおかみさんはあいまいな返事ながらも借金を承諾してくれていたものと思っていたお峯、ところが大晦日の当日になってものらりくらり。師走の北風がひゅうひゅう吹き込む北口のお勝手で、手をすり合わせてお願いするものの不機嫌になるばかり。 ああ、どうしてもあのお金。恨めしきはおかみさん・・・ 家人が誰もいなくなったとき、引出しから一円札を二枚抜き取ってしまったのである(今の価値で約五万円)。
大晦日には大勘定(年度末決算)が行われ、引出しのお金も持ってくるよう言い付けられたお峯は、絶体絶命の思いで引出しを開ける。「無い!」 札束ごとなくなっているではありませんか。戻ってきた奉公先のドラ息子がお金をせびった後、引出しの札束を持ち去ったことが分かりました。お峯には何の疑いもかからなかった“、ということです。
26日、安倍政権が発足しました。『強い経済を回復』というキャッチフレーズは良いけれど、物価上昇率目標2%を日銀責任で達成させることを掲げ、さらには雇用回復も日銀の責任範囲とまで言い出すと政治は一体何をするの?と疑問が湧いてきます。また、必要な公共投資もありますが、一般的に公共投資というのは持続的な経済成長をもたらさない、借金だけが残る愚策なのです。国債を発行して一時的な経済刺激策だったら誰でもできるのです。
本来、政府が経済成長を促す政策を掲げて実行するのが第一義であり本質であって、その結果 企業業績が向上し、賃金・雇用率が上昇し、その結果 物価が上昇するという順番なのです。 昨今の議論は本末転倒、物価上昇が目的のような議論になり、政治が本質的に取り組まなければいけないことが二の次になり、人のせいになりかねない危うさが感じられます。
今、国家財政は破綻目前の状況にある訳でこれ以上借金を増やさずに、『強い経済』を回復させる知恵が求められているのです。規制改革や成長分野創生を促す施策によって企業が新事業を興し、新規投資をするようすることが政治に課された最大の使命です。また我々企業人は、ニーズを掘り起こし、消費者が本当に必要とするような商品やサービスを開発し、提供する義務があると思います。長期デフレというのは間違いで、正しい認識は需給ギャップが発生しているために企業業績が低迷しているということであり、我々企業人も政治の無策のせいにするのではなく、消費者が望む新事業、新商品・新サービスを積極的に開発しなければなりません。
今や財政赤字はいかんともしがたいほどに膨れ上がり、一歩間違うと国債発行金利は高騰、円が大暴落に繋がる危険をはらんでいます。政府はいたずらに借金を増やして国民を経済危機におとしめてはならず、インフレターゲットを勇ましく叫ぶ人はまず、『インフレというのは国民の富を政治が強制的に奪う(国民の預金・保険・債権などの資産がインフレ分だけ減る、年金生活者などは生活苦に陥る)ことになる悪政』であるということを理解した上で舵取りをしてもらわなければなりません。目的と手段が混同し、本末転倒になっているようで危なくてしようがありません。
国家財政の上に『大つごもり』はひたひたと迫っており、お峯のように罪を誰かがかぶったり、神のご加護がある訳はありません。本末転倒でなく、目的と手段をしっかりとわきまえ、節度ある政治が行わなければなりません。
我々働楽グループも経営および事業推進に当たっては本末転倒でなく、目的と手段をしっかりとわきまえて、ミスの少ない判断をしていかなければならないことを肝に銘じる必要があります。そして、常にお客様や社会が求める新しい商品・サービスを開発し、ご提供することが使命であることもしっかりと認識して参りましょう。
働楽グループの『大つごもり』は何の心配なく過ごせますし、将来に亘っても心配ありませんので、ご安心下さい。
社員の皆様とご家族の『大つごもり』は新しい年の飛躍につながる風物詩であると信じて!皆様、良いお年を!!
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