https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/04/103052 【復活と再生のシンボルとしてのヤドリギ】より
水仙月の四日
冬に樹木の高い枝を見ていくと,こんもりと小さな枝と葉のかたまりが毬(まり)状になっているのを見ることができる。これがヤドリギ(宿り木;Viscum album L. subsp. coloratum Kom )である(第1図)。冬でなくても注意深く観察すれば見つけることは難しくない。県立大磯城山公園でもごく普通に見られる。名前が示すように寄生植物で,主にケヤキ,エノキ,サクラなどの落葉樹に寄生し,鳥を媒介にして木から木へと移り地面に下りることはない。ただし,葉緑素を持ち光合成もするので半寄生植物である。
ヤドリギは,草にも見えるが,これでもれっきとした木の常緑樹で,2~3月に花が咲き,晩秋に黄色い実が熟す。果実は多量の粘液質を含んでいるので粘りがあり甘いらしい。ヒレンジャクやヒヨドリがこの実を好んで食べる。鳥が食べた後に堅い種子と一緒に消化しきれなかった粘液質を糞として排泄するので,この鳥の糞が金魚の糞のように糸を引いたようになり,糞は種子と一緒に鳥の行く先々で新たな枝にへばりつき,そこに新しい命を誕生させる。
欧州ではヤドリギは古くから神聖な植物とされ,ケルト人などが宗教的な行事に使用してきた。ヤドリギを夏至や冬至の夜に黄金の鎌(かま)で切り取り祭壇に供えたという。理由は,前述したように宿り主である落葉樹が葉を落とした後でも,青々とした葉を持ち続けるので,一旦は枯れたように見えた木が,あたかも再生したかのように見えるからである。北欧の神話の中にも登場してくる。オーディン(知恵・詩・戦い・農業の神)の息子バルドルが一旦は悪神ロキによってヤドリギの矢で殺されるが,その後復活する。ちなみに花言葉も「困難に打ち勝つ」とある。我が国でも賢治がこれらのことを知っていたとみえ,『水仙月の四日』(1922.1.19)という童話の中でヤドリギを不死あるいは復活と再生のシンボルとして使っている。
童話『水仙月の四日』の内容は,山村で生活している少年がカリメラ(砂糖菓子)を作るために砂糖を買いにいった帰りに猛吹雪に出くわして遭難してしまうというものである。東北地方の猛吹雪は,「八甲田死の彷徨」という新田次郎のドキュメントタッチの小説でも紹介されているように頑強な軍人でも死へ至らしめるほど迫力のあるものだが,本作品はその迫力に加えて全編,美しい詩的な言葉も加えて展開していく。
少年は赤い毛布(けっと)に包まっているが,寒さと疲れで猛吹雪の中で倒れてしまう。読者は少年が倒れた段階で死を予感すると思われるが,作者は,吹雪になる前に雪童子(ゆきわらし)という雪の妖精を出現させ従者の雪狼(ゆきおいの)に大きな栗の木から黄金色のヤドリギの毬を取らせ少年に投げつけ,死という結果にはならないことを暗示させる。その後,妖魔である雪婆んご(ゆきばんご)が現れ猛吹雪となる。ヤドリギを少年に拾わせた雪童子は雪婆んごから守るため,必死になって少年に倒れたまま動かないように叫ぶ。
雪婆んごがやってきました。その裂けたやうに紫な口も尖(とが)った歯もぼんやり見えました。
「おや,をかしな子がゐるね,さうさう,こっちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの,一人や二人とったっていゝんだよ。」
「えゝ,さうです。さあ,死んでしまへ。」雪童子はわざとひどくぶつかりながらまたそっと伝ひました。
「倒れてゐるんだよ。動いちゃいけない。動いちゃいけないつたら。」
狼(おいの)どもが気ちがひのやうにかけめぐり,黒い足は雪雲の間からちらちらしました。
「さうさう,それでいゝよ。さあ,降らしておくれ。なまけちゃ承知しないよ。ひゅうひゅうひゅう,ひゅひゅう。」雪婆んごは,また向ふへ飛んで行きました。
子供はまた起きあがらうとしました。雪童子は笑ひながら,もう一度ひどくつきあたりました。もうそのころは,ぼんやり暗くなって,まだ三時にもならないに,日が暮れるやうに思はれたのです。こどもは力もつきて,もう起きあがらうとしませんでした。雪童子は笑ひながら,手をのばして,その赤い毛布(けっと)を上からすっかりかけてやりました。
「そうして睡(ねむ)っておいで。布団をたくさんかけてあげるから。そうすれば凍えないんだよ。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで。」
雪わらすは同じとこを何べんもかけて,雪をたくさんこどもの上にかぶせました。まもなく赤い毛布も見えなくなり,あたりとの高さも同じになってしまひました。
「あのこどもは,ぼくのやったやどりぎをもってゐた。」雪童子はつぶやいて,ちょっと泣くやうにしました。
(『水仙月の四日』 宮沢,1986)下線は引用者
あくる朝,吹雪も止み,村の方からお父さんらしき人が駆けつけてくるが,雪童子は少年の上に積もった雪を取り払い,語りに「子どもはちらっとうごいたやうでした」と言わせて物語が終わる。引用文にもあるように,雪童子が「あのこどもは,ぼくのやったやどりぎをもってゐた。」と泣くようしながら呟くのが印象的である。100%生きているという保障はないのだが,子供がヤドリギを持っていたということで,死ななかった,あるいは死んだとしても生き返ったということが読者に伝わるようにしてあると思われる。
「水仙月の四日」という日にちに関しては,諸説がある。私は,その中でもキリスト教における「復活祭」の当日のことを指しているという谷川雁の説を支持したい(伊藤,2001)。「復活祭」とは,十字架にかけられて死んだイエス・キリストが3日目に復活したことを記念する祭である。春分以後の満月直後の日曜日に行われる。童話『水仙月の四日』にも「しずかな奇麗な日曜日を,一そう美しくしたのです」という一文がある。賢治が生きた時代では1920年の復活祭は4月4日(日)であった。2021年も4月4日(日)である。
ヤドリギは宗教的な復活と再生のシンボルとしてだけでなく,実際の生活にも役立っていた。賢治が生活していた東北地方では,冷害などで不作のときヤドリギから餅を作って食べたという記録が残っている。また,薬草としても,利尿,降圧作用を目的とした漢方療法以外に民間療法的に強壮や産後の回復に使われた。多分,果実などには粘液質以外に多量のデンプンが含まれていて栄養価が高いからと思われる。このように,食料や医薬品が不足していたときには,体力や健康を復活させるためにも利用された。
参考・引用文献
伊藤光弥.2001.イーハトーヴの植物学 花壇に秘められた宮沢賢治の生涯.洋々社.東京.
宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.
本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「復活と再生のシンボルとしてのヤドリギ」を加筆・修正にしたものです。
https://hat51.net/?p=3230 【生命のシンボルで、復活・再生の象徴「鳳凰」】より
私は仕事柄、これからの時代は鳳凰の時代がくるということを聞くことがあります。スピリチュアル関係では、龍がブームでよく空の雲を見て龍神が現れたと表現する方がいます。龍がいれば、きっと鳳凰も空を優雅に舞っているのだろうと思います。羽を広げ飛んでいる鳳凰と太陽が一体化したような偶然撮れた写真です。
空に現れた鳳凰?
その鳳凰ですが、私がまず真っ先に思い浮かぶのが、手塚治虫の「火の鳥」という漫画。この手塚治虫の「火の鳥」は漫画の範疇を超えるどほどのパワーがある作品で、映画にもなっています。この「火の鳥」は地球史レベルで展開し、手塚治虫のライフワークであったと言われています。生命とは何か?永遠とは何か?そして愛とは何か?を仏教的な輪廻転生の概念も加わり、スケール大きく描いたものでした。実際、輪廻転生とか生命とか魂といったものについて、私は一等最初に「火の鳥」から学んだかもしれません。なので、私の本棚にはハードカバーの「火の鳥」の本が、後生大事に一式並んでいます。火の鳥=鳳凰は、生命のシンボルであり、復活と再生の象徴なのです。
その鳳凰について、手元にあるシンボル辞典から「鳳凰」の項目を調べてみると以下のようにあります。
「不死鳥あるいは鳳凰は、世界中どこでも、復活と不死、火による死と再生、の象徴とされる。不死鳥は、自らを犠牲として捧げて死ぬ架空の鳥である。不死鳥は三日間(月が姿を消すあいだ)死んだままでいるが、三日目に自分の体を焼いた灰から甦る。この場合、不死鳥は月の象徴であるが、不死鳥は「火の鳥」として太陽の普遍的象徴であり、神聖な王権、高貴、唯一無比、をあらわす。不死鳥はまた優しさをあらわすが、それは何の上にとまってもそこをけっして傷めることがなく、ただ露を飲むだけで生き物を殺して餌とすることがないからである。すべての<楽園>の不死鳥はバラと結びつく。
【錬金術】不死鳥は<大作業>の完成、再生の象徴。
【中国】・・・・・・鳳凰も陰と陽を同時にあらわす。雄である鳳は陽で、太陽に属する火の鳥である。雌である凰は陰で、月に属する。皇帝の象徴としての龍と対比された鳳凰は、完全な雌として皇后をあらわし、<鳳凰>と龍の並置は皇帝権力の陰陽両面を象徴する。凰の女性的な面は、美、繊細な感情、平和を意味する。鳳凰は「不離の和合」をあらわす結婚の象徴であるが、夫婦愛だけでなく、二元世界における陰陽完全相互依存の町長でもある。また、龍や麒麟と同じように、鳳凰もさまざまな要素の組み合せとして宇宙全体をあらわす。・・・・・・
【キリスト教】不死鳥は復活を象徴し、<受難>の火の中で焼かれ三日目に甦ったキリストをあらわす。また、死に対する勝利、信仰、節操、の象徴。
【エジプト】不死鳥は太陽に属し、復活と不死をあらわすものとして太陽の鳥べぬーと同一視され、また太陽神ラー(およびオシリス神)と結びつけられる。一説では、不死鳥とは、古代、ナイル河の水位上昇に先立って空に上がるシリウス星を言ったものだとともいう。(以上、『世界シンボル辞典』J・C・クーパー(三省堂)から引用)
龍については東洋と西洋では、その象徴的意味合いが違うのですが、鳳凰については世界的に見ても、生命や復活、再生のシンボルとなっているようです。面白いのは錬金術においても再生の象徴になっていることです。
ところで、私が大変お世話になっている台湾のNO.1女性占術師といわれる龍羽ワタナベさん、そして、古神道研究家の暁玲華さん、このお二人は鳳凰についての本を出しています。アプローチの方法は違えども、やはり生命の象徴として鳳凰は、ある意味で女神的な側面をあらわしており、これからの時代を考えるとその重要性を感じるわけです。たとえば、今回コロナ禍の騒ぎにより、世界は自粛経済となり、ネパールのカトマンズの空気が澄んでエベレストが見えるようになったということが話題になりました。これまで経済効率優先、成長と発展で進んできた世界、これでは地球が持たないと持続可能な社会の実現のためにSDGsの考え方が導入されています。世界に大きな衝撃を与えたコロナ・ウィルス、これまでの価値観を変化させざる得ない時代、アフター・コロナにむけて世の中はどう変わっていくのでしょうか?一つのキーワードが、生命や平和、再生の象徴である鳳凰=女神性なのではないかと思うのです。
では、そのお二人はどんなことを書いているのでしょうか?まずは龍羽ワタナベさんから。虹というキーワードがなるほどと思います。
『鳳凰の羽の五つの色は、五行に対応する「青」「赤」「黄」「白」「黒」を表しています。そして、その長く美しい羽をはためかせながら優雅に空を飛ぶことで、五行に結びつけられた五つの徳、「仁」「礼」「信」「義」「智」を私たちに向けてはナチ、伝え、諭してくれます。つまり鳳凰は「陰」と「陽」と「五行」のすべてを持ち合わせているのです。陰陽+五行=七色。七色といえば虹であり、鳳凰と虹はいずれも、よいことが起きる兆しとされています。・・・・・・見返りや評価を気にせず「陰徳を積む」人を、虹色鳳凰は応援してくれます。自分のためでなく、人のために役に立とうという思いを持ち、そのような生き方をすることで、自然に陰徳を積んでいけるのだと思います。』(「虹色鳳凰の招き方・もてなし方」龍羽ワタナベ・PHP研究所から引用)
そして、幻想的な視点で暁玲華さんは浄化と光について書いています。
『私は注意深く霊視をしました。・・・・・・鳳凰が温めることで、光が種に代わっているようでした。金色に見えるのは光の色です。もともとは真珠のように、そして卵のように白い珠です。この光は普通の光ではなく、海底で集められた光なのです。光の生れる海底は宇宙の闇とある次元でつながっている、と直感しました。宇宙で生まれる浄化の光と海底の光は同じ性質のようです。・・・・・・種の詰まった卵を鳳凰が、雨のように金の種と花たちを降らす。金の種が地面に降り注げばそこには花が咲き、人に注ぐと人の命が急に輝き、魂がわっと光を放つ。地上のすべてが輝きす、というヴィジョンを繰り返しみることになりました。鳳凰が大地を浄化する神の業を、ヴィジョンといえどもみることができたのです。』(「女神と鳳凰にまもられて」暁玲華・アメーバ―ブックス新社から引用)
ここで、上記の暁玲華さんが51コラボで開催したセミナーで「鳳凰」について語った映像をお届けしたいと思います。(この映像は4時間くらいあったものの一部抜粋映像です。)
https://www.youtube.com/watch?v=4WYuMOYf2Nw
以前、あるイベントのタイトル文字をお願いしたことがある知人の書道家(楽書家)の今泉岐葉さんが、火の鳥をモチーフに書とCG映像を融合させた素敵な映像を作られているのでご紹介いたします。復活が想起されるイメージとなっています。(★書:楽書家・今泉岐葉 http://www.rakushoka.net ★動画製作:クリの木プロダクション http://chestnut-prod.com/)
今、日本全体をまるで龍が覆っているかのような感じで大雨を降らせています。元来、龍と鳳凰は一対であります。龍の向こうには愛と平和の鳳凰がいると思います。鳳凰は命と復活の象徴として大きな育みを与えてくれます。鳳凰が舞うところ光の種を振らせてくれます。次々と災難が降りかかっていますが、そこを耐え忍び、輝ける日本にならんことを・・・。
鳳凰は命の象徴であり復活・再生のシンボル。この大変な世の中、鳳凰のように飛翔し活力ある日本になって欲しいと切に願います!
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