https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E5%AD%A3%E4%BD%95 【堀田季何】より
ペンネーム 堀田季何(ほったきか)誕生 1975年12月21日(48歳)
日本の旗東京都文京区職業 俳人、歌人
言語 日本語、英語
国籍 日本の旗 日本
ジャンル 俳句、短歌、翻訳、評論
代表作 『惑亂』(2015年)、『星貌』・『人類の午後』(2021年)
主な受賞歴 第3回芝不器男俳句新人賞齋藤愼爾奨励賞
第72回芸術選奨文部科学大臣新人賞
第77回現代俳句協会賞
第3回高志の国詩歌賞
ウィキポータル 文学
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堀田 季何(ほった きか、1975年12月21日 - )は、日本の文芸家(俳人、歌人、詩人、翻訳家、評論家)。東京都生まれ、東京都、広島県、米国などで育つ。[1]本名、勤務・所属先(文芸関係以外)非公開。
来歴
ブラウン大学、東京大学大学院などで学ぶ。小中高大を通じて英語で教育を受け、中学時代から英語で自由詩、日本語で短歌を書いていた。米国より帰国後に短歌、俳句、連句と本格的に取組むようになる。文芸家として、2015年、日本芸術文化国際交流財団「日・アラブ首長国連邦(UAE)芸術家・文化人等交流事業」の平成26年度事業・作家交流プログラムによりアラブ首長国連邦に派遣される。日本現代詩歌文学館振興会評議員。日本文藝家協会会員。
俳句
「澤」「吟遊」各同人、世界俳句協会監事を経て、現在、「楽園」主宰、現代俳句協会常務理事(2015年3月末まで青年部委員、2019年夏より幹事・IT部長。法人化に伴い、幹事から理事に。2024年3月に常務理事)、国際俳句協会(旧・国際俳句交流協会)理事。兜太現代俳句新人賞選考委員、全国俳誌協会新人賞選考委員、鈴木六林男賞選考委員、俳句甲子園審査員長[2]、詩歌トライアスロン選者、GHOC現代俳句オープンカレッジ講師[3]。過去に、センバツ!全国高校生即吟俳句選手権審査員、笠間書院「季何学研究所」所長代理、poecrival選者。
2010年、第3回芝不器男俳句新人賞齋藤愼爾奨励賞受賞。結社賞として第13回澤新人賞受賞。2016年、アラブ首長国連邦の出版社より日英亞対訳句集『Arabia』(邦題:亞剌比亞)を刊行。2018年、「俳句王国がゆく」北海道浦河町編俳句チャンピオン[4]。2021年、句集『星貌』及び句集『人類の午後』を刊行。2022年、『人類の午後』で第72回(令和3年度)芸術選奨文部科学大臣新人賞[5]、第77回現代俳句協会賞[6]、第3回高志の国詩歌賞[7]受賞。
外国語俳句においては、「草枕」国際俳句大会外国語部門大賞、龍谷大学青春俳句大賞英語部門最優秀賞(別の筆名による)。2011年、第2回東京ポエトリー・フェスティバルに英語作品(一部日本語)で参加。同詩祭では、自作の朗読の他、俳句の神話性についてのミニ講演、参加詩人の通訳、参加詩人による作品の翻訳を行っている[8][9]。
2012年、モンテネグロに招聘され、第42回ラトコヴィッチ国際詩祭(正式名称は「ラトコヴィッチの詩的な夕方」)に参加、日本語俳句と英語俳句を朗読[10]。2014年秋にはベトナムのハノイで日本語俳句の英訳を朗読。2016年3月にはUAEに招聘され、エミレーツ航空文学祭2016に参加、来日経験のある現地詩人二名との鼎談や英国詩人たちとの俳句朗読(日英)を行う[11]。2023年5月、スウェーデン俳句協会に招待され、現地及びデンマークの俳人に日本の現代俳句及び俳句事情を紹介した上、作品朗読及び翻訳を通じた俳句交流を行う[12]。2023年6月、国際対がん連合(英語版)のスイス・ジュネーヴ本部にて、がんと俳句についての講演を英語で行う[13]。
短歌
短歌は春日井建に師事。同時に中部短歌会入会(現在、同人)。結社賞として中部短歌会新人賞受賞[14]。2009年、第2回石川啄木賞(短歌部門)受賞[15]。2015年、歌集『惑亂』を刊行。2016年、同集により平成28年度日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞受賞。現代歌人協会会員、日本歌人クラブ会員。
詩歌翻訳
翻訳家としては、主に短歌、俳句、自由詩の翻訳を行っており、国内外の媒体に掲載されている[16][17]。2019年、英訳を行った岡井隆歌集『伊太利亜』の日本語・英語・ドイツ語対訳版を砂子屋書房から刊行(独訳は中川宏子)。
逆に、日本語俳句や英語俳句は、他者によって翻訳されることもあり、多数の言語に翻訳されている(英語、フランス語、中国語、リトアニア語、モンテネグロ語、ルーマニア語、マジャル語、ベトナム語、アラビア語等)[18][19][20][21]。 その他、米国の詩人John Bloomberg-Rissmanによるコラージュ形式の連作詩「In the House of the Hangman 693 & 694」に作品5句の英語版が使用されている[22]。
人物
野村千春は父方の大叔母(叔祖母)。巽聖歌、周郷博は父方の大叔父(叔祖父)。[23]河合二湖は母方の従妹(人生で会ったことは「十指に数えるほどしか」ないらしい)。[24]
2017年4月15日、ツイッターにて心の性が男性ではない事を公表。
https://sectpoclit.com/ginkan-68/ 【神保町に銀漢亭があったころ【第68回】堀田季何】
銀河系のとある酒場
堀田季何(「楽園」主宰)
今となっては、いつ最初に訪れたのか思い出せない。いつの間にか、出入りしていた。山岸由佳さんの現代俳句新人賞受賞、堀切克洋さんの俳人協会新人賞受賞、西村麒麟さんの角川俳句賞受賞をはじめとするいくつかの祝賀会、千倉由穂さんのパリへの送別会、毎年の忘年会、誰々の誕生日(それはもう何人も!)、といったハレのイベントから、「アルパカの会」という超結社の句会、さらに、近所の笠間書院さんで「季何学研究所」の選句をした後の編集者との飲み、近所のシンクタンクで仕事の打合せをした後の一人飲み……。常連たちに比べては大した頻度ではなかったと思うが、あまりお酒を飲めない自分にしては、人生最も多く立ち寄った飲み屋だと思う。最も多く酔っ払った飲み屋でもある。
(恒例(?)の「早太郎の帽子を被る」儀式)
行けば、絶対に知っている人に出会える。人がほとんど入っていなかった日でも、オーナーの伊藤伊那男さんやお店を手伝っていた天野小石さんがいた。竹内宗一郎さん、岸田祐子さん、相沢文子さん、阪西敦子さんとの遭遇率、いえ、邂逅率も高かった。結社でいえば「銀漢」「ホトトギス」「天為」「未来図」の人たちが特に多かったという印象である。イベントがあった時は、知っている人も知らない人も多くて、今の言葉で言えば「密」そのものだった。パーソナルスペースなど望むべくもなかった。様々な機会に様々な人たちが様々なところから来ていて、雑多で、怪しくて、家庭的で、私は密か(これも密!)に「銀漢亭」を〈銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋閒石〉のような場所だと思っていた。松本零士の漫画に出て来そうな、ハーロックやトチローが利用していそうな宇宙酒場である。何たって店名が「銀漢亭」なのだ。
(往時の「密」なお祝い会)
誰かいないかなと、それだけのためだけではないがそれだけのために(←変な日本語だ)「銀漢亭」に顔を出すことが多かった。思えば、「卯波」だと敷居も予算も高く、知っている人がいてもお偉いさんばかり、「ボルガ」だと知っている人と会える確率が少なく、「JazzBarサムライ」は大人すぎて(?)、「銀漢亭」が私の身の丈に合っていた。いや、正しくは、「銀漢亭」に私を受け入れる包容力があったのだ。まさに銀河系。
【執筆者プロフィール】
堀田季何(ほった・きか)
東京都在住。「楽園」主宰、現代俳句協会幹事。
https://ooikomon.blogspot.com/2021/08/blog-post_24.html 【堀田季何「寶舟船頭をらず常(とは)に海」(『人類の午後』)・・・】より
堀田季何第4詩歌集『人類の午後』・第3詩歌集『星貌』(邑書林)、まず『人類の午後』の栞文「晝想夜夢」は、宇多喜代子「朧の向こうに見えるもの」、高野ムツオ「混沌世界に立つ言葉」、恩田侑布子「夢魔の哲学ーポストコロナへ」。宇多喜代子は、
日野草城の最後の句集に『人生の午後』がある。草城個人の晩年の日々の感懐を残した句集として知られるが、堀田季何の句集名は『人類の午後』で、それを目にしただけで堀田季何が個人を超えた何かを抱えもって俳句の前に止まっている姿を予感させる。そんな読者に親切なのが各篇の俳句の前書のように置かれた先人たちのアフォリズムや詩篇である。読者のために引かれたものではないことは自明のことながら、私レベルの読者にはこれがありがたいのだ。(中略)
堀田季何は、人類の歴史に汚点をとどめた「夜と霧」の非道や、今日的問題であるミサイル、原子炉、原爆など、今を生きる人間として看過できぬ大問題を、もの言えぬ俳句形式機能と手を組み、作者にも読者にも過剰な負担にならぬように作品化しているのである。
戦争と戦争の閒の朧かな
小米雪これは生れぬ子の匂ひ (中略)
堀田季何の俳句は限りなく俳句形式に親和しつつ、視野の広さの中にピンポイント的に抵抗と批評精神を示している。そんな堀田季何の今後をおおいに期待したい。
と述べ、高野ムツオは、
(前略)いわば権威や物欲に背く反近代の詩精神こそ俳句の根拠である。不透明かつ不可解で渾沌とした現代という時代に選ばれた俳人の一人として堀田季何はこの系譜の最先端に立っている。(中略)
「きらめく詩魔の一つに出会うために、瞬発するエネルギッシュな力を出し切らねばならぬ」とは佐藤鬼房の言葉だが、堀田季何という異才は、詩の神に鞭をあてられた駿馬のように、融通無碍にその力を発揮しはじめている。
と述べている。あるいはまた著者の跋には(原文は正漢字)、
(前略)時間も空間も越えて、人類の関はる一切の事象は、実として、今此処にゐる個の人間に接続する。幾つかの句に出てくる〈われ〉は、作者自身ではなく、過去から未来まで存在する人類の現代における一つの人格に過ぎない。境涯や私性は、本集が目指すところではない。但し、作者である私の人格、思考、価値観が投影されるのは避けられない。例へば、堀田家の殆どが広島の原爆に殺されてゐる事や私自身が幼少時から長い間を国際的な環境で過ごした事は、人間観に少なくない影響を及ぼしてゐる。一族及び関係者からは、従軍、戦闘、引揚、原爆、後遺症等の生々しい記憶を伝承された。多国籍の友人たちと国内外で学び暮す過程では、東西冷戦、アパルトヘイト、アラブ・ユダヤ対立、中台関係、ユーゴスラビア紛争、香港返還、アメリカ同時多発テロ事件、さらに、多くの凶悪な人種・宗教・性差別の現実とは無縁でゐられるはずもなく、様々な形で関はることになつた。(中略)そもそも、現代の日本でも地下鉄サリン事件のやうな無差別テロ事件は起きるし、人種・宗教・性等の差別は歴然としてゐる。後者について言へば、東日本大震災といふ巨大な天災及び人災を思ひ起こして欲しい。自然はいつでも牙を剝くし、人間はいつまでも愚かである。
と記されている。そして、第3詩歌集『星顔』の跋には、
句集『星貌』は、単著の詩歌集では三冊目に当たる。有季、超季、無季の別にとらわれない自在季、且つ、定型律、自由律の別に囚われない自在律で書いた俳句を中心に編んだ。一部を除けば、二十代から三十代頃までの作であり、当時は、星々の、とりわけ地球という星の様々な貌を捉えることに熱心であった。
ともあり、またその「附録解題」には、
句集『星貌』の附録として、第二句集詩歌集にして第一句集『亞剌比亞』の九九句を収めた。同集は、日英亞対訳句集としてアラブ首長国連邦のQindeel社から出版されたが、日本国内では販売されていない。そのため、詩誌「て、わたし」第二号に、国内未流通版として同句集の俳句を掲載していただいたが、同号は完売、絶版になってしまった。そこで、今回、多少改訂した上、日本語原句を『星貌』の附録とした次第である。
ともあった。仔細はともかく、以下に、これらの集中より、いくばくかの句を献辞なしになるが、挙げておこう。
ぐちよぐちよにふつとぶからだこぞことし 『人類の午後』
自爆せし直前仔猫撫でてゐし
雪女郎冷凍されて保管さる
天泣ぞこの花降らしたまへるは
しやぼん玉ふいてた奴を逮捕しろ
吾よりも高きに蠅や五六億七千萬年(ころな)後も
クリスマス積木を積むは崩すため
スターリン忌ポスターの下にポスター
地球儀のどこも継目や鶴帰る
薔薇は指すまがふかたなき天心を
かき氷青白赤(トリコロール)や混ぜれば黎(くろ)
徹頭徹尾人殺されし夏芝居
神還るいたるところに人柱
楽園帰還雪に言語を置き捨てて 『星貌』
もう二度と死なないために死ぬ虱
かき氷とはひたすら自傷せる
放射能水着纏ってびしょ濡れ
私(わたくし)は月でなくてはいけなくて月であった月
鼓動はやし雨を喜ぶ民とゐて
多く欲する者貧しブーゲンビリア
インク・汗・血に聖別されてドル紙幣
水紋の亜剌比亜文字になるところ
肉体は砂に記憶は言の葉に
詩人みな実名の地や風かをる
土よりも砂おほき国ここにも神
堀田季何(ほった・きか) 1975年、東京都生まれ。
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