https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/56123327 【きょうの潮流】より
戦火想望俳句。この言葉を俳人で文芸家の堀田季何(きか)さんに教わりました。
戦時平時を問わず戦地や戦火に包まれた街の景を想像して作る句のことです
▼堀田さんは本紙「俳壇」を2022年から2年間執筆。今年度からは「NHK俳句」に選者として出演しています。主宰を務める「楽園俳句会」は有季も無季も定型も自由律も全て可、多言語対応の結社です
▼13日に都内で開かれた「俳人『九条の会』新緑のつどい」でも講演し、今こそ戦火想望俳句を作り広めようと呼びかけました。俳句は、凝縮した言葉で一瞬にして戦争の恐怖を脳裏に焼き付けられる、短さゆえに簡単に伝えられ、平和のバトンを次々に手渡していける、と
▼例として池田澄子氏の句〈春寒き街を焼くとは人を焼く〉〈焼き尽くさば消ゆる戦火や霾晦(よなぐもり)〉を挙げ、その師・三橋敏雄が戦火を想像で書くとはけしからんという風潮に対して「そこで死ぬかもしれない場がどのようなところなのかを、必死で想像するのは当たり前のことじゃないか」と反論したことを紹介しました
▼「想像力の欠如が戦時の戦争賛美や戦争協力、平時の戦争推進につながる」と堀田さん。自身にも〈塀一面彈痕(だんこん)血痕灼(や)けてをり〉〈ひややかに砲塔囘(まわ)るわれに向く〉〈ぐちよぐちよにふつとぶからだこぞことし〉等の句があります
▼もはやウクライナやガザの惨状は苛酷な現実です。かの地でも「戦争止めて」の悲願を込めて俳句が詠まれています。〈屋根なき家今朝までは誰かの家庭 L・ドブガン〉
堀田季何 Kika Hotta @vienna_cat55
8月6日は、堀田家の殆どが被爆した日。大半が原爆で亡くなった
生き残った人たちから伝え聞いたことが沢山ある。私も誰かに伝えるのだろうか
https://note.com/sayukogure/n/n7d6dedb3560a 【広島を歌い継ぐ──句集『広島』に寄せて】より
小暮沙優
昭和30年(1955年)に刊行された、『広島』という句集があります。
昭和20年(1945年)8月6日に広島に落とされた原爆の被害を受けた方々をはじめ、広島に思いを寄せる方々が詠んだ1521句が収められています。令和4年(2022年)、私はこの句集を受け取りました。そして広島を旅して、昭和20年当時16歳の女学生だった伊達みえ子さんと出会いました。令和5年(2023年)、里俳句会の島田牙城さんの全面協力のもと、句集『広島』を底本とした朗読モノオペラ《つなぐ》を制作し、広島・神戸・東京の三都市で上演しました。その後、心身を壊して、自分を再構築し、2025年の再演に向けて準備中です。その経緯を、残していこうと思います。
『人類の午後』──堀田季何先生との出会い
2021年末、駒込のカフェで俳人の堀田季何先生と出会いました。それがきっかけで、季何先生の句集『人類の午後』とも出会いました。
戰爭と戰爭の閒の朧かな
といった句をはじめ、戦争にまつわる事象を直截に詠んだ季何先生の句に心を深く動かされました。そして、自分の声で歌わせていただけないか、季何先生にお尋ねしました。ご快諾をいただき、2022年7月5日に成城のアトリエ第Q藝術で初演させていただきました。季何先生主宰の楽園俳句会の皆様や、里俳句会の皆様も多くいらしてくださいました。あらためて、感謝申し上げます。
https://www.youtube.com/watch?v=jJfICHgq_FY
島田牙城さん、そして句集『広島』との出会い
この《人類の午後》の上演がきっかけとなり、句集『人類の午後』を出版された邑書林の島田牙城さんとのご縁がつながりました。牙城さんは俳句を薦めてくださり、私は里俳句会の同人となりました。牙城さんご夫妻は兵庫の武庫之荘、私は東京の駒込と距離は離れていましたが、牙城さんご夫妻は私の音楽活動も応援してくださるようになりました。
そんな折、牙城さんからのメールが届きました。句集『広島』を入手したので、50歳以下の俳人に読んでもらって、その感想を「里」二〇二二年十一月号に掲載したいとのことでした。ややあって、包みが届きました。しばらく包みに手を触れることが出来ませんでした。自分に、この句集を受け取る資格が本当にあるのかどうか、日々問い続けました。
原稿の締切直前に、ようやく震える手で包みを開けられました。そして読み終わる頃には、句集『広島』を歌わなければならない、『人類の午後』の続きを始めなければならないと思うようになっていました。
そして、広島への旅が始まりました。
伊達みえ子さんとの出会い、そして三都市公演へ
2022年12月15日、広島に初めて足を踏み入れました。牙城さんご夫妻とも初めて出会いました。広島でのご案内は、里俳句会・夕凪社の水口佳子さんがなさってくださいました。
水口佳子さんを通じて、昭和20年当時16歳の女学生だった伊達みえ子さんのお話をお伺いすることもかないました。みえ子さんのお話、お伺いした時の部屋の空気、みえ子さんの目のうっすらとした涙の膜、すべて覚えています。
みえ子さんの詠まれた俳句も「広島三句」と題した作品にして、朗読モノオペラ《つなぐ》に入れました。
https://www.youtube.com/watch?v=5GuCFb0proQ
蝉の穴のぞけば被爆の16歳 ひろしまの蝉の木夜は少年棲み
ヒロシマの椅子が足りない蝉しぐれ(2024年4月29日、ショパンルームにて録音)
伊達みえ子さんとは、2023年6月に広島で再会しました。その時の模様を、RCC中国放送が特集してくださいました。
https://ooikomon.blogspot.com/2021/08/ 【大井恒行の日日彼是】より抜粋
堀田季何「寶舟船頭をらず常(とは)に海」(『人類の午後』)・・・
堀田季何第4詩歌集『人類の午後』・第3詩歌集『星貌』(邑書林)、まず『人類の午後』の栞文「晝想夜夢」は、宇多喜代子「朧の向こうに見えるもの」、高野ムツオ「混沌世界に立つ言葉」、恩田侑布子「夢魔の哲学ーポストコロナへ」。宇多喜代子は、日野草城の最後の句集に『人生の午後』がある。草城個人の晩年の日々の感懐を残した句集として知られるが、堀田季何の句集名は『人類の午後』で、それを目にしただけで堀田季何が個人を超えた何かを抱えもって俳句の前に止まっている姿を予感させる。そんな読者に親切なのが各篇の俳句の前書のように置かれた先人たちのアフォリズムや詩篇である。読者のために引かれたものではないことは自明のことながら、私レベルの読者にはこれがありがたいのだ。(中略)
堀田季何は、人類の歴史に汚点をとどめた「夜と霧」の非道や、今日的問題であるミサイル、原子炉、原爆など、今を生きる人間として看過できぬ大問題を、もの言えぬ俳句形式機能と手を組み、作者にも読者にも過剰な負担にならぬように作品化しているのである。
戦争と戦争の閒の朧かな
小米雪これは生れぬ子の匂ひ (中略)
堀田季何の俳句は限りなく俳句形式に親和しつつ、視野の広さの中にピンポイント的に抵抗と批評精神を示している。そんな堀田季何の今後をおおいに期待したい。と述べ、高野ムツオは、(前略)いわば権威や物欲に背く反近代の詩精神こそ俳句の根拠である。不透明かつ不可解で渾沌とした現代という時代に選ばれた俳人の一人として堀田季何はこの系譜の最先端に立っている。(中略)「きらめく詩魔の一つに出会うために、瞬発するエネルギッシュな力を出し切らねばならぬ」とは佐藤鬼房の言葉だが、堀田季何という異才は、詩の神に鞭をあてられた駿馬のように、融通無碍にその力を発揮しはじめている。と述べている。あるいはまた著者の跋には(原文は正漢字)、(前略)時間も空間も越えて、人類の関はる一切の事象は、実として、今此処にゐる個の人間に接続する。幾つかの句に出てくる〈われ〉は、作者自身ではなく、過去から未来まで存在する人類の現代における一つの人格に過ぎない。境涯や私性は、本集が目指すところではない。但し、作者である私の人格、思考、価値観が投影されるのは避けられない。例へば、堀田家の殆どが広島の原爆に殺されてゐる事や私自身が幼少時から長い間を国際的な環境で過ごした事は、人間観に少なくない影響を及ぼしてゐる。一族及び関係者からは、従軍、戦闘、引揚、原爆、後遺症等の生々しい記憶を伝承された。多国籍の友人たちと国内外で学び暮す過程では、東西冷戦、アパルトヘイト、アラブ・ユダヤ対立、中台関係、ユーゴスラビア紛争、香港返還、アメリカ同時多発テロ事件、さらに、多くの凶悪な人種・宗教・性差別の現実とは無縁でゐられるはずもなく、様々な形で関はることになつた。(中略)そもそも、現代の日本でも地下鉄サリン事件のやうな無差別テロ事件は起きるし、人種・宗教・性等の差別は歴然としてゐる。後者について言へば、東日本大震災といふ巨大な天災及び人災を思ひ起こして欲しい。自然はいつでも牙を剝くし、人間はいつまでも愚かである。と記されている。そして、第3詩歌集『星顔』の跋には、句集『星貌』は、単著の詩歌集では三冊目に当たる。有季、超季、無季の別にとらわれない自在季、且つ、定型律、自由律の別に囚われない自在律で書いた俳句を中心に編んだ。一部を除けば、二十代から三十代頃までの作であり、当時は、星々の、とりわけ地球という星の様々な貌を捉えることに熱心であった。ともあり、またその「附録解題」には、句集『星貌』の附録として、第二句集詩歌集にして第一句集『亞剌比亞』の九九句を収めた。同集は、日英亞対訳句集としてアラブ首長国連邦のQindeel社から出版されたが、日本国内では販売されていない。そのため、詩誌「て、わたし」第二号に、国内未流通版として同句集の俳句を掲載していただいたが、同号は完売、絶版になってしまった。そこで、今回、多少改訂した上、日本語原句を『星貌』の附録とした次第である。
ともあった。仔細はともかく、以下に、これらの集中より、いくばくかの句を献辞なしになるが、挙げておこう。
ぐちよぐちよにふつとぶからだこぞことし 『人類の午後』
自爆せし直前仔猫撫でてゐし 雪女郎冷凍されて保管さる
天泣ぞこの花降らしたまへるは しやぼん玉ふいてた奴を逮捕しろ
吾よりも高きに蠅や五六億七千萬年(ころな)後も クリスマス積木を積むは崩すため
スターリン忌ポスターの下にポスター 地球儀のどこも継目や鶴帰る
薔薇は指すまがふかたなき天心を かき氷青白赤(トリコロール)や混ぜれば黎(くろ)
徹頭徹尾人殺されし夏芝居 神還るいたるところに人柱
楽園帰還雪に言語を置き捨てて 『星貌』
もう二度と死なないために死ぬ虱
かき氷とはひたすら自傷せる
放射能水着纏ってびしょ濡れ
私(わたくし)は月でなくてはいけなくて月であった月
鼓動はやし雨を喜ぶ民とゐて
多く欲する者貧しブーゲンビリア
インク・汗・血に聖別されてドル紙幣
水紋の亜剌比亜文字になるところ
肉体は砂に記憶は言の葉に
詩人みな実名の地や風かをる
土よりも砂おほき国ここにも神
堀田季何(ほった・きか) 1975年、東京都生まれ。
芽夢野うのき「迷えるは晩夏の国も魂も」↑
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