小川軽舟集

https://takahaikukai.com/current-president/ 【主宰:小川軽舟について】より

主宰・小川軽舟より

現代に生きる俳句 ご挨拶に代えて

私が俳句を始めたのは、大学を卒業して社会人になってからです。大学では法律と政治学を学び、文学青年とは程遠かったのですが、実生活とは違う次元での表現の機会を心のどこかで求めていたのでしょう。たまたま書店で手にした山本健吉の『現代俳句』に出てくる名句の数々に魅了されて、ぜひ自分でも作ってみたいと思ったのでした。

俳句はどういう場で学ぶかによってその後のありようが違ってきます。しかし、初心者には自分にふさわしい場がどこにあるかがわかりません。私は藤田湘子の「鷹」に入ってほんとうに幸運だったと思います。俳句の基本はしっかり叩き込みながら、それぞれの作者の個性を伸ばす。それが湘子の指導方針でした。私自身が育った「鷹」のこのすばらしい環境を保つことに、いまの私は全力を注いでいます。

俳句は古くさいものでしょうか。たしかに、昔ながらの歳時記や「や」「かな」などの切字、さらには学校で教わらない旧仮名遣いなどを大切にしているのは、現実から遊離しているように見られるかもしれません。しかし、ひとたび俳句を作ってみると、歳時記を通して目にする世界の見違えるようなみずみずしさ、古典に根ざした日本語の豊かさに、たちまちとりこになってしまうのです。俳句はけっして過去を向いたものではありません。俳句は何百年も続いた文芸ですが、いま俳句を作るのは現代に生きる私たちです。そこには必ず現代の息吹が通っているはずです。

俳句はなにしろちっぽけな詩型ですので、立派な主義主張を持ち込むのには適しません。大いに訴えたいことのある人は、他の表現手段に行ったほうがいいでしょう。俳句は自分をからっぽにする文芸です。俳句というフィルターを通すと、私たちの身の回りのすべてが、日常とはほんの少し違った光を放ちます。そこには私自身はえらそうに出てはきません。私はからっぽなのです。しかし、からっぽでよいと開き直ったとき、私は世界を産む力を得るのです。俳句とは、そういう不思議な文芸です。

俳句は日記をつけるように一人でノートに書き付けていてもなにも始まりません。仲間に読まれてはじめて俳句はいのちを得ます。句会でコテンパンに批評されるときもありますが、「ああ、おもしろい」と言ってもらえるときもあります。おもしろいのはからっぽの私を経由した対象そのものなのですが、ああ、おもしろいと言われると、からっぽの私もうれしいのです。そのうれしさを共有する場が句会というものです。

泥に降る雪うつくしや泥になる軽舟

これは私の作った俳句です。ぬかるみに雪が降っています。泥との対比で雪はいっそう美しく見えます。ああ、きれいだ、と私は思います。しかし、その雪は、次の瞬間には泥になっています。だからこそ、泥に降りそそぐ雪は、このうえなく美しいのでしょう。私はそれを見ているだけです。私はからっぽです。しかし、その雪を見届けたこと、それを十七音の言葉にできたこと、そして句会で仲間の共鳴を得たこと、それで私のからっぽは満たされるのです。それが俳句です。

俳句はあくまで現代詩だと私は思っています。ただし、その極端な短さを生かすために、何百年もの工夫がこらされています。だから表現技術は何百年分も勉強できます。しかし、俳句を作るその瞬間は、あくまで現代なのです。俳句は現代の詩としてどういう意味を持つのか。いまを生きる私たちの心に何をもたらすのか、私はいつもそのことを考えています。

プロフィール

小川軽舟 (おがわ・けいしゅう)

小川軽舟

昭和36(1961)年 2月7日 千葉市に生れる

昭和59(1984)年 東京大学法学部卒業

日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)入行

昭和61(1986)年 「鷹」入会、藤田湘子に師事

平成11(1999)年 「鷹」編集長に就任

平成13(2001)年 第1句集『近所』(富士見書房)

平成14(2002)年 句集『近所』により第25回俳人協会新人賞受賞

平成15(2003)年 雑誌「俳句研究」に「俳句時評」を連載(1年間)

平成16(2004)年 評論集『魅了する詩型 現代俳句私論』(富士見書房)

平成17(2005)年 1月より毎日新聞「俳句月評」担当(1年間)

評論集『魅了する詩型』により第19回俳人協会評論新人賞受賞

藤田湘子逝去により「鷹」主宰を継承

朝日カルチャーセンター通信講座・小川軽舟教室監修

平成18(2006)年 1月より「俳句研究」読者俳句選者

4月より共同通信「俳句時評」(全国の地方紙に配信)担当(2年間)

平成19(2007)年 雑誌「俳句」に「現代俳句時評」を連載(1年間)

毎日俳句大賞選者

平成20(2008)年 第2句集『手帖』(角川SSC)

評論集『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』(角川学芸出版)

平成22(2010)年 田中裕明賞選考委員(2019年まで)

『シリーズ自句自解Ⅰ ベスト100 小川軽舟』(ふらんす堂)

平成23(2011)年 毎日新聞俳壇選者

平成24(2012)年 第3句集『呼鈴』(角川書店)

平成26(2014)年 ふらんす堂ホームページにて「俳句日記」連載(1年間)

『藤田湘子の百句』(ふらんす堂)

『ここが知りたい! 俳句入門 上達のための18か条』(角川学芸出版)

平成27(2015)年 第4句集『俳句日記2014掌をかざす』(ふらんす堂)

平成28(2016)年 1月より東京新聞「俳句時評」担当(1年間)

『俳句と暮らす』(中公新書)

平成30(2018)年 『俳句αあるふぁ』「α俳壇」選者

平成31/令和元(2019)年 第5句集『朝晩』(ふらんす堂)

令和2(2020)年 句集『朝晩』により第59回俳人協会賞受賞

雑誌「俳句」4月号より「名句水先案内」を連載(2年間)

俳句アプリ・俳句てふてふ「てふてふ俳壇」選者

令和4 (2022)年 第6句集『無辺』(ふらんす堂)

令和5 (2023)年 句集『無辺』により第57回蛇笏賞、第15回小野市詩歌文学賞受賞


https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/102041.html 【『俳句と暮らす』/小川軽舟インタビュー】より

 俳人にして単身赴任中のサラリーマンでもある小川軽舟さんが、「飯を作る」「会社で働く」「妻に会う」「病気で死ぬ」など日常のさまざまな場面を切り取りつつ、俳句とともに暮らす生活を提案する『俳句と暮らす』。執筆中のエピソードなどをうかがいました。

――本書を執筆した動機をお教えください。

小川:執筆のお誘いがあったのは平成26年(2014)4月。20代の頃から俳句をやっているのですが、「日常」というものの見方が少しずつ変わりはじめていた時期でした。平成23年(2011)3月には東日本大震災がありましたし、単身赴任を始めたのがその1年後です。

 東日本大震災で考えさせられたのは、震災と俳句との関わりとは何なのか、ということでした。日常が一瞬にして奪われる事態を目の当たりにして、震災そのものを詠むというよりも、家族や会社など自分の拠って立つ生活の場にあらためて目が向くようになりました。それまでは、日常とは別の風雅の世界に遊ぶようなイメージを持って俳句を作っていたのですが、やはりもう一度自分の足下を見つめなければと。1年後に単身赴任を始めたことで余計にそのように思うようになりましたね。

 俳句もぼつぼつそういうテーマで作るようになっていました。雑誌『俳句』(2013年2月号)に「単身赴任」という題で50句を発表しました。新書にも引いた「職場ぢゆう関西弁や渡り鳥」「妻来たる一泊二日石蕗の花」といった句が入っています。

――執筆をお願いした2014年当時は、ウェブサイトに「俳句日記」を連載中でした。

小川:ふらんす堂という小さな出版社から依頼されて、毎日書いていました。一日一句、簡単な短い文章を添えて。一年分まとまったところで本になりました(『掌をかざす 俳句日記2014』ふらんす堂、2015年)。これは毎日の生活を俳句にしていくプロセスを人に見せるという、私にとっては一年間の実験でもありました。

 そのさなかにお話をいただいたものですから、やはり「俳句と暮らす」というテーマで書きたい、と。日常生活に立脚して、それを一句一句書き留めることによって、自分自身の生きているあり方を刻むことができるのだ、ということをあらためてまとめて書いてみたいと思ったわけです。ですから、企画案を考えてみてくださいと言われて、最初に決まったのはタイトルと章題でしたね。

――執筆中に苦労したことはありますか。そもそもサラリーマンと俳人を両立させるのが大変ですし、単身赴任、さらに執筆もとなると……。

小川:時間は絶対的に不足気味ですが、会社の仕事も、家で暮らすことも、しっかりスケジューリングして、優先順位をつけて、てきぱきとやる。それを心がけています。

――それでうまく回っていきますか?

小川:うまく回らないと一番感じたのはこの本の執筆でしたね。(笑)

 会社では俳句のことを一切考えないようにしています。会社では会社の仕事を一所懸命にする。その代わり、なるべく残業しないで帰りますけれど。

 その上で、家にいる時間をどう過ごすか。まず俳句雑誌『鷹』の主宰として、会員の俳句の選句をするのが一番大事な仕事です。他にも『毎日新聞』俳壇の選句、雑誌からの依頼原稿、句会での指導……優先順位の上のほうにそういう仕事があって、ようやく自分の俳句を作るという仕事が来る。俳句を作らないと「俳人」と言えませんから。

 それからやっと時間が空いたら本書の執筆というわけで、書き下ろしは本当に大変だと思いました。章ごとに原稿をお送りしていましたが、間隔がずいぶん空いてしまって、あいつは何をやっているんだとお思いになったでしょう?(笑)

――無事に刊行まで漕ぎ着けて本当によかったです(笑)。その他、執筆中のエピソードがあればお聞かせください。

小川:エピソードというほどのことはありませんが、まさに「俳句と暮らす」を実践しながら原稿を書いていましたね。章題にあるように、日曜日だったら三度「飯を作る」、原稿が進まなくなったら気分転換を兼ねて「散歩をする」、晩ご飯を食べたらちびちび「酒を飲む」……。逆に日常の発見がそのまま材料になって、「これは本に書けるなあ」と思うこともありました。

――本書と関連するおすすめの本や映画があればお教えください。

小川:私自身の本ということであれば、先ほどお話しした『掌をかざす 俳句日記2014』ですね。新書は俳句と暮らす生き方を総論として書いたものですが、それを私が一年間実践したのが『俳句日記』、いわば姉妹篇です。

 新書と無関係に挙げてよいのでしたら、『君の名は。』が大ヒットした新海誠さんのアニメーション映画。特に『秒速5センチメートル』(2007年)と『言の葉の庭』(2013年)です。新海さんは前から好きなんですが、風景の切り取り方が俳句にとても近いと感じます。

『君の名は。』と同じく、これらの作品でも風景を細密に描写しているのですが、その風景は写真や映像を単にコピーしたものではありません。本当は目に見えないかもしれない瞬間――例えば、池に落ちた水滴がぽちゃんと跳ね上がる瞬間とか――を映像にしている。そこには作者の切り取り方、作為があります。だからこそ、例えば新宿駅の雑踏がなぜか美しく見えるわけです。普段見ている何でもない風景のはずなのに、詩情(ポエジー)が宿る瞬間がある。それは作者自身の感情が込められているということなんですね。俳句として学びたいところです。

――今後取り組みたいテーマは何でしょうか。

小川:ここ数年、自分の生きている日常を詠んできました。自分がどういう時代を生きてきたのか、ここから先どういう時代を生きるのかを、俳句を通して綴っていきたいと思います。それも、私の世代のあり方を確認しながら見ていきたいという気持ちがあります。

 それは別に大上段に構えるのではなくて、自分の足下を見て、これを記憶に残していきたいということを一句一句俳句にしていけば、自ずと浮かび上がるのではないかと思っています。

――あとがきに引いている「かつてラララ科学の子たり青写真」も……。

小川:あれが私の世代の原体験ですね。

――本書の読者へのメッセージをお願いします。

小川:この本をお読みになった方は、「俳句って意外と簡単そうだ」と思うのではないでしょうか。実はそれが狙いです。もしそう思ったら、ぜひ俳句を作っていただきたいですね。俳句はハードルの低い趣味です。とりあえず『歳時記』と紙と鉛筆があれば何も要りません。

 ただ、一つだけ言っておきたいのは、自分の句をノートに書き留めるだけでは、それは俳句ではありません。必ず人に読んでもらって、どういうイメージが目に浮かんだかを聞く。句会に出てはじめて、俳句とは何かがわかるのです。多くの方が「もう少し勉強して自分なりに納得のいく句ができてからにしたい」と言いますが、それは絶対に成功しません(笑)。私も俳句を始めた当初はノートに書くだけでしたが、今から読むとよい句は一つもありません。当たり前で、陳腐で、頭で考えて作っていて……。俳句仲間や、かつてであれば師匠の藤田湘子など、読んでくれる人がいて、いろいろ言われて、だんだんわかってくるものだと思います。

 繰り返しになりますが、まず俳句を作っていただきたい、そしてぜひ句会に出ていただきたい。そうすると、たちまち俳句と暮らす生活が目の前に広々とあらわれるはずです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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