アニミズム(多神教)

Faceboo斉藤 一治さん投稿記事

地球原住民は皆んな万物に霊が宿るアニミズム(多神教)でした。

一方ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの「一神教」は、「Religion」と呼ばれ、これが明治になって日本に侵入し「宗教」と偽訳されました。

本来「Religion」とは、 Re (再び) ligion(一体になる)という「ラテン語」です。

元始、地球原住民である人間は神と一体でした。

しかし、アダムとイブが「悪魔」(蛇)に誘惑されて、神に背き、禁断の木の実を食べて「原罪」となりました。

この「原罪」を犯し、彼らは神から離れてしまったため「エデンの園」から追放されました。

つまり、「原罪」を犯し、一体であるべき神から離れてしまった人間が、再び、神と一体になるために必要なのが「Religion」です。

日本人の祖先も我々も「原罪」を犯してはいません。我々日本人は、今でも「八百万の神」と一体です。日本の「神道」や「仏教」は、江戸時代までは「随神(かんながら)の道」「自然の教え」「信仰」「仏の教え」「お釈迦さまの教え」と呼ばれていて自然な日常生活に密着した「習慣」「習俗」そのものでした。

それが、明治になって侵入してきた、一神教である「Religion」の範疇に強制的に入れられてしまいました。

つまり、「原罪」を犯していない日本人には「神道」や「仏の道」だけで充分で「Religion」は必要ありません。そもそも、私たち日本人には「悪魔」という概念が、存在していません。

「神」と一体である日本人には「悪魔」が入り込む隙がありません。

斉藤が知る限り、日蓮は「悪魔」を意識しておりました。その著「兄弟抄」には次のような記述があります。

「此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始己來彼の魔王の眷属なり」と。

この魔王こそ「悪魔」に違いありません。

一方、西洋では、世界最古の叙事詩と言われる「ギルガメシュ叙事詩」のテーマ「森の神・フンババ殺し」「神殺し」から、人間は「神」と離れ、「原罪」を犯して「悪魔」に取りつかれてしまいました。

この主人公であるギルガメシュは、紀元前2600年頃、シュメールの都市国家ウルクに実在した王です。

この「Religion」は「一神教」ですから、異なった「Religion」の信徒を排斥します。

その根源は、砂漠の民がその厳しい風土の中で獲得していった、特有の「憎悪」「妬み」「攻撃」「復讐」です。

西洋の歴史は、「悪魔」と「神」との戦いの歴史であり、「悪魔」が勝利してからは、「Religion」の名の下に実行された「排斥」つまり「大量殺戮」の記録に過ぎません。

つまり、日本人が幕末、明治以来、受け入れてきた西洋文明は、悪魔が神に反逆し、神を殺害し、神に摩り替わったものです。

更に言えば、悪魔が取りついた自己、これが私たちに与えられている「個人主義」の本質です。「神に対する反逆」これこそ「Conspiracy(コンスピラシー)」です。

「Conspiracy」の日本語訳は「陰謀」となっておりますが、これも偽訳です。

陰謀とは、人間同士間の軋轢や戦闘であり、「Conspiracy」は本来、人間が侵すことができない神仏の仕組みの破壊をする人間の意思であり行動です。

つまり、西洋文明の本質は「Conspiracy」です。

ですから「西洋」は「今でも八百万の神と一体である日本」の存在を許すことができないのです。

戦後、「Conspiracy」そのものの占領軍は、神国・日本を徹底的に破壊する「洗脳」を本格化して今日に至っております。

私たちは、民主主義、自由・平等、個人主義、人権など、一見、甘ったるいが、

実際は麻薬に過ぎない美辞麗句に躍らせられていてはいけません。斉藤は「法華経」に、この「洗脳」「Conspiracy」を撃退する萌芽が含まれているように思います。

斉藤は神道・仏の道から学び皆んなで陽氣暮らしをする地球を目指し実践してまいります。


https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_01290/ 【土地の神様「鎮守の神」「産土神」「氏神」。引越しする前の方位除け、引越しした後の鎮守杜・氏神へのお参り】より

歴史を伝える、日本の神話

縄文時代の日本では、人々は移動しながら狩りをしたり果実を採取したりして生活していた。

農耕生活よりは天候からの影響も少ないと想像されるが、火山の噴火もあり、大風も吹いたから、災害除けの祈りは捧げただろうし、先祖崇拝もあったとされる。

縄文時代の遺跡からは、環状列石などが発見されているし、特徴的な姿の土偶たちもまた、祭祀のための道具だったとされる。

その後稲作がもたらされて、田畑を作るようになると、人々は「ムラ」に定住するようになった。ムラ同士のいさかいも生まれ、戦闘で命を落としたと推察される、矢傷のある人骨なども出土するようになる。ムラには血縁のある一族が暮らしていたが、他のムラとも婚姻などの交渉があっただろう。水の分配についても話し合われたはずだから、互いに親交はあったと考えられるが、基本的には一族がまとまって暮らしていたとされる。

文字のなかった時代、一族の歴史を後世に残すためには、物語を親から子へと語り継ぐしかなかった。当然氏族ごとに違う物語があっただろう。しかし奈良時代ごろ日本書紀が編纂されるにあたり、「日本の歴史」として整理するために、それらの物語をまとめあげねばならなかった。

だから、日本書紀の神代条は「一書に曰く」と、さまざまな書物から引用して語られるのだ。まったく違う話が併記されていることも少なくない。

神道は先祖への感謝と神々への敬意

皇室は日本神話の最高神であるアマテラスの子孫であるとされるが、これはスサノオが高天原へやってきたとき、悪い心がないと証明するために、「男子が生まれたら清い心である」と誓約してアマテラスと互いに子を産み合った神話による。このときアマテラスはスサノオの剣を口に含んで三柱の女神を、スサノオはアマテラスの勾玉を口に含んで五柱の男神を産むのだが、男神のうちのアメノオシホミミが、皇室の祖にあたる。

日本書紀の本書では、アマテラスが「勾玉は私のものだから、男神たちが私の子どもだ」とはっきりと宣言しているが、引用された他の書物にはこの宣言がなく、そのため三柱の女神こそがアマテラスの子どもであると伝える神社もある。

「神社にお参りする際は手水で手を洗う」などの一般に知られている作法も、コロナで手水舎が封鎖されたこともあったように、「絶対的なルール」ではない。二拝二拍手一拝の作法も、たとえば出雲系の神社では四拍手が作法だったりして、現在の形に統一されるまでは、地域により人により、さまざまな作法でお参りされてきたと考えられる。

神道において大切なのは、先祖への感謝と、日本を守護してきた神々への敬意であり、作法ではない。そして敬意の示し方は人それぞれだ。それを踏まえて、引っ越しと神社について考えてみよう。

「鎮守の神」「産土神」「氏神」の人を守護する神

神道においては一般的に、人を守護する神は「鎮守の神」「産土神」「氏神」の三種類あるとされている。

鎮守の神とはその地域を守護する神社のこと、童謡「村祭り」で、「村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日 ドンドンヒャララドンヒャララ」と歌われる神様だ。現在では、氏神、産土神と同じとされることも多いという。

産土神は、生まれた土地の鎮守の神社を指す。生まれたときに初宮参りをした記録があれば、その神社を産土神と考えることもある。生まれた土地の鎮守の神社ではない神社に初宮参りをしたのなら、どちらの神社も産土神と考えて良いだろう。産土神は一生を通じて守護してくださる神様だ。

氏神とは本来氏族の祖先にあたる神様のこと。日本書紀には、「〇〇の神は、△△氏の祖である」などという記述がところどころにあり、たとえば皇室ならアマテラス、藤原氏ならアメノコヤネが氏神にあたる。氏族の祖神がわからなくても、「ご先祖様」を氏神と考えても間違いではない。

しかし、氏族が一つのムラに固まって暮らし、生まれたムラから移動する機会がほとんどなかった時代が長く続き、次第に産土の神や氏神は、鎮守の神と混同されるようになった。現代で「氏神」というときは、住んでいる地域の鎮守の神のことと考えて良いだろう。また、地鎮祭の祝詞に登場する「産土神」は鎮守の神を指すので、地域を守護する「氏神様」は、特に重要だと考えてよいだろう。

昔から気にされた引越しの方角。方位除けの神社

おみくじを引くと、「転居(やうつり) 東が吉」とか、「転居(やうつり どこでもよし)」などと書かれていることがある。また、厄除け・方位除けというお寺も聞いたことがあるだろう。

そもそも東が良いとか西が良いとか、方角によって吉兆があるとするのは陰陽五行説の影響が強く、日本古来のものとは言い難いが、陰陽の考え方は記紀神話にも反映されている。平安時代には方違え(かたたがえ)方忌み(かたいみ)といって、外出や引越しなど、その方角の吉凶を占い方角の縁起が悪い場合は、別の方向に出かけそこから出かけることで方角の縁起をかついだ。

現代では、引越しの際、どちらの方角が良いかと調べて、その方角に新しい家が見つかればそれに越したことはないのだろうが、現実的にはそうはいかないであろう。転勤のための引越しならば、たとえ最凶の方角でも引越しせざるを得ない。

もし、凶の方角になってしまい気にする場合は、方位除けの神社にお参りをしたり祈祷を受けるのもよいだろう。

関東で有名なのは、寒川神社だ。寒川神社では、方位除けだけでなく、地相・家相・方位・日柄などに起因するすべての禍事・災難を取り除き家業繁栄・福徳円満をもたらすという「八方除け」の祈祷が行われる。

関西ならば、その名もずばり方違神社が知られている。三国丘は和泉・河内・攝津の三国の境あり、「方位のない地」とする信仰が古くからあった。そこに鎮座する方違神社にお参りすると、方角に関わる禍が払われると考えられてきたのだ。

この2つの神社でなくても方位除けのご祈祷をしていただけるはずだから、気になるなら、よくお参りする神社に問い合わせてみよう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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