https://note.com/suwasure/n/nbe0159fe5d85 【「自己肯定感」とはなんぞや】より
上月咲乃@俳句
近頃、ちまたでよく耳にする「自己肯定感」。
この間は、友人に「どうしてさきぽんはそんなに自己肯定感高いの?」と聞かれた。正直、自分のことを「自己肯定感の高い女」と思っていなかった。だから、その場では濁してしまった。けれども、私とて、そのことについて何も考えてこなかったわけではない。
そこで、この場を借りて、私なりに考えてきたことをまとめてみようと思う。
そもそも「自己肯定感」って何?
そもそも、私たちは「自己肯定感」という言葉をふわふわした意味で使いがちじゃないだろうか。だが、定義があいまいなまま「自己肯定感」を高めようとするのは危険だろう。そこで、「”自己肯定感”を高めるためにはどうすればいいのか」を考える前に、定義をはっきりさせておこう。
数ある本や人の話を聞いていくうちに、次のように考えた。
自己肯定…自分のいいところも悪いところも「一旦」受け入れること。
自己肯定感…上記ができている度合い。
自己否定…自分の悪いところを「ダメだなあ」と思うこと。
このように考えると、「自己肯定感の低い人」は、自分の悪いところを受け入れられていないということに気づいた。(これを仮説①とする。)そして、自己否定――「ダメだなあ」と思ってしまう――から、自己肯定感が低いのだろう。
しかし、自己否定に意味がないわけではない。自分の悪いところを「ダメだなあ」と思い、「このままではいけない」と行動すれば、成長につながるからだ。
逆にいえば、自己否定の目的は「成長するため」といえるだろう。
ここで、また「自己肯定感の低い人」の仮説②を立てた。彼、彼女たちは、目的もなしに自己否定しているのではないか?つまり、「この部分を克服して成長したい」という思いもなしに自己否定しているのが問題なのではないか?
もっと詳細にいえば、彼、彼女たちは、悪いところを放っておくことができないのだろう。その悪いところを自覚し、「なんとかしなきゃ」と思ってはいるものの、ほかにやることがあるなどの理由で、何もできずにいるのだろう。そして、自己嫌悪のループに乗っかってしまっているのだろう。
あ~~、私って、どうして喋んの下手なんだろう、みたいな。そうこう考えているうちに、あ~~~、私って、ダメだ。ダメだ。ダメだなあ。この繰り返しなのだろう。
自信と何が違うの?
さて、先ほど紹介した友人もそうだが、私たちは「自信肯定感」と「自信」を混同して用いてしまっている気がする。これも、また危険なので、「自信」の定義づけもしておきたい。
自信…「自分で考えて、行動した」という経験によって身につくもの。
(浅田悠介著『わたしは愛される実験をはじめた。』を参考にした。)
よって、「自己肯定感」とは別物であることを注視しておきたい。
「自己肯定感」が低いことの何がいけないの?
自己肯定感が低い人の仮説をまとめると、
仮説①自分の悪いところを受け入れられていない
仮説②「成長する」という目的なしに自己否定している
の2つだった。
これらを踏まえると、「自己肯定感の低い人」の問題点は、「今の自分の状態や性質を、全て把握することをしていない」ということにあるのではないだろうか。
じゃあ、どうすればいいの?
これの解決策として、以下のように行動すればいいんじゃないかと思うものを順序立てて挙げた。
①自分の「好き・得意・やりたい」/「嫌い・苦手・やりたくない」/「性格・性質」/「できること」をノートに書きつづる
(桜林直子さんのnote「自分を観察するための4つのリスト」から引用)
②・短所を克服したいなら、克服に向けて努力する
・「このままでいいや」と思うなら、他人からどういわれようと胸を張っ
て生きていればいい
①がなぜ必要なのか、説明不足だったので追記。
「好き・得意・やりたい」は、行動する際、何を優先させるべきか把握するために必要だ。
「嫌い・苦手・やりたくない」は、行動する際、逆に何を優先順位のワーストに持ってくるか把握するために必要だ。
「性格・性質」は、日常生活で人にある部分を否定されたりしたときに、「でも私はこういう性質だから。そして、それは簡単には変えられないから、方向性は私が決める」と考えられるようになるために必要だ。また、「性格・性質」を把握していると、行動する際に自分の性格のせいで上手くいかないことがあっても、「こういう性格だからなあ」と客観的に自分を見れるようになるので、冷静に対処できるようになる。
「できること」は、行動する際、何を優先させるべきか把握するために必要だ。
このように、①で自分の状態・性格・性質を把握したうえで、①の「性格・性質」の中の「短所」と思える部分を、②で克服するかしないか方向性を決めるようにする。すると、自己肯定感は高まる。
うーむ。どうだろうか。こんなふうにまとめてはみたものの、私だって若輩者じゃないか。人生の何たるかも知らないくせに、こんなわかったような書き方してていいのか。
そんなことを考えてみたりする。でも、まあ、思いついたことは、書いてみちゃえ、と思ったりもする。
Facebook田中 宏明さん投稿記事
「いいじゃねえか エゴがやってんだからよ」「え?何、誰?」「おらぁ、天使だよ」
「天使?そんなのいるの?」「いるに決まってんだろ バカヤロウ」「ずいぶんガラが悪い
んですね」「天使にも色々あらーな」「で、なんなんですか?」「なんなんですかじゃねーよ オメェまた批難してたろ?」「え?なんで知ってるん ですか?」「お前アホか? 決まってんだろ 天使だからだよ」「そうか、でもだって あんな態度はないと 思うんですよ」
「何が?」「だからですね 僕は何もしてないのに あんな不機嫌さを 撒き散らすなんて良くない と思うんです」「だから何だよ?」「いや、だって不機嫌に されたら嫌じゃないですか?」「じゃあ、オメェは今 ご機嫌なのか?」「いやだから気分が悪いんですよ 悪いんですよ」「だったらその不機嫌野郎と 一緒じゃねえか」「え?やめてくださいよ 僕はあんな風に他人に 不機嫌にしませんよ」「お前アホか? 他人にはしなくても 自分に不機嫌撒き散らし てんじゃねーか」「いや、だって自分なら 誰にも迷惑かけないでしょ」
「かかってんだよバカヤロウ テメェのその陰気くせぇ 顔見るだけで、地球にも 宇宙にも大迷惑なんだよ」「そんな言い方は ないでしょう!」「僕だって本当は腹が立ってるのに
こうして我慢して人に 迷惑かけないように 頑張ってるんですよ!」「だからそれが暴力だって 言ってんだよ」「オメーら人間は他人には いい顔して、自分は めちゃくちゃに扱いやがる」「おらぁ、それを見てると そこに違いなんかないと わかるんだよ」
「だって人に迷惑をかける のはいけないことですよ」「まぁ、聞けや まずそんなもんはクソだ」「そして、テメーの我慢とやらは 宇宙中に響くんだよ」「宇宙中に?」「そうだ、宇宙はオメーだからよ」「ええ?僕は人間ですよ」「まぁ、今はその話しはいいや」
「とにかく、自分を傷つける 奴は間違いなく人を傷つける それが宇宙の法則だからよ
まずそれを覚えとけ」「でも、僕は人に迷惑を、、」「まぁ、わかったから聞けや
いいか?この地球の人口は どれくらいだ?」「えーと、80億人ですかね?」
「その80億人は全員個性も 見た目もバラバラだろう?」「ええまぁ当たり前ですけど」
「そうだ、当たり前なんだよ でも二つだけみんなに 共通してることがある」
「一つ目はみんな愛に 生かされていること」「二つ目はみんな エゴに支配されている
ということだ」「何なんですかそれ?」「愛はこの宇宙の全てでエゴは自分と他人を
わけるためのシステムだ」「愛は何となくわかるんですけど、エゴはもっと 強欲な政治家とかに あるヤツではないんですか?」「エゴは誰にももれなく ついてんだよ、それが
地球にくる条件だからな」「僕にもエゴはあるんですか?」「あるよ、だから人に迷惑
かけたくないとかの発想 が出てくるんだよ」「でもそれは相手を 思えばこそじゃないですか!」「相手を傷つけたくない それの何がいけないんですか!」「だからよぉ、さっきも
言ったけど自分は傷つけ てもいいのかよ?」「そ、それはよくないとは 思いますけど」
「エゴってなお前と相手が いるって思わせるのが仕事なわけだ」「それが全人類一人一人に
取り憑いてそれは見事な仕事をやってるぜ」「というと?」
「今の地球を見りゃわかるよ 環境汚染に戦争に差別 貧困にピラミッド型の社会
全部エゴの立派な仕事だ」「エゴってやっぱり 悪いヤツなんですね」
「オメーらの使い方が 下手なだけだ、なんでも そうだろ?」「包丁は刺身もさばけりゃ
人も刺せる」「いやな例えはやめてくださいよ」「まぁ、話しが長くなって きたから結論を言うとだなぁ」「みんなこのエゴの使い方を 知らされねーで、オギャーと いきなり地球にたたき込まれて きたわけだ」「そうですよ、僕はエゴが あることすら知りませんでした」「だろ?だからこうして 天使がいるわけだけど」「天使はもっと優しいと 思ってましたけど、、」「何でもイメージ通りじゃ ねえからおもしれーんだよ」「まぁ、確かに」
「いわゆるギャップ萌えだな」「はぁ、それで結論ていうのは?」
「テメェは本当にセンスがセンスがねえなぁ 今のは笑うところだろーがよ」
「え?ああ、そうですね」「笑え」「だってそんなに面白く なかったっていうか」
「言うじゃねーか じゃあテメェもなんか おもしれーこと言えや」「僕はそんなの 出来ませんよ」「じゃあよ、せめて 他人を批難して自分を 傷つけるような あんな陰気くせー真似は すんなよ」「まぁ、それは そうかもしれないですけど、」「けど、なんだよ?」
「やっぱり、相手が不機嫌だと どうしても気分が悪く なっちゃうんですよ」
「そんなのぁ当たり前じゃ ねーか、不機嫌な奴みて 嬉しい奴は頭がイカれてる」
「だったら僕も正常 なんじゃないんですか?」「ちげーよ、オメーは しつけーんだ」
「相手がいなくなった後も ぐちぐちといつまでも 相手を批難してんだろ?」
「だって気分を害されたん ですから、しばらくは そうなるでしょう?」
「だから言っただろ? 相手のそのバカヤロウも エゴに乗っ取られた マヌケなんだよ」
「そんなマヌケにいつまで お前の大事な時間と心を 使ってんだってことじゃ ねーか?」
「マヌケってそんな」「マヌケはマヌケだと 理解してやることを 慈悲って言うんだよ」
「慈悲ってそんなこと じゃないでしょう?」「困ってる人を助けるとか そういうのを慈悲って 言うんじゃないんですか?」「エゴに乗っ取られた奴は 全員もれなくマヌケに なるんだよ」「でもそれはみんな好きで 乗っ取られてるわけじゃねーんだよ」「それにエゴにつかれたら アホみたいに人生 上手くいかねーわ 苦しーわで散々だ」「そんな相手をそれ
以上批難して攻撃する 必要があるか?」「いや、それは無いですけど」「だったらそれが慈悲じゃねーか エゴに憑かれて困ってる 人を助けるってのはな」
「そいつのエゴに 反応しねーってことなんだよ」「反応しない?」
「そのまんまだよ反応しねーんだよ」「ああ、このバカヤロウも かわいそうにエゴに
乗っ取られているんだなぁ だったら仕方ないや ほっとこう^ ^」「これが慈悲って奴だ」「なんかやっぱり違う 気がするんですけど」「まぁ、どう思うかは テメーに任せるよ」「ただこう反応出来たら 少なくとも自分を苦しめる ことは激減するよ」
「どういう意味ですか?」「相手を批難してる時 テメーは地獄にいるんだよ」
「たしかに苦しいですけど」「その地獄から少なくとも 自分は救えるじゃねーかよ」
「あぁ、なるほど」「なるほどじゃねーよ バカヤロウ、テメェまた やりやがったら承知 しねーからな」「そんな、でもなんとなく わかった気がします」「気がしてるだけだよ
すぐにテメーはエゴに 乗っ取られる」「そ、そんなぁ 何とか乗っとられずに 済む方法はないんですか?」「無い」「それじゃどうしようも ないじゃないですか!」
「生半可じゃ出来ねーってことだよ」「ああ、なるほど」「エゴに乗っ取られずに いるには気合いがいるんだ」「はい」「自分を愛する気合いだ」「なるほど」「だからな、テメーが
誰かにガツンとやられた時は 最初のオレの言葉を思いだせ」「ええと、なんでしたっけ?」「バカヤロー、最初に 言っただろう」「いいじゃねえか エゴがやってんだからよ
って言っただろうが」「あぁ、そうでしたね」「これを今日からお前の 魔法の言葉にしろ」
「あ、はい!わ、わかりました」「しないと地獄に落とす」「あなた本当に天使 なんですか?」「天使だよバカヤロウ 天使の仕事は人を 助けることだ」「手段も方法もカンケーねー」「とにかく何かあったら 魔法の言葉を使えよ」「わかりました」
「ホントかよ まぁ、じゃあまたな アディオス!」「はい、アディオス!」
そういうと天使は音のうるさいバイクで帰って行った おしまい^ ^ らぶ💓
Facebook羽賀 ヒカルさん投稿記事【仁義なき世界】
いろんな業界の仁義ない話ばっかり聞く。政治、医療、ビジネス…。
いつの世も、人はそういうモンなのか、日本にはあったものが失われたのか。
もはや「仁義」とか古い価値観なのか。しかし仁義教育なくして、マトモな社会になると思えない。「大道廃れて仁義あり」と老子はいったが、大道教育も、仁義教育も、両方いると、思うね。それ以前に大道の生き方と、仁義ある生き方をしたい。
そして、こんな話はウケない。そして、誰も言わなくなってる。
Facebook加藤隆行さん投稿記事·【盲目の善行者】
さて、今日は先日のクライアントさんとの話。「愚痴・文句を言わない」「人の悪口を言わない」「人に優しくしよう」こんなこと読んだり聞いたりすることがあると思います。
世にいう【正しい行い・善い行い】です。
でもそれを実践しているAさんとBさんがいたとしてそれぞれ自分の中で以下のように変換されています。
A「愚痴なんて言っちゃダメ!(# ゚Д゚)」
B「できたら愚痴は 言わないほうがいいよね(^^)」
A「悪口はやめるべき!(# ゚Д゚)」
B「悪口言わずに いられたらそのほうが気分いいよね(^^)」
A「人にやさしくすべき!(# ゚Д゚)」
B「時に人に優しくできくなっちゃうときも あるけどできるだけ優しくいたいよね(^^)」
この違い、なんで起きるかわかります?ただの言い方の違いじゃないんですよ。
これね、Aさんは自分に愚痴を【禁止】しているんです。それが正しいと【誰かに言われて】
それを絶対ルールとして【義務化】し【盲目的に従って】いるんです。
つまり【自分で決めてない】んです。
Bさんはときには愚痴言っちゃう自分も【認めた】その上で「言わないでいたほうが幸せだよね」と【自分の意思】で【決めて】るんです。
【義務】ではなく【努力目標】。
Aさんは、自分は(人間全般は)愚痴を言ってしまうようなダメな人間だと【否定】しながら、「愚痴を言わない」という【禁止のルール】で【自分を縛っておかねばならない】と思っている。
Bさんは、自分は(人間全般は)愚痴を言ってしまうようなときもあるけど
そんなところも人間らしいと【肯定・受容】しながら「愚痴を言う」ことも【許し】
でもその上で「愚痴を言わない」という【柔軟なルール】を【できる範囲で自分に適用すればいい】と思っている。
Aさんは、「愚痴を言わない」のを【絶対のルール】だと盲信しているから、それを他人にも【強要】します。
Bさんは、「愚痴を言わない」のは私の決断だし、相手には相手の考えがあると【相手を尊重】した上で「言わないほうがいいかもね」と【選択肢】を提示します
Aさんは自分を(人間を)【信じていない】だから正しい行いを実践してるのに幸せじゃない。
Bさんは自分を(人間を)【信じている】だから実践しててとても幸せ。この、大きな大きな大きな天と地ほどの違いがあるから「愚痴を言わない」ひとつの捉え方がずぇんずぇん違うんですよ。
いろんなことやいろんな人に心当たりある方いらっしゃるのではないでしょうか。
怪しい宗教の人が言う言葉がめっちゃ気持ち悪いのもこの理由。
さまざまな人の言葉で偽善に聴こえるものがあるのもこの理由。
人のフリ見て我がフリ直せ。さて、アナタは【正しい行い・善い行い】をこんなに実践してるはずなのになぜだか幸せじゃない、ってことありませんか?
絶対的な「正しさ」なんて1mmも存在しない。それ「正しさ」や行動してるかどうかとかの
問題じゃなくて「自分を信じてるか」「自分にOK出しているか」「自分を受け入れてるか」
って言う自己肯定感の問題なんすよ。
ここがその教えを守っている人の地獄と天国の分かれ目なのです(^ω^)
Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事【雑感】『モラルの崩壊と多様性の解釈』
セルフエスティーム、セルフアサーティブネス、セルフフルフィルメント、セルフリアライゼーイションは自己評価、自己主張、自己充足、自己実現と訳すが、その判断基準が自分の好き嫌いや自分の利益追求をしているかどうかで優先されるという傾向が多い昨今…。
しかし、現実には、高い価値判断と低い価値判断が存在し、価値判断にはやはり優劣が存在する。
すべての価値判断が水平的でこれが自分の生き様なんだから、お前は文句をつけるな!と言った具合いだ。
俺が好きなようにやっているのだからガタガタ言わないでくれ!これらは質の悪い個人主義になってしまっています。
そこでいまだに出るのがマズローの欲求の5段階理論だ。そこで出てくるのが自己実現だ。
そこで日本の有名な社会学者のMもアメリカには7割セルフエステームがあり、日本は1割しかセルフエステームがないという。
だからアメリカには幸福感が多い人が多いけれど日本の幸福感は少ないという。
つまらない統計を持ち出し、成功するには強いビヘイビア(行動)が必要だという。そんな簡単なものか甚だ疑問に思う。
だから「政治的な正しさ(政治的な妥当性)」と訳されるポリティカルコレクトネスPolitical correctness。
これは、特定の民族や人種、宗教、性別、職業、年齢などに対して差別的な表現を避けること。
困っている当事者が不快感を覚えたり、屈辱的な思いをしたり、一見問題がなさそうでも今後の差別につながったりしそうな可能性がある言葉や表現を選ばない、という姿勢や考え方を指します。
またはアイデンティティポリティクス。
これは、主に社会的不公正の犠牲になっているジェンダー、人種、民族、性的指向、障害などの特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動など……。
実態を遥かに超えて横行している。
マイクロアグレッション(明らかな差別に見えなくとも、先入観や偏見を基に相手を傷つける行為)は小さな攻撃性と呼ばれ「あんたは私に気にくわないことを言った!から謝れ!」と……。
全ての言葉が差別に繋がる……。
自分の好き嫌い感情に触ることはいけないというならば、道徳的な規範の基準がないことがこのような個人主義に陥ってしまったと思う。
よく「他人事を自分事」にと言っている者がこの矛盾したモラルを外れた価値判断に委ねていることさえ気がつかないでいる。
今のマスメディアも客観性が必要ないという始末だ。
客観的な真実や事実などないのだという……。
個々の主張が自分が好き嫌いか自分に利益があるかないか全てその人の解釈次第だという顛末である。
そして、どんなに嘘をついてもケロッとしている。
垂直的な判断があるはずなのに水平的な価値判断しか認めない風潮に懸念を感じます。
ある意味で垂直的な価値判断を認めないで、水平的なな生き方や素晴らしい生き方だという。
皆それぞれの判断が通用する世の中になってしまった。
もし客観性がない科学がない、判断基準がないなら、それはカオスというよりも、ある集団が築かれ、それがある独裁的な党や国家の判断が絶対になる全体主義に繋がる。
今、アメリカや中国に骨抜きの日本政府も平気で嘘や方便で国会の審議を通さないで増税や悪政を行なっている。
またそれに対して……お上のいうことに黙って従っているのが今の現状だと言わざる得ない。
私の歴史や文化を学び、多様性の本当の意味を一人ひとりが考え、学ぶことは至急課題だと思う次第です。
https://www.hurights.or.jp/japan/news/2015/10/post-53.html 【「五・七・五で詠む差別問題」の受賞作品が決まりました】より
2015年は、日本の人種差別撤廃条約加入20周年、女性差別撤廃条約批准30周年の節目の年です。ヒューライツ大阪は、7月24日から9月25日にかけて、ヘイトスピーチやマタニティハラスメント、障害者差別などの差別問題について考えるために、五・七・五の句を、ホームページなどを通して募集しました。
今回は214名の方々から699句ものご応募をいただきました。そのなかから、全日本川柳協会常任幹事/ノエマ・ノエシス主宰の高鶴礼子さんとヒューライツ大阪前所長/顧問の白石理で構成する選考委員会による選考の結果、受賞作品が決定しました。ご応募いただいたみなさまにお礼を申しあげます。
選評は、当センター日本語ニューズレター「国際人権ひろば」No.125(1月号)に掲載後、ホームページに掲載予定です。
選考結果(高鶴 礼子・白石 理 共選)
特選
見上げれば分け隔てない青い空 長峯 雄平
どの種も懸命に問う生きる場所 森 沙恵子
入選
「ふるさと」は一人の時に歌います 松田 龍彦
父匿すハングル文字のパスポート 松澤 龍一
差別して 一体何を 守りたい むーむー
まっさらな朝だよ同じ陽を受けて 吉備団子
木登りの少女 少年かもしれず 市川 唯子
選外佳作
ありのまま私の色で凛と咲く 橘孔雀
https://xn--15qt0wu7lpv5a.com/jinken/hyougo/ 【人権標語の作り方】より抜粋
人権標語の作り方
人権標語とは、人権に関する標語のことで、多くの自治体、学校などで募集し、人権ポスターなどに使用され発表されています。こうした人権標語は、人権に関する意識を普及させるためのPR活動としての募集・発表がなされることが多いようです。
このサイトでは、人権標語の作品作りのヒントになるキーワードを集めてみました。
人権標語の対策・人権標語作成のヒント
ヒント1:脚韻を踏む
『みんな仲良し いじめなし』
『見ない知らない 人のせい』
上記作品のように、標語内で脚韻を踏むと、記憶に残りやすくなり、注目度が高まります。
ヒント2:頭韻を踏む
『みんな人間 みんな大切』
『つたわるよ つないだ手から』
上記作品のように、標語内で頭韻を踏むと、記憶に残りやすくなり、注目度が高まります。
ヒント3:言葉をかけてみる
『見て見ぬふりと 知らんぷり』
『手をつなぎ 心もつなぎ』
上記のように、標語内の言葉をかけてみると、記憶に残りやすくなり、注目度が高まります。
ヒント4:命令型を文頭にいれてみる
『受けとめよう』
『つくろうよ』
上記のように、文頭に命令型の文言をもってくることで標語にインパクトがあります。
きつい感じを与えるので、さけたよい場合もあります。
ヒント5:反語型をいれてみる
『どうしたの?』
『忘れてませんか?』
上記のように、主に文頭に問いを発する反語を用いることで注意を喚起することができ効果的です。
ヒント6:主催者の学校名や地域名をいれてみる
『~小(学校)の仲間たち』
『~中(学校)から』
『~市に広がれ』
上記のように、主催者の学校名や地域名をいれてみることで特徴的な作品になり、その他の人権標語から目立たせることが可能です。
以上、他の標語の作成にも活かせると思うヒントを書いてみました。
このサイト人権標語の作り方でのキーワードを基に品質標語作成に取り組んで見て下さい。
人権標語のテーマ一覧
人権標語で表現されるテーマはある程度決まっています。
以下のテーマ一覧を参考に人権標語作成に役立ててください。
(1)個性は大事
「みんなちがって ひかってる」「個性は無限」「みんな違って みんないい」など
人権標語の優秀作品には、「個性は大事」というテーマが数多く表現されています。
全ての人の個性を大事にする社会を目指すことが大事なことです。
皆様が人権標語を作成する場合も、ぜひ 「個性は大事」の精神を作品に含ませましょう!
人権標語によくある個性とは?
人権を守るためには、個性を尊重することが大切です。 そのため、人権標語としても個性に関するものが多くあります。 ここでは、個性とは?保育における個性とは?個性を昔は否定していた、に...
(2)声をかけよう
「見ない知らない」「どうしたの?」「ひと声が」「声がけで」など
人権標語の優秀作品には、「声をかけよう」 というテーマが数多く表現されています。
困っている人は、あなたのひとことを待っています。
皆様が人権標語を作成する場合も、ぜひ 「声をかけよう」の精神を作品に含ませましょう!
(3)思いやりを持とう
「思いやる」「思いやり」「あなたのやさしさ」「やさしい心」など
人権標語の優秀作品には、「思いやりを持とう」というテーマが数多く表現されています。
相手のことを思いやる気持ちを養うことが人権意識の向上につながります。
皆様が人権標語を作成する場合も、ぜひ「思いやりを持とう」の精神を作品に含ませましょう!
(4)笑顔は大事
「みんなの笑顔は」「やさしい笑顔で」「その笑顔」など
人権標語の優秀作品には、「笑顔は大事」というテーマが数多く表現されています。
笑顔は人を元気にします。笑顔ひとつで周囲が明るくなります。
皆様が人権標語を作成する場合も、ぜひ「笑顔は大事」の精神を作品に含ませましょう!
人権標語で使われる笑顔がもたらす効果とは?
人権標語の優秀作品には、やさしい笑顔で、みんなの笑顔は、その笑顔、などというように、笑顔が大切というようなテーマが多く表現されています。 笑顔を見ると人は元気になります。 周りにい...
(5)勇気をもとう
「勇気ある」「勇気から」「その勇気」「いえる勇気が」など
人権標語の優秀作品には、「勇気が大事」というテーマが数多く表現されています。
差別をなくすためには勇気を持つことが一番大事なことです。
困っている人がいれば、恥ずかしがらずに勇気を持って行動しましょう。
皆様が人権標語を作成する場合は、ぜひ「勇気が大事」の精神を作品に含ませましょう!
(6)気持ちは同じ
(1)で「個性は大事」は大事と書きましたが、
「同じだよ」「あなたも私も」「みな同じ」「みんなある」など
人権標語の優秀作品には、「気持ちは同じ」というテーマが数多く表現されています。
いじめている人も、いじめられてる人も、同じ人間で、同じ心を持っています。
皆様が人権標語を作成する場合も、ぜひ「気持ちは同じ」の精神を作品に含ませましょう!
(7)家庭や地域の連携が大事
「家庭から」「親子から」「地域社会」「地域の目」など
人権標語の優秀作品には、「家庭や地域の連携が大事」というテーマが数多く表現されています。
教育は家庭からスタートします。親子の会話から日常的に人権教育を行いましょう。
皆様が人権標語を作成する場合も、ぜひ「家庭や地域の連携が大事」の精神を作品に含ませましょう!
人権標語とは?人権標語のテーマとは?
人権標語は、人権を啓発するための活動として、自治体や会社が募集しています。 人権標語の趣旨は、人権問題についての人権の意識を普及することです。 ここでは、人権標語とは?人権標語のテ...
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