生き残った命

Facebook五島 秀一さん投稿記事

何がおきようと、無意識の力に委ねれば対応出来る!

https://www.youtube.com/watch?v=oekj3eE4GZo

https://note.com/shuoffice/n/n624315cddce5#lbBKH 【無意識の目覚めと逃げの哲学】より

Dr.Shu 五島秀一

6500万年前に巨大な小惑星が激突 天地が激しく振動しガスが噴き出し 雄々しく立ち上がって戦った恐竜は滅び ひたすら逃げて生き延びたネズミは 哺乳類(人類)の先祖になりました

心の断捨離をする

私たちは、疫病や地震など、様々なことが起きることに対して、咄嗟の判断力をどう磨いていくか?条件反射的なものを、普段からどう磨いていくか?それが今からの大きなテーマになってきます。

そのためには、まず、心の断捨離をして無駄なことを考えない。何が起きても、無意識の脳が咄嗟に反応する使い方が一番重要なことではないかと考えています。

脳は莫大な電力を発している

私たちの脳というのは、一日でどのくらいのエネルギーを使うかというと、ブドウ糖の消費量でいうと、脳は一日に400キロカロリー消費しています。

これは実に莫大なエネルギーの消費量ですが、電力に換算すると約20㍗です。

例えば携帯で音楽を聴く場合、1㍗で約3秒間聴くことができるので、つまり脳が使用している電力をもし取り出すことができたら、約1分間携帯で音楽を聴くことができます。

これは、小さいようで莫大な電力を脳が発していることになります。

外部からかかるストレス

携帯電話からももちろん電磁波が出ますが、脳からも電磁波が出ています。

意外と脳は、一日に巨大なエネルギーを使っています。

とにかく脳は、20㍗の電力のうちの何割かを、地震でドギマギしたり、あるいは疫病などで心が動揺したときに、その動揺を鎮めることに使っています。

色々なストレスが外部からかかりますが、例えば同調圧力などの社会環境が与えるストレス、そして自然環境が与えるストレスなどです。

ハリケーンのような台風や、いつ起きるかわからない地震。未だに地震の予知学というのは完成していませんが、その点から言うと、迷信と言われるものも積極的に研究しないと、地震学は大きく成長しないと思われます。

心のエネルギーを貯蓄する

私たちは人生の経営者でもあるわけです。

この先何が起きるかわからないわけですから、心の使い方を用心深く自分で管理していく。

できれば無駄なことを考えない、予備電力というか、そのようなものを蓄えることが必要です。

非常時に備えて、水や食料や幾ばくかの金銭を貯蓄するように、重要なことは心のエネルギーを貯蓄する必要があるということです。

これからの重要な生き方として、心のエネルギーの貯蓄、心の断捨離、無駄なことを考えないにしようと、心に目を向ける必要があること。

起きることは、地震かもしれないし、事件かもしれないし、事故かもしれないし、ありとあらゆることが起きるわけですから、地震だけのことを考えて生活するわけにはいきません。

まずは心の断捨離をして、余計なことを考えないようにして、心を研ぎ澄ましていくことが大切でありましょう。

範囲が広い無意識の世界

自分で考えなくても、肉体が動いてしまう無意識の状態をゾーンと呼びます。

覚醒した状態というのは、前頭葉を中心とした脳波が優勢で、そのときは肉体を意識しています。

無意識になると、意識が脳から外れる、これがゾーンの状態です。ゾーンの状態は大脳辺縁系や側頭葉や後頭葉を使います。

意識が表面意識から抜けて無意識になると、魂というか意識は肉体を超えて、冷静に周囲が見える状態になります。

無意識は支配する範囲が広いのです。

大型恐竜の絶滅の理由

私たちが普段から無意識を開発しようとしたら、足腰に血液を送ること、腰から下をよく動かすことが無意識脳の開発に直結します。

6500万年前、巨大な小惑星が南米のユカタン半島に激突しました。

今でもユカタン半島では、磁気の異常や重力の異常が痕跡として残っています。

それをきっかけとして、巨大な雲が地球を覆って太陽光線が遮断され、気温が下がり、酸素が足りなくなっていきました。

大型恐竜は多くの酸素を必要とするのでバタバタと死んでいきました。残ったのは哺乳類の先祖と言われるネズミです。(当時のネズミはもっと大きかったと思われます)

戦おうとした恐竜が先に滅び、逃げ足の速いネズミだけが生き延びていきました。

手は戦うため 足は逃げるため

足腰に血液を送るということは、戦うというより、逃げることに使います。

手というのは戦うときに使うもの。足は走るため、ランニングするため、逃げるためにある。

この点から考えると、必ずしも問題が起きたときに懸命に戦う必要はない。むしろ、サッサと逃げた方がいい。

卑怯だとかカッコ悪いとか男らしくないとか言われがちですが、あまりにも雄々しく正面から敵と戦うと殺されてしまうかもしれない。

僕が想像するに、人生の大半の問題は、7割から8割の解決不能なことが起きると考えます。

頑張ればなんとかなるという発想は、実は根拠が無いのかもしれない。

逃げることも重要なんだ、ということが無意識の脳と密接に関連していると思います。

辛かったら逃げてもいい

逃げてはいけないと自分で自分に呪縛をかけると、袋小路に入っていきます。

だから、辛かったら逃げてもいいんだ、身を隠してもいいんだ、ネズミのように生きてもいいんだ、そのように自分に対して逃げることも許すこと。

逃げることによって、無意識の条件反射が覚醒していく

自分の力でなんとかしなさい。いい歳なんだからそんなことは自分でやりなさい。卑怯だとかそんなことをしてはダメだとか、自分で解決しなさいと言われて、結果、社会的にたくさんの弱者が生まれました。

封印された無意識の目覚め

時には逃げてもいいんだ、自分で抱えきれない問題は、サッサと放り投げてもいいんだと、自分に許容していくことです。

もちろん逃げることが社会的に問題がある場合は別ですが、そうでない場合は、自分に逃げる余地を残しておく。

戦うことが必要な場合もありますが、一つの物差しとして逃げてもいいんだと選択肢の幅を広げることによって、封印されていた無意識の反応が目覚めるのではないかと思います。

三つの無意識のトレーニング

日本人の先祖は、彼の広大なユーラシア大陸を、4万年以上に渡って逃げてきた末裔だと思われます。

そして現代の日本人があるわけです。そう考えると逃げるということも重要であります。

逃げの生き方 これは考え方の問題です。そして身体的には、足腰を鍛えるトレーニングをすること。次に、無意識と意識の二つの支配を受けている内臓は肺なので、呼吸法をしっかり行うこと。

なにも腹式呼吸だけが良いわけではありません。腹式ばかりやっていると腸が下垂することもあるので、時には胸式も必要です。

考え方(生き方)、足腰を鍛える、呼吸法の三つで、無意識のトレーニングをすることが、これから四方八方からやってくるストレスへの、正しい対処の仕方ではないかと思います。


Facebook船木 威徳さん投稿記事【 引き寄せの法則? 】

…などと改めて話すまでもなくここ数ヶ月の私は、 「ああ、これ欲しいな」「これやってみたい」と、(考えるのではなく)【 想う 】だけで、それが実現したり欲しいものが勝手に手元に届いたりします。

一昨日のこと。甘柿ではなくて、渋柿の効能をいろいろ学んでいて、「渋柿が欲しい」と、ふと想いました。

そうしたら、今日。自宅に「渋柿」が届いていました。何年もやりとりがなかった人からなんですが。だれかに、「渋柿」をプレゼントするなんてこと、ないでしょう。

世界は、そして、そこにいる生きとし生けるものは、「みんな」繋がっています。

それにしても驚きました。生きている、って素晴らしい😭


Facebook向後 善之さん投稿記事 「老いる意味」 森村誠一 著 中公新書ラクレ

森村誠一さんがこの本を書いたのは、88歳。それだけでもスゴイと思うのですが、それより前、森村さんは、老人性うつと認知症を患っていたのです。そうした病理を乗り越えて、本を出版するというのは、本を1冊書くたびに、「これで打ち止め、もう書けないな」と思ってしまう僕にしたら想像を絶することです。

森村さんの病理克服プロセスは壮絶です。

うつに気づいたのは、以前のようなクオリティの文章がかけなくなったときなのだそうです。そのときのことを、森村さんは次のように書いています。

「五十年間、創作を続けてきていながら、小説を書こうとしても、短いエッセイを書こうとしても、俳句や詩を書こうとしても、これまで書いてきたものには及ばなくなっていた。(p.17)」

それは、森村さんにとっては、作家としての死の宣告にもなりうる経験だったでしょう。しかし、森村さんは諦めなかった。それから、なかなか思い出せない言葉があったら、ノートに書き留めるということを始めます。それは、次第にノートだけでは足りなくなり、

「やがて家の中が言葉であふれた。玄関の扉にも、トイレの入り口にも、寝室の扉にも言葉を書いた紙が取り止めもなく貼ってある。それを見ながら、私の脳からこぼれ落ちかけた言葉を拾いだし、それを脳へと戻していく。必死であった。(p.23)」

という状態になります。

当時の森村さんの精神科医への手紙も、この本の中に載っていますが、その文章は、精神科医に縋り付くような内容でした。とてつもない恐怖に苛まれていたのだと思います。

森村さんは、

「まだまだ小説を書きたい──。  その一心で私は、言葉との格闘に挑み、言葉との触れ合いを続けた。(p.23)」のです。

その結果、詩と小説の融合という新たなスタイルを創造し、雑誌連載を経て、2019年の1月には『永遠の詩情』が、出版されることになりました。これは、画期的なことなのではないかなと思いました。そして、それは、苦境にあったからこその挑戦(p.31)だったのでしょう。

「うつは表現の天敵であるが、表現は表現者の中に無限にあった。(p.31)」というのは、なんと勇気付けられる言葉かと思いました。

森村さんの表現はそれにとどまらず、最近では、俳句と写真のコラボをブログで配信しているのだそうです。俳句をブログに上げていてもあまり読んでくれる人がいなかったのですが、ある時思いついて自分が撮った写真と共に俳句をアップしたら、アクセス数が上がっていった(p.140)のだそうです。

森村さん、発想が若々しいです。人生の大先輩が示してくれた、素晴らしい一つの道標だと思いました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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