https://allabout.co.jp/gm/gc/26112/ 【オトナの楽問/俳句】より
快適な定年後の暮らしへソフトランディングするためには事前の準備が肝心。好奇心をチクチク刺激する、オトナの「楽問/俳句」にチャレンジしよう。
執筆者:堀江 康敬
田舎暮らしガイド
ひたすら会社人間として働いてきた後にやってくる第二の人生。いきなり田舎暮らしを目指しても、文字通り荒野に放り出されるようなもの。快適な定年後の暮らしへソフトランディングするためには事前の準備が肝心です。何が次の人生を豊かにするのか、じっくりと田舎でのライフスタイルを吟味しておきたいものです。
人生80年(として)。60歳でリタイアすれば20年(時間にして175,200時間!)もの時間を手に入れることになります。これを使わない手はない。自給自足はサバイバル過ぎるし、晴耕雨読は枯れすぎている。しかし、まだまだ世の中への好奇心は色あせていないはず。これからは「よく遊びながら、よく学べ」でいってみよう。
肩肘張ったお勉強は、旺盛な知的好奇心を満足させてくれません。楽しいから学ぶ、どうせ学ぶなら楽しくなければならない。「学問」は若いモンに励んでもらい、オトナは田舎で「楽問」を遊ぶのだ!
さて、今日は「俳句」を学ぼうか!
田舎暮らしは季語だらけ
俳句は季節感の文学ともいわれ、春夏秋冬の季節を表す季語・季題を必ず盛込むというルールがあります。
夏を例にとると、生き物では青がえる、かたつむり、初鰹、ほととぎす、みみず、めだかなど。植物では紫陽花、いちご、菖蒲、たけのこ、なす、ひまわり、牡丹など。気象・天文では秋近し、暑さ、風かおる、雲の峰、五月雨、日盛り、夕立、夕なぎなど。
行事や生活の季語もあります。青田、うちわ、川開き、帰省、行水、金魚売り、草取り、花火、日傘、昼寝、風鈴、虫干し、浴衣……。まさに季語は田舎暮らしの森羅万象に及んでいますね。俳人デビューの舞台としては事欠きません。(季語は旧暦をもとに分類されており、今の感覚では捉えにくいものもありご注意を)
とりあえず俳号をつけてみる
風かおる田舎暮らしの縁側、見上げれば雲の峰(入道雲)が。よしここで一句!
早まってはいけません。楽問とは遊び心を持って学ぶこと。十七文字をひねり出す前に、自分の俳号を持つことをお勧めします。俳句の世界で使うハンドルネーム。これさえあれば一気に俳人気分を味わうことができます。
本人の好きなように名乗るのはかまいませんが、冗談でも「天才バカボンのパパ」とか「オバタリアン」といった類は避けるのが賢明です。ビギナーズラックで素晴らしい一句ができたとき、そこに「天才バカボンのパパ」と記されている。これは切ない。まぁ「あしたのジョー」程度なら同世代の共感を呼ぶかもしれませんが。
まず、自分の名前を音読みしてみます。私の場合、康敬(やすたか)ですから、「こうけい」と読ませる。別の漢字を当ててみると「光慶」「候鶏」「恋螢」と、なにやら雅びなような深い意味があるような俳号ができあがります。この実態(あなた自身)をぼかしながら作者をつかまえさせないところがポイントですね。
自分の出身地や移住先の自然や、生まれた季節の季語をいただく。草木がいっせいに芽吹きはじめる喜びの春の季語を「山笑う」といいますが、「山笑亭」「山笑女」にしたりすると、一気に俳号めいてきます。
俳句の「俳」の字には滑稽、おかしみといった意味があります。つまりユーモアですね。それもどこか斜めに構えたユーモア。
もっと遊びたかったら、青春時代に好きだったミュージシャンでも。「出嵐(ディラン)」「転石(ローリング・ストーンズ)」、ご夫婦向けには「妻文(サイモン)」と「我半狂(ガーファンクル)」など。自分の趣味趣向から選ぶなら「馬凡(バーボン)」や「升宙(焼酎)」なども如何かな?くれぐれも、暴走族グループ風やタカラヅカ風にならないようにご注意を。
ちなみに私の俳号は「一睡庵」。田舎に移住して、最初に意気投合した陶芸家が命名してくれました。一睡はうたた寝、少しの間のひと眠り。庵は茅葺きの小屋、僧侶・世捨て人や風流人などの住む質素な小屋の意味。まだまだ俗人ながら、田舎暮らしのゆったりとした時間の流れを感じられて気に入っています。
先人の俳号を参考にする
俳句を始めるなら芭蕉や山頭火を目指したい!こんなやる気の真面目な人には著名な俳号をご参考に。
◆「夏草や兵どもが夢の跡」松尾芭蕉/移り住んだ深川の草庵に門人から芭蕉の株を贈られたことから。
◆「わけいってもわけいっても青い山」種田山頭火/たまたま見いだしたその文字の音と義が気に入ったので。
◆「遠山に日の当たりたる枯野かな」高浜虚子/彼の本名は清(きよし)で、これをもじって虚子とした。
◆「降る雪や明治は遠くなりにけり」中村草田男/腐った男が俳号の由来。
◆「恋知らぬ猫のふり也球あそび」正岡子規/若い時結核で喀血。啼いて血を吐くホトトギス(漢字で子規)という表現があることから。
次はいよいよ五七五の実践です。
田舎の道端で一人吟行する
吟行(ぎんこう)とは、俳句を作るために先輩や仲間と郊外や名所などに出かけ俳句を作ること。実際に自然に触れて季語を覚えたりと大変有意義な体験になります。
しかし、やっとこさ俳号が決まったばかりだし、まずは田舎の自然をじっくりと観察して季語を採集し、取りあえず五七五にしてみましょう。
句帳とポケット歳時記を持って、イザ自主トレへ!
最初のうちは、
「子雀やみんなでいれば怖くない」
など一茶もどき標語調とか、
「畦道をショートパンツの娘行く」
など実況中継風に落ち入りやすい。
しかし、とにかく修行の身であることを忘れず、数多く詠むこと。田舎の日常の中でのちょとした発見や感動を素直に十七文字にすればいいのです。頭でひねくりまわすのではなく、ものをよく見て感じることが基本。
やがて「母さんや麦藁帽子はどこにある」と日常会話にまで五七五に浸食された頃、あなたの創作俳句!は五十を下らないはず。これを推敲し吟味します。五七五の上下の五文字を入れ換えてみる、他の季語を使ってみる、字余りを修正してみる。そして、何度も口に出して詠んでリズムを確認してみる。これを繰り返せば、ある日「うむ、コレだ!」と膝を打つ一句を獲得できるのです。
嬉しいから家に飾りましょう。短冊に毛筆で書き込んだり、和紙にプリントし色紙にしても雰囲気が出ます。書体は明朝体や草書体で決めましょう。山水画風の写真との組み合せも味があります。自作の俳句を愛でながらチビチビと飲っていると、ほら又一句ひねりたくなる。オトナの「楽問」は後を引きます。
https://note.com/r_itsu/n/ne7caf4768086 【『それはあなたのお金じゃありません』(トーシャ・シルバー著)あとがきのようなあとがき】より
そういえば今回は、訳者あとがきを書かなかった。これまであとがきは、書いてください、と言われたときだけ書いている。
あとがきはその名のとおり本の最後につくから、読書の最後を訳者のそれでしめくくる人も、少なからずいらっしゃることだろう。そう思うと、数ページ足らずの文章を書くこともやけに重みを帯びてきて、わたしなどは頼まれると、いつもそわそわと落ち着かなくなる。
だから、「しめしめ、何も言ってこないな」と思っているうちに、「入稿しました」という連絡が無事くると、ひとりホッとする。
今回もそうだった。
それなのになぜか後になって、何かあとがきめいたものをネット上で書いてみようという気になった。ネット上の投稿なら本と物理的に離れるせいか、もう少し楽に何か書けるような気がしたからだろうか。あるいは、さほど読む人もいないだろうという、気軽さもあるかもしれない。
でももしかすると、正式なあとがきを書くことに付随する各種の〝べき〟から解放された状態で、訳後の所感を記してみたかったのかもしれない。
本書を訳しはじめたのは、コロナ禍が本格化しつつある2020年5月の終わりだったと思う。
経済活動が止まることを懸念する声が多く聞かれるなか、海や空がきれいになったと喜ぶ人もいれば、経済システムや近代の生活様式が脆くも揺るがされている様子を、どこか嬉々として眺めている人もいるようだった。
移動が制限されたため、さまざまな分野でそうであったように、世界中のスピリチュアル系の指導者やヒーラーたちも、有名無名にかかわらず、トークやセミナーなど多くをネットで配信するようになったようだった。
おかげで以前なら海を越えて赴かなければ体験できなかったようなコンテンツにも、自宅で気軽に触れられるようになった。わたしもそういう配信を、棚から牡丹餅を拾うような気分でふむふむと聞いていた。
すると意外にも、普段は人間の精神や、地球のこれからについて宇宙的な視点で語るような人たちが、このときは経済システムやお金について話すのを何度か聞いた。
なかには、今の借金ベースの経済は終わりゆくので、現金を持っている人はこれからの何年かに備えて○○や△△に替えるといいなど、具体的に予言するサイキックもいた。
そこで、直接知っているアメリカの名の知れた霊能者にその話をすると、今の人工的な経済は幻想であり、本当の富は◇◇にあると言われた。(投資ブログのようになるのも違うので、伏字にした)
なるほど、細かいことはタイムスパンや視点の置き位置によって異なるのだろうけれど、お金システムが今のまま続くことはないのだろう。そして結局のところ、その未来の形はまだ誰にもわからないのではないだろうか。
本書、『It’s Not Your Money』を訳すお話をいただいたのは、ちょうどそんなことを考えていた頃だ。
そこで久しぶりにフェイスブックで、その著者トーシャ・シルバーのページをひらいてみると、最新の投稿に、「(本国アメリカでの発売から1年以上経った)今ほど、この本のメッセージが意味を持つことはない」、というようなことが書かれていた。
そのとおりかもしれない。
なぜならこの本のテーマは真の豊かさについてであり、世の中の経済状況や自分の口座残高、その他どんな所有物や職業とも関係なく、いかに人生を豊かに満喫できるかを伝えているからだ。
そして訳し進めるにつれ、トーシャのその言葉は現実味を増していったように思う。各種の経済指標が悪化を示すようになり、経済関係の番組では、「リーマンショック以来の」という言葉も耳にするようになった。
また本書の原稿が印刷所に行く今現在(2021年2月)、失業率も倒産数も高まるなか日経平均が30年来の高値をつけている。ゲームストップ社の株をめぐって、個人投資家が束になって大手ヘッジファンドに大打撃を与えている。
何かが軋んでいるらしい。
そんな不穏とも言える空気を感じてはいたものの、わたしにとっての救いは、自分が経済のことをわかっていない、という自覚があったことかもしれない。(国際政治経済学部というところを出て思い知ったのは、自分には経済学は理解できないということだった)
だからそのことについて、ありもしない知恵を絞って考えようという意欲も湧かなかったのである。
しかし何よりもの幸いは、この本を訳すという役割ゆえに、トーシャ・シルバーの思想にどっぷりと浸かり、そんな外側の状況に関係なく、必要な豊かさを人生に招き入れる方法が一言一句、身に染み渡ったことかもしれない。そして日々、その技を楽しみながら、ときにビクビクしながら試してみている。
彼女は以前、もしも自分が強くて優秀なスーパーウーマンだったら、この方法にはたどりついていなかった、と書いている。しかし今は、自分の人格上の限界ゆえにこの豊かな生き方を発見できたことに感謝しているという。
この社会では人に評価され、高いとされる地位につき、ひとかどの収入を得れば良しとされるのが定石らしく、多くの人が、そのシステムのなるべく上のほうを目指してがんばる。
いっぽうで、そういうあり方を捨てて自分らしく生きるんだと決めると、じゃあお金はどうするの? となる。生活のあらゆる手段や価値がお金で交換可能になっている現代においては、いざ自分の気持ちに正直に生きようと思っても、お金が足枷になることは多い。
けれどそういう社会のなかでがんばることに疲れたなら、競争や不安のなかで生きるのをやめたいなら、最強で、最愛のあれにゆだねてもいいのだと、そのための方法をトーシャは惜しみなく伝えている。
その詳細は本文に譲るが、訳者は本書を通じて、彼女のその生き方がまったく揺らいでいないどころか、むしろ深まり、優雅にすらなっている気がしている。
すでに彼女の前(々)作をお読みになっているかたは、その趣旨がどういうものか、本書のタイトルだけでピンとくるかもしれない。改めてトーシャの思想に触れたい、とくにお金にフォーカスして何を言っているのかに興味をお感じになるなら、ぜひ本書を手にとっていただければと思う。
また、もしこの「あとがきのようなあとがき」を何かの理由で読んで、初めてトーシャ・シルバーを知ったかたには、いくらかでも本書に関心をお持ちいただけたなら幸いである。
ともあれ、必要な人のもとにその内容が届くことを、切に願っている。
ところでタイトルと言えば、訳者と編集者さんのあいだでは、「あなたのお金じゃありません」で一致していたが、出版社の今井社長の強い思いにより、「それは」がついた。このほうが力がある感じがするという。
言われてみればそういう気がしないでもないし、ないほうがタイトルとしては締まる気がする。どうだろうか。
でも正直なところ、どちらであっても本書の持つ引力にはあまり影響ない気がしている。言ってみれば、おにぎりの外側がぱりぱりの海苔かひらひらの昆布かくらいの違いで、美味しいおにぎりはどちらにしろ美味しいと思うのである。どちらが好みかは、読者のみなさまにゆだねさせていただきたい。
本文の校正においても、今井社長にはお力添えをいただいた。原稿が印刷所に行く前夜になって、本文中の表現をできれば変えたいという希望なのか決定なのか、そういう熱いメールを編集者経由でいただいたときには胃がひりひり痛くなったし、結局その部分を変えたのかどうか、訳者は本になるまでわからないというのも、わたしの可哀想な胃には過酷な試練であった。
けれどその洞察力で、編集者の目をもすり抜けた珍訳を検知するレーダーには、感謝している。
そして胃はまもなく快復したようで、おにぎりはきょうも美味しい。
そのほか編集の山本さんをはじめ、多くの方々のご尽力により、訳者のパソコン上の文字列にすぎなかったものが書籍として誕生し、しかるべき人々のもとへと旅立とうとしている。この場を借りて深くお礼を申しあげたい。
最後に、今こうして自分が書いたものを読み返してみて、紙の本に正式なあとがきを書いたとしても、内容はさほど変わらなかっただろうと思っている。あちらは縦書きなので、気分的に、ですます調にしたかもしれないけれど、内容自体はこんなものだっただろう。それがわかって、正直ホッとしている。
そもそも私のなかにあった「各種の〝べき〟」は、誰に言われたものでもなく、どこかで読んで得た知識を、自分で自分にルールとして課していただけだったと気づいた。
また、本書を訳しているあいだときどき現れていた青く紫色の光の存在にも、言葉にならない感謝を覚えている。折にふれては現れ、寄り添っていてくれた。きっとわたしが気を揉むまでもなく、本書はしかるべきように完成し、しかるべき人々のもとに届くのだろう。
https://www.amazon.co.jp/dp/4864513619/ 【それはあなたのお金じゃありません ―聖なる豊かさで満ち足りて生きる! 】より
(内容紹介)
お金との新しい関係を獲得できて、何ひとつ現実化するまでもなくなる!聖なる豊かさで満ち足りて生きる!「自分を変える、またはもっと良くする方法を学びます」というのとは、逆のやり方の本です!どうすれば起こせるのかまったくわからなかった変化を、愛そのものがもたらすにまかせていく!
「これは共同創造やビジョンボード、または神さま銀行から百万ドルもらえるよう架空の小切手を自分で書くのとも関係ない。代わりにあなたは自分のお金を、問題を、願望を―すべてを―愛に捧げ返しはじめ、執着と無理強いのマトリックスから解き放たれていく。」
「それはまるで、神がごろんと寝返りをうって笑ったかのようだった。『かわいい子よ、あのね、あなたがここにいるのは、どうやって私に仕えるかを学ぶためであって、次から次に指令を出すためじゃありません。だから、ただ私にまかせなさい。そうすれば惨めにビクビク怯えながら生きることはなくなり、なぜ自分が生まれたのかを思い出すでしょう。必要なことはすべて、あなたの想像以上に満たされます! 』」
「もしかすると、そもそもあなたが引かれたのはこの本のタイトルかもしれない。でも本当に、猫にマタタビみたいな、そそる表現にしたつもりはない。『それはあなたのお金じゃありません』と言うとき、ああ、私は本気でそう思っているのだ。本当にあなたのお金じゃない。そしてもちろん私のでもない。すべて神のものなのだ。」
「第六週の第二ステージで述べたように、ゆだねることを知的に理解するのはそれなりのことだ。でも同時に、ただのいい考えでしかない。思い起こせば私自身、手放すべきと 書かれたスピリチュアル本は数えきれないほど読んだ。そして思ったものだ。『本当に?どうやって??だってごまかせないでしょ。エゴが必死に何かを欲しがっているときは、 どうすればいいの』。?最も確実な方法はひとつに、私の 、を外すことだ。するとすぐに、捧げることの第三ステージへと上昇する。」
「でもこのお願いごと大追求合戦は、メタなアイディタロッド[訳註 米国最北のアラスカ州を横断する過酷な犬ぞりレース]のようで、私は最初から戸惑い、虚しい気がしていた。比較的快適とはいえつねに恐怖につきまとわれて育ったので、願望を連ねたリストに意識を集中したら平和がもたらされるというような、そんな幻想は抱けなかったのだ。私自身のクライアントを見ていても、名声や財を生み出した人はいたけれど、その後彼らはそのすべてを破綻させてしまった。人々はソウルメイトを現実化し、同じスピードでその相手を失った。ひとつの痛々しい願望が、また別の痛々しい願望を招いているようにしか見えなかった。」
(以上、本文より)
(目次)より抜粋
第1週:完全なる安心 ………
第2週:五つの神聖なステップ ………
第3週:深める ………
第4週:エネルギーの浄化 ………
第5週:忘れられたインナー・キッド ………
第6週:至宝 ………
第7週:いいえ、あなたは頭がおかしいのではなく、お試しにあっているのです ………
第8週:豊かな道でいる ………
さらに深く入るための参考資料
Facebook原 靖之さん投稿記事
何も変えなくていいと、気づいたら、変わっていく!
成長したい、もっとよくなりたいと、努力していると少しは変化するんだけど、だんだん面倒になって、元の状態に戻る
あー、努力が足りない、行動しなきゃ、考え方変えなくてはなんて思ってたころは、全然変わらない自分!
それが、何も変えなくていい、自分のままでいいんだ!と、思ってたら、無意識にいろいろやってる私 無意識だから、やってる自覚がない!
だから、何もやってないのに、どんどん、どんどん良くなる 楽しくなる。
このカラクリが、分かると人生は笑えるし、神社に行ったら、願い事なんかしないで、
感謝の気持ちを伝えるだけになるんだよね!
😊🎶
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