石垣島 八重島

https://www.jma-net.go.jp/ishigaki/know/jishin/meiwa.html 【明和の大津波 ∼巨大な岩を動かす津波の力!∼】より

1.概要

1771年4月24日午前8時ごろ、石垣島近海(石垣島の南南東約40km付近)でマグニチュード(M)7.4の地震が発生しました。震源は北緯24.0度、東経124.3度と推定されています(図1、震源は理科年表による)。 地震の揺れによる被害はなかったようですが、大津波が八重山諸島及び宮古諸島に押し寄せ、たくさんの死者・行方不明者が出ました(牧野,1968)。この地震による津波は、牧野清が1968年に著した「八重山の明和大津波」で日本の元号で呼んだことから「明和の大津波」と呼ばれています。

2.明和の大津波の特徴及び原因

明和の大津波の特徴は、震害はなかったようですが、津波による被害が大きかったことです。 原因として「津波地震※」(Ryuta Arai et al. ,2016)又は「海底地滑りによる津波※」(Okamura et al. ,2018)といわれていましたが、最近の調査・研究では激しい地震動を伴う「巨大地震※」(Ando et al. ,2017)であったと推定される報告があります。

・「津波地震」:一般的には断層が通常よりゆっくりとずれるために、人に感じられる揺れが小さくても、発生する津波の規模は大きくなるような地震をいいます。

・「海底地滑りによる津波」:河川や海流により長い間に堆積した堆積物が、地震の振動をきっかけにして崩れることによりおこる現象をいいます。

・「巨大地震」:一般的にマグニチュード8以上の大きな地震のことをいいます。

津波のエネルギーは巨大な岩をも動かすほどです。八重山・宮古諸島には、襲来した大津波によって海から運ばれてきたといわれている津波石(珊瑚石灰岩)があります(図2)。 津波堆積物や津波石の年代測定などの調査により、過去2千年間に約600年間隔で、1771年「明和の大津波」とほぼ同規模の津波が4回程度起きたのではないかといわれています(Ando et al. ,2017)。

図2 石垣市大浜崎原公園にある津波大石

図2 石垣市大浜の崎原公園にある津波大石(職員撮影)。明和以前の大津波によって運ばれたとされる(T.Sato et al. ,2014)。

(推定重量は500∼600トン以上)

牧野(1968)によると、明和の大津波による死者・不明者数は、八重山地方で9,313人(このうち石垣島8,439人)、宮古島地方で2,548人、合わせて11,861人でした。 なお、八重山地方における津波による死亡率は、石垣島で48.6%、八重山地方全体で32.2%となっています(表1及び表2参照)。明和の大津波に襲われる前の八重山地方の人口は3万人弱でしたが、津波の後には2万人ほどに減り、津波後約100年後の明治時代の初期には1万人程度まで減っています。 人口が減った原因は、津波によって居住地域の衛生環境の悪化のほか、八重山の田畑が冠水して土地が疲弊したため、飢饉や疫病等により多くの人が死んだためではないかと考察しています。


https://www.jma-net.go.jp/ishigaki/know/kiko/index_yaekiko.html 【八重山地方の気候の特徴】

八重山地方は亜熱帯海洋性気候(あねったいかいようせいきこう)に属し、四季の変化はあまりはっきりしません。

しかし、夏と冬の季節風の交替ははっきりしており、夏は、太平洋高気圧(海で生まれたあたたかく湿った空気のかたまり)におおわれ、南よりの風が吹き、晴れて蒸し暑い日が多くなります。また、冬は、大陸高気圧(シベリア付近で生まれた冷たく乾いた空気のかたまり)が張り出してきて北東の季節風が吹き出し、小雨まじりの肌寒い天気が多くなります。

春と秋は、大陸高気圧と太平洋高気圧の影響を交互に受けることが多くなり、お互いに性質の異なる大陸の空気と海洋の空気のぶつかるところに、梅雨前線や秋雨前線が現れるようになります。

四季の特徴

春は、大陸で生まれたあたたかく乾いた空気のかたまりと海で生まれたあたたかく湿った空気のかたまりが石垣島の天気に影響を与えるようになります。 そして、5月中旬頃から6月下旬頃にかけて現れる前線を梅雨前線と呼び、曇りや雨の天気が多くなります。

夏は、大陸で生まれたあたたかく乾いた空気のかたまりは西の方に移動し、反対に海で生まれたあたたかく湿った空気のかたまりが石垣島をおおうようになり、晴れの天気が多くなります。また、台風の接近や南よりの風にのって赤道付近の非常に湿った空気が石垣島に流れ込むようになり、発達した雷雲が現れたり、蒸し暑い日が長く続くようになります。

秋は、大陸で生まれたさわやかな乾いた空気のかたまりと海で生まれたあたたかく湿った空気のかたまりが、再び石垣島の天気に影響を与えるようになります。そして、9月中旬頃から10月中旬にかけて石垣島の北の海上付近に現れる前線を秋雨前線と呼びます。

冬は、大陸の北のほうで生まれた冷たく乾いた空気のかたまりが石垣島付近に流れ込むようになり、北よりの風が強くなり曇りや小雨の天気が続くようになります。

平均気温(21KB) 月降水量(20KB)

地球温暖化リーフレット 「八重山地方の気候変動」

二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスが増加して、沖縄地方でもすでに温暖化が始まっています。将来、気温はさらに上昇し、大雨が増えると予測されています。省エネルギーにつとめる(緩和策)だけでなく、温暖化を見越した対策(適応策)が必要になってきています。

沖縄地方における地球温暖化への理解を進めていただくために、21世紀末における気温と降水の予測等をとりまとめたリーフレットを作成しました。

今回作成したリーフレットは、2020年までの観測値を使用し、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次評価報告書の温室効果ガス排出シナリオ、RCP8.5及び2.6シナリオによる将来の気候予測を掲載しています。文部科学省と気象庁が2020年12月に公表した「日本の気候変動2020」の地方版としてもご活用ください。

リーフレット【八重山地方版】(PDF形式、約681KB)

https://www.jma-net.go.jp/ishigaki/know/tenkirigen/index_TenkiRigen.html 【季節の言葉(季語)と天気のことわざ(天気俚諺てんきりげん)】より明和の大津波 ∼巨大な岩を動かす津波の力!∼

1.概要

1771年4月24日午前8時ごろ、石垣島近海(石垣島の南南東約40km付近)でマグニチュード(M)7.4の地震が発生しました。震源は北緯24.0度、東経124.3度と推定されています(図1、震源は理科年表による)。 地震の揺れによる被害はなかったようですが、大津波が八重山諸島及び宮古諸島に押し寄せ、たくさんの死者・行方不明者が出ました(牧野,1968)。この地震による津波は、牧野清が1968年に著した「八重山の明和大津波」で日本の元号で呼んだことから「明和の大津波」と呼ばれています。

図1 1771年4月24日の地震(M7.4)の推定位置

図1 1771年4月24日の地震(M7.4)の推定位置

2.明和の大津波の特徴及び原因

明和の大津波の特徴は、震害はなかったようですが、津波による被害が大きかったことです。 原因として「津波地震※」(Ryuta Arai et al. ,2016)又は「海底地滑りによる津波※」(Okamura et al. ,2018)といわれていましたが、最近の調査・研究では激しい地震動を伴う「巨大地震※」(Ando et al. ,2017)であったと推定される報告があります。

・「津波地震」:一般的には断層が通常よりゆっくりとずれるために、人に感じられる揺れが小さくても、発生する津波の規模は

大きくなるような地震をいいます。

・「海底地滑りによる津波」:河川や海流により長い間に堆積した堆積物が、地震の振動をきっかけにして崩れる

ことによりおこる現象をいいます。

・「巨大地震」:一般的にマグニチュード8以上の大きな地震のことをいいます。

津波のエネルギーは巨大な岩をも動かすほどです。八重山・宮古諸島には、襲来した大津波によって海から運ばれてきたといわれている津波石(珊瑚石灰岩)があります(図2)。 津波堆積物や津波石の年代測定などの調査により、過去2千年間に約600年間隔で、1771年「明和の大津波」とほぼ同規模の津波が4回程度起きたのではないかといわれています(Ando et al. ,2017)。

図2 石垣市大浜崎原公園にある津波大石

図2 石垣市大浜の崎原公園にある津波大石(職員撮影)。明和以前の大津波によって運ばれたとされる(T.Sato et al. ,2014)。

(推定重量は500∼600トン以上)

牧野(1968)によると、明和の大津波による死者・不明者数は、八重山地方で9,313人(このうち石垣島8,439人)、宮古島地方で2,548人、合わせて11,861人でした。 なお、八重山地方における津波による死亡率は、石垣島で48.6%、八重山地方全体で32.2%となっています(表1及び表2参照)。明和の大津波に襲われる前の八重山地方の人口は3万人弱でしたが、津波の後には2万人ほどに減り、津波後約100年後の明治時代の初期には1万人程度まで減っています。 人口が減った原因は、津波によって居住地域の衛生環境の悪化のほか、八重山の田畑が冠水して土地が疲弊したため、飢饉や疫病等により多くの人が死んだためではないかと考察しています。

古くから沖縄の人々は、季節感の乏しい気候の中で、10月上旬頃に北風にのって九州から飛んでくるサシバの渡りを「ミーニシ(新北風)にのってサシバがやってきた」と呼び、秋の入りを知りました。また、4月になってセンダンやデイゴ、野山の月桃やテッポウユリの花が満開になる季節を、うりずん(陽春)の季節とよびました。その他にも様々な季語や季節行事が沖縄にはあります。

季節の言葉(季語)

小満芒種(スーマンボース)

ちょうど沖縄の梅雨期にあたり、雨が多くじめじめした季節をあらわしますが、大雨災害の起こりやすいこともいさめています。

夏至南風(カーチーベー)

6月上旬から下旬の夏至の頃に吹き始める安定したやや強い南風は、宮古、石垣ではカーチーバイとよばれ、この風が吹き始めると、沖縄では本格的な夏がやってきます。

土用暑さ

6、7月の最も暑い時期を示します。特に7月には太平洋高気圧の勢力が最も強く、夏風が弱くて厳しい暑さが続きます。

新北風(ミーニシ)

10月頃に吹く北東の季節風をいいます。この風が吹き出すと沖縄は長い夏から解放され、本格的な秋の入りとなります。

10月夏小(ジュウグヮチナチグヮー)

立冬(11月7日、旧暦の10月)の前後数日間、北東の季節風がやみ、時には穏やかな快晴となることがあります。また、その頃、沖縄では最高気温が30℃前後にまで上がることもあります。

冬至寒(トゥンジビーサ)

12月下旬の冬至の頃にやってくる本格的な寒波で、亜熱帯の島にも冬の到来を知らせます。

鬼餅寒(ムーチービーサー)

1月下旬から2月上旬頃(旧暦12月8日の鬼餅行事の頃)の強い寒波で、沖縄では最も寒い時期にあたり、年最低気温が観測されることが多いです。ちなみに、石垣島の最低気温の第1位は1918年2月19日に5.9℃、与那国島では1967年1月16日の7.7℃です。

季節の行事

浜下り(ハマウリ)

本来の意味は、旧暦の3月3日に各家庭でごちそうをお重に盛って浜に出かけ、悪いけがれを流し、健康を祈願することですが、現代では、家族連れで浜辺に出て潮干狩りをしながら、春の一日を楽しむ人々が多いです。

清明祭(シーミーサイ)

最も天気が安定しさわやかな日が多い4月上旬頃、墓前に門中、一族がそろい、ごちそうを食べながら先祖を供養します。

ハーリー

旧の5月4日に行われる漁師の祭りで、装飾されたサバニ(爬龍船(はりゅうせん))で競漕し、航海安全と豊漁を祈ります。また、ハーリー鐘が鳴ると梅雨が明けるといわれています。

ムーチー

旧の12月8日に、邪気払いのために家族、特に子供の健康を祈願して、月桃(げっとう)やビロウの葉で包んだ平たい餅を作り、棚や仏壇に供えます。

豊年祭

今年の稲の収穫を祝い、来年の豊作を祈願する農業の祭りです。各部落の旗がしらが繰り出し、伝統芸能が披露されます。

十六日祭

旧暦の1月16日と日が決まっており、その日は遠方にいる家族も先祖の墓前に集まり、互いの健康と幸せを祈ります。

トーカチ、カジマヤー

88歳(トーカチ)、97歳(カジマヤー)を旧暦の8月8日、9月7日に地域で盛大に祝います。沖縄県は長寿県であり、年配者を敬う心がこのような行事を通して受け継がれています。

八重山の天気のことわざ

冬の夜、天冴えると翌日雨

天気の変わりやすい冬、異常な晴天は雨をもたらす強い上昇流を後ろに伴っている。

朝露が数日続いてやめば雨

朝露は高気圧に覆われて放射冷却により発生するから、朝露が発生しなくなることは高気圧が東に去りじょう乱の接近を意味する。

夏至の季節風卓越すれば、その年大風なし

梅雨明け後、南よりの風が吹き出すが、その風が非常に強く、しっかりしていると、強い台風がこない。

井戸の水高まるは大風の兆し

台風接近による気圧の低下により水位が上がる。

干ばつ時にみみずが地面をうるおせば雨近し

みみずは湿りに敏感。

山中にやぶ蚊やヒルが多く現うるるは雨

蚊やヒルは湿りに敏感。

アリが道路の中程に巣を造れば干ばつの兆し

雨の降らないときに、早く巣を造ろう!!と、アリさんは思っているのでしょうか?

海鳥が陸上に飛来するは大風(台風)の兆し

台風の接近前に高波がやってくる。海鳥はエサとりが困難なので漁は中止して、陸に引き返すのでしょうか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E5%BA%95%E5%9C%B0%E5%BD%A2 【与那国島海底地形】


https://intojapanwaraku.com/rock/travel-rock/189576/ 【海底に沈むのは琉球王国時代のタイムカプセル!?時を超え、いまなお残る水中文化遺産に会いに行く【石垣島】】


https://www.ritou.site/okinawa/undertheseaculture/  【海底文明はあった!?共通する海底遺跡の謎】


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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