【神の名は。】アメノオシホミミ(天忍穂耳命)

https://reiwashiki.blog.jp/archives/21795340.html 【【神の名は。】アメノオシホミミ(天忍穂耳命)】より

神の名前と一緒に検索されている言葉を調べると、新しい発見があるかも知れない。

世の人々が神の名前を何と紐付けているのかを知るため、「神話SS」に登場する神々の名前と、検索結果に表示された関連ワードを調べてみました。

▼参考:SSに登場する神々の一覧

今日のテーマは、「アメノオシホミミ×〇〇」です。

アメノオシホミミの子は、アマテラスの孫として国譲り後の葦原中津国を治めるため、高天原から降臨した神として有名なニニギである。アメノオシホミミはアマテラスとスサノオの誓約で最初に生まれた神であり、続柄としては両神の長男となる。妻は造化三神の一神・タカミムスヒの娘であるヨロズハタトヨアキツシヒメで、この二神の間に生まれたニニギは、アマテラスとタカミムスヒの孫ということになる。

神話では、当初葦原中津国にはアメノオシホミミが降臨して平定のうえ、そのまま治めることを目指していたのであるが、アメノオシホミミは葦原中津国が騒がしいと言って降臨を拒み、他の神々によって国譲りが達成された。ところが、いざ国譲りが完了し、アマテラスとタカミムスヒが揃って降臨を促しても、アメノオシホミミはそれを「お断りします!」と拒んで、代わりにその息子・ニニギを降臨させるよう推薦している。ンミチャンミタイ。

ネット上には、上記の経緯と古事記(712年成立)編纂当初の状況を結び付けて、当時の権力者・藤原不比等(ふじわらのふひと)の意向が神話に入れ込まれたものと指摘する記事があった。これは、天皇の系譜である持統天皇(在位:690-697)と文武天皇(在位697-707)の間に見られる「天皇から息子を抜かして孫が即位する」という構図や、文武天皇の妻となり聖武天皇(在位:724-749)を産んだ藤原宮子の父・藤原不比等が外戚関係(タカミムスヒと同じ)から発言力を持つことについて、それを正当化するためであったとするものである。

奈良

高天原から出ていないのだから当然とも言えるが、アメノオシホミミは神話上で奈良と関係のありそうな描写は見当たらない。奈良県内でアメノオシホミミを祭神とする神社を検索すると、「勝手神社(かつてじんじゃ)/奈良県吉野郡吉野町」と「天忍穂耳神社(あめのおしほみみじんじゃ)/奈良県生駒市」2社が見つかった。

勝手神社は、吉野の山の入口に鎮座する神社で、その字面から勝負事・戦の神としての御利益があるとされる神社であるが、由緒等は不詳。アメノオシホミミは、日本書紀では別名・マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミ(正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊)と書かれ、簡単に訳せば「まさに勝った。素早く勝った高天原の威力ある稲穂の神」となるそうである。これはアマテラスとの誓約に勝利したスサノオによって名付けられた名であることから、勝負事には縁のある名である。

天忍穂耳神社は、生駒市にある「神武天皇聖蹟鵄邑(とびむら)顕彰碑」の近くにある神社で、鵄邑は、神武東征の際に天皇軍が抵抗勢力・ナガスネヒコに勝利した地であるとされる。他サイトの記述によれば、ナガスネヒコが仕えた神・ニギハヤヒがアメノオシホミミの子神とされることから当地と縁があるものとされる。

合気道

合気道の開祖・植芝盛平氏は、合気道精神をアメノオシホミミの名前に当てはめて説いていたといい。正勝吾勝勝速日の部分について、「正勝」は正義の心で勝つこと。「吾勝」は己に打ち勝つこと。「勝速日」は日の昇るごとく速く勝つ。というものであるらしい。

植芝氏は神の概念を気のエネルギーと結びつけたうえで、天地のバランスの取れたアメノオシホミミの状態こそ、合気道の目指す道としているそうだ。詳しくは、本が出版されている。

合気道を学ぶ人のための古事記入門

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植芝氏の弟子である「塩田剛三」氏を扱ったテレビ番組を観たことがあるが、彼は体格差をものともせず、当身だけで相手を吹っ飛ばしてしまっていた。(厳密には物理学で語れるものかも知れないが)「気」という不思議なパワーを極めた人の感覚では、「神」という不思議なパワーにも通じ安いのだろうか。ちなみにWikipediaでは、植芝盛平氏・塩田剛三氏それぞれの記事で逸話が充実していて面白い。

登場した神々の名は。

アマテラス(天照)

ニニギ(瓊瓊杵)

スサノオ(須佐之男/素戔男)

タカミムスヒ(高御産巣日/高皇産霊尊)

ヨロズハタトヨアキツシヒメ(萬幡豊秋津師比売/タクハタチヂヒメ・栲幡千千媛萬媛命)

ナガスネヒコ(那賀須泥毘古/長髄彦)

ニギハヤヒ(邇藝速日命/饒速日命)

今回の神の名は続柄・地名・武道と様々な関連ワードが検索されていました。

やはり神話や神社の存在は色々な方面に影響を与えているようです。

興味が湧いたら、神話SSを読みつつ、神々の名前で検索してみてはいかがでしょうか。


Facebook清水 友邦さん投稿記

日本は縄文の母系と大陸から渡ってきた父系集団との混血の人々の国です。

数万年かけて複雑に混血を繰り返した結果、今の日本人がいます。

中国や朝鮮半島に住む人々を嫌っている人がいますがどのようにして日本民族が成り立ってきたのか知らないようです。

純粋な日本民族も日本人も存在しません。民族という概念が出てきたのは明治になってからです。そして国家や国民の概念は時の権力者の都合に合わせて作られたものなので、本当は実体がないのです。

今年の4月に島根県松江市の佐太神社を訪ねました。

佐太神社は、出雲国一の宮の熊野大社につぐ、出雲国二の宮「佐陀大社」です。

祭神の「佐太大神(さたのおおかみ)」は「サルタヒコ(猿田彦)」と同体とされています。

記紀のサルタヒコはニニギが天降りしようとしたときに高天原(天上界)と中つ国(人間界)の境目で道で照らしていた神です。

神道では天上の世界を「高天原」に「根の国」を地下にある祖先の世界、その中間で人間が住む世界を「葦原中津国(とよあしはらなかつくに)」と考えていました。

高天原から天孫降臨した神を天津神(あまつかみ)、天孫降臨以前から日本列島に住んでいた先住民の神を国津神(くにつかみ)と呼んでいます。

サルタヒコは先住の国津神でした。

サルタヒコは白鬚(しらひげ)大明神、塞(さい)の神、岐神(ふなとがみ)と同神とされ、航海安全、長寿、農耕の神として全国の神社で信仰されています。

サダはアイヌ語で『先』『岬』の意味になりルは「足跡」の意、サダルは沖縄語古語大辞典に「先立る」として載っています

日本の古代語のサダルからサルタに変わりサルタヒコになったといわれていわれています。

記紀のサルタヒコはニニギを高千穂峰へと案内した後に、天鈿女命(あめのうずめのみこと)に送られて、「伊勢」に帰り阿邪訶(あざか)今の松阪市のあたりで「比良夫貝(ひらふがい)」に挟まれて海で溺れ亡くなっています。

出雲国の佐太神社の昔の名は「佐太御子社」として記載されています。

「出雲国風土記』に「サタのミコ」は加賀の潜戸(かがのくけど)で生まれたという話があります。

『キサカ姫(枳佐加比売命)がサタのミコを産んだ時、カミムスビの弓矢を失ったので、「わが子ならば失せた弓矢を出してみよ」と言うと、角の弓矢が流れてきたが「これではない」と投げ捨てると、次は金の弓矢が流れてきた。これをとって射通すと矢は岩壁を突き通して加賀浦まで飛んだと言う』

遊覧船で新潜戸を抜けると潜戸の西口から東口を通って的島(的沖田島)まで一直線に貫いて穴が空いているのがわかります。夏至の日は洞窟を光が照らします。

この加賀の潜戸(かがのくけど)の話に出てくる赤貝と弓矢は女性器と男性器を暗示し、洞窟は子宮、そして佐太御子の出産と、性のシンボルに満ちています。

大国主命を治療し蘇生させた赤貝の女神キサガイ姫が母親ですが、しかし、風土記では佐太御子の父が誰なのかは明らかにされていません。

古代の母系は子供を母親の家族が育てたので父親という概念自体がありませんでした。あっても薄かったのかもしれません。

佐太大神の母キサガイヒメの父のカミムスヒが祖父になります。

福岡県行橋市の草場神社の社伝に「猿田彦は天照大神の分神なり、因って豊日別大神を本宮とし、猿田彦を以て別宮と為す」という古記録が出てきます。

日本大国魂大神の神名でニギハヤヒを祀る奈良の大和神社の摂社にサルタヒコを祀る増御子神社があります。

松江の佐太神社は「佐太御子社」なのでサタ大神(サルタヒコ)は出雲の祖神の息子なのです。

金の弓矢を持つのは太陽神です。

天照の称号をもつ太陽神がサルタヒコの父だと考えるのが自然でしょう。

そして古事記では矢の神が大物主とされています。

�サルタヒコの風貌は鼻が大きく身長は12.6mあり、目は八咫鏡のように大きく丸くて紅いホオヅキのようで、口と尻が光っていました。

大陸から渡来した新モンゴロイドよりもサルタヒコは古モンゴロイドの縄文人の風貌をしていたようです。

古モンゴロイドである縄文人が住んでいた日本列島に大陸から渡来した新モンゴロイドと混血して今の日本人となったことがわかっています。

日本人に最も多いB52-DR2という白血球のHLAの型を調べてみると韓国人や中国北部の漢族、ツングース族、モンゴル族などの北方の人々に多いことがわかっています。

次にB44-DR13は朝鮮半島の人々に多く見られます。続いてB46-DR9は揚子江流域、B54-DR4は中国南部に多いのです。

弥生時代以降、様々な場所から日本列島に新モンゴロイドの人々が渡来したことがわかります。

サルタヒコとアマノウズメの結婚は国津神と天津神が結ばれて日本の国ができたことを象徴しています。

中国人、朝鮮人、日本人と切り離して、それぞれ嫌っている人々がいますが、皮膚や髪の色や背の高さ、顔つきなどの違いによって人の優劣はつけられないのです。

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清水友邦インタビュー「すべては実体がなく変化し続けている」

https://www.youtube.com/watch?v=JYr-nckcw90

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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