https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20190202-OYT8T50153/ 【語り継ぐいのちの俳句 高野ムツオ著】より
大災害を「写実」する 評・宮部みゆき(作家)
昨年、著者の高野ムツオさんとお話しする機会に恵まれた際、俳句のスタートは「写実」であり、目指すゴールもまた「写実」だという言葉を聞かせていただいた。見たまま、聴いたまま、感じたままを十七文字で表す俳句の世界はシンプルでいて奥深く、思い立ったら誰でもすぐに創作を始めることができる身近な文芸である。しかし、その「見て聴いて感じる」日常が、未曽有の大災害によって破壊されてしまったときにはどうすればいい? 俳人は何を見て何を聴き、何を心の拠より所どころにして詠句し得るのだろうか。
本書には、「二百メートル手前まで津波が来た」宮城県在住の高野さんが東日本大震災後の日常を詠んだ「震災詠一〇〇句」の自解を中心に、あの震災に直面した多くの詠み人たちの作品が紹介されている。胸を突かれ、心に残る句を挙げていけばきりがない。
春の海髪一本も見つからぬ
瓦礫がれきがれきあまりに白し夏の雲
開くたび墓標が見える揚花火
津波より残りし島の芽吹かな
俳句はもともと、「時や場を共有している限られた人々の、限られた時空で成立してきた」。そして「肩書も財もない庶民の詩であった」。それゆえに、この大災害のなかからも多くの言葉を抽出し得たのである。
震災当日は仙台駅にいた高野さんは、自宅まで約十三キロの道程を歩いて帰る間にこんな句を詠んだ。
地震の闇百足むかでとなりて歩むべし
「俳句を作ることで不安を振り払っていた」けれど、津波に押し流されひっくり返った何台もの車を見たら、「頭から俳句はすっかり吹っ飛んでいました」。それでも、この句はその夜の暗さと恐ろしさを封じ込めたまま毅然きぜんとしてここにある。
豊かな四季と自然の美に恵まれ、だからこそと言うにはあまりにも辛つらいほど自然災害の多い我が国に、世界でもっとも短い詩形が広く愛好されていることの意味を噛かみしめながらページを繰った。
◇たかの・むつお=1947年宮城県生まれ。俳人。2014年、句集『萬の翅』で読売文学賞、蛇笏賞などを受賞。
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氷河期が過ぎた約16500年前ころから日本列島ではブナ林が拡大しました。
白神山地には縄文時代から手付かずのブナの原生林が広がっています。
樹齢200年のブナの木が蓄える水の量は、1本あたり年間8トンにもなります。
ブナの森は洪水から守ってくれる自然界の巨大なダムなのです。
ブナの森は水を浄化して水中の動植物に必要な酸素を供給してくれています。
森林を伐採すると水中酸素濃度が減少して下流で濁水となります。
縄文時代中期の人口の8割以上は、東北日本のブナ林に集中していたと言われています。
神話時代の森は神聖であり大切にされ保護されてきました。
伐採するときは木の根元にお神酒を注いで山の神の許しを得てから、木を切っていました。
お金の時代になると樹木は神聖さを失いました。
森林は欲望の対象になりチェーンソーで樹木は大量に伐採され土地は売り渡されました。
牧場や農業にとって森林は邪魔な存在でした。
黄河の水は昔、澄んでいました。
黄河流域の青銅器には今は絶滅したゾウやサイ、ウシ、クマ、トラ、シカなどが描かれていました。
開墾による森林破壊により無数の沢や沼、池も姿を消し、草原も姿を消しました。
一緒に無数の生き物も姿を消しました。
黄河の黄色は大地が流した血の色だったのです。
聖なる場所とは私たちの身体が大地であり、血液が河で、森林は呼吸する肺であり、地球の命そのものである事を思い出させてくれる場所のことです。
命のネットワークからみれば森林破壊は自分の身体を破壊することに等しいのです。
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縄文の人々は森羅万象に宿る精霊に畏怖の念と感謝の祈りを捧げてきました。
農耕が始まったのは1万3000年前からですが縄文人は農業を拒否して1万年以上豊かな実りをもたらす森を守ってきました。
縄文は文明の痕跡を残さないほど、何万年も環境を破壊せずに来たのです。
これは世界史的に見ても驚くべき事でした。
弥生時代に入ると大陸から渡来してきた人々が徐々に縄文と混血して農耕を始め中央集権国家を築きました。
農耕を拒否した山の民が東日本にいましたが西日本から徐々に押されて江戸時代は北海道だけにいるようになりました。
古代の地中海周辺は女神が住む豊かな森で覆われていました。
ところが、牧畜と農耕が盛んになり徐々に男性の天候神が力を持つようになりました。
天の父を神とする一神教の世界に支配されると神聖な森を守っていた女神は殺されました。
そして、神のいない森は消え古代文明は滅んでいったのです。
安田喜憲教授によると古代文明が栄えた地層を調べると最下層は森林で、その上が牧草地でその上が砂漠になっています。
森が破壊された結果、表土が露出して、雨で削られて下流に流れ、森は砂漠化して文明が滅んだのです。
クレタ文明の神殿、宮殿の柱は木でできていました。
森が消滅してクレタ文明も滅びました。ギリシャの神殿の石柱は木がなくなって石に代えられたのです。
エンタシスは上部にかけて柱を細くした古代ギリシャ発祥の建築方法ですが、エンタシスのふくらみは木のふくらみを表現していたのです。
ギリシャ文明の衰退も森の消滅とほぼ正比例していました。
古代メソポタミア、シュメールのギルガメッシュは森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが人間の幸福につながるのだと考えフンババという森の神を殺してしまいます。
ギルガメッシュは最後に次のように後悔の言葉を残して死に絶えます。
「私は人間の幸福のみを考えていた。そして人間の幸福のために、いかなるものも犠牲にしてかまわないと思っていた。私はフンババの神と共に、無数の生きものの生命を奪ってしまった。やがて森はなくなり、地上には人間と人間によって飼育された動・植物だけしか残らなくなった。それは荒涼たる世界だ。人間の滅びに通じる道だ。」
レバノンの国旗に杉が描かれていますが今ではわずかしか残っていません。
都市化により森の神々が駆逐されました。
豊かな森は砂漠になり、文明は衰退していきました。
そこに生息していた動物や植物、無数のあらゆる命も森と一緒に姿を消したのです。
農耕がはじまり読み書きがはじまると脳の使い方が変わりました。
物事を善悪の二元性で分けて合理的にみるようになり、自然を人間のための道具とみなして、征服しようと考えるようになったのです。
言語で分析して世界を分けて見ているのが左脳です。
世界を一つに繋がったものとして統合的に眺めるのが右脳です。
「お金や物を持つと幸福になる」と信じる世界観は他の命に対する尊重がなくなり命を物として扱うようになりました。
消費世界では心の分離感をお金と物で埋めようと大量消費に走ります。
しかし、いくら物を買い集めても心の隙間は決して埋まりません。
ものすごい勢いで自然を食いつぶして破局に近づきつつありますが、それでも決して満足しません。
すでに地球の森林の50%以上が失われています。
このままでは地球の資源が枯渇し環境が破壊されてしまうでしょう。
経済やお金の価値を優先する考え方は地球規模の文明崩壊を招いてしまいます。
日本は縄文と弥生の混血でできています。
縄文のDNAを受け継いでいる日本人は持続可能な循環文明を築ける潜在力を持っています。
その力を発揮する時がきています。
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争いを続ける悲しい性が人間と思われていますが、はたして、真実はどうでしょうか?
猿社会には階級制があり、強いボスザルが敵と戦うイメージがあります。
しかし、それは「餌づけ」したサル群や動物園など狭い場所での特殊な状況化での観察よるものでした。
野生のニホンザルの詳細な観察によると、群に統率する強いリーダーはなく、ボスザルは存在しないのです。
同じ食物を狭い場所で餌づけする特殊な競争社会にすると、力の強いものが支配的になります。
「ニホンザルの生態」(伊沢紘生著)によると野生のニホンザルの群れはメスを中心とした母系社会で、メスは生まれた群れから離れません。
自然界の猿はそれぞれが違う場所に行って捕食するので、食物を巡ってサル同士が争うことはありません。
オスは発情期をむかえる4歳くらいになるとメスを求めて、ほかの群れに出たり入ったりを繰り返します。
京都大学霊長類研究所の河合雅雄(かわい まさを)博士の研究によるとゲラダヒヒ、ボノボ、 チベットモンキー、ベニガオザル などの霊長類は、親和性と協調、共同を基調とする平和な社会を築いているということです。
エチオピアに生息するゲラダヒヒの群れは、オスを中心に、複数のメスと子供たちからなるユニットが集合した「バンド」と呼ばれる母系の重層社会を作っています。
バンドの中には複数のユニットがあり、それぞれにリーダーがいますが、その間には順位がなく平等なのです。
ゲラダヒヒが生息するエチオピアの台地は、乾季の終わり頃になると水飲み場が数か所しかなくなってしまいます。
水飲み場の近くにさしかかると、ゲラダヒヒたちは争うことなく、先着順に水を飲むのです。
ほかのユニットは、順番を待っておとなしく待機しています。
ゲラダヒヒは鳴き声を相手を安心させる、なだめるといった協調を主軸にした情動(感情)コミニュケーションを発達させて仲間同士の争いをさけていました。
母系を中心とした協調を主軸にした暴力のない平和社会をゲラダヒヒは築いています。
現代の父系社会に移行する以前の古代の人間社会も母系社会を築いていました。
女性原理は平等、調和、融合します。男性原理は物事を分けて優劣を争います。
日本の縄文は、ゆるやかな部族連合の母系社会を築き1万年以上もの長い間、戦争のない平和な時代を築いていました。
ピラミッド構造の中央集権国家は築きませんでした。
草原地帯で狩猟と家畜を飼育していた母系の民族は、気候変動により砂漠地帯になると牧草を求めて遊牧するようになりました。
長距離遠征をするようになると、家畜を襲う動物に対する防衛力や水場や牧草をめぐって、他の部族集団との衝突が起きるようになりました。
やがて干ばつに見舞われると、水場と牧草をめぐる争いと略奪が多発するようになりました。
少人数の集団では危険なので、氏族や部族が集まるようになり、軍事リーダーと命令に従う兵士を中心とした男性原理の大集団を、形成するようになったのです。
戦争は女性よりも男性がむいているので、男性がリーダーとなり家畜の財産権を男性が持つようになりました。
こうして狩猟と牧畜から遊牧になると、母系を築いていた集団は父系社会になったのです。
分離敵対する男性原理優位になってからの歴史は、戦争が絶えることなく続いています。
男性原理が優位なままの現代社会は、バランスが傾いてあらゆる混乱が起きて人々は苦しんでいます。
人間は社会から与えられた印象が無意識の中に刷り込まれて、それに突き動かされてしまう性質を持っています。
もし物事を武力で解決する行動パターンがマインドに深く刷り込まれてしまえば、物事の良し悪し考えることに関係なく、衝動のまま殺戮に手を染めてしまうことが起きてしまいます。
戦争に駆り出された帰還兵が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされることが、第一次世界大戦のころから知られるようになってきました。
帰還兵の心の中で戦闘中のフラッシュバックが起きて、銃の乱射事件をおこしたり、いったんカッとなると衝動のまま妻だろうが恋人だろうが殴り続けてしまうのです。
極度の不安を訴えたり、自責の念にとらわれて、うつ病になったり、自殺したりします。
アフガニスタンとイラクに派遣された兵士は約200万人いますが、そのうち50万人がPTSD (心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、毎年240人以上の帰還兵が自殺を遂げているといわれています。
そして、その負の連鎖が社会に病理をもたらしています。
現代も紛争が起きている地域は、石油やガスや天然資源が豊富にある地域が多いです。
戦争の原因の一つが今も昔も資源の奪い合いにあります。
母系社会のアメリカ・インディアンはこう言っています。
「欲しいと言ってくれれば持っているものはいくらでもあげるのに、白人達はなぜ、銃で殺して奪うのか」
人間もゲラダヒヒと同様に、奪い合いの争いをやめ仲良く協調できる資質を内に秘めています。
ですから、人間もゲラダヒヒのように平和な社会を築けるでしょう。
マインドが作り出している偽りの世界を見破るのが女神の智慧です。
男性も女性も内なる女神の智慧を秘めています。
ギリシア語で智慧はソフィア(sophia)といい女性名詞です。
哲学のフィロソフィー(philosophy)も智慧(sophia)を愛する( philein )という言葉からできています。
仏教の智慧を意味するプラジュニャー(般若)もまた女性名詞です。
智慧というのは、東洋も西洋も女性名詞で表されるのです。
女性名詞の智慧とは物事の全体を見通す智慧のことです。
混乱した世界を終わらせるには、わたしたち人間が分離したエネルギーの衝動に気がついて、ゲラダヒヒがもっている女性性を表現しなくてはならないでしょう。
すべての人々に内在する女神の智慧が目覚めますように。
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