https://liaison11.exblog.jp/27852306/ 【メメント・モリで、俳句のことを】より
雛飾りつゝふと命惜しきかな 星野立子
俳句を始めてからこの秋でちょうど12年、ひと廻りになるが、つくづく俳句をやっていてよかったなぁ・・・と思っている。
それは、隠居の身にとって結構な趣味であるなどという優雅な話では全くなくて、もっと切実な思いなのだ。
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来年の春には古稀(!)を迎えようとしている私にとって、この先たとえ突発的なことがなにもなくたって、もう死は遥か彼方のことではない。
そのせいだろう、たとえば、春に桜の花を愛で、秋には紅葉を愛でては、その都度、ある想いが湧いて来るのだ。
それは、この美しい花も葉も、遠からず訪れるであろう私がもういない世界に、なにごとも無かったかのように美しく咲き、色づくことだろう・・・という想いである。
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それはなにも山川草木に接してのことだけではない。
家族をはじめ友人知人、この世で縁あった人たち全ての前から、そして、人のあらゆる営みの前から、私はいなくなるのだ。
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その、死という私の不在が、怖いというのではなくて、かなしい。
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もう半世紀も前のこと、学生の頃にフォークソングのブームというのがあって、フォーク・クルセーダーズという三人のグループが「悲しくてやりきれない」という曲を歌っていた。
それは、「悲しくて 悲しくて〜 とてもやりきれない〜」というフレーズがリフレインされるものだった。
そして、そのフレーズの後には「このやるせないモヤモヤを〜 だれかに告げようか〜」とか「この限りないむなしさの〜 救いはないだろか〜」と続くのだ。
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長いことその曲を、若者ならではの過剰気味のリリシズムなんだろうと思っていた。
だがその曲は、二十歳そこそこの若者なんかではなくて、すでに死というものが否応なく視野に居着いてしまった者にこそ相応しい歌だった・・・。
思えば、その歌詞の作者サトウハチローは、作詞した当時すでに晩年に差し掛かっていたのだ。 ● 、、、、
もとより永遠の命など願うはずもないが、かなしい・・・。
ところが不思議なことに、そんな時にも俳句を詠んで一句モノにすると、そんな悲しみは忘れ、時には消えて、なにか充たされた気持ちにさえなるのだ。
まるで、悲しみを俳句が吸収して、昇華するとでも言えばよいのだろうか。
それはどうしてなのだろう・・・。
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最近、俳句がらみの本を次々と読んでいて、そこから『 花びらは散る 花は散らない 』という標題の本に辿り着いた。
その標題には、「無常の日本思想」という副題が頭に付いていて、不明にも初めて知ったのだが、著者は私より少し年上の同じ団塊世代で、東大教授として教壇に立った後、現在は名誉教授であられる倫理学者の竹内整一さんという方の著書だった。
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それは東大教授の退官記念の最終講義を一冊にしたそうで、いわば学者としての人生の、その学究のエッセンスともいうべきものなのだろうと思われる。
その渉猟した膨大な知のバックグラウンドには、学者とはこういう人のことを言うのだなぁ・・・と驚嘆させられた。
そして、こういう人が友人だったら、古典文学などでちょっと分からないことがあったら、電話やメールをすればたちどころに答えてくれて、さぞかし心強いだろうなぁと思ったりもした。
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なのに、その語り口は少しも辛気臭くなくて、とても解りやすい。
それは、古事記にはじまって、万葉、古今、平家物語、新古今、さらには西行、長明、親鸞、兼行、世阿弥、宣長、等々の、私もほんのちょっと馴染みのある有名なフレーズがこれでもかと出てくるのだ。
しかも、この先生のすごいところは、そうした和綴じモノだけではなくて、近・現代の僧侶や哲学者、賢治も中也も安吾も、さらには村上春樹から「鋼の練金術師」という漫画等々に至るまで、私たちが生きる今日までを軽やかに行き来しているところである。
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こうしてそんな碩学の導きによって、これまでランダムに齧ってきたささやかで断片的な私の知識が、無常観のメカニズムとも言うべきものへと鮮やかに統合されて行ったのだ。
その論を、全て理解したなどと言うのはおこまがしい極みだが、それでも、私にしては珍しくそのかなりの部分を自家籠中のものとしたような気になっている。
何故そんなことを臆面もなく言えるのかというと、それは偏に私がこれまで俳句をやってきたお陰で、それを理屈としてではなくて体験で、頭ではなくて身体で得心したからだろう。
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そこで述べられていることのキモになる部分を大胆にも要約すると、(いかにも雑駁な自己流の解釈なので、竹内先生に申し訳ないが、)概ね次のようなことである。
私たちは、避けようのない、抗いようもない大いなるものの中に生きていて、そうした不可避かつ不如意な作用を「おのずから」のものととらえている。
だが、その中に生きている私たちは、それでもなお、「みずから」なにかを為そうとする。
ことわり
そうした「おのずから」の理の中で、人が「みずから」為すという、同じ「自ら」と表記する二つの作用が、ズレながら、時に重なり、相克と相乗の「あわい」を成している。
この世のあらゆる事象は無常で、私たちの命には限りがあるが、その中で人は、そんな「おのずから」に「みずから」を「しあわす(為合わす)」ことで、ニヒリズムを超克をしてきた。
その「しあわす」とは「しあわせ(幸せ)」の語源でもあるのだ。
(こんな感じかなぁ・・・)
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この本の「花びらは散る 花は散らない」という標題は、金子大榮というお坊さんの言葉だそうで、形としての花びらは散ろうとも、形而上の花は散らないということである。
ならば、俳句とは、あるいは人としての花を咲かせる営為なのかもしれない。
俳句もまた、祈りや祝いや祭りなど数多ある人の「しあわす」営みのひとつで、「みずから」が「かなしみ」の根源である「おのずから」と重なる時に、その「かなしみ」が昇華、すなわち、天に昇って華になるのだろう。
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私が俳句をやっていてつくづくよかったと思うのは、そういうことなのだ。
昇華された「かなしみ」は花となる。
その典型として、俳句には追悼の句というものがあるが、それは「みずから」が死者に花を手向けると同時に、「おのずから」の「かなしみ」を供花へと昇華させることで、その「かなしみ」から自身もまた救われる「しあわす」営為でもあるのだ。
このように俳句とは、表面には見えなくとも、「かなしみ」という密かな根から生えて咲くものだと私は思っている。
その「かなしみ」が寺の鐘の音の余韻のように人の心に深く滲みるのだ。
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そうそう、冒頭に掲げた星野立子のよく知られた句は、享年八十の立子がまだ五十歳になる前の年の春に詠まれたそうだ。
モノであってモノではない・・・、幼子の頃からの記憶を刻んだ、生の証しのような雛人形。
それを掌にして、立子もまたいずれは訪れるであろう自分の不在の時を想って、あの感情に襲われたのだ。
この時立子は、長命を欲してなどいない。
ただ、自分のいない春の日を想い、いまある命を “うつくしんだ” のだ。 (うつくしむ=美しむ、慈しむ)
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俳句を詠んでいると、あれこれ考えずとも、まるで天から句を授かったような不思議な気持ちになることが稀にある。
この立子の句も、「みずから」というよりは、ほとんどそんな風に「おのずから」、たちまち生まれた句であろうと私は確信する。
「しあわす」とはそういうことなのかもしれない。
立子はきっと充足し、「しあわせ」だったことだろう。
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