Facebook清水 友邦さん投稿記事
瀬織津姫(セオリツ姫)は大祓詞(おおはらえのことば)にミソギを司る祓戸大神(はらえどのおおかみ)として登場しますが古事記、日本書紀には全く出て来ないので謎の女神と言われてきました。
瀬織律姫の名前が出てくる古文書はごくわずかで「大祓詞(おおはらえのことば)」と伊勢神道の神道五部書(しんとうごぶしょ)「ホツマツタエ」ぐらいしか見当たりません。
伊勢神宮の十別宮のうち第一別宮である荒祭宮では天照大神の荒魂として向津媛(ムカツ姫)を祀っています。
伊勢神宮の神道書「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」では荒祭宮祭神の別名を瀬織津姫、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)としています。
大祓詞で最初に罪の出現が語られ後半は筆頭の祓戸の大神、瀬織津姫による罪の消滅が語られます。
大祓の神事は701年に制定された大宝律令(たいほうりつりょう)に規定されていて朝廷に仕えている天皇の親族、官僚は参加が強制されていました。
大宝律令によって各地の大王は政治的実権を追われ中央政府から任命される国守に代えられました。
古代の日本では天災や疫病は憎しみや怨みをもった怨霊のしわざと信じられていました。
右大臣に昇進した菅原道真(すがわら の みちざね)は左大臣の藤原時平(ふじわら の ときひら)の讒言(ざんげん)により流罪になって恨んで死にました。
菅原道真は怨霊となって天皇が住んでいた清涼殿(せいりょうでん)に雷を落とし多くの犠牲者をだしました。
それにより讒言(ざんげん)を信じた醍醐天皇が病に伏した後に崩御されてしまいました。
流罪に関わっていた藤原時平の弟の藤原忠平(ふじわら の ただひら)は菅原道真を祀る北野天満宮を建立したので怨霊は藤原時平の子孫に祟ることになりました。
怨霊は時平と繋がりが深かった醍醐天皇の皇太子と時平の子孫たちを次々と死に追いやりました。
さらに天変地異、伝染病が次々と起きたので人々は菅原道真の怨霊による祟りだと噂しました。
天満宮を建立したおかげで生き残った藤原忠平(ふじわら の ただひら)は政治の実権を握り、摂政関白の職を独占するようになりました。
大祓の神事は運命を握る重要な神事だったのです。
イザナギが黄泉の国から戻ってきたときに汚い国に行ってきたので体を洗うと、洗い流された黄泉の国の穢れから神様が生まれました。
その名を『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)大禍津日神(おほまがつひのかみ)といいます。
江戸時代の国学者、本居宣長は禍津日神(まがつひのかみ)を悪神だと考えていました。
復古神道を唱えた平田篤胤(ひらたあつたね)は『鬼神新論(きしんしんろん)』で「禍津日神(まがつひのかみ)は世に穢(きたな)らしい事が起きれば、激しく怒り、凄まじい凶事を起こす大神だが、常には大きな御功徳(おんくどく)を授けてくれる、またの名を瀬織津姫という祓戸神であり、世の災難や罪穢(つみけが)れを祓ってくれる、善い神である。」と述べています。
荒魂(あらみたま)が怒り、憎しみ、荒々しく反応するのは禍津日神の分霊の働きによるもので直毘神(なおびのかみ)が和魂に働くと荒ぶる心が鎮まるとします。
人間の心は禍津日神(まがつひのかみ)の分霊と直毘神(なおびのかみ)の分霊を授かっていると考えました。
古代では祟を恐れて勢力争いに敗れて祓われた神を鎮魂する必要がありました。
日本の古代は母系でした。
血統と財産は母から娘へ受け継がれました。
3世紀後半の古墳時代までは卑弥呼のように女性がリーダーでした。
古事記が編纂されるまでの間には名前が残されていない女性の大王(オオキミ)が大勢いたのです。
正妃を「むかひめ」嫡子を「むかひめばらのみこと」と読むようになったのは神武記あたりからです。
正妃とは父系社会の条件づけであって母系社会に正妃はいませんでした。
日本では家父長制が入ってきても完全な父権社会に移行せずに母系と父系の折衷としました。
平安時代まで通い婚がおこなわれ、推古、斉明、持統と何人もの女性天皇が即位しています。
歴代の天皇は母系社会の慣習で子供は母親の実家で育てられたので母方の外戚が権力を握ることができたのです。
庶民の風俗では昭和になるまで通い婚が残っていました。
競争、利益の計算、戦いにあけくれる男性原理が優位なのが現代社会です。
陰極まれば陽となす
片方の極に傾いた時はバランスをとるために反対の極が動きます。
共生、平和、融合の女性原理が表に出てきます。
鎮魂法は人間が生きながらにして神となることを意味しています。
そのことを「本霊」(もとひ)や「直霊」(なほひ)になるといいます。
それは自己の本質に帰ることを意味しています。
人間の本質は神(全体性)なのですが自我という思い込みが覆っているために自分が神であるということを忘れてしまっているのです。
自己の本質の上に偽りの自我という思い込みの罪が覆っています。
その罪を消滅させて自己の本質に戻す重要な女神が瀬織津姫なのです。
4月は大分から北海道へ、そして岡山と松江からようやく盛岡へ帰ってきました。
旅のしめくくりとなる松江では古い友人の出雲大社の神官の末裔であるエネルシアと一緒に歴史のお話会をしてきました。
盛岡の桜は散ってしまいましたが瀬織津姫を祀る桜松神社は満開の桜に真っ白い雪がつもりました。
闇に光が当たり、隠された真実が明るみになっていくことを大自然が祝福しているようでした。
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