空模様

https://note.com/uncontrol01234/n/n51e712375743 【感情の起伏と空模様】より

今日は、晴れていたけれども、雲が多くて、

晴れ➡雨➡晴れ➡雨➡晴れと空模様が短時間で急激に変わりました。

この天気が自分の感情を表しているような気持ちで空を眺めていました。

私にとって、自分の感情を深く掘り下げていくことは、しんどい作業です。

子供の頃にこんな思いをしたという悲しい感情から気づきを経て、今の自分につながっている過程を記事に書きました。

悲しい感情を思い出し、文章にすることは、エネルギーが必要でした。

読者のみなさまに共感をいただいて、本当に感謝しています。

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心が成長しても、感情は常に生まれてきて、時々自分を揺さぶるような焦りやプレッシャーの状態に変化します。

何故焦りやプレッシャーに変化するかというと、私は、感情がネガティブだと感じるとこんな私は嫌だと自分を責めるような状態になるからです。

この状態が自分にとって、つらいのです。自分から生まれた感情を否定することは、自分を否定することになるからです。

この焦りやプレッシャーを乗り越えられるパワーって何だろうというのが本日のテーマです。

自分を面白がるということ

確かに悲しみや苦しみの感情が生まれてはくるのですが、これは長続きしないことがほとんどです。

今まで、長続きしない原因を分析したことはなかったので、今回振り返ってみると、悲しみや苦しみの感情を面白いと捉えていることに気づきました。

「女心と秋の空」今日は、夏の雲でした。秋じゃないんですけど😁

悲しみや苦しみ、楽しい、嬉しい、どんな感情も私から生まれたものです。

他の人が全く同じ体験をしてもこの感情が生まれるとは限りません。

人と違う経験をして、人と違う感情が生まれた私をかけがえのない存在と思えた時に、心が軽くなっていると思いました。

今はまだ発展途上なので、すべて受け入れて、心穏やかという状態ではありません。

ただ、この私から生まれた感情を自分特有の体験と受け取ることができたなら、感情に振り回される私ではなく、客観的な私に近づけるのではないかなと感じました。

これが、今の時点の私の感情の捉え方でした。

晴れていても、雨が降っても、風が強くても、自分と一緒に生きていく。


Facebook北條 毅さん投稿記事

「これは白だ!」と誰かが言うと「そうか、白なんだ」と素直な人たちは、白だと信じる。

そこに、どこかから「白なんて嘘だ!それは黒だ!」と叫ぶ声が聞こえると白だと信じていたうちの何割かと白だということに懐疑的だったうちの多くが「やっぱり白なんて嘘だった!ㅤ黒が本当だったんだ!」と憤りとともに、黒を信じ白だと叫んだ人と、それを信じる人達を敵視するようになる。ㅤ

白なのか、それとも黒なのかそのどちらなのかに議論は熱を帯びていくのだけれど

けれどそれ、実は白でも黒でもなかったりするんだよね。

自分の人生を振り返ってみて「自分は絶対に正しかった」と言えることや「自分は絶対に間違っていた」と言えることって果たしてどれぐらいあるだろう。

これまでの身近な他人を見ていて「あれは絶対に正しかった」と言えることやㅤ

「あれは絶対に間違っていた」ㅤと言えることって果たしてどれほどあるだろう。

右側から見た見え方と左側から見た見え方が違うことなんて僕らは体験的によくわかっているはずなのにこの世界は多くの関係性や様々な思惑が入り組んでいる絶対的な答えなんてない 複雑で多面的なものだっていうことを僕らは、日々感じながら過ごしているはずなのに それでも、ふとした瞬間に物事を白か黒か2種類に単純化した見方ですべてを判断しようとしてしまう。

でも、白に見えているものも 黒に見えているものも 白っぽく、黒っぽくそれぞれ見えている理由がある。それぞれ見えるようになった背景がある。

目の前の出来事だけで判断しようとしないこと。ㅤ

出来事や情報に触れた瞬間に沸き上がる強い怒りや悲しみそれらのままに動かないこと。ㅤ

感情がある、それは当然のことだけれど だからこそ、「自分の感情の奴隷」にならないこと。ㅤ「感情を超える」こと。

感情という、そのあふれんばかりの生命力を抑えたり、我慢したりするのではなくㅤ

その感情があることを認め、受け入れたうえでその感情を、超えること。

感情の、その奥にある「純粋な想い」から、道を選ぶこと。

そうしていけたらいいね。

きっとその先にこそまだ見ぬ、新たな可能性が新たな未来が開かれていくのだと思うから。


TAO 自分さがしの旅@ilchi_tao

感情の変化は臓器にも影響を与える。東洋医学では、特定の感情が特定の臓器とつながっているとみる。例えば怒りすぎると肝臓に悪く、喜びすぎると心臓に悪く、心配しすぎ考えすぎると胃に悪く、悲しみすぎると肺に悪く、怖がりすぎると腎臓に悪い。


作家しりこだま@shiriko1971

お出掛けの朝、玄関を開けて、雨に気づいた時、「憂うつな1日の始まりだ」と溜め息をつく人もいれば、「雨がやんだら虹を見れる」と心がウキウキする人もいる。僕は後者のほうかな。もちろん無理してポジティブにならなくていい。でも時には自己満足に生きてみるのもいいよ。だって嬉しくなれるもん!

ティクナットハン・マインドフルネスの言葉@thich17485155

人生の中で最も大切なものは安らぎと幸せです。

でもこころは常に未来への不安や過去への後悔、または色々な欲求に引っ張られ、いまここにあるしあわせを忘れてしまっています。

くだらないことにこだわるのをやめて本当に大切ないまこの瞬間、すてきな瞬間に帰ってきましょう。

Facebook清水 友邦さん投稿記事

西洋は心と体を分離させて、物理的な身体は医者が、心は聖職者が担当してきました。

近代医学は治療(トリートメント)志向で適切なワクチンや薬を投与すればウィルスの病気を治せると考えています。

現代社会もまた治療(トリートメント)志向に沿って、感染を殺菌消毒で防ごうとしています。

病気は気の流れが滞ることで起きると東洋では昔から心が関係していると捉えていました。

70年代から精神神経免疫学の研究が盛んになって、病気の原因の多くが外部の物質や微生物ではなく重いストレスが人間の心と身体に深刻な影響をあたえていると考える医者が増えてきました。

著名な医学雑誌の編集長が「近代医療を適用しても、80%の患者は良くも悪くもならず、あるいは自然に落ち着くところに落ち着く」と発表しています。

10%は、近代医療の介入によって劇的な成功をおさめていますが、7〜8%は医師の診断や治療が適切でないために不幸な結果になってしまっているということです。

https://forbesjapan.com/articles/detail/17266

神経系と免疫系は相互に関係しています。心と体は切り離せないのです。

カーネギー・メロン大学のシェルドン・コーエン教授はストレス指標が高い人ほど風邪にかかりやすいことを実験して論文で発表しています。

人は重いストレスを受けると感染症にかかりやすくなるのです。

TVで人が亡くなった話を聞くと自分もそうなって死ぬのではないかと不安になります。

心配や不安はいたずらにエネルギーを消耗して免疫力を落とすだけです。

家族による愛の言葉が人にどのような変化をもたらすかの実験がありました。

ある企業(パナソニック)が家族へ言葉で愛を伝えているかどうか社員に聞いたところ「愛している」という言葉を普段、言葉にして伝えていない人が84.7%もいました。

そこで、愛の言葉や感謝の気持ちを家族に聞いもらい身体の表面温度を測った結果、6人の体温は平均で0.8度上がり、なかには1.2度上がった人もいました。

愛の言葉で副交感神経が活性化して血液循環が良くなり体温が上がったのです。

老廃物の処理がすすみ新陳代謝が促されると体の治癒力があがります。

1978年にハーバード大学で風邪やインフルエンザの学生を集めてマザー・テレサのドキュメンタリー映像を観てもらい唾液を調べたところ、免疫グロブリンAの著しい増加が見られました。

免疫グロブリンAは風邪やインフルエンザなどの病原菌に対する大きな鍵を握っている免疫です。

免疫グロブリンAが低下すると病気にかかりやすくなります

映画のあと、学生同士でマザー・テレサの感想を語り合ってもらったところ、免疫グロブリンAの数値がさらに上がったということです。

愛や思いやりの行為が行われている場面を見たり、愛について考えたり、愛する人を思い浮かべたり、それを語り共有することでも免疫が上がります。

それをマザー・テレサ効果といいます。

愛は体の免疫機能を強めます。心も癒します。愛こそが最高の治癒(ヒーリング)です。

しかし、私たちが知っている愛は条件付きの愛です。要求する愛です。

報酬や返礼を求める愛です。「良い子にしてくれたら愛してあげる」「これをしてくれたら愛してあげる」何をしてもどうにもならないと自分を否定的に思いこんでいる人は子供の頃に経験した怒り、悲しみ、恐れ、分離した愛の痛みに囚われています。

人は否定された愛の痛みを経験することで真実の愛を知ります。

「最も美しい人々は、敗北、苦難、苦労、喪失とは何かを知っている人、そして、そんな底から這い上がってきた人。こんな人は、人生を深い愛情と優しさ、共感を持って、そんな人生に感謝し、理解している。美しい人々はただすぐに出来上がるのではない。」キューブラー・ロス

愛を受け取り愛を与えることで愛が育ちます。自分を愛することで世界を愛することができます。たとえ自分が何もできないと無力感に襲われてもどうすることもできないと希望を失っても自分を裁かないこと自分の不完全さを受け入れた時世界の不完全さも受け入れることができます。

自分を愛するということは、あるがままの自分を受け入れること心の痛みを自覚して、

苦悩と絶望を受け入れたとき自我を超えた愛と出会います。愛こそ本当の自分です。

Facebook相田 公弘さん投稿記事  斎藤一人さんの心に響く言葉より…

何をするんでも波動が、ムードが重要だな。だから、ヘンな話、病人は病人らしくしちゃうから長引くの。ホントだよ。

病人らしいムードが、病が長引く原因の一つだから、ムードをなんとかすりゃいいだよ。

「末期がんです」って、医者に言われてた人がいたの。

その人、他のがん患者さんみたいに、一日中、ベッドに横たわっていなかった。

毎日毎日、病院のまわりを胸を張って歩いてたんだって。そしたら、治っちゃったんだよ。

ホントなんだよ。だから、病気ってね。気持がマイったりしちゃうとダメな。

前にオレが入院してたときも、ただの点滴だとつまんないから、オレ、「先生、この点滴だと元気、出ないから、うなぎ入れて」とかって、ジョークを言うんだよな。

そうすると、向こうもなれてきて、「斎藤さん、今日はスッポンが入ってっからね」とかって言うのね(笑)。そうやってジョークでも言って笑っていると、たいがいは治っちゃうね(笑)。やっぱり、病人は病人らしくしちゃダメだね。

オレが入院してたとき、看護師さんとか先生が相談に来るの。患者のオレが相談にのってて「元気、出そうよ」とかって(笑)。それで、オレが退院するっていうと、「さみしー」って、泣くんだよ、向こうの先生が(笑)。それでさ、心と体は一つのものだ、っていうじゃない。だけど、心と体は別なんだよ。「病気」っていうのは、「病を気にする」って。

病に「気」がつくんだよ。体が病んだことを気にして、心も病んじゃって病気になるんだよね。だから、ほとんどの病人は、病に気がくっついた、病気もちなんだけど。

オレなんかの場合、ちっちゃいときから病弱だったけど、心が病んだことは1回もないの。

そうすると必ずね、心に体がついてきて、治っちゃう。だから、病から「気」を離しちゃえばいい。体は病んでも心は体の病を気にしなけりゃいいだよな。

だから、病になったら、できるだけ、楽しくなることを考えるの。

考え方を変える、とは、そいういうことをいうんで。それを、「わたしのどこが悪いんでしょう」って。あなたの、その暗い考えが悪いんだよ、って(笑)。

※『これまでしたことのない話』(斎藤一人&枡岡はなゑ)サンマーク出版

「人の心に灯をともす」より

☆「たとえ身に病があっても、心まで病(や)ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい」中村天風師

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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