ごとう 孝二 「真我(本来の自分)に目覚める」
病気であったり、人間関係であったり、借金などのお金の問題であったり、生きることへの迷いであったりする。
もがいて苦しんでいる人は、藁にもすがる気持ちで解決策を探す。
しかし、これは、真我に目覚める最大のチャンスです。
そして、真我に目覚めたら、一瞬で今までの苦しみがうそのように消えてしまう。
泥沼でもがき苦しんでいる時に、天から下がっている黄金のロープ(真我)を見つけて掴んだら、そこから抜け出せるのです。
だが、時に人は、いったん抜け出せると、黄金のロープを放してしまう。
そうすると、また、元の泥沼の中で苦しむことになる。
黄金のロープを見つけたら、二度と放さないことだ。
すなわち、真我に目覚めたら、そこからは真我で生きる人生を歩むのだ。
真我を、何かの願望実現の道具と勘違いしてはいけない。
真我はあなたの本質であるから、その真理で生きていくのです。
もがいて苦しんでいる人は、真我に目覚める最大のチャンスなのです。
「真我」とは、もともと、本来あなたの心の一番深いところにある、
『本当のあなたの心』『愛と感謝の自分』なのです。
その『本当のあなた』は、実は全ての問題解決策をすでに持っているのです。
「真我」(しんが)とは、書いて字のごとく、真=「まこと」の我=「われ」つまり、本当の自分のことです。
あなたは「真我」と聞いて、何を思い浮かべたでしょうか?
「真我?なんか胡散くさい、よくある心理学じゃないの?」
「真我開発」は心理学でも、成功哲学でもありません。
真我は「本当のあなた」なのです。
「真我」とは、何かの教えを学んで頭で理解するものでも、身につけるものではありません。
自分に何かの暗示をかけたり、イメージするものでもありません。
「真我」は、もともと、本来あなたの心の一番深いところにある、
『本当のあなたの心』『本当の自分』『愛そのものの自分』なのです。
その『本当のあなた』は、実は全ての問題解決策をすでに持っているのです。
ですから、勉強する必要はありません。
自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に、耐えられなくなり、
何とか偽我の自分から抜け出そうとするからです。
偽我(思い込みと執着)の自分に向き過ぎていた意識が、誰もに内在する究極の宇宙意識(愛と感謝)
本当の自分(真我)に向けられ、本当の自分(真我)に目覚めたら、一瞬で今までの苦しみが消える。
苦しんでいたのは、偽我の自分であって、本当の自分(真我)は、常に喜び一杯だからです。
そうなってくると、苦しみは、宇宙からの有り難いメッセージだと気づくことができる。
ただ思い込みと執着を手放すだけでいいのです。
今日も本当の自分(真我)に意識を向け愛と感謝で生きる。
3月3日セオリツヒメの誕生日に 小野神社(セオリツヒメ御祭神)に参拝。
https://uruwashinara.com/2019/03/172/ 【君の名は瀬織津姫】より
祓詞(はらえことば)というものがある。
神社で使われるもので、この言葉をとなえることによって、心身が清められるという。
奈良時代から宮中でとなえられてきたという「中臣祓」(なかとみのはらえ)は特にポピュラーで、大祓詞(おおはらえのことば)などとも言われている。
よく訪れる神社ではこれを毎朝奏上していて、それは回数が増せば増すほどご利益があるという。しかもひとりが唱えても1カウント。
3回繰り返せば3カウントという風に、その場にいる人の数だけ、唱えた回数だけ増えていくというのだから、他人事な気がしなくて力が入る。
この祓詞のなかに「瀬織津姫」という女神が登場する。
この方は「清めてくれる」神だ。
他にも清め役の神様が三柱いて「祓戸四神」とよばれている。
『古事記』にイザナギ・イザナミの神話が出てくる。
出産の際に命を落としたイザナミは黄泉の国へ行き、イザナギはその後を追っていく。黄泉の国でふたりは再会するが、イザナギが禁忌を破ってしまったために、
イザナミの朽ち果てた恐ろしい姿を見てしまい地上に逃げ帰る。その時、すっかり汚れてしまった自分の体を浄化するために、イザナギは禊をする。その時に生まれた神々が祓戸四神だと言われている。
言われている、というのは祓詞の中に「イザナギノミコトが禊をした時に祓の神が生まれた」と言ってるのだが、
そのイザナギの活躍を記した古事記の中には「祓戸四神」それぞれが書かれていないのである。(速秋津日命・はやあきつひめ はイズノメノ神ではないかと言われている)
何回も何回も「さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬にますセオリツヒメという神~」と唱えていると
「そうか。瀬織津姫は速川の瀬にいらっしゃるのか~」という気分だけが残って、もう満足してしまっていたのだ。
しかし!ある方が「瀬織津姫ってどんな方ですか?」と聞いてくださってハタと気付いた。瀬織津姫って誰だろう?
瀬織津姫は「速川の瀬にます」と書いてある。速川は読んで字のごとし流れの速い川だろう。
ます、というのは「座る」ということ。流れの速い川にいらっしゃる瀬織津姫。川は海に通じる。瀬織津姫は罪や穢れを流し海まで運んでくれるのである。
神道の世界では、そもそも生命というのは力に満ちていて、それが何かの事情で曇ってしまうことで本来の力が発揮できないと考えている。
だからその調子の悪いところを「流し」たり「はら」ったりすることで力が戻ってくると考えている。
なので瀬織津姫は流してくれる。流された罪や穢れは海に飲み込まれ、飲み込まれたそれは地の底に吹き落され、地の底でさすらいさすらいしているうちに消えていくという。
なんだか、人間の作ったゴミを自然が浄化してくれてるみたいな話だ。
色々調べていくと、瀬織津姫の「流して清める」パワーというのはとても強いらしい。まるで「ノアの箱舟」
キリスト教の神が「地上を浄化する!大洪水で押し流す!」ということで大雨を降らせてノアの一族以外地上から消してしまったというお話があるけれど、
それに匹敵するぐらいすごく強い力を持っているらしい。
日本の神々で最も強い力をもっているのは天照大神だ。彼女こそ、神々の頂点に君臨する女神であり、その力を象徴する「日」なくして人間は生きられない。
瀬織津姫には天照大神の荒魂(あらみたま)だという説がある。
日本の神様にはふたつの顔があるという。恵みをも足らす面が「和魂」(にぎみたま)禍をもたらす面が荒魂だ。
台風は厄介だ。ひどい時には作物は全滅し、家屋は倒壊し、人々を傷つける。でも台風の雨は恵みの雨でもある。
日本の神は自然そのもの。その自然の恩恵と容赦なさ両方を受け止めた考え方が「荒魂」「和魂」だ。
瀬織津姫は天照大神の半身であり、光の後ろに必ずいる影のような存在なのかもしれない。
そんな彼女がなぜ古事記に登場せず、真の姿を隠されているのか?
隠さざるを得ない事情がある、もしくはあえて隠している、という風に見るのは感受性が強すぎるだろうか。
ところでアニメ映画で空前のヒット作となった『君の名は。』ご覧になりました?
このアニメに出てくるキャラクターは、瀬織津姫とその謎をモチーフに描かれている・・という説があります。
主人公の名前「ミツハ」が瀬織津姫の別名から取られているとか、そのミツハが先祖から受け継ぐ神社が「竜神」関係であったりとか。(竜神は水とつながりがありますね)
瀬織津姫の謎を知っているのは、『君の名は』の監督の新海誠さんかもしれない(^^)
https://www.brainyoganews.jp/archives/175 【「固定観念」に足を引っ張られていませんか?~潜在能力を引き出すILCHI(イルチ)チョンファ心性(真我発見)】
吉田松陰(よしだ・しょういん)という人をご存じでしょうか? 幕末に長州(今の山口県)で塾を開き、明治維新のリーダーになる若者を多く育てた著名な教育者です。
その松陰が江戸幕府によって投獄されたときのことです。俳句を趣味にしている囚人がいることを知った松陰は、その囚人に「他の囚人に俳句を教えて欲しい」と頼み、牢獄で小さな俳句教室を開くようになりました。そして、論語に詳しい囚人は論語を教え、書道ができる囚人は書道を教えるといった具体に、囚人たちがお互い何かを教え合うような形をつくりました。
当時の牢獄といえば環境も極めて劣悪で、囚人たちを再教育するという考え方もありませんでした。しかし、松陰はそうした固定観念にはとらわれませんでした。「自分には何もできない」と考えていた囚人たちを「先生」としてうやまい、やる気を起こさせたのです。絶望的だった牢屋の雰囲気が活気にあふれるようになったと伝えられています。
「自分にはこれしかできない」「どうせ無理だ」――。だれしも、そう考えることがあると思います。自分の実現したい願いがあっても、固定観念が立ちはだかり、最初から諦めてしまうのです。
しかし、こうした固定観念を捨てて前向きになるだけで、自分でも想像もしなかった力を引き出せることを、松陰のエピソードは教えてくれます。
ILCHI(イルチ)チョンファ心性(真我発見)は、私たちの固定観念を見直すきっかけを与えてくれるプログラムです。体と脳に働きかけ、自己の潜在能力を引き出すことで、思い通りの人生を実現することを目的としています。多くの体験者から「今までの固定観念がすっかり変わりました」という感想が寄せられています。
https://www.youtube.com/channel/UCaIIk_rDbMapPt_y8J3fOiQ 【イルチブレインヨガ】
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