https://www.asahi.com/relife/article/14478058?fbclid=IwAR0Rkk7lLMI4VXKqGoD9-wOpIK4zh8ZayZhiRwJI0a1S612rYutvTnQ6FUo 【元NHKアナウンサーはなぜ52歳で医療福祉の現場に転職したのか 「もみじの家」ハウスマネージャー・内多勝康さんインタビュー(上)】より
NHKのアナウンサーだった内多勝康さんは2016年、NHKを退職し、医療的ケア児の短期入所施設「もみじの家」のハウスマネージャーに転職しました。52歳のときでした。勤続30年、アナウンサーとしてのキャリアを捨てて、まるで畑違いにみえる福祉の現場への転身をなぜ、決めたのでしょうか。
始まりは「クローズアップ現代」での出会い
「もみじの家」は、人工呼吸器での呼吸管理やたんの吸引など、在宅で医療的ケアが必要な子どもたちとその家族を支えるため、2016年春に国立成育医療研究センターが開設した医療型短期入所施設です。ハウスマネージャーになった内多さんは、「生活ほっとモーニング」のキャスターなども務めた元ベテランアナウンサー。内多さんにとって「医療的ケア児」との出会いは、2013年に放送した「クローズアップ現代」でした。
当時、ぼくは「クロ現」の代行キャスターでした。メインキャスターの国谷裕子さんが海外取材にいったときなど、国谷さんに代わってキャスターを務めるのです。クロ現のキャスターは経験したくてもなかなかできない仕事です。なんとか1本、自分で企画・取材する番組をつくりたい。そんな思いで提案したのが、新たな支援の取り組みが始まろうとしていた医療的ケア児についての番組でした。
医療的ケア児という言葉自体は、まだ社会に浸透していませんでしたが、入局以来、少しずつ取材をしてきた障害者福祉の現場の話を聞くと、退院した後も医療的な措置が必要なまま、自宅で日常生活を送っているお子さんが増えていて、そのケアを担うお母さんが大変な思いをしているというのです。
小さく生まれてきたり、重い疾患をもっていたり。これまでなら救えなかった命が、医療技術の進歩で、救えるようになった。一方で、救った命をどうやって守っていったらいいのかが、新たな課題になっていました。いまこそ医療と福祉が手を携えた支援の形が必要になっているのではないか――。そんな問いかけをする番組でした。
思わぬ誘い「断ったら一生後悔しつづける」
端緒をつかんで提案をして、実際の取材を重ねて放送するまで数カ月。もともとディレクター志望だった内多さんにとって、障害者福祉の取材は、自らのテーマとして続けてきた、思い入れのあるものでした。ただ、それでも、放送を終えると、次の日には、異なる仕事やテーマがまっています。日々の仕事に追われ、取材で得た問題意識を次につなげられずにいるときに、思いがけない誘いの声がかかったのです。
番組の放送から1年半ほどたったころです。福祉関係の知人が、クロ現で取材した成育医療研究センターに「もみじの家」をつくる準備が進んでいることを教えてくれ、「内多さん、ハウスマネージャーになってはどうですか」とすすめられたのです。
そのとき、ぼくはクロ現の担当をはずれて、ある意味、取材や提案をして社会に発信していくことがむずかしくなっていました。先輩方の歩みをみると、その先がわかります。日々の仕事をやりながら後進の指導にあたる、いよいよそういう時期にさしかかったかな、と。
まあそれは、しょうがないですよね、順番ですから。ただ、仕事とやりがいが一体化して、それが充実感につながっていましたから、取材の現場から離れるのは寂しい思いがありました。でも、ふたつはもう別れさせざるを得ない。自分のなかで1回、気持ちの整理をつけたときに、もみじの家の話が聞こえてきたわけです。
ここでは、仕事とそのやりがいを一致させることができる。それがすごく魅力的でした。おそらく最後のチャンスだった。50歳を超えていましたから。断ったら、一生後悔するだろうなと。もちろん定年まで勤めあげれば、それはそれで安定した人生を送れる。でも、あのとき転職していたらどうだったろうなと、きっと思い続けるんじゃないか。それもしんどいなと。
すごく運命的だったんですけど、クロ現の番組づくりのとき、成育医療研究センターの取材でお世話になった先生が、もみじの家の準備室の担当をされていたんです。決心がつかないまま、もみじの家の話を聞かせてもらえませんかとセンターを訪ねたら、その先生が「おお、内多さん、こちらに来てくれればね……」といった感じで出迎えてくれました。
それがちょっとうれしかったんです。NHKにいれば、なにかこう、これから徐々に閉じていく感じがあったのに、ここでは先に向けて開けていく感じがしました。人間は、期待されたり、声を掛けてもらえたりって、うれしいですよね。もう一度、チャレンジという気持ちにさせてもらったんです。
もみじの家の外観
もみじの家は、国立成育医療研究センターの敷地内にある=東京都世田谷区
定年後のための「社会福祉士」資格が追い風に
畑違いの分野への転身を決めたとき、内多さんは、じつはもうひとつ、背中を押してくれるアドバンテージを手にしていました。50代を前にして専門学校に入り、社会福祉士の資格をとっていたのです。この資格がなかったら、招かれることもなかったかもしれないと、内多さんは振り返ります。
ちょうど、初めての単身赴任の最中だったんです。人によっては羽を伸ばせて楽しいっていうけれど、ぼくは一人で時間がつぶせない人間で、全然、楽しくなかった。時間はあるんだけど、やることがない。それで資格をとることにしたんです。これまでの積み重ねで、福祉関係の人脈ができ、取材はこなせるようになったけれど、やっぱり専門家の話は半分ぐらいわからない。キャッチアップできていない思いがありました。系統だった勉強をするいい機会だと考えました。
ただ、それは転職を考えてということでは、ありませんでした。まあ、定年後には役立つかなと。元NHKのアナウンサーです、だけでは通用しませんから。「福祉のおじさん」としてどこかに雇ってもらうには、丸腰でなく資格が必要かなと。それが思いがけない追い風に働きました。
そうやって、すんなり入ることは入れたのですが、最初の1年間は、しんどかったですね。ハウスマネージャーは、もみじの家の管理や運営にあたる事務職です。ところが、ぼくには、ちゃんと事務の仕事をした経験がありませんでした。
事業計画をたててくださいと言われても、どんな資料をつくればいいか、わからない。パソコンソフトのエクセルも使えない。「もうちょっと自覚をもってください」としかられました。50歳をすぎて怒られるって、あんまりないじゃないですか。へこみましたね。次になにをしたらいいか、どこに情報があるか、つかむまで1年かかりました。
第二の人生「自分のためじゃなく人のために」
50歳をすぎてから慣れ親しんだ仕事を離れ、畑違いの分野と仕事への転身。そんな経験をした内多さんに、第二の人生を歩んだり、その準備を進めたりしているシニアへのアドバイスはないか、聞いてみました。
第二の人生は、なにも仕事一筋にならなくてもいいと思うんです。ただ、自分にとって落ち着く、安定する居場所があったほうがいいですよね。ぼく自身、結構、安定志向の人間で、将来への不安を抱えて、ずっと過ごさないといけないのは、しんどいだろうと思います。実際、このもみじの家が居場所になって、最初のうちこそ、これで大丈夫かと思ったけれど、それを越えたら精神的にも安定し、じゃああと10年やるとしたら、なにができるか、そんな発想をもてるようになりました。
もちろん居場所や生きがいは、ひとそれぞれです。夢中になって打ち込める趣味があって、生きがいになるなら、それはとてもうらやましい。でも、ぼくはそういう趣味を持ち合わせていなかった。そんなときは「自分のためじゃなくて、人のために」でいいんじゃないか。いま手持ちの札がないひとは、とりあえずそこから考えてはどうかなと思います。
かっこいい、あこがれの「お手本」を思い描く
これからの居場所や生きがい探しには、どんな準備や心構えが必要でしょうか。社会福祉士の資格を得ていた内多さんですが、おすすめは「自分がどういう人間なのか、わかりやすく伝え続けること」、そして「具体的なお手本を思い描くこと」だといいます。
ぼく自身、転職先やいまのポストのために、障害者福祉の取材をしたり、番組をつくったりしてきたわけじゃあない。その都度、自分のできる仕事をしてそれが結果的に、いまの現場につながったわけです。だから、こういう風にしたらこうなるなんていう方程式はありません。ただ、自分はどういう人間なのか、ということをわかりやすく伝え続けることはとても大事だと思います。
ずっと障害者のことを取材してきたこと、障害者福祉に関心があることは、関係者の人たちは知っていました。外部にいるけれど、内多という男は障害者ケアに熱心に取り組む人なんだということはわかってもらえる。そうすると「こういう人もいるから会ってみないか」という話になって、広がりがうまれます。
仲間うちでは、職場への不満や文句もいっていました。ああ、やめてえなとか。それも伝わっていたんでしょうね。それなら内多さんには、こっちのほうがいい現場かもしれないと、考えてくれたのかもしれません。
社会のためになにかをしたい。でも漠然としすぎて、どうしたらいいか、わからない。そういうときは、自分があこがれるモデルをイメージしてはどうでしょう。その人のようになりたいとか、一緒に活動してみたいでもいい。
長年、福祉の現場を取材してきて、やっぱりね、本当に人のために身を粉にして働いているひとは、格好いいんですよ。あっ、この人たちが世の中を変えているんだなって思えるんです。ぼくはそういう人たちがお手本です。なるべくそこに近づきたいし、ある意味、その人たちができないことにもチャレンジしていきたいですね。
https://www.asahi.com/relife/article/14499303?iref=rf_article_b 【人と人、地域・制度を結びつけ「その人らしく生きる」支えに 「もみじの家」ハウスマネージャー・内多勝康さんインタビュー(下)】より
つかの間の休息 プロとボランティアで支援
介護をする家族が一時的に介護から離れ、休息やリフレッシュをしてもらう。そのためのサポートは「レスパイトケア(レスパイトは休息、小休止の意味)」と呼ばれ、高齢者の介護なら、デイサービスやショートステイなどが該当します。在宅での日々の介護で身体的、精神的な疲労がたまり、介護者が身体を壊してしまわないようにするための、重要なケアとなります。
もみじの家では、看護師や介護福祉士、保育士など、それぞれの資格をもった専門スタッフが、医療と福祉の双方からケアをします。人工呼吸器の管理やたんの吸引など、医療的ケアが必要な子どもたちを預かる医療型短期入所施設として、24時間の医療的ケアはもちろん、食事や排せつ、入浴などの生活介助、子どもの発達を促す遊びや学びにも取り組んでいます。子どもたちがくつろいで楽しそうにすごす姿をみて、お母さんをはじめ家族は、ケアの重圧から解放され、つかの間の休息をとることができます。
こうしたケアを手厚いものにしてくれるのが、ボランティアの方々です。もみじの家では、約100人が登録くださっています。子どもたちへの読み聞かせをお願いしたり、受付の対応や部屋やおもちゃの整理をしてもらったり。この1年半は新型コロナウイルスの感染予防のため、難しかったのですが、ぼくらのような常勤の職員だけでなく、いろいろな形のボランティアが欠かせない存在です。
もみじの家を利用する親御さんは、大きな荷物を抱えてやってきます。人工呼吸器などの医療機器をすべて持ってくる必要があるためです。受付のボランティアは、その荷物を運んだり、子どもの車いすの車輪を消毒したりする。掃除が得意な方もいます。全体の清掃は、業者がしてくれますが、契約外で手が入らないところも、すっかりきれいに、ぴかぴかにしてくださいます。
もちろんプロの仕事は大事ですが、とくに子どもを取り巻く世界は、家族とプロフェッショナルだけでいいわけではない。普通に外出できれば、地域の人との出会いがあるのに、医療的ケア児には外出の機会がもてない子たちが少なくありません。もみじの家は、いろいろな人、おじさんやおばさんと出会える場にもなっています。
よりよい社会の「アクション」をする現場
人と人、人と仕組みをどう結びつけ、よりよい形をつくっていくか。ハウスマネージャーとして内多さんが心がけるのは、社会福祉士の資格をとる際に学んだ二つのキーワード「ソーシャルネットワーク」と「ソーシャルアクション」。関係する人や地域や制度をネットワークとしてつなぎ、よりよい仕組みを生み出すアクションをしていこうという考え方です。
たとえば社会福祉士なら、福祉や介護で困っている人の相談をうけたとき、この人はこの制度と結びつければサービスを受けられるといった橋渡し的な役割がひとつ。もしも結びつけようと思っても、適当な制度や仕組みがない場合はどうするか。自ら社会や行政などに働きかけて、よりよい制度や新しい仕組みをつくっていきましょうと教わるのです。
もみじの家は、こうしたソーシャルアクションの現場だと思います。「″その人らしく生きる”を支える」。これがもみじの家の理念です。重い病気をもつ子どもと家族ひとり一人がその人らしく生きる社会をつくる。そのために、新しいケアや支援の仕組みをつくりだし、社会の理解を深め、全国に広めていくことをミッション(目標、使命)として掲げています。
自宅でのケアを「ゴールのみえないマラソン」というお父さんは、もみじの家を「第二の我が家」といいます。「家では見せない表情がみられた」というお母さんもいます。「ゆったりとお茶を飲むのは本当に久しぶりです」というお話も聞きました。よりよい運営をするために利用者に回答してもらうアンケートには、ぼくもすべて目を通します。そこにはケア児と家族の日常が刻まれています。
コロナ禍、全国の家族・支援者をネットで結ぶ
新型コロナの影響で、受け入れの中断や利用者の絞りこみを余儀なくされるなか、内多さんたちは、医療的ケア児を受け入れる各地の施設や利用家族とのオンラインでの交流に力をいれてきました。
いま集中的に取り組んでいるのが都道府県ごとに医療的ケア児者の家族会のようなグループを作りませんかという呼びかけです。当事者家族や医療的ケア児者の支援者たちと連携して、これまでに46都道府県とオンラインでのミーティングを開いたところです。それぞれの声を集めて伝え、一緒に考えていくことで、少しずつ社会や支援の形を変えていけるんじゃないかと思っています。
すごく手応えがあって、ぼくとしては、医療と福祉を融合させた短期入所、第二、第三のもみじの家ができるのが理想です。運営費の多くを寄付にたよっている現状を考えると、そう簡単にはいかないでしょうが、わずかな時間でも子どもを預ける通所施設ができるとか、保育園や学校に親の付き添いなく、たとえば人工呼吸器の子が通えるとか、そういうことが一つひとつ進んでいくと、いいなあと思っています。
思いや声を届けることで、人の心は動く
こうした活動の追い風となっているのは、2021年9月に施行された医療的ケア児支援法だといいます。「医療的ケア児」という名前を冠した初めての法律で、超党派の議員立法として6月に可決・成立し、医療的ケア児とその家族の支援が国と地方自治体の責務と定められました。
医療的ケア児の健やかな成長を図ることはもちろんですが、新法の目的には、家族の「離職の防止」も盛り込まれています。子どもを預けることができないから、お母さんが仕事を辞めざるを得なくなる。どんどん社会から孤立する。そうした事態を防ぐにはどうしたらいいか、どこで暮らしていても子どもを安心して預けられる場をどうつくっていくか。具体策を社会全体で考えていこうというのです。
こうした議論を深めていくためにも、現場の情報なり、ご家族の思い、子どもたちの声が、もっと世間に広がっていって欲しいなと思います。ハウスマネージャーで広報担当でもある立場としては、支えあいを作りましょうという風にいうのではなく、自分自身がどういうアクションを起こすか、それがどう情報として流れていくかが問われています。
各地に家族会をつくるという取り組みのあとには、どういう形でみなさんと一緒に行動していくか、考えなければいけません。それぞれの家族会が行政とともによりよい地域社会をつくっていくお手伝いをして、理念を形にするアクションにしていきたいと思います。
福祉や介護の現場には、伝えたい、伝わってほしい情報が本当にいっぱいあります。その情報量と実際に伝わる情報量のギャップをどうやったら埋めていけるか。ぼくたち現場の人間は、地道に情報発信を積み重ねていくしかないかもしれません。でも幸いなことに、記事や映像をみた方が寄付をしてくださるという流れは確実にあるんです。情報を伝え続けることで、人の心は動いているし、アクションにつながっていることは間違いないと思っています。
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