Facebook清水 友邦さん投稿記事
家の前の大きなクルミの木からクルミの実が毎日勢いよく落ちてきます。
毎日拾っているうちに、千個以上になりました。縄文人もこうして採集していたのでしょう。縄文時代の東北は広大なブナの原生林が広がっていました。
その中に縄文集落がありました。縄文人はドングリを食べていました。
遺跡からドングリをすりつぶす道具である大きな石皿やすり石が発掘されています。
縄文人はアクの強いドングリを割って中身をすりつぶして粉にして、それを流水にさらしてアクを抜いて乾かして保存して、それを団子にして土器で加熱して食べていたようです。
米の生産量は明治時代初期まで一反あたり180キロと言われていますがどんぐりの生産量は一反150キロになるので収穫量は米とさほどかわりません。
稲作は田植えから水管理、稲刈りまで汗水たらして働かなければなりませんがドングリはほっといても勝手に実がなります。
一週間ほど山に出て拾えば1年分の主食を蓄えることができました。
縄文の住居跡からは炭化している木の実が混じったパンやクッキー状のものが発掘されています。蜂蜜をつけると現代ではおやつになります。
どんぐりの種類
http://www.enyatotto.com/donguri/acorn/acorn.htm
縄文集落の周囲にはクルミ、栗の木も植えられていました。
縄文人は世界に先駆けて土器を発明して煮るという調理法を編み出しました。
熱を加えることで殺菌され有毒物やアクが分解され堅い繊維の植物は柔らかくなるので、いままでに食べられなかった食物の種類が大量に増えることになりました。
縄文中期になると蒸し器も登場して煮るだけでなく蒸す調理法も発達しました。
今から約5500年〜4000年前の間、主に東北北部から北海道南部にかけて分布していたのが円筒土器です。
盛岡から南を境にして分布しているのがずんぐりした形の大木式土器です。
縄文時代前期~中期の盛岡はこの二つの文化圏に挟まれていました。
海岸近くでは、魚貝や山菜やきのこ、栗、クルミなどが入った鍋料理を楽しんでいたと思います。
もちろん化学調味料などの食品添加物は入っていません。
天然の味を楽しんでいたでしょう。
最近の研究では縄文人の寿命は以外と長く65歳以上が3割もいた集落もありました。
体に障害を持って働けなかった人も大切にされて長生きをしていました。
諏訪地方の縄文人は周辺地域が稲作をしていても最後まで稲作を拒否していました。
木を切り土地を耕さなくとも森の恵みで暮らせていけたからでしょう。
狩猟採集民にとっては森が神でありすべてでした。
人間と動物は等しく、人間が動物になり、動物が人間に自由に姿を入れ変える事ができました。
動物は兄弟であり植物は姉妹です。
シャーマニズムの世界で、物質世界と霊の境界は流動的で切り離す事はできません。
稲作習慣をもった人々が多くなると森を伐採して耕地面積を広げていきました。
しかし唯一木を切ってはならない場所があったのです。
それが縄文の人々が信仰の対象にしていた神聖な森でした。
のちにそれが神社の鎮守の森になったのです。
しかし、近代合理主義の明治時代になると樹木は神聖さを失い単なる商品価値におとしめられました。
森林は欲望の対象になり鎮守の森は売り渡されました。
ブナやクリなどの広葉樹などは大規模に伐採され、生き物の餌となる木の実が激減して獣は姿を消していきました。
安田喜憲の花粉調査によると、ギリシャ文明と森の消滅はほぼ正比例しているといいます。
世界四大文明もまた木を切って森が消えたために文明が衰え、滅んでいきました。
森が消え、クマや小鳥が消えてゆくのは他の生物を巻き込んだ人間のゆるやかな自殺行為です。
人工的な世界に囲まれて暮らす私たちの身体感覚は鈍くなっています。
生態系全体が崩壊することの意味を私たちは理解していないようです。
https://moriwaku.jp/learn/4150/ 【ブナ林ってどんな森?】より
森林について学んでいると度々“ブナ林”という言葉を耳にします。ブナがいっぱい生えている森なのだろうか?そのくらいの認識しかありませんでした。そこで、今回はブナってなんだろうというところから、ブナやブナ林について調べてみました!
「ブナ」はブナ科ブナ属の落葉広葉樹です。北海道南西部、東北地方では平地から山地にかけて分布しています。それより南の本州、四国、九州では標高700メートル以上の山に分布。ブナは少し山にわけいったところに生息しているようです。秋には落葉し、どんぐりをつけます。このどんぐりはツキノワグマの大好物で重要な栄養源です。
ブナ林とは?
ブナ林を簡単に言ってしまうと、ブナを中心に様々な落葉樹が生育している天然林のことを指します。日本は昔からこのブナ林が各地に広がっていました。そのため、日本の自然がつくった昔ながらの姿を残した天然林と言えます。ブナ林では、少し変わった現象を見ることができるんです。まずは、こちらのブナ林の植生を見てください!
林野庁 東北管理局ホームページより引用 (http://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/syo/huzisato/buna_gaido.html アクセス2018/06/11)
多雪の日本海側と少雪の太平洋側で生育している植物が大きく異なっていることが分かります。このことを森林植生の“背腹性(はいふくせい)”といいます。地面近くに生育している植物も異なっているので太平洋側と日本海側での森の様子は随分違って見えることでしょう。
また、雪の多く降る日本海側では、“根曲がり”という現象をみることができます。木の根元が曲がっている樹木のことをそのように呼びますが、これは雪と樹木が戦った証です。雪の重圧に負けないように樹木たちも必死に体を支え、厳しい冬を頑張って乗り越えています。
根曲がりするブナ
ブナ林の大部分は落葉樹で構成されています。林内では、落葉樹たちが秋に大量の葉っぱを落とします。地面には落ち葉によって厚く敷き詰められた葉っぱでいっぱいです。その様子はまるで自然でできた絨毯の様。落ち葉の層は土壌動物や微生物たちの住処にもなっています。この落葉が堆積すると微生物が働き、養分たっぷりの土壌へ変化。そしてこの土壌や微生物が川下へ流れることで田畑や海を豊かにするそうです。このようにブナ林は生物多様性や土壌の発達を支える重要な役割をしています。
秋のブナ林
貴重な日本の原生林
そんなブナ林ですが、原生林(人の手が入っていない森)はとても少なくなってしまいました。世界的にも大規模で残っているものはそう多くありません。
そんな中、日本の白神山地は、原生的なブナ天然林が大規模で残っているということで有名です。林野庁のホームページによると白神山地森林生態系保護地域の区域は、約17,000ha(170 km2)の面積にも及びます。ご存知の通り、世界遺産にも選ばれており、その希少性は世界からも評価されています。
白神山地の風景
ブナ林が減少してしまった要因の一つに、スギやヒノキの植林に置き換わっていったことがあります。というのも、ブナは伐採して短期間で変色する、水を吸収すると腐りやすい、などの性質があります。そのためブナを材としては使いにくく、その代りに建築用材として使いやすいスギやヒノキが多く植えられるようになっていきました。現在では、木材乾燥技術の進歩により、ブナを家具や合板、床材など様々な用途に用いています。私もブナのスプーンを愛用しています。小さな斑点が特徴の木目は可愛らしい印象でとても気に入っています。
今回は、ブナとブナ林をご紹介してきました。ブナ林は、大面積では白神山地でしかみられなくなりましたが、各地に点在しています。新緑のブナ林や秋の紅葉したブナ林など、季節によって変わった姿を楽しめるのもブナ林の魅力です。ブナ林の魅力を確かめに日本の天然林へ足を運んでみてください!
参考文献)
平野伸明 文;野沢耕治 写真(2006)『ブナの森は宝の山』福音館書店
梅原猛、市川健夫、四手井網英ら(1985)『ブナ帯文化』思索社
寺澤和彦、小山浩正(2008)『ブナ林再生の応用生態学』文一総合出版
太田威(1988)『ブナの森は緑のダム』あかね書房
太田威(1992)『自然からのおくりもの 出羽のブナの森』日本書籍
根深誠(1987)『ブナ原生林 白神山地をゆく』立風書房
http://boken.nagasaki.jp/spot/boken343.html 【冒険 343原生林や森林公園、五島で椿めぐりをしてみよう!】より
気候が温暖な長崎県の五島列島には、椿の原種である「ヤブツバキ」など、椿がたくさん自生しています。また、森林公園や教会の庭には、椿の木が植えられ美しい景観を造り出しています。五島をドライブしたり散策したりするときには、そこにある椿の木や花を何気なく見て通り過ぎてしまうかもしれませんね。でも、それぞれの椿にまつわるストーリーや歴史を知ると、もっと楽しく観賞できると思います。
五島の久賀島には数多くのヤブツバキが自生しています。2009年に行われた椿分布調査では、その数80万本以上。島としては大変多い数です。これらのヤブツバキは、長浜地区と亀河原地区で原生林を形成しています。ただし原生林といっても、手付かずというわけではなく、これまで長い間人間によって管理され保護されてきました。
長浜の原始林は久賀島南東部の海岸に面したところに生育していますが、この辺の土には瓦礫が多く肥沃ではないため、大きなヤブツバキは生育していません。幹回りにして30〜50センチ。ヤブツバキの周辺にはカズラ類のつる性の植物も生えています。
一方、亀河原の原始林は久賀島の南西部にあります。海岸から近くの山の中腹までのエリアを覆うように自生していて、他の植物はあまり見られません。このエリアのヤブツバキは少し大きめで、幹回りは45〜60センチです。
©五島市
久賀島のヤブツバキの原始林
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海岸近くにあるヤブツバキの原始林
©五島市
可憐に咲くヤブツバキの花
椿「玉之浦」は赤い花びらに白い縁のある美しい椿です。その名前は、五島福江島の南西にある玉之浦地区で発見されたことに由来しています。1947年、炭焼きを生業としていた有川作五郎さんが父ヶ岳で偶然にも見つけたのがこの椿でした。その後、玉之浦の町長だった藤田友一さんがこの椿に「玉之浦」という名前を付け、1973年に開かれた全国椿展に出品したところ、大変な人気を博し、それから広く世に知られるようになったのです。
ところが残念なことに、そうした人気のために多くの人が五島を訪れ、玉之浦の枝や根を乱獲したため、原木は枯れてしまいました。ただ、そのように多くの人が各地に持って行ったことで、その子孫が日本だけでなく世界中にも広がり愛されるようになりました。
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福江島の玉之浦地区で発見された椿「玉之浦」
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椿展に出品された玉之浦は大変な人気を博しました。
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赤い花びらに白い縁取りがとてもうつくしい「玉之浦」
「聖母の大椿」は福江島の三井楽にある大きな椿の木のことです。三井楽にはキリスト教信者が多く、この椿の木がキリシタンの歴史を見守るかのように、そこに長い間生育してきたということで、聖母の大椿の名前が付けられました。大椿を見るには、途中アーチのようになった椿の木のトンネルを抜けて進みます。しばらく行くと広場があり、そこに「聖母の大椿」が立っています。木の前に名前が書かれた札が立っているので分かります。
福江島の東部、鬼岳の中腹には「五島椿森林公園」があり、この公園の中に五島椿園と鬼岳樹木園が作られています。五島椿園には、自生のヤブツバキを含めた270種以上、約3000本の椿が植えられています。この中には、すでに紹介した「玉之浦」もあり、特にコーナーを設けて鑑賞できるようになっています。五島椿森林公園はよく整備され美しく、椿の品種も充実した質の高い公園であることが高く評価され、2010年に国際優秀椿園に認定されました。
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三井楽にある「聖母の大椿」
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大きく成長した大椿のところどころに椿の花が見られます。
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国際優秀椿園に認定された「五島椿森林公園」
キリスト教の信者が多い五島には、教会も数多く建てられていますが、その中でも堂崎教会と水ノ浦教会では、敷地内に椿を植えています。
県の有形文化財に指定されている堂崎教会の天主堂は五島で初めて建てられた天主堂で最初は木造でしたが、1908年にレンガ造りの教会堂が完成しました。この赤レンガの建物に庭に植えられた椿の緑の葉と赤い花が良く映え、また、教会堂の中にあるステンドグラスには椿がモチーフとして使われています。
福江島の北部にある水ノ浦教会は、和洋折衷の建築様式を持つ白壁の美しい教会です。1797年に外海から数人の信者がこのエリアに移り住んだことからキリスト教が広まったと言われています。最初の教会堂は1880年に建てられましたが、その後1938年に現在の姿に作り変えられました。敷地内に植えられた椿の花は教会堂の白い壁にマッチして美しい光景を造り出してくれます。
©長崎県観光連盟
堂崎教会と椿
©長崎県観光連盟
水ノ浦教会と椿
五島では毎年2月になると椿まつりが開かれ、2021年も2月20日~2月28日に開催されることになっています。このイベントでは椿に関する展示や椿の植樹、また椿マラソンなどが予定されています。2020年の第26回の椿まつりは新型コロナウィルスのために開催されず残念でした。その分2021年の第27回五島椿まつりに期待したいですね!開催状況など詳しい内容は、公式サイトで確認してください。
五島の椿にまつわるお話や観光スポットを紹介しました。ヤブツバキの原生林や美しい玉之浦の発見、そしてキリスト教信者を見守ってきた聖母の大椿や森林公園など、五島はまさに椿の里ですね!2021年の2月までには新型コロナウィルスも収まって椿まつりが無事開催されるよう祈らずにはいられません。その時にはぜひ五島に出かけてさまざまなイベントや椿めぐりを楽しんでください。
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