Facebook若林俊彦さん投稿記事 【かつてこの地球に生まれしマスター達】
例えばそれはブッダかも知れないし、あえて名前はいいませんが宗教の元となった聖者達
それは、この地球の精神文明に関わりなんらかのインスピレーションを与えることによって人類を修正もしくは進化させたでしょう
だがその方達が去るとまるで現人神のように偶像崇拝します
それは宗教組織が権威を持つため、布教のためかも知れない
そして実際あったことに脚色が入り更なるストーリー性を帯び本来とは全く違う方向に話が展開します
そして時には権力者の都合で全く違うように書き換えられました
根底に流れているものは素晴らしいですがうのみは禁物です
もし貴方がその教えから恐怖や不安や不信を感じるならばそれは注意した方がいいでしょう
その時、私は愚か者でと落ち込むならばその部分はあなたに合っていない所です
人はそれぞれ個性があり役割も違います
金太郎アメのように切っても切っても同じ顔は出ません皆それぞれ生きる形、個性、役割が違うからです
本当のあなたを生きてください今のあなたが本当のあなたか?それは他ならぬあなた自身が
知っています
https://www.osho.com/ja/highlights-oshos-world/zorba-the-buddha 【ゾルバ・ザ・ブッダ】
ゾルバが基礎で仏陀が宮殿
ゾルバが基礎で仏陀が宮殿だ。仏陀が頂点だが、基礎の石はゾルバによって敷かれる。礎石を敷かずに仏陀であることを選ぶのはばかげている。
私にはそのことについて明確な見通しがある。ゾルバがなくてはならないし、ゾルバが強ければ強いほど、よりよい仏陀が可能になる。だから私はいつでも仏陀になれるが、そこから仏陀を刻み上げる基本的エネルギーとしてのゾルバがどうしても必要なのだ。ゾルバは仏像を彫り出すための大理石だ。私は岩を選ぶ……そして仏陀は簡単だ。たんに目を開ければいいだけの話だ。私は仏陀のことは気にかけていない。私はゾルバではない人たちのことを心配している。彼らはどうやって仏陀になるのか? 彼らは仏陀をつくるための基本的材料をもっていない。
そしてこの貧しさは、私たちの宗教的指導者たちによって人びとに与えられたものだ。彼らは物質主義者ではいけないと言ってきた。彼らは禁欲的であれと言ってきた。彼らは貧しさのなかに生きよと言ってきた。彼らは生は罪から生まれたと言ってきた。こうしたすべてのことが彼らのゾルバを殺してしまった。そうでなければ、だれもが生まれながらに「その男ゾルバ」、ギリシア人のゾルバなのだ。
そしてすべてが私の思いどおりにいけば、どんな人もゾルバ・ザ・ブッダとして死ぬだろう。このギリシア人と仏陀のあいだにそれほど距離はないが、あなたはまずこのギリシア人にならなければいけない。
私はその新しい人間を「ゾルバ・ザ・ブッダ」と呼んだ
最初、私はあなた方に信頼、ハート、感性、愛を教えた。そして今、私があなた方に疑い、懐疑、理性、知性を教えているのは、あなた方に全体的な人間になってほしいからだ。あなたは信頼することで、ハートで完全に満足できるが、それではあなたは全体的な人間ではない。私はミラを全体的な人間とは呼びたくない、私はラーマクリシュナを全体的な人間とは呼びたくない。彼らは美しいが、知性が欠けている。ただハートだけなのだ。砂糖が多すぎて、糖尿病になってしまう。私は糖尿病だ。ハートが多すぎたら、甘みが多すぎたら、あなたは糖尿病に苦しめられる――そして、私はあなた方のだれかが糖尿病で苦しんでほしくない。そう、ただハートだけで生きるなら、あなたは精神的な糖尿病になる。知性は塩辛く、刺激的だ。ただ甘いだけのものではない。
私はあなたに自分の存在の全体性を楽しんでほしい、あなたの肉体、あなたのハート、あなたの知性、そのすべてが調和した全体性を。私はその新しい人間を「ゾルバ・ザ・ブッダ」と呼んだ。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
探求の道は次の四つの段階があります。
わからないことがわからない人 わからないことがわかった人 わかったけれどもわからない人 わかったことがわかった人
⭐️「わからないことがわからない人」
支配・従属のプログラムが頭に刷り込まれていることに気がつかずに、眠ったまま社会の役割を何の疑問もなく、演じている人たちです。
一流の大学と会社に入り、結婚をして、いい車や家を持つことが人生の目的と信じて、自分が自分でない状態で生きています。
自分の本心と違うことをしているのに、その本心を偽っていることすら気づいていません。
自分がやりたいことがあっても、頭で否定して、社会の条件付けや風習、両親や会社の同僚の考えを正しいと思っています。
ピラミッドのシステムの中で、搾取され抑圧されて、ストレス状態に置かれても叛逆せず、服従しないと生活を失う不安があるため、上からの命令に従って生きています。
未来を心配したり、過去のすでに終わったことにくよくよする偽りの自分を維持するために、膨大なエネルギーを浪費しています。
その為に、すぐに疲れやすく、バッテリーの電源が切れた病的な状態で生きています。
苦しみを解決しようとしますが、機械のような自我の状態なので、問題を解決しようとしても同じ過ちを何度も繰り返します。
自己を喪失して、外からの条件づけによって反応する機械のような状態で生きています。
⭐️「わからないことがわかった人」
偽りの自我に違和感を感じて、何かがおかしいと漠然と気づいています。
あまりにも苦しいので、支配体制に依存する機械の状態から自由になるにはどうすれば良いのか、原因を探求して答えを探し求めます。
おかしいと気づいたが、どうしてよいか、わからないので、わかっていそうなスピリチュアル・カウンセラー、ヒーラー、精神世界の教師を次から次へと訪れます。
お金を使っただけ知識と経験は増えますが、マインドの次元を水平移動しているだけなので問題が改善せず困惑しています。
この時点では、プログラムされた私そのものが苦しみの原因だということがわかりません。
今の状況を変えようと思っても、将来の不安や恐れが湧いて、頭だけがぐるぐる回るだけで、思い切った行動に踏み出せないままでいます。
自分の内面と直面することを避けて、問題を先送りにしているうちに、苦しみが限界を超えて自我の崩壊が起きます。
⭐️「わかったけどわからない人」
人は、自分の内面を観察して、自分の中にある否定的なプログラミングを検証して解除することが出来ます。
ワークショップやセミナーを受けて様々な経験をしますが、すぐに元の自分に戻ってしまいます。
精神世界を探求して素晴らしい体験が起きても、時間が経つと思考と同化する自分に戻ってしまいます。
瞑想の先生について長年修行して、頭で道筋を理解して心も落ち着いて自己満足しています。
しかし、探求している私そのものが光を遮っていることに気づけず、二元性の中で停滞しています。
瞑想者の困難 三つのパターン
1 、手がかりが掴めない状態
瞑想してもすぐに眠ってしまうか、思考に巻き込まれてしまう、意識が沈んで揺れ動いてしまう状態
2、道筋を理解して、思考を止めるか静かにしようと努力している状態しかし、思考を使って思考をなんとかしようとしてしまい、返って思考が強くなってしまっている状態
3、一瞥があり思考が自分ではないと知っているが瞑想中に起こる様々な神秘的な現象に魅了されている状態。
瞑想で心が静かになるとエネルギーが上昇して心が歓喜に包まれたり遠くで起きたことが見えたり、肉体を離れて霊的な人物と出会ったり体が消えて意識だけがある状態を経験したりします。
しかし再びマインドと同化して自己満足している状態です。
無意識の自覚が十分でないと流れこんでくるエネルギーが自我を増長させてしまいます。
自分が人より霊性が進化しているとランク付けをして相手を自分よりレベルが低いとして上から目線で見てしまいます。
仏教で最後に残る煩悩は慢と言っています。
1.高慢(自分の方が上だと思う)
2.過慢(じぶんと等しい者にたいして上だと思う)
3.慢過慢(相手が上であっても同等だと思う)
4.我慢(自我に執着しておこる思いあがり)
5.増上慢(悟った、極意を得たという思い上がり)
6.卑下慢(優れている者にたいして劣っていないと思い込む)
7.邪慢(徳がないのに自分には徳があると思いこむ)
⭐️「わかったことがわかったひと」
客観意識以外はすべて現れては消える夢と知ってしまった人たち
見た目は何も特別なことはなく普通の人と同じ生活をしています。
禅では桶(おけ)の底が抜けたといいます。
底がなかなか抜けない人はわかった人にタガを緩めてもらいます。
あとは底が自然に抜けるのを待ちます。
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拙著「覚醒の真実」 新装版が8月21日発売になりました。
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呼吸道ワークショップの予定
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呼吸道の目的は自分自身を知るということです。
身体、感情、思考、あらゆる概念、知識
これらは全て私ではありません。
今まで自分だと思っていた私は私ではないということです。
それにはまず自分のマインド、思考を観照できるようにならなくてはなりません。
苦しみを取り去る方法は思考と一体化している偽りの自己に気がついて、今ここに在る純粋な意識と繋がることです。
しかし、物心が付いてからずっと思考と一体化しているので思考を見守るのが難しいのです。
それには体の感覚に注意を向け常に変化している呼吸から始めるのがやさしいのです。
そして呼吸は無意識と意識を繋ぐ橋渡しをしています。
自我意識を超えた観照が目覚めることで
自己の全体性が回復されます。
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