願いが叶わないとき、あるいは 自分で問題行動、好ましくない症状をもてあますとき その裏には潜在意識の肯定的な意図(顕在意識に反する願い)があると考えます。
例えばストレスで頭が痛くなるとします。
この場合 頭痛は症状であり ストレス反応、受けとりたくないことへのサインです。
しかしサインを無視して 対症療法的に鎮痛剤を飲んで 頭痛を抑えると ストレス反応はもっと強烈な形で出てきます。サインを受け取り対応するまで 頭痛に悩まされることになります。潜在意識に耳を傾けることはとても大切です。
願いがかなわないときの 顕在意識の裏に隠された潜在意識の可能性を探ってみます。
小さな交通事故を繰り返す裏に隠された潜在意識の願い(例)
*トラブルが起きた時の緊張感、充実感が欲しい(それが生きている実感)
*注目されたい,かまって欲しい
*「交通事故を起こしたという小さな罪悪感」の下にある大きな罪悪感を見ない(自己処罰のこともある)
*大きい失敗をしない
*罪悪感なしに新車が買える
*信じ込みを確認(「やっぱり私は駄目」と思った時の安心感。人生脚本の強化)
*人に期待されなくなる(やりたいことができる):小さなミスを繰り返すと周りの人たちは愛想を尽かしたり、毎度のことで誰も心配しなくなります。これはマイナスのことであり、プラスのことです。なぜなら人に期待されなくなると責任がかからなくなります。趣味、やりたいことなどコミットしているものがあればそのための時間が取れます。自分の世界が大事にできます。
いじめが止められない (例)
*自分の存在をアピールしたい
*自分がいじめられないため(先手必勝)
*自分への怒りを外に向ける(自分の問題を外に観る)
*ストレスの発散(サウンドバック)
*プラスのストロークを使えない(マイナスのストロークで人と関わる)
*自分の強さを誇示したい(ドメスティックバイオレンス)
願いが叶わないとき 叶える力のない自分を責め、自己嫌悪に陥り、自分を愛せなくなる(セルフエスティームを失う)という 危機が生まれます。落とし穴への注意が必要です。
「できない自分」を責め、嫌悪する卑屈の堂々巡りにはまると「できる他人」を妬み、嫉み、嫉妬し 蹴落とすべき競争相手に仕立てます。
いつの間にか世界が敵になり自分の居場所を失うことになります。
どうすればいいのでしょう?
「叶わない願い」は「真実の願いではない」ことに気づく必要があります。
叶わない願いの背景にどんな真実の願いがあるかを問う必要があるとも言えます。
私たちは 通常 呼吸することに意識を向けません。
生命体であるにもかかわらず 生きるための活動に あまり意識を向けません。
潜在意識にも あまり意識を向けません。
息をすることは生きること・息の仕方は生き方と言われます。
命はまるで オートマチックに維持されているような錯覚に陥り「顕在意識の力を悠に超える潜在意識」に突き動かされている自分に無自覚であれば 真実の自分を見失っているということです。
「真実の自分を回復する」とは「個人的無意識を超えた 普遍的無意識・集合無意識とのつながりを回復する」こととも言えます。
「真実の願い」は 「世界と調和バランスした願い」です。
自分の詩(表現・願い)が不協和音を奏でれば 世界から排斥され快いハーモニーを奏でれば 世界から喜ばれ 尊ばれます。
そのような視点で見れば 「弱肉強食が自然界の掟」でなく共存共栄・調和バランスが自然界の原理とも考えられます。
「願いが叶わないとき」を「真実の自分に出会いなおすチャンス」と捉え 自己一致をしながら 自己実現の喜びに生きるものになりたいと願います。
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