Facebook坪内 稔典さん投稿記事
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【言葉カフェ スペシャル 芭蕉】より
ことばカフェ スペシャル 芭蕉 2022年9月4日(日)14時~
会場/びわ湖大津館(JR湖西線大津京駅下車)
ことばカフェスペシャルの開店です。俳人・行方なめかた克巳かつみさんを迎え、彼の芭蕉論をたっぷりと聞きます。克己さんの講演の後には彼と坪内つぼうち稔ねん典てんさんの対談があります。この2人、実は申歳生まれの同年生、芭蕉もまた申歳生まれです。つまり、申歳生まれの3俳人が琵琶湖湖畔に集います。大津は芭蕉の眠る地、秋の1日、芭蕉の言葉に、そして克巳さん、稔典さんの言葉に耳を傾けてみませんか。みんなで3人の言葉にかかわるフリートークも楽しみましょう。14時~17時の予定です。
行方克巳・1944年6月2日生まれ。「知音」代表。句集に『晩緑』など
「空蝉に象が入つてゆくところ」「行春や輪ゴムのごとく劣化して」
坪内稔典・1944年4月22日生まれ。ことばカフェオーナー。「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」
【来店案内】事前に予約してください。入店料1500円(資料代、お茶代込み)。
申し込み(問い合わせ)メール sendan575@gmail.com(坪内稔典)
電話/店長・川島由紀子(080-3807-9719
http://ooikomon.blogspot.com/2015/11/ 【行方克巳「素数わが頭上になだれ冬銀河」(『素数』)・・・】より
行方克巳(なめかた・かつみ)、昭和19年千葉県生まれ。句集『素数』(角川書店)は第七句集。「あとがき」に記す。
俳句の五・七・五と十七音、また短歌の三十一音、いずれれも素数である(藤原正彦氏)。一とその数自身の他に約数を持たない正の整数は無限に存在する。しかし私が常に求め続けてきた短詩型の五音七音の音数律が、素数に関連するという事実に、私は少なからず興味を覚えたのである。
序文は中西進。題簽の揮毫は津金孝邦。中西進はその序文「素数詩としての俳句」に述べる。
そしてさらに作者自身の身構えの上にも、素数的態度が要求されるはずだ。
右にいう素に生きる者こそが、素数詩の作者となる。
俳人は素数に生きよ。俳句は素数の如く物象を把握せよーーまずはこうした提言をわたしは行方から受け取る。
見事なる言挙げである。素数はともかく、いくばくのユーモアのしずくを思わせる趣の句が愚生には好ましく思われた。
ともあれ、いくつかの印象に留めた句を挙げておこう。
白菊や死に顔をほめられてゐる 克巳
啓蟄の男一匹出かねたる
六千ボルトの夏に感電してしまへ
骨肉を剥がれ晩夏の義手義足
晩緑といふべし大いなるは静か
鰭酒にだんまりの舌灼きにけり
白椿万巻の書のみな白紙
紙風船突くより叩き返すなり
嵐電の終電はやき春灯
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/26_okuno/ 【『おくのほそ道』】より
松尾芭蕉が記した「おくのほそ道」。俳句が随所に散りばめられた旅のドキュメントというイメージがあるかと思いますが、実はそうではありません。今回はその意外な姿に迫ります。
伊賀に生まれた芭蕉は、武士の家に奉公人として仕えていた時に俳諧連歌に出会い、俳諧師になりました。俳諧とはもともと“滑稽”を意味し、上の句と下の句を複数の人が読みあうもので、遊びの要素が強く、芸術といえるほどではありませんでした。
芭蕉は、この俳諧を和歌に匹敵する文学へと磨き上げようとしました。そして“蕉風”と呼ばれる独自の境地を開きます。これが後の俳句へとつながっていくのです。
46歳の時、芭蕉はある大きな決意をします。古くから和歌に読み込まれてきた景勝地「歌枕」の宝庫であるみちのくを訪ね、理想の句を生み出そうとしたのです。その旅が「おくのほそ道」でした。
番組では、女優の内山理名さんが俳人の長谷川櫂さんとともに、芭蕉の足跡をたどり、その旅を追体験します。そして東京深川の芭蕉記念館をスタジオにして、司会の伊集院光さん、武内陶子アナウンサーと共に芭蕉の世界観を語りあいます。番組を見れば、あなたも必ず、旅に出たくなるはず。どうかお楽しみに!
第1回 心の世界を開く
芭蕉はなぜみちのくへと旅だったのだろうか?今回は「古池や 蛙飛こむ 水のおと」という有名な句を手がかりに、芭蕉の心境を推理する。江戸・深川を出発した芭蕉は、寺社をめぐりながら日光へと向かった。長旅の安全を祈願するのが目的だが、実は日光の描写には、芭蕉の周到な計算が見え隠れしている。第1回では、旅にこめた芭蕉の思いを描く。
第2回 時の無常を知る
旅先で芭蕉がまず知ったことは、人の営みが、いかにはかないものであるかという現実だった。松島に着いた芭蕉は、その美を流麗な文章でたたえるが、何と自分の句をおくのほそ道に載せなかった。その真意とは何か?さらに北へ進み、平泉に着いた芭蕉は、ひとつの希望を感じることになる。第2回では、無常という現実を芭蕉がどうとらえたかを探る。
名著、げすとこらむ。ゲスト講師:長谷川櫂 『おくのほそ道』への旅
第3回 宇宙と出会う
芭蕉が山形の山寺で読んだ句「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」。蝉の声がうるさいのに、芭蕉はなぜ「しずか」と表現したのか、そこから謎ときを始める。旅の後半、芭蕉の句はさらに進化していった。出羽三山に登った芭蕉は「天の入口に来たかのようだ」と記し、山中で句を読む。大自然の中で芭蕉が感じたものとは何だったのか?第3回では、芭蕉の宇宙観に迫る。
もっと「おくのほそ道」
第4回 別れを越えて
東北を離れた芭蕉は、北陸を経て岐阜へと向かう。ここで芭蕉の思索はさらに深まりを見せる。人生は思うようにならない悲惨なものである。その現実を静かに受け止めて、時々めぐってくる幸福を楽しむような、達観した句を作るべきだというのだ。のちに芭蕉は、この境地を「軽み」と称するようになる。第4回では、芭蕉が最後に達した「軽み」とは何かを探る。
こぼれ話。
「おくのほそ道」こぼれ話
「おくのほそ道」いかがだったでしょうか。普段はアニメーションやスタジオで撮影した再現シーンのVTRを流すことが多いのですが、今回は芭蕉の旅を追体験するVTRを加えました。しかし単なる旅番組になってしまうと、「100分de名著」らしくないので、解説部分と旅の部分の配分を考え、芭蕉の世界観をしっかり描くように心がけました。今年は東北の梅雨がなかなか明けなかったため、最上川が真っ茶色になっていましたが、流れの速さを読んだ句だからまあいいか、と自分を納得させています。
9月の「古事記」、10月の「おくのほそ道」と、日本の古典が続いたので、次回は方向性を大きく変えて「アラビアンナイト」を取りあげます。こちらもどうかお楽しみに!
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